第2話 無期限任務

 ニュクスは大陸の西に位置するメ―デン王国内の商業都市――エフタを訪れていた。エフタにはニュクスの所属するアマルティア教団の本部が存在している。


 アマルティア教団とは、500年前に世界に混沌をもたらした邪神――ティモリアを信仰する異端の宗教であり、世間一般には邪教と見なされている。

 

『魔術の発展した現在の世界体系は、長期に渡る邪神の支配によって各地に強い魔力が根付いたからこそ生まれたもの。故にティモリアは創造神に等しい存在である』

 

 これがアマルティア教団の教義であり、邪神の復活が近いと噂される昨今、魔術師を中心に信徒数は過去最大に膨れ上がっている。


 商業都市エフタに至っては、領を統治する貴族を始めとした多くの有力者がアマルティア教団に入信しており、表向きは大陸有数の商業都市として各地の経済に影響を与えながらも、邪神崇拝の街という裏の一面を持ち合わせていた。


 〇〇〇


「呼び戻して済まなかったね。先日のサングリエ暗殺は見事だった。君に任せて正解だったよ」

「大した仕事ではありません。通り名持ちの騎士とはいえ、戦場以外ではただの人でした」


 教団本部の執務室にて、ニュクスは白髪交じりの初老の男性と対面していた。


「護国の英雄といえども、君の前ではただの人か」

 

 初老の男性――クルヴィ司祭は常に人の良さそうな笑みを浮かべており、言葉の一つ一つがとても柔らかい。温和な紳士にしか見えぬこの男の裏の顔を、誰が想像できるだろう。


 クルヴィはアマルティア教団暗殺部隊の統括責任者であり、同時に創設者でもある。


 笑顔を浮かべながら躊躇なく暗殺命令を下し、失態を犯した部下に笑顔で罰を与え、標的の死を満面の笑みで喜ぶ。常に浮かべている人の良さそうな笑みこそが、この男の異常さを何よりも物語っているのだ。

 

「新しい任務と聞きましたが?」


 教団内に30名あまり存在するアサシンの中でも、ニュクスの実力は頭一つ抜けており、難易度の高い仕事を任されることが多い。そんなニュクスを予定を切り上げさせてまで呼び戻したのだ。かなりの厄介ごとと見て間違いないだろう。


「うむ。ティモリア様復活の脅威となりうる存在を、また一人始末して欲しい」


 教団所属のアサシン達はクルヴィの命を受け、各地で著名な騎士や剣士といった英傑たちを次々と暗殺しており、犠牲者はすでに50人は超えている。


 近年、各地の魔物の動きが活発化してきており、邪神の復活が近いのでは危惧されている。そんな状況下で発生した一連の暗殺事件だ。各国は大いに混乱し、隣国の謀略を疑う疑心暗鬼の状態が続いているが、その実、全てがアマルティア教団の計略である。


 邪神復活は教団の悲願であるが、復活した邪神が万が一にも再び封印されてしまっては元も子もない。そのため教団は、危険の芽をあらかじめ摘むべく、脅威となりうる各国の英傑たちを殺害しているのだ。

 

「標的はアルカンシエル王国の北部、ルミエール領領主の娘――ソレイユ・ルミエールだ」

「女ですか?」

「ああ、よわい17の小娘だよ」

「17歳」


 大して驚きはしなかったが、自分と同い年だなとニュクスは思った。

 これまで狙ってきた人間の中でも最年少ということになる。


「期限は?」

「無期限とする」

「無期限ですか?」

 

 円滑に暗殺を進めるため、アサシンには任務達成までの期限が定められている。存在を極力知られぬため、期限内に任務を果たせなかった場合には速やかに帰還することが求められていた。なお、期限内に暗殺を達成出来なかった者にはそれ相応のペナルティが課されることとなる。


 無期限の任務は恐らくこれが初。しかも任を与えられたのは暗殺部隊の中でもトップクラスの実力を持つニュクスだ。今回の殺しに対する教団の本気度が伺える。


「それほどまでに危険な相手なのですか?」


「うむ。ルミエールの家系は500年前にティモリア様を封印した英雄の血を引いていてね。ソレイユはその血を最も色濃く受け継いでいると聞く。まだ実戦経験は少ないとされるが、剣術の才はかつての英雄に匹敵するとも言われる、まさに英雄の原石だ。近い将来、我らの前に障害として立ち塞がることは必至だろう」


「英雄の血を引くのは、アルカンシエル王家の人間だけのはずでは?」

「現在の史実には誤りがある。英雄の血を引くのは王家の者だけとは限らぬのだ。とにかく今この大陸において、ソレイユが最も危険な存在の一人であることは事実だ」

「英雄の血を色濃く受け継ぐ娘ですか」

「君といえども油断ならぬ相手だ。時間は惜しまぬ。どのような手を使ってでも、確実に仕留めろ」

「その間、私が担当するはずだった殺しは?」

「他の者に割り当てる。君はとにかくソレイユ暗殺にだけ集中しなさい。これは教団の定める最優先事項である。教団に関係するあらゆる事柄よりも、ソレイユ暗殺を優先させたまえ」

「はい。このニュクス。必ずや任務を果たしてみせます」


 逆手に持ったククリナイフの柄を額に当てた姿勢でニュクスは頭を垂れる。

 これはアサシンが命令を受けた際に行う簡易的な儀式のようなものだ。


「記録係としてカプノスを同行させる。ルミエール領に関する詳細は彼女から聞くといい」

「承知しました。情報を整理次第、ルミエール領へと赴こうと思います」

「期待しているよ」

「はい」


 ナイフを懐にしまい、ニュクスはクルヴィの執務室を後にした。


「……果たしてニュクスでも殺せるかどうか。いや、殺してもらわなければならない。そのためのアサシンだ」


 微笑を浮かべるクルヴィの瞳には、悪意にも似たよどみが生じていた。


 〇〇〇


「お話しは済みましたか?」

「カプノスか。丁度いい」


 廊下に出るなりカプノスが音も無く真横に現れたが、いつもの事なのでニュクスは大して気にしない。


「仕事の話をしよう。お前はルミエールという土地については詳しいのか?」

「一度赴いたことがあります。自然豊かな農村地帯といった印象でしたね。よく言えば平和。悪く言えば何の面白みも無い。そんな印象でしょうか」

長閑のどかな田舎か」


 仕事の難易度は衛兵の常駐している都心部の方が高いが、その一方で地方の町や村では余所者が目につきやすく、住民に警戒心を抱かれやすいというデメリットがある。ルミエール領へ出立する前に、色々と準備をしておく必要がありそうだ。


「自然が豊かな土地と言ったな」

「はい。四季の移り変わりも鮮やかで、お祭りごとも多いですね」

「なら、俺のもう一つの顔が使えそうだな」

「お仕事を終えるまでに、作品が完成しますかね?」

「さあな。どちらが先かは、俺にも分からんよ」


 苦笑しながらカプノスに背を向けると、ニュクスは足早に教団本部を後にし、任務に必要なアイテムを調達すべく、町はずれの市場の方へと消えていった。

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