第20話 嫌いになんてなれない

 屋敷での会議を終えたニュクスは宿へと直帰し、荷物も置かぬままイリスの部屋を訪れていた。

 伝えるなら早い方がいいと判断したからだ。先延ばしにしても、良いことなど何もない。


「――お嬢さんが王都で結成される連合軍へと参加することが決まり、俺もそれに同行することになった。近日中にはここを発つことになりそうだ」

「お仕事でしばらく町を離れるということ?」

「イリスには嘘をつきたくないから正直に言うけど、仕事が終わっても、俺はそのままこの町には帰ってこないと思う」

「えっ?」


 兄のように慕う人物から突然告げられた別れの宣告。11歳の少女は、言葉の意味を直ぐには飲み込むことが出来なかった。


「ニュクス、いなくなっちゃうの?」

「そういうことになる」

「直ぐにいなくなるわけじゃないって、そう言ってたじゃん……」

「……すまない。軽はずみな発言だったと反省している。絶対なんて無いのに、無責任にあんなことを言ってしまった」


 イリスを安心させるために咄嗟とっさに口にした言葉だったが、あれが嘘になるとはニュクス自身も思ってはいなかった。今の生活が長く続くのならそれに越したことはない、これは本音だ。だが、暗殺者としての使命がそれを許してはくれない。


「ニュクスの……嘘つき」

「すまない」


 頭を下げる以外に、今のニュクスに出来ることは無かった。

 謝罪などイリスが求めているはずもない。だけど、安心させるために取りつくろったところで、それは後々イリスを余計に悲しませるだけだ。

 たとえ心の底から嫌われてしまったとしても、もう戻らないのだという意志を、しっかりと伝えなくてはいけない。それが、ニュクスなりの誠意の表し方だ。


「……ニュクスなんて嫌い」


 必死に背伸びをしたイリスの小さな拳が、ニュクスの胸を何度も叩く。

 涙声から発せられたその弱々しい拳は、どんな強者の一撃よりも重いものであった。


「嫌われたって文句は言えない」


 いつものくせでイリスの頭を撫でそうになったが、嘘つきの自分にその資格は無いと、ニュクスは伸ばしかけた右手を引いた。


「嫌いになんて……なれないよ……」

「イリス?」


 イリスの拳がニュクスの胸元から離れ、手の甲で涙を拭った。

 大きく深呼吸をして顔を上げると、イリスはらした目元で不器用に笑っていた。


「ごめんね、突然のことでビックリしちゃっただけだから……もう大丈夫だから」

「謝らないでくれ。悪いのは全部俺だ」

「ううん、ニュクスは悪くないよ。ニュクスは旅人だし……いつかお別れしなくちゃいけないというのは分かってた。これでも宿屋の娘だからね、仕方のないことだっていうのは……理解しているつもりだよ」


 我儘わがままを言ってニュクスを困らせるのは嫌だ。


 以前口にしたその言葉を、イリスは必至に守ろうとしているのだろう。目元を涙で腫らして、震えそうな声を必死に律して、兄のように慕う人に少しでも安心してもらおうと、笑顔で強がっている。


 11歳の少女にこんな辛い思いをさせてしまったことを、ニュクスは激しく後悔していた。

 別れを告げるにしても、もっと円満な方法があったのかもしれない。

 いずれこの土地を離れる時がやってくるのは分かりきっていたのだから、そもそも近づき過ぎるべきではなかったのかもしれない。


 身を置く世界が違い過ぎる。血で汚れた両の手は、本来、純粋無垢な子供達に差し伸べて良いものではなかったのだ。


「……イリスは強いな。俺なんかよりもよっぽど強い」


 これは紛れもないニュクスの本心であった。

 嘘と血に塗れた自分などよりも、イリスやヤスミンのような心優しく真っ直ぐな人間こそが、真の強者に違いない。


 この子には闇を見せたくはない。やはり今こそが潮時なのだとニュクスは確信した。


「……私、友達のお家に遊びに行ってくるね」

「あまり遅くならないようにな」

「うん」


 足早にその場を後にしたイリスの顔を、ニュクスは直視することが出来なかった。イリスもきっと、それを望んではいないから。


 強がってはいてもまだまだ子供だ。直ぐには割り切ることが出来ないだろう。

 無責任ではあるが、時間が解決してくれることを祈るほかなかった。

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