男の娘のキモチ 後編

 やがて地方の中学校に僕と彼方は進学するのだが、悲しいことにクラスが一緒になることは三年間一度もなかった。

 暇さえあればクラスを飛び越え僕は彼方に会いに行っていたのだが、入学してから半年ぐらい経ち自然と彼方は友達を作っていた。対する僕は友達など出来るわけもなく、そもそも作る気すらなかったのが問題だった。


 一度彼方に誘われその友達と一緒に遊んだことがあるのだが、友達の友達というのは曰く他人であるため、何とも居心地が悪く生きた心地がしない。特に廊下ですれ違う時の対応に困ってしまうもので、会釈から見て見ぬふりに好感度がダウンする様は見事だった。


 そんなこんなで僕はしばらく一人で青春を過ごすことになった。


 最初はこっそり涙を流したりしたものだが、案外なれるもので煩わしい人間関係に悩まされることもなく、ぼっちも悪くないと思い始めていた。

 ある日、いつものように昼休みの憩いの場である図書室で僕は料理の本を探していた。


 洋食か中華かと悩みながら探してみると、お菓子の本が目に留まった。だが、本は上のほうの棚にあり僕の低い身長では背伸びをしても、飛んで跳ねても届かなかった。

 どうしたものかと悩んでいると、僕よりも背の高い逞しい方が取ってくれた。


 「ありがとうございます」


 「三条クンってお菓子作れるの?」


 目を向けると意外にも女子だった。


 美しい容姿に長身で細身とモデルのようだと思った。さらには胸からおしりまで山あり谷ありと綺麗な曲線美を描いている。並の男子中学生なら惚れているのではなかろうか。

 こんな女性に取ってもらえるなんて光栄だなあ、情けなくて涙が出ちゃうよ。


 「えっと……」


 「四宮恵里、同じクラスなんだから知ってるでしょ?」


 「もちろん知ってます」


 「あ、知らない顔だ―」


 失礼な人だ、顔は見覚えあるよ。


 「それでそれで、お菓子作れるの?」


 「簡単なやつなら作れますよ」


 「ほえー、いいなー。クッキーとかクッキングしちゃうのか!」


 はいはい、おもしろいおもしろい。


 彼女の表情や性格はクラスの印象とは少し違う。クラスではもう少し大人しく静かだったと記憶している。


 「三条クンっていつも図書室いるよね」


 「昼はここ静かですから。有意義に過ごせるじゃないですか」


 「わかるー、私もぼっちだからいつも図書室にいるよー」


 とても失礼な人だな、まるで僕がぼっちみたいじゃないか。ぼっちだけど。


 「四宮さんって女子に嫌われそうな性格してますよね」


 「あはは、たまたまクラスの子と合わなかっただけだよ!」


 そうっすか。早くその本貰えないだろうか、休み時間が終わってしまう。


 「はい、これ」


 「どうも」


 僕は本を受け取ると彼女から離れ席に着くのだが、


 「三条クンって女子力高そうだねー」


 えー、何でついて来るのこの人? 友達なの? 類友なの?


 「静かにしてもらっていいですか?」


 「ごめんね、私寂しがり屋だからさ」


 「ほかの人と話せばいいじゃないですか」


 「いやー、なかなか私の波長に合う人がいなくてね。ほら、直感的にあるでしょ? この人とは合わないわーって……どうもクラスの人とは合わないんだよね。わかる?」


 「ああ、わかります。いま丁度感じてます」


 「あはは、三条クンおもしろいねー」


 そうやって休みが終わるまで鬱陶しく絡んできたのだった。

 それが四宮恵里との最初の出会いだった。


 彼女はことあるごとに僕に絡んできた。


 「深雪、クッキーの作り方教えて!」


 「卵とバターと小麦粉をぐちゃぐちゃに混ぜて焼いてください」


 「おっけー! 明日作って持ってくるから味見よろしく!」


 「待ってください、やめてください、ちゃんと教えるから待って!」




 「深雪、体育のペア一緒に組まない?」


 「組体操ですよ、男女のペアはまずくないですか?」


 「失礼な、私は正真正銘の女だよ!」


 「すみません、僕が男なんですけど」




 「深雪たいへんへんたいだよ!」


 「何かあったの?」


 「次の授業の教科書忘れちゃった! 深雪の教科書貸して!」


 「僕もその授業受けるからね!?」


 彼方と一緒にいない時間は何故か四宮恵里と過ごすことになっていた。僕自身も彼女と過ごしている時間はそう悪いものではないと感じ始めていた。


 案外話してみると真面目なところがあったり、よく人を見ていて関心させられる所もあったりする。何より一緒にいて不快感がないからか、いつの間にか僕の他人行儀な態度はなくなってしまった。こんなことは彼方以外では初めての経験だった。

