第14話 卑怯者

「……毒ですか?」

「追撃に備え、確実に殺せるようナイフに毒を塗っておいた。量産の難しい希少な毒物だから、滅多に使うことはないんだがな」


 武器に毒を塗るのは、相手を一度仕留めそこなった時にだけ使う奥の手。それだけニュクスにとってソレイユは厄介な相手だったということだ。

 毒を殺しに用いるのはこれで三回目。過去二回はまだまだ暗殺者として未熟だった頃、仕事の成功率を上げるために使用。それなりの実力者となってからの使用はこれが初となる。


「……卑怯ひきょうな」


 苦々しい顔でソレイユはその場で膝を折った。

 血流に乗った毒の周りは早い。ものの数秒で体の自由は奪われ、程なくして出血を伴った激痛が全身を襲うこととなる。

 一太刀浴びせば勝ち。追い込まれていたように見えて実際は、一撃必殺を隠し持っていたニュクスの方が圧倒的優位にいたのだ。


「褒め言葉として受け取っておくよ」


 もう間もなく、ソレイユの臣下たちもこの場にやってくるだろう。

 毒による死を待つのは時間の無駄だ。

 すでにソレイユは体の自由が利かないはず。仕留めるのは容易い。

 

 ソレイユの目の前に立ち、その首を裂くべくククリナイフを構える。

 これはニュクスなりの慈悲でもある。毒の作用によって激痛に悶え苦しむより、ククリナイフの一撃で命を絶たれる方がソレイユだって楽なはずだ。


「悪く思う――」

「悪く思わないでください」

「えっ――」


 硬直していたはずのソレイユが突然、タルワールをニュクスの腹部目掛けて突き刺した。

 思わぬ反撃を受けニュクスは激痛に顔を歪めるが、まだ終わりではない。

 攻撃の瞬間こそが大きな隙。ニュクスは怯むことなく、ソレイユの首を狙ってククリナイフを振った――


『カキア!』

「ちっ!」


 言の葉と共に、ニュクスの振るったククリナイフが手元から弾き飛ばされる。

 館内でレーザーを放った魔術師の少女――リスと、屈強なる騎士――クラージュを先頭にしたルミエール家の臣下たち10数名がその場へと駆け付けた。


「時間切れか……」


 最後の一撃は不発に終わった。深手を負った状態では戦力差をくつがえすのは厳しく、逃走を図るにしても体力が足りない。


 ニュクスは冷静に自身の敗北を悟った。


「……最期に教えてくれ。毒をくらったのに、どうして動ける?」

「これもまた英雄の血の成せることです。ルミエールの血族は、毒や呪いといったけがれを浄化する加護を代々有しています。故に私は毒では殺せません」

「……反則だな」


 不意打ちが利かず毒殺も不可。暗殺者泣かせの初見殺しばかりだ。

 戦闘能力では経験値の差でニュクスの方が上回っている。下手な小細工などせず、最初から正面切っての戦闘を貫いていれば勝機はあったかもしれない。


 暗殺を謀ったが故に敗北した。何とも皮肉な話だ。


「先程は卑怯などと言って申し訳ありませんでした」


 謝罪と同時に目を伏せて、ソレイユは柄を握る手に力を込める。


「毒に苦しむ振りをして騙し討ちした私の方が、よっぽど卑怯者です――」

「ぐっ!」


 深々と突き刺さったタルワールがニュクスの腹部から引き抜かれ、勢いよく噴き出した鮮血がソレイユの体を濡らした。

 重傷を負ったニュクスは力なく膝をつく。痛みに顔を歪めながらも、不思議とその表情は安堵あんどしているようにも見える。

 ニュクスはソレイユのことを恨んではいない。これまでにもたくさん殺してきた。自分を殺す者を恨む権利など元より持ち合わせていない。


 心残りなのは、クルヴィ司祭からの命を果たせなかったこと。


 ――いや、俺がいなくなったところで……


 アサシンは替えの効く凶器に過ぎない。ニュクスが壊れたところで、教団の暗殺部隊は滞りなく活動を続けていくことだろう。ニュクスの死がカプノスによって伝われば、教団は新たな策を講じるだけ。誰もニュクスの死を悲しみはしない。

 

 ――もっと、イリスに絵を教えてやればよかった……かな……


 最後に宿屋の少女のことを思い出し、ニュクスの意識は消失した。




「ソレイユ様! お、お怪我を」

「掠り傷よ。問題ない」


 左腕を抑えるソレイユを見て、クラージュは青ざめた顔で慌てふためいた。忠義を尽くすルミエール家の令嬢が傷を負ったのだ、狼狽ろうばいするのも無理ないが、屈強な肉体を持つ大男のそんな姿は少し情けない。


「ソレイユ様。治療を」

「ありがとうリス」


 リスがソレイユの左腕に手を添え、治癒力を高める魔術を施していく。治癒魔術はリスの得意分野ではないが、軽傷程度なら十分に治療可能だ。


「……この者がぞくですか」


 暗殺者――ニュクスに視線を落とし、クラージュが驚きを隠せない様子で声を震わせた。


「あなたにも面識があったのね」

「はい。先日、宿屋のイリスと共に修練場の近くで絵を描いていたので声をかけました。とても温厚で、優しい印象を受ける青年でした……それが、まさかこんな」


 クラージュ・アルミュールは良くも悪くも真っ直ぐな男だ。故に悪意に対して鈍感な面がある。

 先日出会ったばかりとはいえ、美しい絵を描き、子供達に笑顔を与えるニュイという青年には好印象を抱いていた。それだけに、暗殺者の顔を見て受けた衝撃も大きい。

 ひょっとしたらイリスを伴って修練場の近くへやってきたのも、殺しの下見だったのではと勘繰かんぐってしまう。


「……彼と一緒にいる時のイリスはとても楽しそうにしていました。彼女の前で見せていた笑顔は、我々をあざむくための芝居だったのでしょうか?」

「そうとも限らないと思う」

「どういう意味ですか?」

「願望交じりの憶測よ。もしも彼の振る舞いの全てが演技だったとしたら、私は人間不信になってしまう」


 絵描きのニュイが子供達の前で見せていた笑顔は、とても偽物だとは思えない。

 彼には本音で子供達と笑顔で接することが出来る優しい一面が確かに存在している。

 ソレイユはそう考えている。いや、信じている。


「戻りましょうか」


 長かった夜が明けようとしていた。

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