#1スターティンググリッド

ノイジー・エナジー #1スターティンググリッド


★本作品はフィクションです。実在の人物、団体、出来事、法律などには一切関係ありません。法令を遵守し交通ルールを守りましょう。


#デビュー!


 こんにちは。アタシは晴海ちえりっていいます。高校一年生です。やっと普通二輪免許を取りました。早生まれで良かった。四月二日に生まれたから、同学年では一番年寄りとか、春休みで友達に誕生日を祝ってもらいにくいとか、あんまりいいこと無かった気がするけど、免許と選挙と成人の権利は誰よりも早くゲット出来る!まぁ、定年も誰より早いらしいけど、それは置いておきましょう。


 とにかく、十六歳の一ヶ月前から自動車教習所に入学出来て、春休み中に、高校の入学式の前に免許が取得出来るなんて!母さんには第一志望の公立高校に合格したら、免許の費用は出してくれる約束を取り付けて、高校受験が終わるや否や、教習所に通い詰めました。


 春休みはみんなが教習所に殺到するのか、凄い混雑でなかなか技能の予約が取れなかったけど、キャンセル待ちも活用してなんとか卒検までこぎつけたよ。学科の勉強も試験勉強より集中してやったかも?お陰さまで今日は出来たてホヤホヤの免許証を手に、ホクホクしながら運転免許試験場から帰宅途中。


 今週は教習所に通いながら、暇を見つけては父さんのNSR250Rを整備したんだ。しばらくエンジンも回して無かったし、埃を被っていたから結構手間がかかっちゃった。綺麗にはなったけど、キックじゃエンジンが掛からなかった。今日は押しがけを試してみよう。オイルとガソリンは入ってるから、バッテリーだと思うんだけど…。それでも駄目なら、バイク屋さんに持って行かなくちゃ。


「ただいま!」

 アタシのウチはラーメン屋さん。お店の名前は『はるみ屋』。母さんがお店に出る様になってからは、ラーメンよりも定食の方がメインで出ているらしい。母さんの八宝菜とか、酢豚とか美味しいんだよ!今度食べに来てよ。オマケしちゃうよ。って、アタシは誰と話しているのかな?とにかく、アタシは帰宅して表通りのお店から入っていった。


「おかえりなさい!どうだった?」

 母さんと姉さんが店に出ている。お店はお昼の混雑が終わって、今はお客さんはいない。母さんは桃って名前で、姉さんは杏。アタシはちえりだけどチェリーをもじったらしい。果樹園か?ふたりはそっくりで女の子らしくって可愛いんだけど、アタシは父さん似で男の子っぽい。ちょっと残念かな?姉さんは短大に通いながら、調理師専門学校にも通って調理師の免許を持ってる。凄く頑張ってるし、いろいろ考えてて偉いんだよ!アタシは頭が上がりません。


「へっへぇー。」

 アタシは得意気にポケットから、出来たてホヤホヤの免許証を取り出した。

「お約束通り、一発で合格致しました!」

 姉さんが、サッと免許証を取り上げてじっと見た。あ~、写真だな?

「ぷっ!ちょっと、目ぇ開き過ぎよ。ちえりちゃん、気にし過ぎじゃない?」

 むぅ。やはり、そこは突っ込み所だよね。アタシは母さんや姉さんのような、二重まぶたのぱっちりお目目じゃない。一重でちょっと釣り目なので、写真の時は一生懸命に目を見開いてしまうのだ。


「いやいや。お姉さま、いつも通りですよ。アタシの写真はこんなモンです。」

 姉さんはニヤニヤしながら、免許証を母さんに渡した。母さんは写真をじっと見ると、フゥと溜息をついてアタシに寄こした。

「ちえりは父さんの面影があるよね。身長もあるし、かっこいいと思うよ。女の子にモテるでしょ。」


 まぁ、中学でバレーボール部やってた時、バレンタインデーに女子からチョコもらった事はありますけど…。アタシは身長165センチ、体重はナイショ(たぶん身長の割りには軽い方…)、体型は…ス、スレンダーな感じ…かな?ハハハ…昔からゴボウって言われてました…。胸はありません…。小学生の頃は髪もショートだったし、活発だったから、よく男の子と間違われました…。


 なので、中学からは女の子らしく長くのばして、今は背中まであります。ちょっとクセっ毛であちこちハネちゃうから、朝のブローが大変なのです。ちなみに母さんと姉さんはそれぞれ、155センチと160センチだから、まぁ普通。父さんが180センチだったから、アタシはそっちの血が濃いらしい。


 そんなことより、今日はやりたいことがあるのよね。

「あのさ、まだ夕方まで時間あるから、ちょっとバイク出していいかな?」

 母さんはアタシをじっと見た。目がしょうがないなと言っている。

「出かけるなら、父さんに報告してから行きなさい。それから、今日はその辺にしておくのよ。」

「やった!母さんありがと!」

「あと、今日はちえりの誕生日なんだから、早く帰っておいで?餃子パーティーするからね。」


 餃子パーティー!アタシの大好物だ!

