第三章

第1話 変わらない日常

 あの日以来、深雪は女装をしなくなった。

 それが正常なのだけど、おかしい。深雪もいつも通りだけど、おかしい。


 怒っていたり、拗ねていたりといった感情は見られないからこそ、この問題はややこしいのだ。もし深雪が怒っていようものなら、お弁当なんか作ってくれない。そもそも一緒に登校とかもしてくれない。うん、実体験ですよ。


 お弁当も作ってくれたし、一緒に登校だってしている。何も問題はないはずなのに俺の気持ちのほどはざわざわと波立っている。


 そうこう考えていると教室についてしまう。

 授業の合間の休憩だからか教室の中は騒がしい。しかしながら女装教育が実施されてから、ドアは壊れないし窓ガラスだって割れない。かなり大人しくなったほうだ。


 前任の担任だった石井先生もこいつらを静かにするために、目の前で時計を叩き壊すなど滅茶苦茶なことをしたものだ。

 そう考えると若手の新任教師がここまでの成果を出したのだから、素直にすごいと思う。


 喧噪の中、自分の席に戻る。

 やはり、目の前の深雪は笑顔だ。今日もかわいい。


 「どこに行ってたの?」


 「トイレ」


 「えー、僕も誘ってよ」


 「そんな恥ずかしいこと出来るか」


 「え、なんで恥ずかしいの?」


 うーむ、やっぱり普通だ。普通すぎる。

 お昼になるまでの間もひたすら観察したが、かわいいという事しかわからなかった。


 そもそもなんで俺は必死になっているんだ。女装なんて鼻で笑っていたじゃないか。今でも可笑しなことだと思っている。なのに、女装した深雪の笑顔が忘れられないでいる。


 「彼方? おーい」


 「へ……?」


 目の前に深雪の顔があった。近い近い近い……!


 「もうお昼だよ? お弁当食べようよ」


 「お、おう……腹減ったなー」


 お互いの机を向かい合わせてお昼の準備をする。


 「残り物でごめんね」


 「世界でいちばん美味しい残り物だ。最高です」


 「はいはい、ありがと」


 このままでは埒が明かない。ここは一発、男らしく堂々と聞いてしまおう。


 「深雪、女装しようぜ!」


 「しないよ」


 即答だった。少し男らしすぎたかな? 今度はもう少し紳士らしくしてみよう。


 「深雪さん、女装してみませんか?」


 「申し訳ございません。その予定はございません」


 淑女的に返されてしまった。もう少しロックに訴えかけてみるか。


 「Hey! クソッタレな女装をしようぜ! ガッテム!」


 「彼方……大丈夫?」


 悲哀の眼差しがとても痛いです。エアギターがまさしく空振りした。ガッテム!

 うん、順序を間違えたね。まずは女装をしない理由を聞かねばいけない。

 こほん、少々デスメタルな声を出してしまったので喉を整える。


 「それで、なんで女装しなくなったんだ?」


 「そりゃ、僕が男だからに決まってるよ」


 「じゃあ、なんで女装したんだよ?」


 「それは……みんながしてたからだよ。自分だけ仲間外れなんて嫌でしょ」


 相変わらず嘘が下手だ。昔から深雪は嘘を吐くとき、俺の目を見ないで下ばかり見る癖がある。本当にあの頃からひとつも変わっていない。それにこいつは周りに合わせるようなタイプじゃない。


 女装をした時の深雪は少し変わった風に見えたんだ。自分を肯定したって言えばいいのだろうか。いつまでも変わらない深雪が少し成長したような、そんな感じがした。


 深雪は俺に依存している。俺がいないと何もしようとしない、誰とも関わろうとしない。どこに行っても隣に深雪がいるのが俺の日常だった。

 だけど、一部の人間にはそれが気味の悪いものに見えていたらしく、よく馬鹿にされた。それは彼らにとっての非日常で、時には酷い言葉も吐きかけられたこともある。


 だから中学でクラスが別れた三年間、俺は深雪からなるべく距離を置いた。楽しくもないのにクラスの人間と肩を並べ、笑顔を作って非日常に寄り添うようにした。


 周りに合わせることが大人なんだと気取っていたんだと思う。子供の頃は悪口なんて言われたら、拳ひとつで立ち向かっていたのになあ。

 でも悪い事ばかりじゃない。その成果もあり、深雪は四宮という友達を作り少しは俺への依存が改善されたと思っていた。


 だけど、最近はもとに戻りつつある気がする。

 それは駄目だ。いつか離れなきゃいけない時が必ず来る。世間に出たらひとりでは抱えるものが多すぎて溢れてしまう。


 だから人は友達と遊んだり、恋人と結婚したりして心の穴を埋めるんだ。たぶん、俺だけじゃ深雪の心は埋められない。俺じゃ埋められない穴がある。


 たぶん、その穴を埋められるのは友達で、四宮恵里の存在なんだ。


 俺と四宮が別れてから深雪は連絡を取っていないみたいで、公園で偶然会った時も少し違和感があったのを覚えている。

 俺は携帯電話の電話帳を開き四宮の名前を探す。

 振られてから一度も連絡をとっていない番号はまだ電話帳に登録されている。


 きっと、今ふたりを無理に引き合わせても意味ないだろうな。

 それに、深雪の抱えているものがなんなのか見当もつかない。それが四宮と関係があるのかもわからない。

 だいたい、いまさら四宮に連絡する勇気とかないし。

 俺は諦めて携帯電話をしまった。


 「どしたの?」


 「いや、なんでもない」


 ああ、ヘタレだなあ俺は……。

 

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