第13話 再戦
「詠唱無しで魔術を放つとは……想定外だ」
ルミエール家の屋敷から北に2キロ離れた湖の縁に、ニュクスは眉を
その左脇腹は裂け、決して少なくはない量の血が流れ出ている。
ソレイユに加えて詠唱無しで魔術を放つような魔術師まで存在しているとなると、手負いの状況では流石に分が悪い。
命など惜しくはないし、刺し違えてでも任務を全うする覚悟はあるが、一対多数の現状ではソレイユの体に刃は届かないだろう。
アサシンに勇敢さなどいらない。時には戦略的撤退をし、次に繋げることも重要だ。
結果の伴わぬ死には、何の価値も無いのだから。
「……まずは傷を癒さないと」
今回の接触でソレイユの技量を
その上でニュクスは思う。決して倒せぬ相手ではないと。
「傷は痛みますか?」
「……思ったより早いな」
背後の声はソレイユの物だった。
たった2キロの距離。追いつかれるのは時間の問題だと思っていたが、命を狙われたソレイユ自身が追ってくるのは予想外であった。
「仲間はいないのか?」
「
ソレイユは寝間着のネグリジェのままだが、足にはレースアップのブーツを履き、上着として蝶の
手にする得物はもちろんタルワール。屋外で抜かれたその刀身は月明かりを反射し、見る者全ての生気を吸い取ってしまいそうな、妖気にも似た気配を放っている。
「一対一なら、この怪我でも勝機はありそうだな」
決して強がりや
戦いなど、むしろ傷を負ってからが本番だ。
「私はあなたを捕えねばなりません。覚悟はいいですね、ニュイ」
「そっちこそ、油断してると足元をすくわれるぞ。それと、ニュイは偽名だ」
「やはりそうですか。では、本当のお名前は?」
「俺に勝てたら教えてやるよ」
ニュクスは脇腹の負傷を微塵も感じさせない俊敏な動きでソレイユに迫り、速さを生かした得意の近接戦闘を仕掛ける。
二度目の戦闘で、ソレイユもニュクスの攻撃速度に目と体が慣れてきていた。ニュクスの連続攻撃を刃で流し、時には鞘を防御手段として用いる。
「攻められっぱなしというのは、あまり好きではありません」
力強くニュクスの刃を弾き返して一転攻勢。ソレイユは一歩前へと踏み込み、タルワールによる
「細腕のくせに、とんだ馬鹿力だな」
ニュクスは二刀をクロスさせてその一撃を受け止める。両者一歩も譲らず刃を交えたまま
「手負いで粘りますね」
「まあ、それなりにな」
ニュクスはクロスした二刀を力任せに開き、ソレイユのタルワールを弾き返した。
しかし生じた隙はニュクスの方が大きい。開ききった両腕をすぐさま胸の前に戻せず、無防備に近い状態となる。
「力任せに弾くのは早計でしたね」
「それはどうかな?」
攻撃速度はニュクスの方が上だった。
くり出したのは、刃物ではなく右足で繰り出す脇腹を狙った周し蹴り。
「格闘戦に切り替えた?」
ソレイユは即座に後方に跳ぶことでニュクスの蹴りを回避しようとしたが、
――残念。斬撃だ。
瞬間。ブーツのつま先から仕込みの刃が飛び出し、蹴り技は一転、脚力を活かした斬撃へと
ソレイユの回避はニュクスのつま先が触れないギリギリの位置。刃の分リーチが延長され、腹部を切り裂くコースを描く。
「これくらい!」
ソレイユは咄嗟に
並の武人ならば今の一撃で腹を裂かれて終わっていただろう。流石のソレイユでもギリギリの判断だったらしく、回避に成功した瞬間、僅かに安堵を感じてしまった。
「そこだ」
右足を弾かれながらも、ニュクスはバランスを失わずに左足で踏みとどまり、右手のククリナイフを振るった。
刃仕込みの蹴り自体がソレイユの隙を作り出すための囮。
不意の一撃へ対処した瞬間は、誰だって追撃への意識が遅れるものだ。
「まだです!」
ソレイユの判断は早かった。
胸を裂かれるよりはマシと判断し、咄嗟に身を
ニュクスの刃がソレイユの左腕に触れた瞬間、金属音と共に鮮血が飛び散る。
「危ないところでした」
「仕込みか」
どうやらソレイユも無策で腕を盾にしたわけではないようだ。ジャケットの袖には金属板のような物が仕込まれており、ククリナイフによるダメージを軽減させていた。金属板は切断出来たが、肝心のソレイユの腕は掠り傷といったところだ。
「お返しです!」
「おっと」
ソレイユの刺突をサイドステップで回避し、ニュクスはそのまま後方に勢いよく跳び、ある程度の距離を取った。
「距離を取るとは意外です。てっきり、回避の瞬間にカウンターしてくるものかと」
「殺せればそれでいいんでな」
「どういう――」
突然、ソレイユは不快感に顔を歪めた。
全てはニュクスの計算通りに進んでいる。
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