第12話 女傑VS暗殺者

「眠っていたとばかり思っていたが」


 ニュクスの目は寝たふりを見抜けぬような節穴ではない。

 ククリナイフを振り下ろしたその瞬間まで、確かにソレイユは眠っていたはずだ。


「眠っていましたよ。あなたの殺意を感じるまでは」

「どういうことだ?」


 身を起こし、静かにベッドから立ち上がったソレイユは、世間話でもするかのような穏やかな口調でそう返す。

 寝間着として下着が透けそうな薄手のネグリジェをまとっているが、暗殺者と堂々と向かい合うだけあり、自身の格好を恥じらって隙を見せるような真似はしない。


「英雄の血の成せることですかね。私の体は自己防衛のため、殺意を敏感に感じ取るんです。寝ていたとしても、すぐさま意識を覚醒させるほどにね」

「暗殺者泣かせだな」


 一撃で仕留められなかったのは痛いが、ニュクスはまだ冷静だ。

 相手に気付かれた以上これは暗殺ではなくただの戦闘だが、殺せという命令は果たさなければならない。


「ニュイ。あなたは暗殺者なのですか?」


 目を引くであろう右手に握ったククリナイフを正面に構え、ソレイユの視線を誘う。

 ククリナイフは囮で、コートの左袖に仕込んでおいた投擲とうてき用のダガーナイフこそが本命だ。

 

「ご想像にお任せする」


 言い放った瞬間、ニュクスは右手のククリナイフで斬りかかる素振りでフェイントをかけ、間髪入れずに左袖に仕込んでいたダガーナイフを抜き放った。

 一瞬ククリナイフに意識を奪われたソレイユは回避行動が遅れる。ダガーナイフが心臓を射抜くとニュクスは確信したが、


「悲しいことですね。疑ってすらいなかったのに」

「おいおい」


 肉を貫いたダガーナイフからは、ソレイユの血が滴っていた。

 ナイフは心臓ではなく、彼女が伸ばした左の掌を貫き、止まっている。

 心臓よりもマシとはいえ、迷いなく片手を盾として差し出す。咄嗟とっさの判断力と反射神経はかなりのもの。痛みに表情を歪めさえしないところを見るに、精神力も相当だ。


「ただのお嬢様じゃないとは分かっていたが、想像以上だな」

「これはお返ししますね」


 顔色一つ変えずにダガーナイフを右手で引き抜くと、ソレイユはそのままニュクスに向けて投擲する。

 ニュクスはそれをククリナイフで弾き、宙を舞ったダガーナイフをキャッチし、再び自分の手元へと収めた。


「侵入した暗殺者を、見逃すわけにはいきませんね――」


 言い終えずにソレイユは化粧台けしょうだいの上から何かを掴みとり、ニュクスに正面から切りかかった。

 

「勇猛なことだ」


 目を狙ったソレイユのぎを、ニュクスは体を逸らせて回避する。どうやらソレイユが持っているのは手紙の開封に使うペーパーナイフのようだ。切れ味など無いに等しいが、脆い部分を狙えば十分に凶器となりえる。身近なもので急所を狙うという戦術は、暗殺者への対処としては合理的だ。


「お褒めにあずかり光栄です」


 ニュクスは攻撃後の隙を突こうとするが、それはソレイユも想定済みようで、咄嗟に掴みとったベッドのシーツでニュクスを絡め取り、その隙にバックステップで距離を取る。

 すぐさまニュクスはシーツを払いのけたが、距離を取られたことで優位性が少しだけ揺らいでしまった。


「流石にペーパーナイフだけでは厳しいですからね」

「面倒だな」


 ソレイユが距離を取ったのは何も回避のためだけではない。壁にかけてあった愛刀を掴みとるためだ。

 得物であるタルワールを手にした瞬間、その場を包む空気が明らかに変わった。


「……あまり時間は無いか」

「遠慮せずにゆっくりしていってください」


 これまでの戦闘音が響いたのだろう。館内が騒がしくなってきた。

 ソレイユの身を案じ、間もなく臣下たちこの部屋へとやってくる。

 一対多数となれば流石のニュクスでも分が悪いので、迅速にソレイユを仕留めなければいけない。

 得物を手にしたことでソレイユの戦闘能力は上昇しているが、彼女の持つタルワールは刃渡りがあるので屋内での戦闘にはあまり向かないはず。ククリナイフを扱うニュクスの方が立ち回りでは有利だ。