「母さん!分かった、早く帰るよ。待っててね。」

 アタシは店の奥から二階の自宅に上がると、居間に向かった。居間の壁際に小さな仏壇が置いてある。小さな位牌と小さな写真が仏壇の中にある。写真はアタシの大好きな…大好きだった、父さんのモノだ。アタシは免許証を仏壇に一旦お供えすると、チンと鈴(りん)を鳴らし、手を合わせた。


「父さん。免許取ったよ。今から父さんのバイクを貸してね。大事に乗るからね。見守っていてね…。」

 ちょっと、言葉に詰まった。

「ホントは…父さんと一緒にバイクでお出かけしたかったなぁ…。」

 ちょっと、寂しくなった。

「もっと…一緒に居たかったなぁ…。」

 ちょっと、涙が溢れた。


 未だに信じられないけど、父さんはカブで出前の配達中に交通事故で亡くなってしまった。一昨年の冬、アタシが中学二年の冬休みだった。


 アタシは小学生の時から父さんとバイクを教えてもらった。もちろん、免許が無いので公道は走れないから、サーキットで走ったんだ。ポケバイ、ミニバイクと乗り継いで、中学に入ってからはバレーボール部であんまり乗れなかったけど、NSR250Rに乗りました。


 父さんは学生の頃からバイクが大好きで、峠の走り屋だったらしい。社会人になって一度止めたけど、アタシの幼稚園の友達のお父さんがGPZに乗っていたのを見て、NSRでリターンライダーデビューしたんだ。NSRにこだわるのは、昔親友がバイクの事故で亡くなった時に、その御家族から譲り受けたのがきっかけだそうだ。今のNSRはもちろんそれとは違うけど。


 父さんはお仕事を凄く頑張っていたけど、40過ぎてバイクに乗り始めてから好きな事をする事に決めたみたい。トランポまで用意してサーキットに行って走ったり、脱サラしてラーメン屋になったり、アタシ達姉妹をバイクに乗せてみたり。お金も掛かったはずだけど、サラリーマン時代に相当頑張って貯めたって母さんが言ってた。


 父さんが亡くなった時、お店を畳むとか、遺品を処分するとか、いろいろあったけど、母さんはお店を続ける事にして、遺品はいろいろあったけど、アタシはNSR250Rを遺してくれって泣いて頼んだんだ。父さんがバイクで亡くなったから、母さんも心配したと思う。でも、父さんと一緒に走った思い出は取って置きたかったから。


 アタシは気を取り直して、免許証を仏壇から下げて身支度を始めた。バイクウェアは身近な素材を再利用した。四月とはいえ、春先はまだバイクには肌寒い。タートルの暖かインナーを着込み、パーカを羽織る。その上に部活で使ったネイビーのウインドブレーカー。背中の学校名や女子バレー部の文字は剥がした。


 最近は女子向けのカッコ可愛いモノがあるけど、それはバイトで稼いでから。ボトムスはシンプルにブルーの防風ジーンズ。念のため、タイツを着用する。靴はバイク用は値段が高いので、一般的なちょっとカッコ良さげなブーツ。ただし、ヒールは低め。グローブだけはバイク用で、スリーシーズン向けのナックルプロテクター付きナイロン製。


 ヘルメットはフルフェイスにするか迷ったけど、アイボリーのジェットタイプにした。シールドはミラータイプ。滅多に面は晒さないよ。そうそう、お気に入りのさくらんぼのステッカーも貼ってあります。免許証やお財布は小振りのウェストバッグにしまい込んで準備はオッケー。


 身支度を終えると、アタシは店の裏手のガレージに向かった。ガレージは屋内で屋根とシャッターがついている。ガラガラとシャッターを開けると、片隅で真っ赤なNSR250Rがピカピカになって待っていた。アタシが綺麗にしたんだから当たり前だ。


「さぁ!お出かけだよ。元気出してね?」

 NSRに声を掛ける。問題のエンジン始動だ。凄い久しぶり。まずはキックで掛かるかやってみよう。イグニッションキーを差し込み、キックレバーを蹴飛ばす。


 スコココココ…

 何度も試みるが、一向に掛かる気配が無い。ランプ類は点灯するけど弱々しい光り方だ。チョークを使ったりしたけど、エンジンはダンマリを決め込んでいる。

「暑い…。」

 ウィンブレを脱いで、手でパタパタと顔をあおぐ。まだ着るんじゃなかった。


「押しがけかな?」

 ガレージの前は4メートル道路の裏通りで、あまり車は通らない。アタシはNSRをガレージから車道に持ち出す事にした。

「よいしょ。」

 ギッ。カコン。

 ハンドルと腰を使って、サイドスタンドにもたれていた145キロの機械を引き起こし、足でスタンドをはね上げる。


「よ。」

 ハンドルを押すと、NSRはちょっと抵抗した後、動き始めた。

 シャリシャリシャリ。ブレーキが軽く擦れる音がする。

 カラカラカラカラ。リヤスプロケットがチェーンとフロントスプロケットを動かしている。


 アタシはNSRを車道の端に寄せ、車が来ない事を確認すると、クラッチレバーを引き、ギアを二速に入れて、猛然と押し始めた。

 カラッ、カラッ、カラカラカラ…。

 十分に行き足が付いたところで、ガバッとNSRに飛び乗って跨り、クラッチを緩める。

 グゥッ!ガボッ、ガボガボガボ…ボルルン!

