第11話 振り下ろされる凶刃

「相変わらずの警備体制だ」


 ニュクスは屋敷近くの林に身を潜め、状況を伺っていた。

 相変わらずというのは褒め言葉ではなく、皮肉の意味が大きい。

 屋敷の警備体制はというと、両開きの大きな鉄の門の前に、槍を持った二人の門番が待機しているだけ。緊張感なく談笑をかわしているところを見るに、形式上配置されているだけの木偶でくぼうのようだ。

 正面突破するつもりはないので門番の存在などはなから気にしていないが、暗殺者の目線から見て、あまりにもずさんだと言わざる負えない。


 ――怠慢たいまんと責めるのも酷な話か。人の襲撃なんて、想像してないんだろうな。


 魔物の襲撃に対する警戒は他の地域と比べても遜色そんしょくはない。むしろ、人的被害の少なさを考えれば優秀な部類でさえある。

 隣国との確執はあれど、長年に渡って大きな戦も起こらず、国内は比較的平和な状態を保っている。平和を脅かす驚異は魔物だけだと、本気でそう思っているのかもしれない。

 平和と言えば聞こえがいいが、事実こうして領主の娘であるソレイユの命を狙う者がいる以上、警備の薄さは甘さ以外の何物でもない。


 ――さっさと終わらせて帰るか。


 ニュクスは林を通って屋敷を覆う塀の西側へと移動すると、近くに生えていた背の高い木へと素早くよじ登り、太い枝を足場に塀へと飛び移った。

 枝から塀までは10メートル近くある。足場の悪い枝からこれだけの距離を飛び移れるのは、アサシンとして磨き抜いてきたニュクスの高い身体能力があってこそだ。


 ――侵入成功。


 夜間とはいえ塀の上という目立つ場所にいれば、流石に誰かに気付かれるかもしれない。

 ニュクスは素早く、塀の内側へ音も無く着地した。

 周辺に大きな動きはなく、門の方では二人の門番が変わらず談笑を続けている。

 屋敷内の誰もアサシンの侵入に気付いていない。この時点でニュクスの仕事は達成されたも同然だ。

 

 ――あそこだったな。


 ニュクスの見上げる先には、二階にあるソレイユの寝室があった。

 彼女の部屋の場所は事前に下見をしておいた。部屋の中に護衛を置いている様子はなかったし、就寝中の彼女は無防備な一人の乙女に過ぎない。


 ニュクスは助走をつけて跳躍ちょうやく、ベランダの手すりを掴み、腕力だけで体を持ち上げ侵入した。


 ――開いている?


 ベランダの扉は半開きとなっていた。どうやら夜風を入れているようだ。

 不用心の一言で片づけるには出来過ぎな気もするが、室内の様子を見る限り罠が待ち構えているような様子はない。

 罠だとしても、ニュクスの速さを持ってすれば仕事を完遂することは容易い。

 仮に命を失うことになろうとも、対象さえ仕留めることが出来れば結果は上々。

 アサシンなど本来は使い捨ての道具。死ぬことに覚悟などいらない。仮に死んだとしてもそれはただの結果に過ぎないのだから。


 ――寝たふり、ではなさそうだな。


 天幕てんまくのついた白いベッドに横たわるソレイユは、可愛らしい顔で寝息を立てていた。

 部屋の前にも人の気配は無い。護衛は無く、彼女は一人で幸せな夢を見ているようだ。

 ニュクスは腰に携帯していたククリナイフを一本取り出し、ソレイユの首元へと狙いを定める。


 誰からも愛される領主の娘が、今まさに命を奪われようとしている。

 自分の行いがとても理不尽なものだということはニュクスも自覚している。

 自覚しているからこそ、それ以上は考えない。

 対象を人ではなく一つ肉の塊だと意識することで、殺しを行為ではなく作業へと切り替えることが出来る。

 殺しに意味など求めない。恩人であるクルヴィ司祭が殺せと言うのだから、彼の願いを叶えるべくただ殺し続ける。使い捨てられたとしても恨みはしない。不本意なのは仕事を果たせずに朽ちていくことだけ。

 大恩ある人のために、すでに赤く染まり切った両の手を、元の肌の色が思い出せなくまるで染め続けていく。


 赤は血の色。だから絵を完成させるためには使いたくない。着色する際に赤が無いのは不自然だから、他の色も塗らない。


 紙の上へと切り取られた世界は、鉛筆で描かれたモノクロだけで十分だ。

 ある意味で絵はニュクスの精神を写す鏡でもある。

 灰色の世界。それは、ニュクス自身の心象風景しんしょうふうけいでもあるのだから。


 ――恨みはない。せめて、苦しみなく。


 ニュクスが躊躇ちゅうちょなくソレイユの首にククリナイフを振り下ろした瞬間、


「……あなたでしたか」

「何だと……」


 仕事時は滅多なことでは動揺しないニュクスが、驚きのあまり生唾なまつばを飲み込んだ。

 それまで寝息を立てていたはずのソレイユが瞬時に体を逸らし、ククリナイフの一撃を回避したのだ。

 対象を失った刃は肉を捉えず、純白のベッドに突き刺さった。

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