第36話 再生能力

「……私の臣下に何をしている」


 刹那せつな、鋭い斬撃がガストリマルゴスの左腕を走る。

 切断までは至らずとも裂傷れっしょうと出血でその巨体はひるみ、リスを拘束する左手は脱力した。


「きゃっ!」


 巨大な左手から抜け落ち、リスの体が投げ出される。


「おっと!」


 集会場の屋根を足場に素早く跳躍ちょうやくしたニュクスがリスの体を受け止め、そのまま軽やかに地面へと着地。負傷したリスを気遣い、そっと地面へと横たわらせる。


「……ニュクスですか?」

「安心しろ。黒い衣装を着ているが、死神じゃない」

「まさにブラックジョークですね」

「それだけ喋れれば、とりあえずは大丈夫そうだな」


 リスの頭にポンと手を乗せると、ニュクスは異形の巨人とそれを使役する禿頭とくとうの男へ向き直る。


 集会場の屋根の上では、無表情のソレイユがタルワールを構えて臨戦りんせん態勢を取っている。

 領民の命を狙われ、大切な臣下を傷つけられた。激しい怒りをその身に宿しながらも、ソレイユはとても落ち着いていた。


 戦闘はあくまでも冷静に。

 怒りとは戦いを有利に進めるための強化剤。

 怒りは攻撃の瞬間にだけ刃に込めればいい。


「あなたがキャラバン隊襲撃犯のリーダーですね?」

「……襲撃の件を知っている? 平原に待機していた部下達はどうしました?」

「全員お亡くなりになりましたよ」

「そうですか。悲しい事ですが、今日あの平原で命を落とすことが彼らの運命だったのでしょう」


 部下達の死に、アリスィダ神父は大して心を痛めてはいないようだ。

 アマルティア教団正規部隊としての矜持きょうじなのか、単にアリスィダ神父という人間が非情なだけなのか。それは本人のみぞ知るところだ。


「あなた方アマルティア教団がこの地で何をしようとしているのか、洗いざらい吐いてもらいますよ」

「私達がアマルティア教団の人間であることを知っているのですか? 例え死に際だとしても、部下達が情報を漏らすとは思えません。よほど耳聡みみざとい人間がいるようですね」


 冷静に分析を述べ終えると、アリスィダ神父は礼儀正しい紳士を気取り、屋根の上のソレイユへと一礼した。


「アマルティア教団所属の神父、アリスィダと申します。名前は覚えていただかなくとも結構です。どうせ数分後には、あなた方は全員魔物の腹の中ですから」


 集会場を巻き込まぬよう、ソレイユは屋根から地面へと降り立った。

 アリスィダ神父と同じ目線に立ったうえで、あえて挑発的な答えを返す。


「ルミエール領領主フォルス・ルミエールが嫡女ちゃくじょ、ソレイユ・ルミエールと申します。私の名前をよく覚えておいてください。あなたに敗北の屈辱くつじょくを与える者の名ですから」

「まったく……魔術師のお嬢さんといい、あなたといい。この土地の女性は可愛げがなくて困りますね」


 不機嫌そうに首を鳴らすと、指示を待って大人しくこうべれていたガストリマルゴスの左頬に、アリスィダ神父がそっと手を触れる。


「ガストリマルゴス。領主の娘と魔術師の小娘、灰髪の男を始末しなさい。他の者達はその間に集会場の人間達を――」

「がっ――」


 瞬間、アリスィダ神父の部下の一人が、背後から首筋を一撃されて仰向けに倒れ込んだ。即死だったらしく自害用の魔具まぐは発動していない。


 召喚者をうしなったことで、集会場を取り囲んでいたエリュトン・リュコスの半数が黒いかすみとなって消失した。


「不意打ちは不本意だが、大勢おおぜいの命がかっている状況では仕方がない」


 召喚者の首に食い込んだバトルアックスをクラージュが引き抜いた。

 瞬時に危機を悟り、もう一人の男は魔術によって姿をくらました。残る半数の魔物が顕現けんげんしている様子を見るに、魔術の効果範囲内――近くには存在しているようだ。


「クラージュ、集会場の守りをお願いします。この巨大な魔物は私とニュクスで何とかします」

「こちらが片付きましたら直ぐに援護に向かいます。ご武運を」


 クラージュは特に損傷の激しい集会場の南側へと陣取り、襲い掛かる赤き狼の群を単身迎え撃つ。

 召喚者を一人仕留めたので、襲いくる魔物の群にはクラージュ一人でも十分に対処可能だ。


「……もういい。全員ガストリマルゴスの腹へと収まれ!」


 アリスィダ神父の怒りを体現した、ガストリマルゴスの荒々しい拳がソレイユ目掛けて振り下ろされた。

 巨体故に動きは緩慢かんまん。ソレイユは相手の動きを見てから、余裕を持って右に跳んで回避する。


 地鳴りと共に地面へめり込んだ右手目掛けて、ソレイユはタルワールを振るったが、表皮を浅く傷つけただけでダメージは微々たるものだった。


「厚い皮膚ですね」

「剣術如きでこの暴食の巨人をほふることなど出来ぬ! せいぜい足搔あがくがいい!」

「ご忠告をどうも」


 ソレイユに焦りはない。今も、リスを救出した際も、浅いながらも傷を負わせることは出来た。今まで殺せなかった魔物はいない。生物的な外見をして赤い血を流している以上、終わりはいずれ訪れる。


 ――狙うなら……首!


 ガストリマルゴスが再度振り下ろしてきた右腕をバックステップで回避すると、ソレイユは地面にめり込んだ右腕を素早く駈け上り、巨人の肩を足場に跳んだ。


 跳躍の勢いを乗せた斬撃で、ガストリマルゴスの首を真一文字に切り裂く。


 パックリと裂けた首から鮮血がふきき出し、ソレイユの顔面を直撃した。

 視界をさえぎる赤色に、ソレイユが顔をしかめた次の瞬間、


「えっ?」


 巨人の裂けた首が、まるで時間を巻き戻すかのように、血管、筋線維きんせんい、表皮の順で元通りに繋がっていく。


「再生した――」

 

 驚く間もなく、ガストリマルゴスは激しく両腕を振ってソレイユを叩き落とそうとする。

 これ以上首を狙うのは無意味だと判断し、ソレイユはややバランスを崩しながら地面へと飛び降りた。

 

「相手はガストリマルゴスだけではありませんよ!」


 ソレイユの着地の瞬間を狙って、アリスィダ神父が懐に隠し持っていった大型のナイフを投擲とうてきしたが、


「相手はお嬢さんだけじゃないぞ」


 皮肉と同時にニュクスが駆けつけ、投擲されたナイフをククリナイフで叩き落とした。

 召喚者を倒せば魔物も自然消滅する。アリスィダ神父を殺した方が早いと判断し、ニュクスは直ぐさま距離を詰めて斬りかかろうとしたが、


「ちっ!」


 ガストリマルゴスの振り下ろした左腕が割って入り、大きな土煙を巻き起こす。その隙に乗じてアリスィダ神父はその場から姿をくらました。

 魔物が存在を維持している以上、近くに潜んでいるのは間違いないが、自己再生する巨大な魔物と戦いながら姿の見えぬ相手を捜すのは難しい。


「面倒だな」


 ニュクスは八つ当たり半分に、ガストリマルゴスの左手の甲をククリナイフで裂いた。

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