 半クラッチが繋がった抵抗の後、何度か空回りしたエンジンに火が入った!クラッチを切り、アクセルを軽くあおる。

 ボボボボボボ…ベベベベベベ…ビビビビビィンッ!ビィーン!


「やったぁ…。よかったぁ…。」

 NSRが生き返った!マフラーからは真っ白い煙が盛大に吐き出されている。裏通りは煙幕が張られたように視界が悪くなってしまった。

「あちゃー…。近所迷惑かな?」


 と、そこへ、おあつらえ向きに春の風が吹いて来て、煙を吹き飛ばしてくれた。これならしばらく暖気していても大丈夫だろう。アタシはバイクをガレージの前に戻して、エンジンは掛けたまま、再び身支度を始めた。脱いだウィンブレを羽織り、長い髪をゴムで簡単にまとめてヘルメットを被り、グローブを付け終わると、大分煙りは薄くなり、アイドリングも安定した。


 ボロッボロッボロッボロッ。

「じゃあ、行きますか。」

 アタシは裏通りを静かに走り始めた。公道デビューだ!


 とりあえず初日だし、その辺の裏通りを流そうと思ったけど、ちょっと大きな道路を走ってみたくて、尻手黒川と国道246を走ってしまった。バイクの運転自体はサーキットで走ってたから問題無かった。でも、信号、右左折、渋滞で半クラッチの頻度が全然多い。あと、標識、標示に目がついていかない!特に大きな道路の交差点!一瞬で全ての標識、標示を残さず読み取って、運転するなんてムリ!慣れた所ならまだしも、初見では絶対ムリ!それから、歩行者、自転車!アイツらにも免許証が必要だ!交通ルールを守れない人達は道路に出ないで下さい!


 今気づいたけど、サーキットって、何て安全なんだろう。対向車もいないし、二輪と四輪が一緒に走る事も無い。速く走ろうとするから転倒とかするんだけどね。


#化学者


 小一時間走って、公道の雰囲気に慣れたところで、ちょっと友達に自慢したくなった。友達んち近くのコンビニに駐車して、小学生から友達の夏子にメッセージを送ってみた。父親同士がバイク友達で一緒にサーキットを走ったし、中学では一緒にバレーボールもやったし、高校も何故か同じ。夏子は頭いいから、もっといいとこ行くと思ってたけど…。お!お返事来た。やた!行っていいって。アタシは夏子のマンションに向かった。


「ちえり、久しぶり。」

 アタシが到着すると、夏子が一階まで迎えに来てくれた。昔からクールな娘だったけど、最近はいい女の雰囲気を醸し出し始めた。身長は160センチでアタシの姉さんと同じくらい。肩までの綺麗なストレートの黒髪。知性を感じさせるキリッとした眼差し。すぅっと通った鼻筋に少し薄い唇の上品な口元。細くて長い四肢と、スレンダーだけどメリハリのあるボディ。要するに美人なんだよ。なんだけど…。


「えへへ。ちえり、ちょっとエンジン掛けていいかな?」

「出た。相変わらずだねー。」

 アタシはキックでエンジンを掛けた。ここまで走ってきたNSRはキック一発で始動した。

 ボボボロン!ボロボロボロボロ…。

 マフラーからは薄い白煙がポポポと規則正しく吐き出されている。夏子はマフラーの後ろに回るとクンクンと排気ガスを嗅ぎだした。ガソリンとツーストオイルの焼ける匂いがする。

「いい匂いだねー。オイルはいつもの?」


 夏子はケミカルというか、化学が好きな、変なところがある。小学校でも中学校でも理科室に入り浸って謎の実験を繰り返していて、時々爆発事故を起こして先生に目を付けられていた。シャーロック・ホームズ好きなので、その影響らしい。

「うん。いつものだよ。父さんがこれじゃなきゃって。」

 夏子がしまったって顔した。アタシが父さんの話を出すのを気にしている。

「ちえり、ありがと。もういいや。ガソリンもったいないしね。ちょっと上がっていきなよ。」


 アタシはちえりのマンションにお邪魔した。

「こんにちは、ご無沙汰してます。」

「ちえりちゃん、いらっしゃい。久しぶりね。合格発表以来かしら?皆さんお元気?」

「あ、はい。元気です。」


 リビングに入って、夏子のお母さんにご挨拶。父さんが亡くなった時、夏子の両親には色々お世話になった。特に父さんとバイク友達だった夏子のお父さんは、トランポとかバイク関係の整理を引き受けてくれて、母さんもアタシも随分助かったみたい。


