第3話 満身創痍

 草、草、虫、草、虫、草。

 自分より背の高い草をひたすら掻き分け進む。

 当てもなく、ただ真っ直ぐ歩き始めてしばらくたった頃。

 子供が絵に描くような、激しく生い茂る草々が目の前に広がっていた。

 モンスターが飛び出してきそうな感じが満載、少なくとも虫は確実にとびだすと予想出来た。

 迂回することも考えなかった訳ではない。ただ迂回してもそれが正しいのかアンジェラには判断できない。ならばもうこのまま進む!と草むらへ進撃を開始したのだ。

 案の定、虫は出た。

 飛び出た瞬間に、驚きもせず無言で素手にてはたき落とせるようになるくらいには、大量に出てきた。


 どのくらい草を掻き分けただろうか。

 子供の足で進める距離はたかがしれているが、それでも結構すすんだだろうとアンジェラは思っていた。

 その証拠に、気づけば周囲が先程より暗くなってきている気がした。

 上を見上げ木々の隙間を見れば、心なしか空がオレンジ色を帯びているように見える。

 それを見て、だいぶ長いことよく歩いたなぁ、頑張ったなぁ、やれば出きるじゃん私と思い、アンジェラは我に帰った。

 「そうじゃないっ!!」

 このままだと間違いなく森は真っ暗になる。

無論、人工的な明かりなどない。

 明かりがない状態で森で過ごすなど何が起こるかわからない。

 もっと早く気づくべきだった。疲労と空腹で思考が麻痺し、進むことだけに集中しすぎた。

 アンジェラは急いで立ち止まり耳をすませてみた。

 もしかして人の声や水の流れる音が聞こえてくるかもと思ったのだ。

 水が流れてれば、川があり、その流れの先に人が住んでいる。と、本で読んだことがあった。

 だが人の声も水の流れる音も聞こえず、ただ風が草木を揺らす音だけが聞こえてきていた。

 「本格的にまずい」

 もたもたしているうちに日が暮れてしまう。

 せめてこの背の高い草を抜けたい。

こんな視界の悪いところで夜を過ごすなんて真っ平だ。


 アンジェラが急いで草を掻き分け出した時。

ガサガサと近くで激しく草が揺れる音がした。風は、吹いていない。

 ――――なに?

 キョロキョロするも草の背が高すぎて何も見えない。

 ――――気のせい……?

 だが確かに音はした。

 今も、先程よりも近くで揺れる音がする。

 ――――何か近づいてる。

 気のせいではない。

 アンジェラの持つ本能的な何かが、危険だと警鐘を鳴らす。どう危険かは解らない。だが、妙な不安が押し寄せてくる。

 とにかくここから離れようと、地面を一歩踏んだその時だった。

 その音を待っていたかのように、激しく草が揺れた。

 同時に重いものが地面を走ってくる振動が、地面を伝って身体に響く。

 ――――なんか来るっ!

 逃げることも構える暇も許さず、ひときわ大きな音を立て、アンジェラの頭上にに黒いものが飛びだした。


 それは黒い獣だった。

 大型の猫科を思わせる体躯。だが額から延びる一角が、ただの猫でないことを主張する。

 大きく裂けた口から牙を覗かせこちらに飛びかかってきていた。

 アンジェラは反射的に右に飛んでいた。

 飛んだ身体は軽すぎたのか、ごろごろと思いっきり転がった。転がる最中に頭をぶつけたがアンジェラは気にせず、勢いのまま立ち上がり、一切獣を確認せず一目散で駆ける。


 後ろは絶対に振り返らない。着いてきてるのは分かりきっている、振り返る暇など少しもない。

 現に後ろから走る足音が、きっちりついてきているのを感じていた。 

 だが、すぐに襲うでもなく、その足音は常に一定の間隔でついてきている。

 ――――遊び感覚!?てか何あれ!!

 アンジェラが疲れて止まるのを待っているのか、はたまた必死の様が面白いのか。

 獣は、この追いかけっこを楽しんでいるように思えた。

 迷惑極まりない。だが、止まるわけにはいかない。

 向こうにとって遊びでも、こちらは命がかかっている。

 そして、立ち止まったら最後、恐怖で動けなくなることもわかっている。体力的にもすでに限界である。今は、死にたくないと、気力のみで走っているにすぎない。

 まだ何も始まっていない。

 誰にも会ってないし、何にもしてない。自分が何者かさえわかってない。

 まだ幸せになってない。

 まだ死ぬわけにはいかない。

 アンジェラの頭の中はそんなことでいっぱいだった。

 アンジェラは走りながら出、きるだけ大きく息を吸い込んだ。

 「助けてぇぇ!!誰か!助けてぇぇぇぇっ!!!!」

 無駄かもしれないと思った。

 叫ぶより、黙って走ってた方が得策だったかもしれない。

 それでもアンジェラは出来るだけ大きく叫んだ。誰に届くように。


 しかし。

 それは長く続かなかった。

 叫んだせいか、ずきりと頭が痛みだす。

 アンジェラは反射的に手を伸ばした。

 痛むところをさすれば、妙に暖かくぬるっとした感覚がした。驚いて手を見ると、血がべっとりついている。

 それに気をとられた。

 「いぎゃっ!」

 アンジェラは勢いよく前に転んだ。足元の出ていた木の根っこに躓いたのだ。

 「痛っ」

 盛大に転んだアンジェラは呟きながら急いで身を起こす。

 どうやらいつのまにか草地は抜けていたようだ。もはやどうでもいいことではあったが。

 後ろから着いてきていた足音がすぐ側で止まるのを、アンジェラは聞いた。

 背筋に嫌な汗が伝うのがわかる。

 張り裂けそうな心臓の音が、さっきよりも鮮明に聞こえてくる。

 刺激しないようゆっくりと振り向けば、黒い獣が低く唸りながらこちらを見据えていた。

 今まで見たことのない生物。生物といっていいのかさえ迷う。

 ゲームや漫画の世界で見るような、異形な姿。

 それが今、目の前で自分を、狙っている恐怖。

 「……こ、ないでよ」

 身体はもう限界だった。

 足はもはや擦り傷切り傷で血が滲み、恐怖と疲れで震える。身体を支える腕も似たようなものだ。

 息は切れ、口の中からは鉄の味がする。

 獣が一歩ずつアンジェラに近づいてくる。怯える様子を楽しむように、味わうように。

 「こっちこないで!止まれって!くるな!」

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