第41話 気分が良い

「……まさかガストリマルゴスを討ち取るとは。王都から離れた地方領だとあなどりましたね」


 息を切らしながら、アリスィダ神父は必死にカキの村から離れようとしていた。ガストリマルゴスを失ったことで、魔力はすでに枯渇こかつ寸前だ。

 唯一生き残った部下のことなどまるで気にしてない。それどころか部下が途中で追手に見つかり、時間稼ぎになってくれればありがたいとさえ思っていた。


「見ていろルミエールの者達よ。魔力が回復したら、直ぐに大群を引き連れて貴様らを蹂躙じゅうりんしてやる。私たちの手にかかればこんな小さな領など、あっという間に壊滅かいめつだ……」


 アルカンシエル国内にはアマルティア教団の支部が数ヶ所存在している。そこまで逃げ延びることが出来れば、体制を整えた後、幾らでも復讐ふくしゅうする機会はある。

 屈辱を与えた連中をどんな残忍な方法で殺してやろうか。アリスィダ神父は嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべて想像した。


「大きな独り言だな」


 何者かが冷たく言い放つと同時に、一本のダガーナイフがアリスィダ神父目掛けて飛来した。


「があっ!」


 ダガーナイフは右肩に突き刺さり、アリスィダ神父は激痛に顔を歪めてその場に倒れ込んだ。


「ようやく足を止めたか」


 正面へ回り込んだニュクスが、地面をうアリスィダ神父を見下ろした。

 骨折した左腕に痛みを感じているようで、心なしか普段よりも表情が不機嫌だ。


「……臣下しんかのナイフ使いか。くっ! どこまでも邪魔をしてくれる」

「勘違いするのも無理はないが、臣下ってのは少し心外だな。俺はあんたたち側の人間なのに」

「こちら側? 貴様、何を言って――」


 戦闘中はソレイユやリスにばかり意識が向いていたので気づかなかったが、自身を見下ろすニュクスのその特徴的な容姿を見て、アリスィダ神父はハッとした。

 直接面識があるわけではないが、数々の暗殺を成功させてきた暗殺部隊の若きエースの噂は、神父たち正規部隊の耳にも届いていた。

 二刀のククリナイフを得物えものとする、黒いコートと灰色の髪が特徴的なアサシン。その特徴は、今自分を見下ろしている男に酷似している。


「貴様、まさか暗殺部隊の?」

「クルヴィ司祭直属のアサシン、ニュクスだ。よろしく、神父殿」


 驚愕に目を見開きながらも、アリスィダ神父はどこかホッとした様子でその場に座り直した。

 状況に思考が追いついていないが、少なくとも同じアマルティア教団に所属する者同士、悪いようにはしないだろうとアリスィダ神父は考えていた。


「どうしてこのルミエール領に?」

「極秘任務だ。暗殺目的でルミエール家に潜入している」

「……クルヴィ司祭も人が悪い。部下を潜入させているなら、私に一言伝えてくれれば良いものを」

「極秘任務だからな。そもそも正規部隊と暗殺部隊は互いの活動を関知かんちしない。本来、こうして任務でかち合うこと自体がまれだろう」

「それは確かにその通りだが……それにしてもこの扱いはひどいんじゃないか?」


 肩に突き刺さったダガーナイフを示し、アリスィダ神父は恨めし気につぶやく。出血を抑えるため、ナイフは抜かずにそのままにしてある。


「こうでもしないと足を止めてくれないだろう。それに、潜入している身として先方の信頼も得ないといけない。あんたを攻撃したという事実があれば、俺は怪しまれずに済む」

「……理解は示そう。不運なのは、互いに任務中に出くわしてしまったことだな」


 アリスィダ神父は態度を軟化させ、微笑みすら浮かべていた。志を同じくする者同士、一種の連帯感のようなものを感じているのかもしれない。


「差し支えなければ、あんたらの任務について教えてくれないか? もちろん話せないならそれでもいい。さっきも言ったように、暗殺部隊と正規部隊は互いの活動には関知しないからな」


 ダメモトで聞いてみただけだったのだが、予想に反しアリスィダ神父はあっさりと口を開いた。同胞との思わぬ遭遇に気分が高揚しているのだろうか。


「別に構わんよ。どうせそう遠くない内に、大陸中に知れ渡ることだ」

「なら遠慮なく聞くが、何故キャラバン隊や村を襲撃した? もちろん、略奪りゃくだつが目的じゃないだろう?」

「我らの目的は実に単純。多くの人間を魔物に食わせることだ」

「どういうことだ?」

「魔物とは邪神ティモリア様の血肉より生まれし異形いぎょうの存在。裏を返せば、魔物という存在は邪神様の一部であるともいえるわけだ。魔物の喰らった人間達の血肉、恐怖の感情、失われた未来。それらは邪神様の栄養となり、復活の時を早めるのだ」


 正規部隊が魔物を使役し各地で活動していることだけは知っていたが、それはずっとテロ行為のためだとばかり思っていたので、邪神復活に直接関わる事柄だったということはニュクスもこれが初耳だった。

 

「邪神復活が近いとだけ聞かされていたが、そういう絡繰からくりだったとは」

「暗殺部隊の人間は上の考えに一切疑問を抱かず……ただひたすらに任務だけを遂行する者達と聞いていたが……その口振りだと評判は本当のようだな」


 自分達の活動に疑念一つ抱かず、目の前の任務だけに集中する暗殺者の一団。そんな有能な駒を、好々爺のような笑みで使役しているクルヴィ司祭という存在に、アリスィダ神父はどこか薄気味悪さのようなものを感じていた。