「こんにちは。」

 テーブルに腰掛けていた、夏子の弟くんが挨拶してくれた。

「こんにちは。春男くん、邪魔してゴメンね。」

「とんでもないです。大歓迎ッス。」


 夏子に似て姿形の整った可愛い男の子で、小さい時からアタシに懐いてくる。夏子がメンタル落ちてて部屋に入れてくれない時、心配している春男くんにハーモニカを教えてあげたりもした。まだあどけなさは残ってるし、かなり細いけど、身長は夏子と同じくらいある。


「今年は受験生だよね?どこ狙ってんの?」

 弟くんは、つ…と目を逸らして少し恥ずかしそうにした。

「…姉貴と同じところでも、いいかなって…。どう思います?」

 どう思いますって、アタシの目を覗き込んでいる。なんだか、子犬みたいで可愛いんだけど。


「じゃあ、アタシの後輩になるんだ。嬉しいな。」

 って、アタシは素直に喜んで、頬が緩んでしまった。

「…あ、頑張ります…。」

 あれ?弟くんがぷいっとあっち向いちゃったよ。


「ちえり、こっち。」

 夏子が可愛いティーカップをトレイに乗せて手招きしている。アタシは夏子の部屋に入っていった。

「お邪魔します。」

「どうぞどうぞ!テキトーに座って!今コーヒー入れるからね。」


 小学生の頃から来てるけど、相変わらず可愛い実験室だ。勉強机とベッドは普通なんだけど、サイドテーブル代わりにステンレス製の小さなワゴンが置いてある。天板の上はテーブル代わりなので、さっき持ってきたティーカップが置いてあるだけだ。でも、その下に二段ある板の上にはビーカーとか、三角フラスコとか理科の実験で使う器具が置いてある。出窓には試験管立てに立てた試験管に小さな花が一輪挿しで並んでいる。勉強机の上には三角フラスコにペンが立ててある。その横にはゴム栓をした謎の紫色の液体の入ったフラスコがある。ふと、天井を見ると真新しい煤の黒い跡を見つけてしまった。足元のフローリングにはいくつものシミがある。


「ねえ、あの液体はなに?危険物じゃないよね?」

 アタシは恐る恐る聞いてみた。夏子はワゴンからサイフォンを取り出しながら、机を振り返った。

「あー、あれはまだ研究中の添加剤なの。ガソリンの燃焼効率を上げて爆発的にパワーアップするの。完成したらNSRに入れてあげるよ。」

 アタシは悪い予感しかしなかった。

「え、遠慮します…。」

「そお?」


 夏子は上皿天秤の秤と分銅を使って、コーヒーの粉をパラフィン紙に乗せて計量し、目盛り付きビーカーで水を計ると、サイフォンにセットした。そして、アルコールランプを持ち上げるとちゃぷちゃぷと振った。

「ちょっと足りないかな?」

 ワゴンの下の段から燃料用アルコールを取り出すとランプの蓋を開けて、とぽとぽと継ぎ足した。


「あ…」

 ダボッと勢い余ってアルコールが溢れた。夏子は布巾でササッと拭き取ると、チャッカライターをとりだした。アルコールランプをサイフォンの下にセットしたところで、夏子は机から眼鏡を取って掛けた。アタシはサァーっと血の気が引く音が聞こえた。


「ちょっと待って!夏子?爆発するの?」

 夏子の視力は両目とも1.5で乱視も無い。眼鏡を掛けるのは目を守るためだという事を今までの付き合いで知っている。

「あぁ、大丈夫。火を付ける時は眼鏡を掛けるようにしたの。念のためよ、念のため。」


 夏子は改めてチャッカライターを掴むとアルコールランプに火を付けた。アタシは顔を背けて、手をかざして爆発に備えた。カチッ。夏子がアルコールランプに着火した。幸いな事に拭き残したアルコールに引火する事もなく、サイフォンはこぽこぽと湯を沸かし始めた。熱湯が上に上がるとコーヒー豆と混じり合い、部屋をコーヒーのいい香りで充たしていった。


