第40話 仇討ち

「……私のエリュトン・リュコスが全て駆逐くちくされるとは」


 アリスィダ神父の部下の中で唯一生還した黒いローブの男は、疲労感に汗をにじませながら、カキの村の東の森へと身を潜めていた。

 一足先に逃走したらしい神父の足跡そくせき辿たどってここまではやって来たが、魔力切れを起こしかけている今、休息無しでこれ以上走り続けるのは命に関わる。

 

「……体を休めねば」


 村から逃れるギリギリまで相手はエリュトン・リュコスと戦闘を続けていた。それなりの距離は稼げたはずだ。


 太い倒木を見つけ、休憩しようと腰を下ろそうとするが、


「安心しろ。もうじきゆっくり休める」

「えっ?」


 突如として木々の間から現れたニュクスが、右手のククリナイフで男が首からぶら下げる自害用の石を弾き飛ばした。そのまま逆手に持ったククリナイフの刃先を男の首元につけ、一歩でも動けば首を裂くと露骨ろこつにアピールする。


 片腕が折れているとはとても思えない。素早い動作と鋭い殺意だ。


「……貴様、いつ間に」

「気づかれずに近づくのは、俺の得意技でね」


 ソレイユ以外に対してはだと、ニュクスは心の中で苦笑する。


「私を捕縛ほばくするつもりか?」

「どうしようかな。持っている情報なら、あの神父とやらの方が多いだろうし」


 元より狙いはアリスィダ神父の方。たまたま部下の男の方を先に見つけたので、ちょっかいを出しに来ただけだ。


「ニュクスさん」


 森の中に突如として三人目が現れた。

 護身用の槍を手にし、兄の形見であるネックレスを右腕に巻き付けたヤスミンだ。


「ヤスミンか。よく追いつけたな」


 誰かが近くまで来ているのは察していたが、ヤスミンというのは少し意外だった。てっきりソレイユかクラージュのどちらかだと思っていたからだ。


「……森の方に消えていくニュクスさんの姿が見たので、気になってつけてきました。追いつくのは大変でしたが、地理には地元人の俺の方が詳しいので」

「眼鏡っ娘は?」

「安全が確認されて集会場が解放されたので、リスさんは他の人に預けてきました。流石に一人きりで残してくるような真似はしませんよ」

「ならいい――」


 会話中の隙をついて逃げ出そうと、ローブの男が不審な動きをしたので、ニュクスはナイフを動かし警告する。


「ヤスミン。かたきを討ちたいか?」

「……それは」


 槍を握るヤスミンの手に力がこもる。決意というよりも困惑の方が強そうだ。


「こいつの身は俺がおさえてる。戦闘経験のないお前でも、今なら簡単に殺せるぞ」

「……俺は、兄たちを殺したそいつらのことが……許せません」

「や、止めろ」

「お前は黙ってろ」

「ひっ――」


 刃を少し食い込ませ、血を滴らせる。


「……許せないけど……俺には出来ません」


 怒りと悲しみ、二つの感情に体を震わせながら、ヤスミンは手にした槍をその場に落とした。


「……恨みを晴らすチャンスがあるんじゃないかと思って、ニュクスさんの後をつけてきました。槍だってそのために持ってきた……だけど、いざ殺そうと思ったら……体が……震えて……」

「それでいい」

「えっ?」


 臆病者おくびょうものののしられるか、冷たくあしらわれると思っていたヤスミンは、優しいニュクスの声色に困惑した。


「殺せなくていいんだよ。誰かを守るためとか、正当防衛とか、どうしても殺さなければいけない時はあるだろうが、それ以外なら、殺さないに越したことはないと俺は思う。殺しってのは、殺せるやつがやっていればそれでいいんだ」


 ニュクスの発言に思うところがあったのだろう。ヤスミンの目には自然と涙が浮かんでいた。

 黒いローブの男も安心したのか浅く溜息ためいきをついている。ヤスミンから胸を突かれる可能性が去ったことに安堵あんどしたのだろう。


「だから、こいつは俺が殺す」

「なっ――」


 驚愕に目を見開くと同時に、黒いローブの男が真一文字まいちもんじに裂け、鮮血をき散らした。

 体に僅かな痙攣けいれんだけを残してひざをつくと、黒いローブに赤い血が染みわたっていく。


「ニュクスさん……」

「偉そうなことを言える立場じゃないけど、お前はなるべく綺麗きれいなままでいろ。手を血で汚すのは、誰かを守る時のために取っておけ」


 ククリナイフに付着した血液をコートのすそで雑になぐい、ニュクスはヤスミンに背を向けて次なる標的の下へと向かう。

 足跡を追ってもう間もなくソレイユもこの場へ駆けつけるはず。ヤスミンの保護は彼女に任せておけばいい。


「殺すことに慣れちまった、俺みたいな人間にはなるなよ――」


 最後にそう言い残し、ニュクスの森の奥へと消えた。

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