 結局、中学の三年間で四宮恵里とは親友と呼べるものぐらいには仲良くなったと思う。


 僕は彼方と都内にある同じ高校に進学することになり、恵里も同じく都内の学校に進学したおかげで繋がりも途絶えることなく関係は維持された。

 地元を離れ僕と彼方は寮での暮らしをすることになった。奇跡的に僕と彼方は同じ部屋になり、三年ぶりに彼方にべったり出来ることに嬉しく思い、また恥ずかしくもあった。


 「実家も同じ部屋だったから、なんか新鮮味ないね」


 「そうだな、まあ、俺は人生安定派だから新鮮味なんかいらないね」


 小学校の頃に戻ったかのように僕たちはずっと一緒にいた。だけど、ひとつ違う、彼方への想いがあの頃より一層息苦しいものになっていた。中学の頃の空白の期間でため込んでいたものが溢れ出すかのように、その想いは僕の喉を詰まらせてくる。


 きっとこれは恋なんだと思う。


 こんなものは駄目だ、僕はもう子供じゃない、いられない。あの頃の純粋だった思いは大人になるにつれて汚いものに見えてきてしまう。少なくとも世間一般的に これはおかしな感情だと思う。僕は怖かった。


 この想いのせいで彼方との関係が壊れるのが怖かった。


 この想いのせいで世間から迫害されるのが怖かった。


 毎日、気が狂うような思いだった。

 一緒にいるのが嬉しいのに苦しいだなんて、そんな胸の内を叩くような感情は毎日休むことなく僕を揺さぶってくる。すぐ傍にいるのに、心は遠く果てしない。


 言ってしまえば、告白すれば楽になるのだろうかと寝る前にいつも考えてしまう。その誘惑を頭から布団を被ってやり過ごすしか僕にはできなかった。


 小学校の頃にいじめてきたあいつらは、きっと僕のことがおかしいと思ったからあんなことをしてきたに違いない。今はうまく隠せているが、バレてしまったら同じことになりかねない。子供だって大人だっていつもやり方は変わらない。この村社会において浮き出た者は徹底的に排除されるんだ。


 昔は彼方と結婚したいとか思っていた。もちろん今だってその感情はあるのだけど、日本では男同士の結婚は認められていない。それが常識。僕だっておかしいと思うから、なんとかしてこの感情を潰そうと考えている。


 そんな悩みを解決する手段を模索し僕は閃く。この恋の病を治すための解決策は酷く残酷な方法だった。


 僕は彼方と恵里を引き合わせることにした。仲良くなるようにフォローした。二人が付き合うようにお膳立てをした。そうすることで彼方への想いを諦められると信じていた。

 だが、そんなものはただの自己欺瞞にすぎなかった。

 

 恵里が住んでいる場所から僕たちの寮は意外にも近い場所にあった。そんなこんなで僕と恵里は休日になれば定期的に合うようになっていた。どうやら恵里も中学の頃とさほど変わらない生活を送っているようだ。