 その間にアタシは夏子に免許証を見せたり、今日の公道デビューの感想を話していた。

「いいなぁー。私も早く生まれてたらなぁ。七月まで待つのかぁ。」

「まあまあ、こればっかりは仕方ないじゃない?」

 入れたてのコーヒーにアタシはたっぷりと砂糖と牛乳を入れ、夏子はブラックで飲みながら、バイクの話しは尽きない。


「ねえ、後ろに乗せてくれない?」

「まだ駄目です。二人乗りは免許取得から一年経過しないと。」

「ケチ!」

 とか言っているうちに部屋は暗くなり、そろそろお暇のお時間になりました。


「夏子、またね。」

「うん。ちえり明日はどうするの?」

「明日は、ちょっと遠乗りしようと思うんだ。」

 バイクの免許を取ったら、一番に行きたかった所がある。夏子には別に内緒にしたい訳じゃないけど…。なんか気を使わせるかもしれない。

「そっか。じゃあ、次は入学式だね。気を付けてね?」

「うん。またね!」

 アタシはNSRを始動すると、家路についた。


 帰り道、街灯の少ない裏通りでアタシはNSRの弱点を思い知った。

「エエッ!本当にライト点いてるのコレ?メットのスモークシールド上げても全然見えないじゃん!」

 今まで、お天道様の下でしか乗っていなかったアタシは、NSRのライトが原付並の光量しかない事に気が付かなかったんだ。明日の朝は早く出発して、日が暮れる前に帰って来ようと決意したちえりであった。


「ただいま!イエー!餃子パーティ!」

 家に着いたアタシは空腹でお風呂に入るのももどかしく、カラスの行水でソッコー出ると、お店を覗き込んだ。

「ちえりちゃん、はしゃぎすぎ。餃子好きだねぇ。」


 お店は早めに閉めて暖簾もしまってある。お客さんもいない。姉さんと母さんが餃子の皮に中味を詰めている。うちの餃子の餡はよそ様の餃子のように凝ったもんじゃなく、豚ひき肉とニラだけというシンプルなモノ。冷めると硬くなっちゃうけど、熱々を食べると美味しいんだ。


「アタシもやろうかな?」

「当たり前でしょう?自分の分は自分で包んでね!」

 姉さん、厳しいよ。

「イイじゃん!今日は誕生日なんだから。」

 アタシはぷぅって膨れて見せる。うちのルールでは自分の餃子は自分で包まなくちゃいけない。でも、今日は誕生日だから特別に包まなくてもいいの。とはいえ、待っているだけではなかなか口には入らない。


「じゃあ、5個だけ作ろうかな?」

 母さんの横に並んで餃子を包みはじめた。

「フフフ、ちえりはその十倍は食べるじゃない?」

 と、母さんが可笑しそうに笑う。

「母さん!最近はさすがにそんなに食べないよ。」

 母さんはクスクス笑いながら、餃子を鉄板に並べ、コンロに火をつけて焼き始めた。

「そうね。最近ちえりはご飯も食べるからね。」


 そう、小学生までは餃子の時はご飯は食べなかった。中学生になって部活を始めてから、たっぷりとラー油としょう油とお酢を絡めた餃子を、白いご飯に乗っけて食べる美味しさを知ってしまったの!今ではご飯のない餃子パーティは考えられない。でも、もう高校生だしね。次の誕生日からは気をつけよう。今日はいっぱい食べるんだ。


 母さんを挟んで三人で並んで餃子を作ったり、小さな食卓をみんなで囲んだり、姉さんがこっそり買ってきたケーキが冷蔵庫から出てきたり…。今年の誕生日は久しぶりに楽しくて嬉しいな。明日は初めてバイクでツーリングだ。晴れたらいいね。


#246


 翌朝は、朝日と共に目覚めた。今日は快晴!ツーリング日和だ。昨夜、部屋の遮光カーテンを明け放しておいたので、イヤでも朝日が目に入ったんだ。おかげで眠いけど、たっぷり時間がある。高速道路は早いけど、まだバイトも始めていない生徒には贅沢だ。なけなしのお年玉は、燃費の悪いNSRのガソリン代に消えてしまうハズ…。


 夏にはカッコイイジャケットも欲しいし、その内新しいレーシングスーツも欲しくなりそうだし…。バイクって、お金かかる。アタシも父さんのNSRが無かったら、こんなに早く運転することは出来なかった。バイク買うためのバイトで一年くらい掛かったかもしれない。父さん、ありがとう!今日はそんなお礼も言いに行くんだ。


 という訳で今日の初ツーリングはお墓参りです。アタシは眠い目を擦りながら、仕度を始めた。ウェアは昨日と同じだけど、ネックウォーマーを追加。ホッカイロも背中に貼り付けて、気休めだけど使い捨てマスクを付けて、準備OK!この時期の富士山を舐めちゃいけない。一昨年の春休みに富士山の麓のサーキットで走った時にすごい寒かった事を覚えてる。


「ちえり、早いね。本当にバイクでお墓参り行くの?」

 母さんが起きてきた。今日も朝から市場まで食材の仕入れに行くんだ。アタシは墓参りとは名ばかりの単なるツーリングだから申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「うん、行ってくる。」

「あ、ちえり、ちょっと待ってて。」

 母さんは一度部屋に戻ると、お財布を持ってきた。

「はい、お花代。お釣りでちゃんとお昼食べなさい?バイクに夢中でお昼食べなさそうだからね。」


 アタシの申し訳ない気持ちはMAXになって、思わず抱きついてしまったよ。

「ありがと、夕方には帰って来るからね。」

「全く、ちえりは甘えん坊ね。気をつけるのよ。一般道はサーキットとは違うんだからね?」


 そんな感じでアタシはNSRと出発した。始動はやっぱり少し手間取ったけど、チョークを使ったら割りとアッサリエンジンは掛かったのでよかった。白い煙幕に隠れながら、裏通りから国道246号を目指して走った。


