英雄殺しの灰髪アサシン ~いつでも私の命を狙ってください~
湖城マコト
一章 血塗られし契約
第1話 夜に潜む者
「護国の英雄様が、こんな安宿で女遊びなんかしていていいのかしら?」
「英雄にだって息抜きは必要さ。私だって一人の男だからね」
「婚約者様も可哀そうね。未来の旦那様が遊び人だなんて」
「英雄の妻になれるのだ、それ以上は何も望むまい。それに英雄なんてほとんどが好色家さ。それは歴史が物語っている」
大陸の中央に位置するアルカンシエル王国の王都――サントルの外れにある古びた宿を、顎髭を生やした壮年の騎士が馴染みの若い情婦と共に訪れていた。
この宿は人目に付きにくく、貴族や騎士階級の者たちが表に出来ない交友(主に女性関係)を行うためによく利用している場所だ。
情婦連れの騎士の名はサングリエ。アルカンシエル王国騎士団にて魔物討伐の任についており、切り込み隊長としてこれまでに500体を超える魔物の討伐を成し遂げてきた。『剛腕騎士』の異名を持ち、国内外からその実力を高く評価されている
「先にシャワーを浴びてくるわね」
「ああ、待っているよ」
情婦はその場で艶めかしく衣服をはだけさせ、色白の美しい背筋と肉付きのいい魅惑的な尻をサングリエに向け、浴室へと消えていった。
「何度抱いても飽きぬ女だ」
サングリエは多くの情婦を囲っているが、その中で特に魅力を感じているのが今宵を共にする女だ。
婚約者である貴族の令嬢は、顔立ちは平凡で体つきも魅力に欠ける。日夜魔物との戦いに身を投じる身として、休暇中くらいは女で発散せねばやってられない。
「ひょっとしたら、戦死するよりも女で身を滅ぼす方が先かもな」
シャワーの音を聞きながら、サングリエがそんな冗談をふかしていると、
「風?」
開けた覚えのない窓が、いつの間にやら開いていた。
「おかしいな」
眉根を上げながら、サングリエが窓を閉めようと手を伸ばした瞬間、
「剛腕騎士サングリエだな」
「何者だ……」
突如として背後に現れた男が、サングリエの喉元にククリナイフを当てた。
影も、物音も、気配一つ感じさせぬまま、男はサングリエの背後を取ったのだ。
男はフード付きの黒いロングコートを羽織っており、その顔立ちや表情を窺い知ることは出来ない。
「知る必要はない」
無感情にそう言うと、男はサングリエの喉元へ当てたククリナイフを躊躇なく引いた。
「あっ――」
真一文字に裂けた喉を抑えながら、サングリエは前方に倒れ込んだ。
出血量は多大でもはや手の施しようはない。
喉を裂かれたせいで、声を上げて助けを呼ぶことも出来ない。
程なくして、サングリエの体は微かな痙攣だけを残し、生命活動を停止した。
多くの魔物を葬ってきた英傑といえども、人である以上は喉を裂かれれば死ぬ。
「通り名持ちの騎士とはいえ、女を待つ間はただの
男は血まみれのククリナイフを布切れで拭う。
想像よりもずっと楽な仕事で、拍子抜けすらしていた。
暗殺は常に一撃必殺。それは相手が誰であろうとも変わらぬ鉄則だが、著名な騎士がここまで呆気なく屍を晒すとは思わなかった。強者といえども戦場以外ではただの人間。隙さえつけば簡単に殺せる。女との情事に胸を踊らせている時など、特に狙いやすい。
「任務完了」
サングリエの頭部から右耳を削ぎ落す。
任務を達成した証として、暗殺対象の体の一部を持ち帰ることが所属組織から義務付けられている。
「サングリエ様。今上がりますわ」
どうやらサングリエの情婦がシャワーを終えたようだ。
浴室の扉が動く音が聞こえると同時に、男は音もなく室内から消えた。
「サングリエ様?」
バスタオルを体に巻いた情婦は、返答が無いことを不審に思い、足早に室内へ戻ったが――
「きゃああああああああああ――」
情婦の瞳に映り込んだのは、真一文字に裂けた喉を抑えたまま血の海に沈み、右耳を失ったサングリエの亡骸。
夜を裂く絶叫が宿内へと木霊する。
事件を受け、すぐさま衛兵が宿へと集結。周辺をくまなく捜索するも、
〇〇〇
王都の外れにある廃屋で、アサシンはフードを下ろした。
目鼻立ちの整った端正な顔立ちに、温和な印象を与える柔らかな灰色の髪を持った青年。
一見しただけで、彼が殺しを生業とする人間だと見抜ける者はそう多くはないだろう。
「ニュクス。お仕事お疲れ様です」
「カプノスか」
廃屋の影から、同じ組織に所属する記録係のカプノスが姿を現す。
カプノスは美しい銀色の長髪と、口元まで覆うハイネックのコートが特徴的な小柄な少女で、アサシンであるニュクスの意識さえも掻い潜る、高い隠密性を持つ謎多き存在だ。
「証は?」
「これだ」
ニュクスはサングリエからそぎ落とした耳を収めた布袋をカプノスへと投げ渡す。続けざまに殺しの仕事に赴くこともあるので、証は記録係のカプノスに渡すのが定番だ。
「ニュクス。新しい任務です。一度本部へと戻ってください」
「この後、もう一件殺しの仕事があったはずだが?」
「そちらは別の者に任せると、クルヴィ司祭が申しておりました。あなたには、より優先度の高い任務を与えるそうです」
「厄介ごとか?」
「そのようです。詳しい内容は、司祭本人からお聞きください」
そう言い残し、カプノスは煙のように消えた。
まるで、始めからそこには誰も存在していなかったかのように。
「新たな仕事か」
達成感に浸ることも、立て続けの仕事に不満を抱くこともせず、ニュクスは静かに王都を後にした。
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