第4話 男の娘の告白

 傷ついたフィルムが再生されるように目の前に情景が映し出される。

 どうやら夢を見ているらしい。

 四宮恵里は俺の背中をさすっていた。

 ああ、これは酷い思い出だ。情けなさ過ぎて目を瞑りたくなるけど、夢なんだからもう瞑っているし背けることもできなかった。


「大丈夫?」


「いや、その、ごめん。大丈夫だから……」


 付き合い始めてから時間が経てば自ずとアレな雰囲気になって、ソレな展開が始まり、オロオロした俺がゲロゲロすることになった。


 四宮の白い肌を見た瞬間に脳裏にトラウマがフラッシュバックされる。これから彼女と淫らなことをするのだ。両親がやっていたあの醜悪な行為を俺もしなくてはいけないだなんて考えるだけでもおぞましい。

 そうした結果がゲロです。おうっと嘔吐してしまいました。おうおう……。


 「……やっぱりそういうことは出来ないみたい」


 「それは私が嫌いだから?」


 「違うよ。そうじゃない、そうじゃないんだ……四宮のことは好きだよ。優しいし、綺麗だし、気づかいだってしてくれる。俺にはもったいないぐらいだ」


 「そんな完璧な私で吐いちゃったの?」


 「単に苦手なだけで、昔から駄目なんだ。その……エロいこと」


 「そっかあ……それなら仕方ないね」


 そう言うとせっせと身だしなみを整える四宮。なんというか切り替えが早いのも彼女の魅力だと思う。


 「お腹すいたね、ごはん食べに行こうか。あ、ゲロった後は食べられない?」


 本当は傷付いているはずなのに、悔しくて仕方ない筈なのに、何事もなかったように振る舞ってくれる四宮。俺に合わせてくれる。


 なんだよ、深雪にあんなこと言っておいて、俺だって周りに合わせることが出来ていないじゃないか。


 周りに合わせて生きていけば世の中は安泰なんだ。平穏に過ごしていける。友達だってできる。彼女だってできる。働いてもいける。もしかしたら結婚だってできる。ほら、いいことだらけじゃないか、それの何がいけない、何がおかしい? 周りだって満足だろ。


 「そんなものが彼方の幸せなの? だから彼方は名前も知らないこの子を断るの?」


 あの時の深雪の言葉が頭から離れない。


 幸せってなんだ? 自分が満足することだろうか。周りが認めてくれることだろうか。

 どうすれば幸せになることが出来るのでしょう? 何をしたってうまくいかない。猫が自分の尻尾を追いかけるみたいにグルグル毎日を無駄に過ごしている気がする。


 世界に蔓延るソイツはいつも俺を観察してる。気味が悪くて仕方ない。

 子供の頃は反抗してたのに、いつから心が乾いてしまったのだろう。

 あの頃は何でもできる、何にでもなれると思ってたからだろうね。

 

 少しだけ反抗してやろうとした結果が授業をサボって寝るだけでアウトロー気取ってる阿呆だ。こりゃまともな大人になれませんね。将来は仕事をサボってやろう。そしたらきっと世界がお腹を抱えて笑いやがるので、少しはざまあみろって気分になるかもね。


 意識が戻り始めるのを感じると同時に、段々と夕陽のオレンジが瞼の裏に染み込んでくる。頭に柔らかいものが当たっている。なんだこれ……?



 「おはよう、よく寝てたね」


 なぜか小野寺キュンが俺を膝枕していた。


 何一つ状況が呑み込めない。というか夕暮れ時になるまで寝てしまっていたのか……


 「お、おはよう。えっと何用で? 何事で?」


 「朝、手紙で書いたとおりだよ。あれ私が書いたんだ」


 手紙……手紙……記憶に該当するのはアレのことだろう。ってえええええ!?


 「あのラブレター!? まさか小野寺キュンが送り主なの!?」


 「うん、ゴメンね迷惑かけて……」


 別に迷惑だなんて思ってない。それに複雑な気持ちではあったけど、嬉しい気持ちは確かにあった。ああいった好意は初めてだったし。

 俺は体を起こそうとすると、小野寺キュンは頭を掴んで邪魔をする。


 「もうちょっと、このままでいさせて欲しいな……」


 愛しむような顔で懇願されてしまう。俺は力を抜くことで了承の返事をする。


 「……好きなの? 俺のこと……そういう意味で……」


 「うん、好きだよ。男の娘として、鹿河君のことが好きなんだ」


 顔がカッと熱くなる、体が痺れてしまう。

 もし、それが本当なら悪いことをしてしまった。お昼休みにラブレター事件の詳細を話した際に俺は想いを伝えて告白する前に振ってしまったのだから。


 「結果は予想通りかな。始めから勝算なんてほとんどなかったのに、気持ちだけなら負ける気がしなかったからかな? 勇気をだして告白をしちゃいました」


 「ごめんな、変な振り方して」


 「えー、謝らないでよ。これでもスッキリしたんだよ」


 嘘だ。少なくとも俺はスッキリしていない。

 こんな終わり方は駄目だ。このまま終わらせてしまえば後悔することになる。

 