「……悪いがそろそろ行かせてもらえないか? ぐずぐずしていては君以外の追手もやってくる。こうして会話を交わしている姿を見られては、君だって困るだろう。……それに、どうやら魔術の反動が想定よりも大きかったらしい。さっきから動悸どうきが止まらないんだ。早く体を休めたい」

「次の質問で最後だ。その後は自由にしてくれ」

「……早くしてくれ」

「どうしてルミエール領で事を起こした? 魔物に人を喰らわせたいなら、もっと人口の多い場所を狙えばいいだろうに」

「……さっきも言っただろう。魔物が喰らうのは血肉だけではない。恐怖の感情や閉ざされた未来といった、形無き物までもかてとする……ルミエール領は魔物の頻出ひんしゅつ地域にも関わらず、人的被害が他の地域に比べて少ない。恐怖を得るという観点から見れば、例え人口が少なくとも……平和な土地というのは狙うに値する場所……ということだ……」

「任務とはいえ地方までご苦労なことで。話は分かった。もう行ってもいいぞ」


 動悸のする胸を抑えながらアリスィダ神父はゆっくりと立ち上がり、脂汗あぶらあせの浮かぶ顔でニュクスに笑いかけた。


「……奇妙な出会いとなってしまったが、同じアマルティア教団に所属する人間として、君の任務が無事に達成されることを祈っているよ」

「ご丁寧ていねいにどうも」

所属柄しょぞくがら、顔を会わせることは少ないだろうが、機会があればまた……」

「ああ。お元気で」


 ニュクスは手頃な倒木に腰掛け、足元がおぼつかずに今にも転倒しそうなアリスィダ神父の後ろ姿を、手を振りながら見送った。


「……いけ好かない小僧だが、逃がしてくれたことには……礼を――」


 ほんの数メートル進んだ瞬間、アリスィダ神父の全身を激痛が襲った。

 粘性のある液体が、頬を伝い腕へと落ちる。


「……血?」


 目からは涙ではなく、止めどなく血が流れ落ちていた。

 目だけではない。耳、鼻といった体内に繋がる器官はもちろん、腕や足、胸などからも、血管の薄い部分を中心に血が滲みだしてくる。


「何が! がはっ――」


 とどめと言わんばかりに盛大に吐血。

 突然の大量出血に耐え切れず、アリスィダ神父は自身の血で真っ赤に染まった地面へと倒れ込んだ。


「……な、何だ……これ……は……」


 真っ赤に染まる視界。声を発するだけで体中を襲う激痛と熱感。

 疑う余地もない明確な死の足音が、アリスィダ神父に近づいていた。

 

「き……さま……か……」


 いかに魔力を使い過ぎたとはいえ、突然このような異常が体を襲うことはない。

 戦闘で負傷した覚えがない以上、原因は肩に突き刺さったダガーナイフ以外に考えられない。


あらかじめダガーナイフには毒を塗っておいた。暗殺部隊特製の秘毒ひどくだ。言っておくが解毒剤の類は存在しない」

「なぜ……」

「クルヴィ司祭は、教団に関わるあらゆる事柄よりも暗殺を優先しろと仰せになった。つまりは、暗殺対象から信頼を得るために、ここであんたを殺すことも許されるわけだ……それに――」


 ニュクスの返答を待たずして、アリスィダ神父は大量出血により絶命していた。

 それでも構わず、ニュクスは言葉を続ける。


「――あんたらにお嬢さんが殺されていたかもしれないと思うと、ちょっとむかついたんだよ」


 平原で黒い球体に巻き込まれそうになったソレイユを、どうして咄嗟とっさに助けてしまったのか。

 隙をついて殺すことも出来たのに、どうして共闘して青銅色せいどういろの巨人に立ち向かったのか。

 

 その答えを、ニュクスはようやく導き出すことが出来た。


 ――お嬢さんを殺すのは俺の任務だ。他の奴には絶対殺させない。ソレイユ・ルミエールを殺すのは、俺以外にあり得ない。


 ソレイユの身が危険にさらされたなら、全力で危険を排除しよう。

 ソレイユの前に立ち塞がる障害は、全てこの手で切り伏せてやろう。

 自らの手でソレイユを殺す。その日まで。


「気分が良い」


 疑問というかせから解き放たれたニュクスは、片腕が折れているとは思えぬ、とても晴れやかな表情を浮かべていた。


「所属先が違うとはいえ、アマルティア教団の人間を殺すとは、随分ずいぶんと思い切ったことをしましたね」


 木々の隙間からニュクスを見つめる無感情な視線。

 暗殺部隊で記録係を務める銀髪の少女――カプノスだ。

 もちろんニュクスは驚かない。接触することはなくとも、カプノスがずっと近くで監視を続けていたことは当然承知していた。


「問題だったか?」

「いえ、特に問題ありません。教団に関するあらゆる事柄よりもソレイユ・ルミエールの暗殺を優先すべしというのがクルヴィ司祭の命。今回のあなたの行動は、その範疇はんちゅうであると考えます」


 監視役のお墨付きを貰えて安心だと、ニュクスは大きな溜息をついたが、溜息が折れた左腕に響き、痛みに一瞬顔を歪めた。


「報告のため、私は一度クルヴィ司祭の下へと戻ります。何か伝言等はありますか?」

「時間はかかるかもしれないが、与えられた任務は必ず果たしますと、そう伝えておいてくれ」

うけたまわりました」


 短く頷くと、カプノスはニュクスに背を向け森の深部へとゆっくり歩き出す。


「もう行くのか?」

「もうじき、ここも賑やかになりそうですから」

「それもそうだな。呼び止めて悪かった」

「ニュクス。異名通りの活躍を期待していいます」

「もちろんだ」


 ニュクスが言葉を返した瞬間には、カプノスの姿は跡形もなく消えていた。

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