 国道246号に入るとまだ六時前なのに車はそれなりに走っている。片側二車線で直線的な道路の流れは結構速い。アタシはとりあえず前の車についていく事にした。いきなりスピード違反はしたくない。江田駅東の交差点を過ぎると、暫くアップダウンのある直線が続く。


 坂道を駆け上がると遠くに富士山が見える。行き先が見えるというのはなんか良い。目標に近づいている事が実感出来る。青葉台、長津田を過ぎ、国道16号との交差点の近辺には、バイク関係のショップが目に付く。そのうちに寄ってみよう。その前にバイトしてお金を貯めないと!


 16号のバイパスと旧道を跨ぐ陸橋を越えると道路は地下に潜った。おお、暗い…。昨日気付いた通り、NSRのライトは点灯しているものの、あんまり役に立っていない。トンネルを抜け深見西の交差点を越えると、道は小田急線の下を潜る半地下構造の1キロ近い直線道路になり、車の流れは俄然速くなる。


 直線を抜けると座間、海老名の市街地。この辺に来ると車が多くなってきた。やがて道路は相模川に向う下り坂。この辺だと相模川の向こうに厚木市街とその先に丹沢山地が一望できる。その奥に今日の目的地の富士山を再確認した。


 相模川を渡り国道129号と合流すると、道路は片側三車線と幅広くなり、厚木の市街地に入った。車は更に増え、追越し車線はビュンビュン飛ばすし、外側の車線は左折する車でつっかえる。内側二車線は陸橋を越え、外側の車線は側道だ。アタシはドコを走るか迷ったけど、結局真ん中の車線を大人しく走る事にした。


 しばらくすると厚木警察署が現れた。白バイやパトカーは待機していなかったけど、妙に緊張してしまった。いや、アタシは悪い事はしてませんよ!


 厚木市街地の最後の陸橋で国道246号は側道に入る。陸橋を真っ直ぐ行くのは国道129号で湘南方面だ。そのうち江ノ島辺りも走ってみたいな。246はここから片側一車線になる。いきなりローカルな道になってしまった。東名高速を潜り、愛甲石田の駅前を抜けると、しばらく真っ直ぐな道が続く。右側に大きな病院が見える。その手前にファーストフード店を見つけた。そろそろ真っ直ぐな道も飽きてきたし、左側に出てきたら一休みしよう。


 坂道を登ると右側に伊勢崎警察署。登り切ってゆるゆる行くと再び東名高速が現れる。左に曲がると鶴巻温泉。道なりに右に曲がり、東名高速の下を潜って行くと、長~い登り坂。お、途中にバイク用品店発見。でも気にせずどんどん登っていく。かなり登ったところでトンネルが口を開けている。トンネルを出ると正面に富士山。また少し近づいて、秦野市に入った。


 今度は長い下り坂。下って下って、名古木の交差点。右に曲がるとヤビツ峠。今日は道なりに直進だ。再び坂道を登り切るとゆるゆるとしたアップダウンのあと、右側に秦野警察署が見えた。警察署多くない?その向かい側に営業中のファーストフード店を発見。うちを出てから一時間半くらい。朝の空気で冷えた身体を暖かめておこう。


 アタシは一息入れる事にした。バイクを駐輪場に止め、ヘルメットにグローブとネックウォーマーを詰め込んでホルダーにロックすると、暖かい店内に入った。まだ店は人もまばらだ。アタシはコーヒーとマフィンを買って席に着くと、少し冷えた両手を暖かいカップであたためた。はぁ、落ち着く。しばらくして、マフィンをかじって、少し冷めたコーヒーをゆっくり飲みながら、アタシはスマホを取り出して、この先の道のりを確認した。第一目的地の御殿場辺りまでの半分くらいは来た。ここからは市街地も少ないし、一時間もすれば到着するだろう。アタシはコーヒーを飲み干すと、トイレを使ってから出発した。寒いから仕方ない。


 秦野の市街地を抜けると、緩やかなワインディングが松田まで続く。別に飛ばす訳でもないけど、バイクに身体を預けて曲がるのは楽しい。道は川沿いになり、東名高速を潜って右に曲がる。左に行くと松田インターだ。この先は山北辺りまで御殿場線沿いにほぼ真っ直ぐな道。左側に松田や山北の街並みが見渡せる。長い直線の後、道は御殿場線を跨ぐ陸橋を上がって徐々に山間の道となる。酒匂川の川沿いを山肌の道と陸橋で繋げた道を登っていく。この辺の山と谷を抜けて行く感じは嫌いじゃない。