 俺はとある酷い提案をしてみる。


 「もう一回、告白してくれないか」


 「えっと、もしかして嫌がらせ……?」


 「ちゃんと言葉で伝えてほしい。小野寺キュンの想いを知りたい。きっと、言葉じゃないと純粋なものは伝わらないと思う」


 俺がそう言うと、小野寺キュンは一瞬放心した顔をする。

 そうすると、空を仰ぎ見てひと呼吸をする。

 ほんの隙間のような時間が永遠に感じられる。これは心地がいい。

 人と人の間に想いが伝わる瞬間、そこには何もなく純粋で美しい。俺は心からそう思える。


 「私は、あなたのことが好きです。私と付き合っていただけませんか?」


 「ありがとう。でもごめん、俺は小野寺キュンとは付き合えない」


 これは酷い。二度も振ってしまった。


 「ぷっ……あははは、ひどーい、私二回も振れちゃった。少し期待しちゃった

よ……」


 「ごめん、よくよく考えればすごく残酷な事したよね」


 「うん、最低だよ。あはは……ははっ……ああ、酷いなあ」


 俺の頬に水滴があたる。最初は雨が降り始めたのかと思ったが、すぐに小野寺キュンの涙なのだと理解した。


 その気持ちは俺も最近経験した。心が潰れてしまいそうな圧迫と目の前が真っ暗になる喪失感。自分がちっぽけで惨めで死にたくなるような思いだ。


 「ああ、馬鹿! 馬鹿! 本当は鹿河君なんて嫌いなんだ! 大っ嫌い、馬鹿!」


 「お、小野寺キュン?」


 なんてこった、小野寺キュンが壊れた!? いつも慈悲深い女神のような存在があろうことか取り乱してしまった!?


 「だいたい小野寺キュンってなに!? 変な呼び方しないでよ! 私は小野寺楓って

名前があるんだから名前で呼んでよ!」


 「小野寺キュン落ち着いてください……」


 「名前で呼んで!」


 「小野寺さん?」


 「違う……下の名前」


 「楓……」


 「うっさい、嫌い」

 

 わーお、どうしろと言うのだね君は……

 しばらく二人して黙りこくってしまう。夕陽が眩しいね、俺の貯金は貧しいね。

 そうやって沈黙のなか過ごしていると楓から切り出してくる。


 「お昼に言ってた仲直りの作戦うまくいくといいね」


 「あー、何とかなるよ。気にすんな」


 「気にするよ、拗れた原因は私だし……って別に気にしてないし、勘違いすんなボケ!」


 喋るたびに罵倒されるとはまいっちんぐ。

 

 でも本当に気にすることなんてない。今まで数えきれないほど喧嘩をしてきて、そのた度に何とかしてきたのだから大丈夫だろう。根拠はないけど。

 

 日も暮れ、宴もたけなわだろう。


 「そろそろ帰ろうよ、泣き疲れた、誰かさんのせいで」


 「非常に誠に申し訳ない……」


 結構執念深い性格なんですね。新しい一面が見れて良いような悪いような。


 「また一緒にやろうぜ、メンハン」


 「友達から始めましょうってこと……?」


 「友達で終わりましょうよ……」


 「なんかムカつくから諦めたくないかも」


 ポンポンと俺の頭を叩いて退けろと促してくる楓。

 ほんのわずかに名残惜しさを残しつつも体を起こすと、楓は立ち上がり俺を見下ろす構図となる。パンツ見えそうですよ。


 「私頑張るから。鹿河君のこと嫌いになったから、鹿河君の意にそぐわない事いっぱいしちゃうからね」


 「意にそぐわないって……たとえば?」


 「……下の名前で呼んでやる」


 「俺的には意に介しているのですが」


 「うっさい、彼方君のことなんて嫌いだ……」


 堂々と嫌がらせ宣言、最後には捨て台詞で走り去ってしまった。あとパンツ見えました。


 俺も帰ろう。深雪が待っている……はず。


 ☆


 夕日が沈み町には静けさが増す。

 寮に近づくにつれて足取りが重くなる。いつもより遅めの帰宅スピードだったが感覚的には早く着いた気がする。


 落ち着け大丈夫だ、俺なら出来る。改めて作戦をまとめるとこうだ。


① 「ただいま、朝の件は悪かった。本当にごめん」

② 「お弁当貰ってもいいかな? もちろん夕飯だっていただくさ☆」

③ 「やっぱりお前のお弁当が一番だぜ」

④ そして夜の帳へ……

 

