第3話 旅の絵描き

 ニュクスがエフタの街を発ってから五日後。


「お兄さん見ない顔だね。旅の人かい?」

「はい。ルミエール領に用がありまして」


 ルミエール領に隣接する町にニュクスの姿があった。

 露天で果物を売る婦人に声をかけられ、彼は笑顔で応対している。


 服装は鮮やかな刺繍ししゅうの施された浅葱あさぎ色のゆったりとしたプルオーバーにベージュのコットンパンツという、柔らかな雰囲気を感じさせる組み合わせだ。

 仕事時こそ冷徹なアサシンであるニュクスだが、それ以外の場では、人当りがよく、親切で、笑顔も忘れない。そういう好青年な印象をもたれることが多い。


「大きな荷物だね。仕入れか何かかい?」


 女性の視線は、ニュクスの背負った大きなこん色のリュックへと注がれている。

 領の境界に位置するこの町は交易が盛んで、個人、団体を問わず、商人の行き来が多い。ニュクスもそういう類の人間だと婦人は思ったらしい。


「いえ、中身は画材です。私は旅の絵描きでして」

「おやおや、画家さんだったのかい。確かにルミエールは自然豊かな土地だ。絵を描くにはもってこいかもね」

「はい。風景画には特に拘りがあるので、今から楽しみです」


 爽やかな笑顔を見せるニュクスに、婦人は思わず顔を綻ばせる。端正な顔立ちの若き画家。見た目も肩書きも実に魅力的だ。


「お兄さんのこと気に入ったよ。こいつを持っていきな」

「いいんですか?」


 婦人は豪快に笑うと、売り物であるルミエール産のリンゴを一個、ニュクスへと手渡した。


「やっぱりお代を」

「いいよいいよ。未来の画伯様への選別」

「画伯なんてそんな。でも、ありがとうございます」


 礼を述べると同時に、ニュクスはリュックの中から、丸めた一枚の厚い紙を取り出した。


「お礼といってはなんですが、私の描いた絵です。受け取ってください」

「いいのかい?」

「もちろんです。ここに来る前に、町はずれの大樹を描いた物なのですが」

「あの樹は立派だからね。さぞ見ごたえがあるだろうね」

「恥ずかしいので、出来れば私が去ってから見て頂けていると助かります」

「あらあら、自分の絵に自信が無いのかい?」

「まあ、そんなところです」


 謙遜をしつつ、ニュクスはリュックを背負い直す。


「それでは、私はこれで失礼します。リンゴをありがとうございました」

「もし良かったら、また寄ってちょうだいな」

「はい。その時はきちんと購入させてい頂きます」


 深々と頭を下げて別れを告げると、ニュクスは露店の前を後にした。


「さてと、どんな絵かね」


 ニュクスの姿が見えなくなると、婦人は譲り受けた絵を広げた。


「上手いじゃないか」


 婦人は絵について詳しいわけではないが、ストレートにそんな感想が飛び出した。


 ニュクスの絵は写実的で、大樹の荘厳そうごんさを見事に表現している。

 絵を見られるのが恥ずかしいとニュクスは語っていたが、これだけの絵なら堂々と人に見せても文句は言われないだろうにと婦人は不思議に思う。


 しかし、素晴らしい絵であるにも関わずこの絵には一つだけ問題点があった。

 単に時間が無かっただけかもしれないが、鉛筆で書かれた絵には絵の具等による着色はなされておらず、風景の陰影や色味は全て鉛筆だけで表現されていた。


 モノトーンで表現された世界は美しもあり、同時に儚げでもある。


「灰色の世界」


 鉛筆だけで表現された風景は、ニュクスの髪色に似た灰色であった。


 〇〇〇


「甘くて美味しいな」


 婦人から受け取ったルミエール産のリンゴを齧りながら、ニュクスはルミエール方面へと繋がる街道を歩いていた。

 このままルミエール領内の村まで歩き、今夜はそこで一泊。明日の昼には領主の屋敷が存在するリアンの町へと到着する予定だ。

 先程婦人に話した絵を描くためにルミエール領に向かっているという話は半分は本当だ。ニュクスにとって絵を描くことは人生を豊かにする大切な趣味であり、同時に特技でもある。絵を描くことは楽しいし、自然豊かなルミエールの土地に絵描きとして魅力を感じたのも事実だ。


 もちろん、本来の目的が領主の娘――ソレイユの暗殺であることは忘れてはいない。

 現にリュックの中身は半分が画材で、もう半分が暗殺に使用する武器や装束の類だ。

 絵描きにしてアサシン。相反する二面性を持った青年は、もうじきルミエール領へと到着する。

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