第四章

第1話 家族の関係

 二時間ぐらい電車に揺られ、見える風景はに高層建造物から田園地帯となっていた。

 夜も更け、このあたりはひたすら闇が続く。まるで、冥界へと誘われているかのようだ。

 外の明かりを照らすものは住宅の窓明かりぐらいなもので、都会に慣れてしまった俺には、二年前は当たり前だった田舎の暗さに寂しさを覚えてしまう。

 電車に乗り始めた頃は乗客でひしめき合っていたが、今では閑散としていて俺専用の車両と化している。それだけの時間を座っていたものだからお尻なんか悲鳴をあげて、何度も座り心地を直してしまう。


 ようやく目的の駅に着き、電車から降りれば雨が止んでいた。雨に濡れた雑草の臭いが鼻の奥にこびりついて懐かしい気持ちにさせてくれる。

ここは俺と深雪が生まれ育った土地で、これから向かうのは実家だったりする。


 これから自分がやろうとしていることを思うと、ため息とか出てしまって堪らない。だいたい、週末の夜遅くに帰省だなんて両親も何事かと心配するに違いない。

これでもたくさんの愛情を受けながら育った。それにも関わらず俺は馬鹿な子に育ったものだ、この親不孝者め!

 ああ、お父さん、お母さん! あなたの息子はこんなにも歪んでしまいました!

 熱烈に心の中で自嘲してみるが、緊張の糸は切れずにむしろ弓を張っている感じがする。


 駅を出て歩き出せば、夜が俺を包み込んだ。住宅の明かりがあっても夜は夜。雑木 林の向こうなんかは目を凝らしてみても暗闇しかない。

 一人はやはり寂しいものだ。

 後ろを振り向けば深雪がトコトコついて来ているのではないかと思い後ろを振り向いてみるけれど、あるのは暗闇だけだった。


 まるで、中学の頃に戻ったような気分だ。


 あの頃は深雪と離れる時間が多かった。いや、意図的に離れた。

 深雪の自立を促すためにとかそんな理由。今思えば気恥ずかしかっただけなのかもしれない。あと周りから馬鹿にされるのが怖かった。

 そう意識したということは、俺はあの頃から深雪のことが好きだったのかもしれない。でも、それはおかしな感情で、世間一般では受け入れられない醜悪なものだ。


 結局、自分の感情を殺して、世の中と寄り添う行為は苦痛でしかなく、生きている気がしなかった。きっとゾンビに感情を宿したらこんな感じになるのだろう。

 だから開き直って叫んだときは、不思議と体が軽くなった。

 特に、四宮に知ってもらえたことが快感で、もしかしたら自分が変態なんじゃないかと疑った。いや、うん、変態だよね。理解してるよ。


 ただ、自分が今までため込んでいたものを誰かに吐き出す、という行為が良いものだと気づけたのは純粋に嬉しい。今までは弱音とか甘えだと考えていたけど、そんなことはない。むしろ、自分と向き合えるチャンスなのかもしれない。