 オーケー、完璧。頭の中で何度も再生したから抜かりはない。

 自室の前までたどり着く。今日はドクドクと心臓が忙しい、過労死しなければいいけど。


 扉を開け、俺は精一杯の笑顔を振りまいてみせる。


 「たたたたたたただいま」


 あいたたたー、やってしまいました鹿河選手これは手痛い。

 しかし、部屋の中には誰もいなかった。電気はついているので一度は帰ってきているご様子で制服も壁に掛けられている。


 肩透かしを食らいつつ部屋の中に入ると足に何かが引っ掛かる。こいつは……?


 「し、下着!?」


 見覚えのある女性ものの下着。こいつは前に一緒に出掛けた際に買った不道徳商品ではないか!? まったくけしからん、ここは俺が片付けておかねば……

 震える指先を制御しつつUFOキャッチャーの要領で宝物を掴み取る。これをあいつが履いているなんて、ちゃんと収まるのだろうかと余計な心配をしてしまう。

 俺が悶々とパンチ―を眺めていると扉が開かれる。


 「ただいまー。あれ、彼方帰ってたの?」


 「ぐにゃあああああああああ!」


  俺は慌ててパンチ―をポケットに隠してしまう。


 「どうしたの? 破綻したとき擬音なんか声に出して」


 「ん? おお、ちょっと作戦が瓦解しまして」


 「ふーん、今日はパエリア作っちゃうからね。お腹すいたよね」


 「お、おう。何か手伝おうか?」


 「急にどうしたの? らしくないよ」


 なんだろうこの違和感。ついさっきまで鎖国していたにも関わらず、何事もなかったように会話が出来てしまっている。思っていたよりも事態は深刻ではなかったのかな。


 しかし、問題はまた別にある。それはポケットの中に存在するパンチ―だ。これをどう処理するかで分帰路がわかれてしまう。

 正直に言って渡すべきか……だけど家族のパンチ―をポケットに入れているなんて変態じゃないか。平和的解決を狙うならば元の位置に戻すことが最善だろう。しかし、それではリスクが大きすぎる。本人の目の前にパンツ置くとかどんな状況だよ。

 寮の洗濯機は共同なので無暗にぶっこむことはできない。解決するならこの部屋の中で解決する必要がある。


 「あれ? この辺に僕のパンツ落ちてなかった?」


 「はいいい? なにを言ってるのだねちみは、パンツは履くものですぞ」


 冷静に対応してみるが内心ビクビクが止まない。先手を取られた気分だ。

 やろう……やるじゃない、先回りして俺の選択肢を潰してくるとはさすがは深雪。


 「おかしいなー、脱いでそのままにしちゃってたから……」


 「だらしないな、脱いだらちゃんと洗濯カゴに入れておけよ」


 「むう……彼方だってよく脱ぎっぱにするくせに」


 深雪がなにやら愚痴っているが、俺はそれどころではない。妙案だ、天啓がおりました。

 そう、洗濯カゴだ。カゴの中には何日分かの衣類が溜まっているのだ。単純明快、その中に紛れ込ませればいいだけだ。部屋中に盛大に洗濯物をぶちまけた後に 

 こっそりパンツを忍び込ませ難をしのぐ。

 俺は自分の閃きにニヤニヤしていると深雪は思いもよらないことを口にする。


 「まあいいや、別にもう履かないし」


 「おいおい、お前これからノーパンで生きていくのかよ」


 俺は粋なジョークで場を和ませようとするが、深雪の目は真剣だった。


 「違うよ。もう女装はしない、だからあれも履かないよ」


 「え……?」


 女装をしないと言った。それは当たり前のことで、今まで通りの生活をするだけだ。

 でも、深雪が女装をしている時の笑顔は俺の知らなかった顔。恥ずかしそうな顔も、拗ねている顔も知らない。あの顔が忘れられない、黄金色の記憶だ。手放したくないと思ったのに、俺の気持ちとは反し砂のように手から零れ落ちていく。


 深雪が深雪に戻っていくような感じがした。

 何がそうしたのかわからない。ただ、こうなったこいつは頑固だ。


 ふとゴミ箱を見ると、俺のお弁当は捨てられていた。

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