第4話 孤軍奮闘

 ――――なんでこんな目に会わなきゃいけないのっ。私が一体何したのよ。

 必死に後ずさりながら、アンジェラは自分に起こる理不尽を思った。

 ――――浮気されてた上に「相手妊娠させたからごめん結婚やめよう?」って結婚破談、クレーム処理でのサビ残ふざけんな、だけど明日は休みーって浮かれた帰り道で、どこぞの馬鹿野郎の車に引かれてあっさり死んだと思ったら――。

 ふつふつと何かが沸き上がる。

 それは恐怖で占められたアンジェラの感情を、無理矢理ねじ伏せ始める。

 ――――転生してて身体ぼろぼろでなんか訳アリっぽいわ、記憶は無いわ、怪我するわ、疲れるわ追われて殺されかけてるわさぁ…………。

 感情が爆発する。

 「むかつくんだよっっ!本当にいい加減ふざっけんなぁっ!」

 心の底からの怒り。

 怒りが、恐怖を完全にねじ伏せた瞬間だった。

 アンジェラは怒りに燃える金色の瞳で獣を睨み付ける。もはや怒りの大半は私怨ではあるがこの際関係ない。

 先程まで怯えて逃げるだけだった獲物が、突如吠えたことに戸惑ったのか、獣は歩みを止める。

 「私は、また殺されるなんて真っ平なんだよ!!!」

 言うが早いか、アンジェラは辺りに手を伸ばし、触れたものを片っ端から投げつけ始めた。

 草だろうと砂だろうとなんだろうとお構い無し。届かなくてもお構い無しだ。

 周りになにもなくなれば後ずさり、また手に触れたものを投げつけ続けた。

 そんなアンジェラに対し、獣は完全に油断していた。奮起した獲物の抵抗が、思ったより大したこともなかったから。

 避ける必要もない。当たってもその体躯を傷つける程でもなかった。

 だから気づかなかった。

 自分の眼前に、獲物の投石が迫っていたことを。

 絶叫。

 それは生き物から発せられるのかと思うほど、奇妙な音だった。

 アンジェラの投石は、見事に獣の左目を潰す役目を果たしていた。

 偶然、奇跡、ビギナーズラック、まぐれ。なんでもよかった。血を流しのたうち回る姿を尻目に、アンジェラはすぐに立ち上がろうとし――――そのまま前のめりにべしゃりと潰れた。

 気力は怒りで強制回復したが、疲労と体力は回復できていなかった。

 それでも必死に、生まれたての小鹿のごとく全身を震わせながらなんとか立ち上がる。

 ――――許さない。前世も今世も含めてこんな理不尽絶対許さない。絶対死んでやらない。たとえ運命とか宿命とかでも、んなもん知らないし。この世界で生きぬいて絶対幸せになってやる。邪魔なんてさせない。このまま終わってたまるか。

 復讐を誓う殺人鬼のような台詞で、そう強く決意するアンジェラ。

 その頭の中に、突然それは浮かんできた。

 無意識に大きく開かれた瞳、その左目だけが銀色に変わっていた。

 自分に向かって走る獣、何かを叫ぶ自分、獣が燃える姿、知らない誰かが獣を切る、第三者視点の四つ映像。

 映像と言っても音はなく、連続しても動いてもいない。

 細切れでぱっと出てはすぐに次に変わり、すぐに見えなくなってしまった。


「何今の……?」

 怒りすぎて無意識に都合のいい妄想をしだしたのだろうか。自分の妄想にしては妙に夢がなくていまいちぱっとしない。

 だが―――アンジェラには不思議な確信があった。

 中二病が騒いだわけでも乙女脳が弾けたわけでもない。

 自分の中の何かが、あの映像はこれから起こる未来だと告げていた。

 なら、何かを叫ぶ自分はもしかして――――。

 その思考を獣の咆哮が立ち切った。

 ゾッとするほど怒りに満ちた咆哮。

 自業自得の負傷でしょうよ、そんなことを思っても言える空気ではもちろんない。

 憎悪と殺意に満ちた右目で憎き相手を捉えた獣は、アンジェラに向かって躊躇わず一直線に向かってきた。

 逃げられない。

 だが同時に、なんとかなるとも思った。

 これは頭の映像と同じ状況。

 ならば――――

 「炎よ!!!」

 手のひらを獣の方に向け、力一杯アンジェラが叫ぶ!

 すると不思議なことに、獣の身体は轟音と共に炎に包みこまれ――――なかった。

 「嘘でしょ!?」

 驚きのあまり金の瞳が限界まで大きく開く。 それほどに間違いないと確信していた。

 自分は炎の魔法が使える。叫んでいたのは炎の呪文で、それで獣が燃えていたのだと。

 余談だが、アンジェラは前世の頃から割りと早とちりをする性分であった。

 進む方向性は間違っていないのでさほど被害は出ないのだが、考えるよりやってみる精神が災いして、

「あんたねぇ三十一にもなるのに、いい加減考えてから動かないと、いつかとんでもないことになるからね」

と母親によく呆れられていた。親もまさかこんなことになっているとは夢にもおもわないだろう。


 さらにアンジェラはいくつも失念している自分に今だ気づいていなかった。

 少なくとも以下の二つは現状最低でも考える必要があったと言える。

 そもそもこの世界に魔法が存在するのか、そして仮に使えたとして炎を出したのはアンジェラ自身なのかという二点である。

 考える時間がなかったと言えばそれまでだ。まぁ今言ったところでどうにもならないことがらではある。

 「じゃあどれ!?ファイア!メラ!ギラ!ファイアーボール!炎の矢!てか私じゃないのかあれっ!」

 思いつく炎の技を叫ぶが当然何も起こるはずもない。

 そして遅ればせながら事態に気づいたが、すでに獣は間近に迫っていた。

 それでも、アンジェラは信じた。

 自分の確信を。早とちりはしたが、あれは絶対におこる、だから自分は助かる。

 腹をくくれ。

 少し先の未来なら時間を稼ぐ。そのためなら腕の一本くらいくれてやる。

 死ななきゃなんとかなると、アンジェラは本気だった。


アンジェラ目掛けて獣が飛ぶ。

 アンジェラは腕をクロス、腰を落として防御体制を取った。

 絶対死なない。腕一本くらい死ぬより絶対まし!

「止まれ化け物ぉぉ!!」

 獣を見据え叫ぶアンジェラの左目が、銀色に再び変わるのとほぼ同時。

火炎球ファイアーボール!!」

 男の声と轟音が響いた。

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