 幾つかのトンネルを抜け、東名高速を潜ると清水橋の交差点。右に入ると丹沢湖。アタシは赤信号で止まった。いつの間にか、後ろにバイクが一台いた。恐らくナナハン以上の大型ネイキッド。ここで丹沢湖方面から軽トラックが入って来た。地元の農家の人だろう。信号は青になり、アタシは真っ直ぐ坂道を登っていく。すぐに追い付いてしまった。軽トラックはノンビリと走っている。道は幅広いけど一車線。まぁ仕方ない。地元の車ならそのうち曲がるでしょ。


 オン!ボォー。

 ここで後ろにいたネイキッドが痺れを切らしたのか、アタシと軽トラックを追越していった。トンネルを抜け、緩やかなカーブを抜けると長い直線。ん?さっき抜かしていったネイキッドが、通せんぼされている。

「レーダー?」


 ドコにあったのか?アタシは全く気が付かなかった!アッブナ!さっきのネイキッドはお巡りさんに誘導されて空き地に入れられていった。通りすがりに空き地を見るとパトカーと白バイ、数人のお巡りさんが居て、捕まえたバイクや自動車の運転手にキップを渡したり、話したりしている。よかったぁ、免許証に傷が付くピンチだったよ。アタシの前を走っていた軽トラックは次の信号で左に曲がった。あの軽トラックは神様の使いに違いない!ありがとう神様!助けてくれたこの免許、大事にします。


#墓参り


 ここからは第一目的地、御殿場に続く登り坂。アタシの前には誰もいない。

 パァーン。パァーッ!

 そんなに飛ばす訳じゃないけど、気持ちいい。後半は緩やかなワインディング!短いけど、楽しい道だ。右に左に軽く倒し込み、気持ちいいギアを選んでアクセルを開ける。ピタリと決まったコーナーワークから、立ち上がりラインを駆けていく。


 パァーン。

 やっぱりバイクっていいな。ワインディングって楽しい。今日走れてよかった。

 ワインディングを抜けると、側道に入り富士山方面に曲がる。ちょっとしたアップダウンの後、真っ直ぐな道路。両側には工場や事業所が散らばっている。道はすぐに突き当たりT字路。そこは父さんとも来た事があるサーキット。T字路を左折すると、すぐ右側にサーキットのゲートがあるけど、今日の目的地はここじゃない。アタシはゲートの前を通過すると道なりに進んだ。少し進むと大きな霊園の入口が現れた。広い霊園内は車で行き来するための道路が整備されている。アタシは入口から入っていった。


 まだ営業時間前なのに、休憩所やお花を売っている建物は開いているみたい。お墓参りの人はちらほらいて、お花やお線香を手に歩いている。アタシは建物前にバイクを止めると、とりあえずトイレ。スマホを見たらそろそろ9時になるけど、まだ辺りは肌寒い。背中に貼ったホッカイロが救いだ。かろうじて凍死から免れている。年末の命日の時にも来たけど、バイクじゃなかったし、随分と厚着していたから平気だったのかな?寒さと前傾姿勢で強ばった身体をほぐしてから建物に向かった。アタシは売店が開いているのを見つけると、お花とお線香を買いに中に入った。


「はぁ~…。出たくないなぁ。」

 中に入ったアタシは暖かい休憩所を離れ難くなってしまった。しかも売店と食堂には暖かいコーヒーや熱々の蕎麦やうどんのメニューが!いえ!ここは我慢よ!さっきマフィンを食べたばかり。一杯のかけ蕎麦がデブになる。お値段もちゃんとしている。アタシがデブって、お財布がダイエットなんて有り得ない!とかなんとか、グズグズしていたけど身体は随分と暖まってきた。


「しゃあない。行きますか?」

 アタシは売店でお花とお線香を買うと外に出た。お花とお線香の入ったコンビニ袋をバイクのミラーに引っ掛けて、父さんのお墓のある区画までバイクで走っていった。歩いても行けるけど、何区画も離れているから、車の人は車で移動する。お墓の近くには水を汲む水場があり、共用の手桶と柄杓がたくさん置いてある。アタシは水場の前でバイクを停めると、手桶に水を汲んで柄杓を桶に突っ込んだ。水は氷の様に冷たかった。


 フォーン。フォーン…。

 近くのサーキットも営業を開始したみたい。車かバイクの排気音が聞こえる。バイク好きだった父さんには、念仏よりも供養になるかもしれない。


 ザクザク…。

 区画の中は溶岩を砕いた様な黒い砂利が敷き詰めてある。辺りは静かで、アタシの砂利を踏みしめる音だけが響いてるみたい。しばらく歩くと父さんのお墓に辿り着いた。同じようなお墓が並んでいて、ちょっと迷ってしまったけど。砂利を敷き詰めたお墓の並ぶ様子は、殺風景だけど清々しい感じがする。


