第16話 いつでも私の命を狙ってください

「二日で目を覚ますとは、タフな方ですね」

「体が資本なんでね」


 ソレイユは穏やかな笑みを浮かべて、ベッド脇の椅子へと腰掛けた。

 応対するニュクスはベッドの上で、少し辛そうに上体を起こしている。


 ニュクスと二人だけで話がしたいというソレイユの意を受け、リスやクラージュは席を外していた。

 クラージュに関してはソレイユの身を案じるあまり、往生際悪くその場に居座り続けようとしていたが、最終的にはリスの魔術で意識を奪われ強制連行されていった。


「この客室は自分の部屋だと思ってご自由にお使いください。当面は泊まり掛けのお客様を招く予定もありませんので遠慮は無用です。ご所望でしたら季節の果物もご用意しますよ。特にルミエール産の林檎りんごは、王室に献上される程の名品です――」


 ソレイユの対応はぞくではなくお客様へ向けたそれだ。彼女の意図が読めず、ニュクスは警戒心を強める。


「茶番はいい。本題に入ってくれ」

「茶番のつもりはなかったのですが、あなたが望むならそうしましょう」


 ソレイユは笑みを崩さなないが、その場を包む空気は明らかに変わった。

 今までの笑顔は喜の感情から来る本物の笑顔。ここから先の笑顔は、交渉を優位に進めるための仮面としての笑顔だ。


「私はあなたが欲しい」

「生かす代わりに、持っている情報を全て吐けという意味か?」


 ソレイユにその気は無いと分かっているが、真意を確かめるために、ニュクスはあえてそう聞き返してみる。


「情報なんていりません。誰が私を狙ったのかなんて、さほど興味はありませんので」

「変わっているな。殺されかけたら、誰だって事情を知りたくなるものだと思うがな」

「どこかの誰かが私の命を狙っている。その事実さえ分かっていればそれでいいのです。例え次なる刺客が現れようとも、全て返り討ちにする自信がありますし」

「大した自信だと言いたいところだが……返り討ちにされた俺には、反論する資格は無いな」


 教団のアサシンの中でもトップクラスの戦闘能力を持つニュクスを退けた以上、今後別のアサシンがソレイユの暗殺を謀ることは難しいだろう。もちろん相性や人数によって状況は変わって来るので、一概いちがいに戦闘能力だけで語れる話ではないが。


「誇っていいですよ。戦いで私に手傷を負わせたこと」

「とてもありがたいお言葉ですね」

「敬語なところが、最高に皮肉っぽいです」


 皮肉には皮肉で返すのが一番だとニュクスは思っている。そんなニュクスの姿勢はソレイユも決して嫌いではないらしい。自身を慕う臣下が多いため、皮肉を言われる経験自体が少なく、この状況を楽しんでいる節があった。


「情報を欲さない理由は一応分かった。しかし情報提供以外に、いったい俺に何を望む?」

「言葉の通りですよ。私が欲しいのはあなた自身。仲間になってほしいのです」

「冗談だろ?」


 傭兵をスカウトするのとはわけが違う。仲間になれなど、暗殺者相手に吐く台詞せりふではない。


「私は至って真面目ですよ。あなたの戦闘能力に私に惚れこみました。当然ご存じでしょうが、我が父――フォルス・ルミエールは現在、国王様の招集を受け、王都へと出向しております」


 まずは話だけでも聞いてみようと、ニュクスは口は挟まずに無言で頷く。


 ルミエール領の属するアルカンシエル王国は現在、かねてより確執のあった東の大国――シュトゥルム帝国との関係が近年で最も悪化しており、一触即発の緊張状態が続いていた。この事態を受け、各地の領主や有力な貴族などが王都へ招集され、日夜対策会議に追われている。

 領主であり、高名な武人でもあるソレイユの父――フォルス・ルミエールも会議に名を連ねており、臣下である精鋭騎士達を伴い、半年前より王都へと出向していた。


 ニュクスがこのタイミングでソレイユ暗殺に踏み切ったのも、領主不在で戦力が大幅に削がれたタイミングを狙ったためである。


「父と多くの臣下達の不在により、ルミエール領内の戦力は減少しています。もちろん領内の治安維持に必要な戦力は確保していましたし、当初は盗賊や魔物にも十分対応出来ていましたが……この数カ月で魔物の数が激増し、対処しきれずに被害を出してしまうケースも増えてきました。父の配慮もあり、何とかクラージュだけは王都から呼び戻せましたが、まだ戦力が足りません……そんな時です。あなたが私を殺しに来たのは」

「戦力不足の現状は理解したが、だからといって普通、自分の命を狙ってきた暗殺者をスカウトなんてするか?」

「普通という言葉の枠に、私が収まるとお思いですか? どんな手を使ってでも、あなたからの協力を取り付けてみせます」

「大金を積んで懐柔かいじゅうでもしようってか? 情報を得るよりよっぽど難易度高いと思うぜ」


 意地の悪い笑みをニュクスはソレイユへと向ける。

 ニュクスが報酬目当てで依頼を受けるフリーランスのアサシンなら寝返る可能性もあっただろうが、生憎とニュクスは組織の一員として命令を忠実にこなすだけの立場。金品で懐柔される可能性は万に一つもない。


 いったいどんな甘い提案をしてくるのか今から楽しみだと、ニュクスは悪戯心にそう思う。


「迷いの無い太刀筋を見れば分かります。あなたは金銭で心を動かすタイプの人間ではないでしょう」

「だったら、どうやって俺の心を動かす?」

「あなたが眠っている間に色々と考えましたが、こんなのはどうでしょう?」


 どんな提案だろうと呑むつもりはない。ニュクスはそう心に決めていたが――


「私に力を貸して下さるなら、何時いかなるタイミングで私の命を狙って頂いてもけっこうです」


 思わぬ提案に、流石のニュクスも目を丸くした。

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