第2話 潔子
潔子は醜い。性格ではなく、容姿が醜い。潔癖、清潔などを表す「潔」の字を兼ね備えているくせに、身だしなみには興味がないのか常に寝癖がついている。深緑色の制服の襟元はふけらしき白い粉状のものが付着している。うわさでは、いじめによって上級生男子からレイプされたとかどうとか。清くない潔子。クラスメートから嘲笑を受けながらそう呼ばれる。 潔子はただ、黙って下を向くだけだ。 長い髪の毛が顔の周りを覆い、表情は見えない。
なぜ親は彼女を潔子と命名したのか。なぜ命名したくせに、最低限の身だしなみもできない教育を施したのだろうか。とことん謎である。謎な潔子。清くない潔子。大っきらいだ。
だから瑛美は、潔子の頭の上に自分の飲みかけのジュースを垂れ流す。やりすぎ。ウケる。香水がわり?クラスメートの揶揄する声を背に、瑛美はグロスを塗った唇を緩やかに吊り上げる。
「あらぁ、ごめーん比良坂さん。あんまりにもひっどい匂いがするから、ゴミ箱かと思って間違えちゃった」
「………」
語尾を上げ、文字で表現するなら間違いなくハートマークがついてくるような甘い声で笑う瑛美を潔子は一瞥する。束の間交差する視線に、瑛美は大嫌いの感情を乗せる。視線を先に逸らした潔子は黙って教室を出ていく。
「あーあ、出て行っちゃうの?せっかくフルーティーな匂いになったのにもったいなあい」
どっと噴き出すクラスメートに満足そうに笑えば、瑛美は黙って消えた潔子の背中の残像を追った。ジュースに濡れた長い黒髪の姿は、柳の下に佇む幽霊の絵姿そのものに思えた。
美しい者は学校という小さな社会で、生きていくためのヒエラルキーの頂点に立つことができる。それは絶大なる権力。生徒からも教師からも一目置かれることができ、かつ贔屓もされる。今回の瑛美の行動も、誰もチクらなければ、お咎めもない。
瑛美は自分の見た目が周りから称賛される類に入ることを自覚している。だからこそ、周りが望むように振る舞うことを常に意識している。堂々と立ち笑顔で愛想を振りまき、受けるすべての賛辞を自分の自信に変えていく。逆にそんな容姿を持っていない醜い者は、淘汰されなければならないとさえ思う。ただ現実的に考えれば、淘汰することは不可能だからせめて美しい者の引き立て役になるべきだと思う。
しかし、潔子は違う。淘汰されるどころか、引き立て役にさえならない。瑛美とは逆の方向で存在があまりにも目立つのだ。だから瑛美は潔子が嫌いだ。
「…でね、私オレンジジュース潔子にぶっかけっちゃってさぁ。潔子何考えてるのか知らないけどね、こーんなお化けみたいな恰好で教室出て行っちゃったのよー」
「ぶっは。潔子まじでキモい。やべぇー」
きゃらきゃらと笑いながら瑛美は両手を上に掲げてうらめしやのポーズをする。それに合わせて瑛美の彼氏の裕也も笑う。放課後の帰り道はよくそうやって潔子をネタにして笑いあうことが多い。
「けどさ、それでもアイツすげー賢いんだろ?この前の全国模試だっけ?それで1番取ってなかったっけ?」
「そうそう。こぉーんなに毎日私たちがかわいがってあげてるのさ、成績はほんとかわいくないんだよ、潔子。」
「ははっ。成績は、じゃなくて成績も、だろ?」
もーやだぁと言いながら、瑛美は笑う。裕也との時間だけは、心から楽しめる時間だ。ぴたりとくっつき腕に腕を絡めながら下校する。女子高校生にとって大切なことは、ダイエットとメイクと恋愛を含めた狭い人間関係だけだ。そしてそれこそが、トップに君臨するキーポイントとなる。
その世界に異質な潔子は要らない。潔子をこの世界から追い出すそのためだけに、瑛美は今日も嫌がらせを考える。
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