「ソレイユ様! 何事ですか!」


 もう扉の目の前まで臣下たちがやってきるようだ。声から察するに、先頭にいるのは騎士のクラージュだろう。


 ニュクスに残された時間は、もうほとんどない。


「一瞬で終わらせる」


 先に動いたのはニュクスだった。選択したのは正面からの斬り合い。

 今更ソレイユが隙を見せるとも思えないし、隙が生じるのを待つ余裕も無い。

 得意とする連続攻撃を打ち込むことで急所を狙えるだけの隙を作る。それが今できる最良だ。


「素早い身のこなしから繰り出される重い一撃。見事です」

「分析とは余裕じゃないか」


 床を蹴った勢いを乗せた一撃を放つが、ソレイユのタルワールが軽やかにそれを受け流す。

 ニュクスは攻撃の手は緩めない。

 刃を流されたことでぶれた体の軸をすぐさま修正し、ふところに隠し持っていたもう一本のククリナイフを左手で振るい、ソレイユに追撃する。


「二本目ですか」


 ソレイユは二本目の一撃を、タルワールを収めていた鞘で冷静に受け流す。ニュクスは動揺一つ見せずにさらに攻撃速度を上げ、二刀による目まぐるしい連撃を叩き込んでいく。


「時間切れみたいですね」

「何?」


 30秒間に実に67回にも渡るニュクスの斬撃を流し切ったソレイユがそう告げる。


「ソレイユ様。扉を破ります!」


 一人の少女の勇ましい声が木霊こだました瞬間、それは起こった。


「ラディウス!」


 言の葉と共にレーザー光線が扉を突き破り、ニュクスとソレイユに迫った。

 味方からの援護射撃を予見していたソレイユの方が反応が早く、すぐさま倒れ込むようにして回避したが、意表を突かれた形のニュクスは僅かに反応が遅れる。

 

「詠唱無しで魔術を――」


 間近に迫った眩い閃光に、ニュクスは目を細めた。

 

 〇〇〇


 圧倒的な破壊力を誇る光線はソレイユの寝室を吹き飛ばし、部屋は一部の家具と屋根を残して半壊。

 扉のあった場所からは、ソレイユの身を案じて次々に臣下たちが駆け込んでくる。


「申し訳ありません。荒っぽい方法を取ってしまいました」

「いいのです。おかげで助かったわ、リス」


 最初に駆け寄ったのは、魔術を放った丸眼鏡の少女――リスだ。

 魔術の才に溢れる彼女は、若くしてルミエール領内一の魔術師としてその名を知られている。


「お怪我を」

「大したことはないわ」

「まずは血を止めましょう――クーラーティオ」


 痛々しいソレイユの左手の傷をリスが優しく撫でる。

 無意味に撫でているわけではなく、リスの発動した治癒魔法による立派な治療だ。

 この程度の傷であれば、治癒魔術によって十分に治療可能だ。


「ソレイユ様。ぞくの姿がどこにもありません」


 部屋に開いた大穴から外を見下ろすクラージュがそう告げる。

 皆に背を向けているのでその表情は伺い知れないが、主君を傷つけられたことで、その言葉には激しい怒りの感情が見え隠れしている。


「そんな。私のラディウスを受けたのに」

「直撃間際にナイフで魔術の軌道を逸らしたように見えました。恐らく、それで直撃を免れたのでしょう」

「ラディウスは私の持つ魔術の中でも最速。それを逸らすだなんて」

「私でも無理でしょうね。ましてや彼は、不意打ちの状態でそれに対処してみせた」

「……恐ろしい相手ですね」

「ええ、とても力強いわ」


 不思議なことに、ソレイユの顔に浮かぶのは怒りではなく笑みであった。

 笑みに宿るは、強者と刃を交えたことに対する高揚感と、その力を所有したいという欲求だ。


「どうやら、完全に光線を逸らすことは出来なかったようですね」

「どういうこと?」

「かすめたのでしょう。奴は手負いのようです」


 クラージュの足元には血だまりが出来ていた。ソレイユが窓際に近づいていない以上、負傷者の候補は一人しかいない。


「ならば、そう遠くには行けませんね」


 どうやって再会しようかを悩んだソレイユであったが、直ぐに再会出来そうだと知り、顔を綻ばせる。


「直ぐに追いましょう。私も出ます」

「ソレイユ様自らですか?」

「当然です。あれ程の逸材、逃がすのはもったいないですから」


 絵描きのニュイを名乗っていたあの暗殺者を絶対に捕えたい。

 ソレイユはそう強く思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る