第26話 帝国の動向
飛翔種襲撃から3日後の朝。
領主代行の仕事を終えたソレイユとリス、2名の
クラージュら十数名の臣下と、
「お帰りなさいませ。ソレイユ様」
「留守をありがとうクラージュ。飛翔種襲撃の件の報告を受けました。よくぞ領民たちを守り切ってくれましたね」
「私だけでは守り切れませんでした。犠牲を出さずに済んだのは、客人が自主的に
「ニュクスがですか?」
「はい。大きな前科がありますから、完全に信用することはないでしょうが、彼を戦力として招き入れたソレイユ様のお考えが、今なら少し理解出来るような気がします。少なくとも今後は、感情的に客人の処遇を求めるような真似は致しません」
「私達が不在の間に、
ソレイユは微笑みを浮かべて、直立するクラージュと壁にもたれ掛かるニュクスとを交互に見やった。
「ご冗談はお止め下さい。だれがこのような者と」
「そうだぜお嬢さん。誰がこいつと」
「息ピッタリですよ。ねえ、リス」
ソレイユに同意を求められ、大きな書物を両手で抱えたリスがコクコクと首を縦に振っている。抱えているのは、出先で購入した新著のミステリー小説だ。
「ニュクス。民達を守ってくださり、ありがとうございます」
ニュクスの手をそっと握り、ソレイユは優しい眼差しでニュクスを見つめる。
手を取って見つめられた経験などほとんど無いので、ニュクスは居心地悪そうに眼を閉じた。
「戦力として屋敷に置かせてもらっている身だ。これぐらいはな」
「あなたを引き入れて良かったと、心からそう思います」
「
「大袈裟なんかじゃありませんよ。あなたのおかげで民の命が救われた。これほど嬉しいことはありません」
「……ただの気まぐれだ。あまり褒めるな」
ソレイユの手を解き、ニュクスは突き放すように目線を逸らした。
「恥ずかしがり屋ですね」
「勝手に言ってろ。出迎えは終わった、俺は部屋に戻らせてもらうぞ――」
「お待ちなさい」
背を向けたニュクスの手を再度取り、ソレイユはニュクスだけではなく、その場にいる全員に対して呼びかける。
「重要なお話しがありますので、このまま全員会議室に集まってください」
上に立つ者としての覇気のある声が、その場に一気に緊張感を生む。
臣下たちは一斉に頷き、ニュクスも周りに合わせるように、やや遅れて頷いた。
「出先で一報を受けたのですが……近日中にシュトゥルム帝国が、ロストブラオン平原にて軍事演習を行う可能性が高いそうです」
「緊張状態が続いている中で、随分と思い切った行動に出たものですね」
不穏な大陸情勢に困惑し、クラージュは気難しい顔で腕組みをする。
アルカンシエル王国と隣国シュトゥルム帝国の間には大きな平原が存在しており、国境を挟んでアルカンシエル側をルー平原。シュトゥルム側をロストブラオン平原とそれぞれ呼称している。
長らく確執はあったが、国境線の存在する地で軍事演習を行うなどという挑発的な行為に及ぶのはこれが初めてである。
「各地で要人暗殺が多発する中、シュトゥルム帝国は最も多くの犠牲者を出している国。
ニュクスは顔色一つ変えずにソレイユの言葉に耳を傾けていた。
各国で発生している要人暗殺。内の7割弱には、アマルティア教団の暗殺部隊が何らかの形で関わっている。
当然ニュクスも当事者の一人であるが、
「アルカンシエル側の対応は
「
「名将プレーヌ
「ええ、若き頃から共に
「……
クラージュの言葉に、その場にいた臣下のほとんどが頷いた。
シュトゥルム帝国側も、長きに渡り続いてきた大陸の平和を崩すような真似はしないはず。
頻発する魔物の被害に対処するだけで手一杯だというのに、この上シュトゥルム帝国と争いが起こりでもしたら、それは最悪の事態と言わざる負えない。
「
ソレイユの後押しを受け、多くの者がホッと息を撫で下ろしたが、
「
ニュクスが
騎士であるクラージュが態度を軟化させたとはいえ、ニュクスに対する臣下たちからの風当たりは相変わらず厳しい。
不安を
「ニュクス。それはどういう意味ですか?」
どよめく臣下たちを
大勢のいる場でニュクスが発言するのは初めてのことなので、ソレイユは言葉の真意にとても興味があった。
「ただの
「あなたは、戦争が起きるとお考えなのですか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
冗談めかした口調に、
「戦争以上の
「それぐらいの気持ちでいた方がいいっていう、心構えの話だよ」
真実をニュクスは語らない。否、語れるような真実を持ち合わせていない。
これまで教団が行ってきた暗殺には、邪神復活の妨げになる可能性のある強者を消すこと以外に、大国間に疑心暗鬼を生み出す意図もあったはず。
一つの成果として、シュトゥルム帝国は国境線近くでの演習という一歩進んだ行為へと出た。この機に教団が何らかの動きを見せる可能性は高い。
しかし、暗殺者など命令を忠実にこなすだけの
何かが起こるかもしれないというのは、あくまでもニュクスの
「ニュクス。あなたのご意見、ありがたく参考にさせていただきます」
「いいのか? 俺みたいな奴の言葉を参考にして」
「予測とは最悪を想定するべき。これはあらゆる
「……そんな大そうなものじゃないさ」
言葉に皮肉や建前は存在しない。ソレイユは本心からそう言っている。
有意義ならば、自身の命を狙った者の発言もきちんと受け止める度量の深さ。
人の上に立つ者の器を、ソレイユは確かに有している。
教団がソレイユの
「私からの報告は以上です。シュトゥルム帝国の動向については、近日中に正式な書面で報告が届くことでしょう。具体的なお話しはその際に改めて。
なお、今回の会議でお話したことは、当面は他言無用でお願いします。領民たちに余計な不安を与えたくはありませんからね。領民たちには頃合いを見計らって、私の口から報告致します」
ソレイユのその発言を最後に会議は終了した。
侍女たちが長旅で疲れが溜まっているであろうソレイユとリスを気遣い、予め湯を沸かしておいた浴場へと2人を連れていく。
他の者達も続々とそれぞれの仕事へと戻っていく。最後まで会議室に残っていたのは、ニュクスとクラージュだけだ。
「さっきの言葉、経験則だと言っていたな」
少しの沈黙の後、クラージュが
「最悪を想像しなかったが
「まあ、血生臭い世界に身を置いていればそれなりにな」
「人に歴史有りか」
短く頷くとクラージュも席を立ち、会議室の扉へと手をかける。
「
「人の過去をむやみやたらと掘り返す趣味はない。客人が語りたいというなら話は別だがな」
「そうだな。気が向いたら教えてやるよ」
「いつになるやら」
「百年後くらいかな」
「よろしい。気長に待つとしよう」
去り際のクラージュの口元は、微かに笑っていた。
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