 俺はこの素晴らしい感覚を深雪に知ってほしい。

 俺はこのイカれた感情を深雪に伝えたい。


 そのために俺はこんな場所まで帰ってきたのだ。タダじゃ戻れない。

 やっとの思いでたどり着いた実家は夕食の匂いで出迎えてくれた。この時間なら親父がお酒でいい感じに出来上がっている頃だろう。


 インターホンを押すと母がでた。


 『はーい? どちら様ですかー?』


 「あ、おれおれ」


 『あら、オレオレさんですねー。いま開けますー』


 おっとぼけた声で不用心な対応をする母上。後でオレオレ詐欺について教えてあげよう。

 扉が開かれると、部屋の光量が俺の目に突き刺さる。


 「あれ? かなちゃん? どうしたのこんな時間に?」


 おっとり美人でたわわな体が特徴的な流麗な女性。見慣れた割烹着姿、鹿河遥こと俺の母がきょとんとした表情で出迎えてくれる。


 「あー、ちょっと忘れ物をしたんだ」


 「あらあら、それは大変。さあ、上がって。疲れたでしょう?」


 滅茶苦茶な言い訳に疑問を持つことなく受け入れてくれた。少しは人を疑うことを覚えたほうがいいと思うのだが、そこが魅力ということでご愛敬。

 リビングに入ると、祭りでたこ焼きを売ってそうな見た目の的屋よろしく飲兵衛親父、鹿河和夫がお酒を嗜んでいた。


 「あー? なんだ彼方、何しに来たんだ?」


 「急に親の顔が見たくなったんだ」


 「私もかなちゃんに会いたかったよー。はぐはぐ」


 どちらも相変わらずで安心する。つうかはぐはぐやめて、恥ずかしいから。


 「深雪はいないのかあ?」


 「おう、俺だけだ」


 「おいおい、なら帰れ、バカチン! お前はいらんから深雪に会わせろ!」


 「本当に相変わらずだな! くそ親父!」


 畜生、酔ってんのか? 酔ってるからこの対応なんだろ!?


 「私もみゆちゃんに会いたいわ。元気なのかしら?」


 「あー、そうだな。元気だぞ」


 当の本人は倒れて寝てしまっているわけだが、わざわざ変な心配をかける訳にはいくまい。倒れたと聞いたら親父とか俺を蹂躙した後、現地にすっ飛んで行くかもしれん。

 何だかんだ言っているが本当は心配してくれているのだろう。深雪が元気になったら連れて帰ってこよう。元気な顔を見せることが親孝行なのだろうし。


 「深雪にあいたいよー、彼方とかいらないよー。あー、なんか腹立ってきたぞ……お前マジで帰れ」


 やっべー、久々にキレそうだわー。心配とか欠片もしてないだろうね、これ。


 「……ちょっと疲れたから部屋に行くわ」


 「はいはい、夕飯準備しておくわねー」


 母に感謝の礼をし、俺は二階にある自分の部屋に入る。

 部屋は二年前のまま埃もなく健在だった。きっと、いつでも俺達が帰ってこられるように、定期的に母が掃除をしてくれているのだろう。

 匂いは寮の自室と同じで、俺と深雪の臭いがする。

 

 ベッドに腰を掛けると、疲れがジンジンと体を駆け巡る。

 深雪はいまどうしているだろう? 四宮はうまくやれているかな? 今日は楽しかったな、ずっとあんな甘い時間を過ごしていたいな。そういえば深雪に俺の告白を受け入れてもらえたら恋人のような関係になるのかな? それは楽しいだろうなあ。あはは、俺は何を考えているのだろう、疲れているのかな、くそう。


 しばらくぐるぐる思考を巡らせていると、睡魔が襲ってくる。うつらうつらと意識が混濁する刹那、目の前に子供が通り過ぎた。二人だ、二人の子供が部屋にいた。

 目を凝らすとその正体は俺と深雪だった。ああ、こんな幻覚を見てしまうなんて、本当に頭がおかしくなったのかな。

 二人は笑ったり、怒ったり、泣いたりと様々な表情を見せてきて、フィルムが切り替わるたびに懐かしさが脳を浸す。


 それは、深雪が誕生日の時の情景。おもちゃの指輪を貰い深雪がはしゃいでいる。


 それは、深雪と喧嘩した時の情景。取っ組み合いをして俺が勝っている。


 それは、二人で悪戯して怒られた時の情景。二人して正座してわんわん泣いている。


 これは記憶なんだ、幻覚なんかじゃない。俺の脳みそに眠っているアルバムの一部だ。

 移り行く光景を眺めていると、不思議と涙が出てきた。


 そうか、俺はこの関係が好きなんだ。


 家族の関係を無くしたくないと思っている。

 でも、俺はどちらかを捨てなければならない。選ばなければいけないのだ。深雪を 好きでありたい心か家族でありたい心かを。


 なんでこんなに苦しいんだ、どうして捨てなきゃいけないんだ。

 気持ちを伝えてしまえば、もう元の関係には戻れないだろう。だから、好きという気持ち捨ててしまえば今まで通り平穏に過ごせるんだろうなあ。


 でも、こんな素敵な感情を捨てなきゃいけないだなんて、俺には耐えられない。

 決心したはずなのに、目の前でこんなものを見せられたら躊躇してしまう。

 心が潰れてしまいそうだ。

 喉が裂けそうな、変な声が溢れて、涙が止めどもなく零れる。

 

 酷く疲れた。

 うつらうつらと睡魔がきて、俺は倒れるように眠りについた。

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