 「彼方クンの笑顔ってどうやって見られるかな?」


 ある日、買い物帰りの休憩のひと時、喫茶店でくつろいでいると恵里は微かに聞こえる音量で小さく呟く。彼女にしては珍しく元気がない様子だった。


 「彼方の笑顔?」


 「うん、深雪は彼方クンをどうやって笑わせてるのかなって……」


 「彼方はいつも笑ってると思うけど」


 「それは深雪の前だけだよ……私じゃ、なんていうか、ピンとこないのです。だからさ、彼方クンの喜びそうなこと教えてほしいなと思いまして……」


 恵里の目は真剣だ。内容から察するに彼方と上手くいっていないのだろうか。だとしたら僕も困るので、とっておきの裏技を彼女に伝授する。


 「ごはんとか作ってあげると笑顔になるよ。子供みたいに笑うんだ」


 「料理かー、私の不得意分野だ。残念無念」


 「全くできないの?」


 「生まれてから包丁を握ったことがないのだ。だから無理!」


 「諦めないでよ、簡単な料理ぐらい僕が教えるからさ」


 恵里は大げさに頭を抱えながら絶望している様は少し面白かった。なんだか彼女をコントロールしているようで小悪魔な気持ちになってしまう。


 「カレーとかどう? 簡単だし、彼方好きだし」


 「カレー! 私も好きだよ!」


 ぱっと笑顔を取り戻す。恵里の好みは知らんがな。


 そうして伝授された技はクリスマスの日に実行したそうだ、クリスマスにカレーとはと疑問に思いつつも、その後の結果報告は電話越しで聞くことになった。


 「うーん、やっぱりカレーじゃ彼方クンの笑顔を見ることはできなかったよ」


 「喜んでくれなかったの?」


 「喜んでくれたよ、ただ何か違うんだよね、やっぱり深雪じゃないと駄目なんだよ」


 「まあ恵里のカレーって普通に不味いからね」


 「むう、そうだけどさ……でも、やっぱり深雪じゃなきゃ駄目なんだよ」


 「言っている意味がわかんないよ」


 この後、二人が別れるのを知ることになる。

 

 新年早々に彼方と恵里は出かけた。僕は一人の寂しさに涙を流しながら、早く帰ってきてほしいと心の片隅で思いつつ、それを否定しながらひとり悶々と過ごしていた。

 ひとりではやることもなく部屋の掃除をして時間を潰す。部屋が綺麗になれば心が少しは気分も晴れるのかと思ったのだが、二人の動向が気になるばかりでどうしようもない。


 掃除が終わり何をするでもなく過ごしていると彼方が帰ってきた。しかし、顔はどこか陰鬱な表情で今にも倒れそうな様相だった。


 「おかえり……どうしたの?」


 「あはは……恵里に振られちゃった……」


 「え……?」


 倒れるようにベッドに潜り込む様子を眺めながら、僕は不治の病を宣告されたような気がした。彼方の弱弱しい姿を見て、今までため込んでいた愛おしい気持ちの奔流があふれ出し、その結果を嬉しいと感じてしまう。卑しい思いに従いそうになってしまう。


 「そっか……残念だね」


 「……」


 僕は耐えきれなくなって部屋を出て、その場に立ち尽くす。

 しばらくすると内側から彼方の泣く様子が伝わってくる。

 

 結局、誰も幸せにならなかった。全部無駄だった、それどころか全部壊れてしまった。

 体から力が抜け壁に背を預けながら崩れ落ちてしまう。

 何が正解かわからぬまま、僕には彼が泣き止むのを待つことしか出来なかった。


 恵里ともこれを機に連絡を取り合うのをやめた。


 桜が舞う新学期の季節になっても僕の気持ちは変わらないままだった。

 彼方は気持ちを切り替えることが出来たようでとても生き生きとしている。

 この平穏が続けばそれでいいのかもしれない。無理をして変える必要などないのだ。昔のようにひたすら耐え続ければ済む話なのだから。


 しかし、その殊勝な気持ちは六道先生によって壊されることになる。

 

 女装、男の娘……未知の言葉を主張する変態教師を最初は鼻で笑っていたのだが、あの飴を舐めてから僕も女装の衝動が強まっていた。女装に対して興味は少なからずあった。だが、その気持ちは抑えられる程度のものだったはずだ。なのに、今のこの気持ちは一体何なのだろう? 渡された女生徒の制服が視界に入るたびに

 

