第3話 些細な始まり
清くない潔子、一年生のころそう呼ばれた彼女の通り名のみ、瑛美は聞いていた。クラスが違うこともあり、わざわざ醜いと噂の潔子を見ようとは思わなかった。
そんな潔子の、外見ではない一端を知ったのは、ある雨の日だった。
その日は朝から雨が降り続き登校するのも億劫な状態で、瑛美がそれでも早くに学校に行きおそらく体育館の中で朝練をしている想い人を見たいという一心で最寄り駅まで歩いているときだった。ザーザーという大きな雨音の中で「にゃあ」という小さな声を耳にし思わず立ち止まった。
住宅街の中を歩いていた瑛美は、傍にある電柱の影に隠れて小さなダンボールが置いてあるのに気づいた。少し速度を落として近寄ると、やはり鳴き声はダンボールの中からしており、覗き込むと予想通り白い子猫がいた。
ダンボールの上の部分は開いており、雨がもろに子猫に当たっている。子猫は震えながら、まるで助けを求めるように、にゃあにゃあと鳴く。
「ベタにもほどがあるじゃない・・」
瑛美は雨音にかき消されるような声で呟くと、ためらいもせずその場を離れた。かわいそうだとは思うが、蓋を閉じて雨よけさせてやるために濡れそぼったダンボールに触ろうという気持ちほどはなかった。自分が子猫を捨てた主だと思われてはたまらないという利己的な気持ちは強かった。
そして瑛美は離れたあと、子猫のことをカケラも思い出さなかった。当時片思い中の裕也に今日はどのような言葉を投げかけようか、と胸をときめかせていた。
帰りも雨足は朝と同じ状態だった。瑛美は最寄り駅に着いたとたんふと朝の出来事を思い出したので、わざと別の道を通って帰ることにした。ダンボールの中を覗き込もうとは思っていないが、だからといって死骸になっているかもしれない生き物に遭遇するルートを通ろうとは思わない。瑛美は公園の傍を通るルートを選んだ。
そこで、瑛美は潔子に初めて出会った。
正しくは、瑛美が潔子を公園の入口で見かけた、が正しい。潔子の外見は聞くのが嫌になるほど聞いていた。どこぞの幽霊映画のように真っ黒で背中まである縮れた長髪、スカートを折ることもせず、膝下20cmくらい隠れた自分の高校のスカートの丈、そして今日入った情報「傘をささずに登校し、頭からずぶ濡れになっていた」。ビンゴで潔子だと瑛美は思った。
潔子は公園の中の、藤棚の下にいた。藤棚の下のベンチの傍にしゃがんでいた。帰りも雨に相当打たれたらしく、黒髪はべっとりと制服にまとわりついており、霞んだ視界の相乗効果で本当に幽霊のように見えた。
その幽霊が何をしているのか単純に気になった瑛美は、しゃがんだ潔子の顔が見える位置取りをしようと、潔子との距離はそのまま維持しながら歩いた。歩くにつれて、潔子が黒い丸いものに隠れた茶色い箱のようなものを覗き込んでいるのがわかった。黒いのは傘、茶色い箱はおそらくダンボール。
そこで、瑛美は気づいた。潔子は登校中に子猫を見つけ、ダンボールを公園の藤棚の下まで移動させたうえに、自分の傘までダンボールの上に差したことに。
潔子は子猫を助けた。瑛美は、助けなかった。
潔子は、子猫を雨の当たりにくい場所に連れて行きあまつさえ自分の傘さえ与えてやる人間だった。
瑛美は、自分がまるで何かをおっことした感覚に陥った。
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