 喉を鳴らすような激情が僕の中を支配する。

 僕は何とか平静を保とうとあがいてみるのだが、神様というやつは性格がねじ曲がっているのか、こんな状態のまま公園で恵里と再会することになった。


 恵里とはあれ以来壁が出来てしまった。そのせいか僕たちの間には妙な空気が立ち込めているわけで、それにも関わらず僕は別れた理由や親密度を聞いたりした。

 その上、原因は自分にあると結論付けるとは実に女々しいものだ。


 久しぶりの三人での会話はできたと思う。けれど、どこかイガイガするような感覚がする。それが悲しくて涙が堪えられそうもなく、トイレに行ってひっそりと泣いた。




 すべて話し終え、どっと疲れが出る。

 僕と彼方は特別補習とやらで六道先生に捕まってしまった。

 けれど、特別補習とは名ばかりの人生相談になってしまったことが、少し悔しい。それに目の前にいる六道先生は、意地の悪い表情で


 「要するに、お前は鹿河を好きで好きでたまらないってことだな」


 「うう……そうですよ。気持ち悪いでしょう?」


 六道先生はやれやれと呆れる様子で僕を見る。


 「気持ち悪くなんかない、人を愛するのに性別なんて関係ないと私は思うぞ」


 「先生のような変態に言われても……」


 「それにな、お前の話を聞いてわかったことがある、そして解決方法もだ」


 「……本当ですか?」


 「女装をして鹿河を誘惑すればいいだけの話だろ?」


 「すみません、意味が分かりません」


 正気かこの教師。どうしてそんな結論になったのだろう。


 「お前は鹿河への気持ちを抑えるのが苦しいのだろう? だったら告白でもなんでもして手に入れれば良いじゃないか」


 「受け入れてもらえる筈ないじゃないですか、僕は男ですよ」


 「だから女装をして男の娘になりたまえ。かわいいは正義だ! これはこの世界の絶対的法則なのだ、鹿河だってこの法則からは逃れることは出来ない」


 まるで話が通じない。この人とは根本的に考えとか価値観が違いすぎる、いや、もう言っている意味がひとつも理解できないのだもの。


 「それに気づいたことがもうひとつある」


 そう言う六道先生はニヤついた顔になる。この顔は良からぬことを考えている時の顔だ。


 「三条、お前はもとから男の娘だ。お前は女装の衝動を抑えているだけで、その心は既に男の娘なのだ!」


 「……………………はい?」


 意外というか予想外というか奇想天外で意味不明な事を言う六道先生。


 「だからな、安心して女装すればいい。良かったな」


 「よかないですよ! なんですか男の娘って!?」


 「いつから男の娘なのかは私にもわからんが……一目見たときから確信していたよ。想像通りの逸材だ! かわいいぞ三条!」


 かわいいと言われて嬉しく思う自分がいる。これが男の娘の感情なのかしら? でも、かわいいって言われて喜ぶ男子だっているよね? 正常だ、僕は正常なんだ。でも、彼方への想いはなんて説明すればいいんだ? なんだよこれ、わけがわからないよ……


 「だからって女装なんかしませんよ。それに、もし彼方に僕の想いを受け入れてもらえたとしても、今までの……家族の関係は壊したくないです」


 「本当にいいのか? お前もその身で感じているだろうが男の娘は男を欲するものだ。当然だが、クラスの野郎どもは男である鹿河に惹かれていくぞ? お前がそうやってうじうじしている間に誰かに盗られ、今の関係が壊れるかもしれんぞ」


 「そ、そんなの……嫌です……でも」


 「結局、お前は何かと言い訳をつけて行動したくないだけの臆病者だ。自分から行動のできないやつが報われるわけない」


 六道先生は煽るように僕に向かって指をさし言う。


 「鹿河ごとき私が手籠めにしても構わんぞ。あの程度の童貞なぞ、私のようなスーパー男の娘に掛かれば容易いぞ」


 六道先生の顔、声、言葉、すべてが不快だ。


 確かに、彼方は鈍感で無気力な童貞だけど、お前なんかに惑わされたりしない。


 「お前なんかに……」


 彼方の顔が頭の中にチラつく。

 優しい顔も、楽しそうな顔も、悲しそうな顔も全部が僕の中で輝いている。


 「お前なんかに渡さない、他の誰にも渡すもんか!」


 全部僕のものだ! 昔からそうだったんだ、ぽっと出の脇役なんかに渡すもんか!


 「良い顔だぞ、三条! こんな世界で生きるなら欲望に忠実なのが一番だ」


 なんて性格が悪い生き物だ。生徒を嘲笑う教師があろうか。

 あーあ、まんまと焚きつけられてしまった。バカみたいだなあ。

 

 気が付けば夕日が教室に差し込む時刻になっていた。


 「僕はもう帰ります。あと、勘違いしないでください。僕は彼方の恋人になるつもりはありません。今の関係を守るために女装をするんです」


 「わかったから怖い顔しないでくれ。かわいい顔が台無しだぞ」


 僕は怒りに任せて教室のドアを開け廊下に出る。廊下にいた彼方が僕の様子を見て驚いているようだ。不味った……


 「深雪さん……? どうしました?」


 「うん……大丈夫だから、気にしないで」


 変なところを見られてしまった。相当気が立っているのかもしれない。


 「ごめんね、僕先に帰えるね」


 「それはいいけど、大丈夫かお前?」


 「うん……駄目かも、ごめんね」


 本当にごめんね。もしかしたら僕のことを嫌いになるかもだけど……もう、いいよね?


 「それじゃ、彼方も頑張ってね。あいつすごい性格悪いよ」


 僕は逃げるように彼方から離れた。

 校舎を出ると夕日が僕を照りつける。春の夕方は少し肌寒い、これならあの頃よりは走れそうな気がする。


 僕は太陽に向かって走り出した。春らしくとても清々しかった。

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