 お墓はきちんと管理されているらしく、ゴミとかはないし、厚く敷き詰めた砂利のおかげか、雑草も生えていない。アタシはお墓を手桶の水で清めると、お花とお線香をお供えし、手を合わせた。花は数本抜き取り、コンビニ袋に戻した。後で使うんだよ。

「父さん、アタシ免許取ったよ。今日は初めてのツーリングだよ。これからはNSRをいろんな所に連れ出すからね。」


 アタシはひとしきり話しをするとウェストバッグからハーモニカを取り出した。辺りを見渡すと誰もいない。少しくらい吹いてもいいよね?父さんの好きだったアメイジング・グレイスを静かに吹き始めた。最近は動画で調べて少し難しい曲にも挑戦している。抜けるような青い空、清々しい朝の大気、どこまでも続くモノトーンの墓石の列、静寂の中で静かに響くハーモニカの音色。人の世を離れた清らかな聖なる世界。


 ハーモニカを吹きながら、父さんの姿を思い出す。気がつくとグリーングリーンを吹きながら、歌詞を思い出していた。父さんとの時間は、楽しかった思い出は、ここで止まってしまった。いつか父さんの手から離れて、一人で自分の道を走り出す事は分かっていたけれど、少し早過ぎたなぁ。でも父さんが亡くなって一年が過ぎて、アタシも家族もやっと自分の時間を生きる元気が出てきたんだ。


「これから頑張るから、見守っていてね?」

 アタシは父さんのお墓を後にした。今日はもう一つ寄りたい所がある。数本の花を入れたコンビニ袋をミラーに括りつけると、スマホを取り出して、道のりを確認する。ナビの様にバイクにスマホを取り付けるステーは付けていないから、必要な時はウェストバッグから取り出す必要がある。ここから行くのは初めてだから、かなり不安がある。絶対迷いそう。


 広い霊園を真っ直ぐに出ると、信号を右折して、すぐに左折すると、辺りは畑や民家がちらほらあるローカルな道。本当にこの道でいいの?とりあえず行ってみよう。道はセンターラインもないけど、車は若干は走っている。やがて道は20分も走るとT字路に突き当たった。さっき調べたスマホによると右に行って、神社の手前を左折のハズだ。って、間違えて神社を通り過ぎてしまった。慌ててUターンする。車が少なくて良かった。


 引き返して曲がると、道は一応センターラインのある道。周りの景色は畑と民家というのは変わらない。また20分くらいで国道138号との交差点。右に行くと山中湖、左に行くと御殿場だ。アタシは真っ直ぐ行って国道469号に入った。ここまでくれば、昔父さんと通った事があるから何となく知ってる。


 少し道路沿いに家やお店が多くなった気がする。住宅地みたいですね。やがて道は突き当たり、アタシは道なりに469号を進んだ。道沿いの建物は少なくなり、畑や林が増えてきた。バイクとすれ違うのも増えてきた。30台以上の大集団とすれ違った。見た限りはオジサンぽい。牧場とかも現れてきた。コレが富士の裾野の風景かな?


 気がつくと両側は原っぱ。立ち入り禁止の立札が沢山立ててある。富士裾野の演習場だ。開放された視界は遠くまで見渡せるパノラマ。遠くに点在しているカーキ色のトラックは自衛隊だろう。昔、父さんと車で通った時は遠くまで大砲の音が聞こえていた。


 演習場を抜けるとコンビニのある交差点。真っ直ぐしばらく行くと道はT字路、右に折れ国道を進むと森の中へ。道は登り坂になり、ちょっと楽しいカーブが幾つか。森を抜けて視界が開けるすと、牧場とかサファリとかパークが次々に現れる。この辺を右に行くと富士スカイラインとかに行けるはず。今度行ってみよう。


 469号はそろそろ右折。曲がると道の両側は森をザクッて切り開いた事が分かる。道は十分な幅があり、切り開いた森との間には緩衝地帯が設けられている。その奥にある森の端はかなり高い樹木が細い幹を晒している。葉はてっぺんに帽子をかぶっているみたい。深い森を切り開いた跡だと思う。


 車の少ない広い道路、両側の背の高い森、切り開かれた青い空。これは気持ちいいよね?道は緩やかなアップダウンとカーブが続き、気がつくと下り坂から下の景色が見えた。この先を右折して、白糸の滝方面へ。


 ここからは森の中を進む道。開けているところもあるけど、両側に森が迫り、頭の上まで茂っているところもある。ちょっとした森林浴?アタシはシールドを上げて空気を吸い込んだ。富士山の朝の冷たいけど清らかな空気に、少ししっとりとした土と樹木の精気が混ざっている。


「いいね。森の香りがする。」

 つい、独り言を呟いてしまった。よくバイクで風を感じるとか言うけど、サーキットから始めたアタシは風が気持ち良かった事なんてあまりない。時速120キロを越えると、大気は加速するマシンに抵抗する壁でしかない。カウルに伏せなければ、叩きつける烈風に身体を持っていかれそうになる。

 風の気持ちよさは一般道をノンビリ走った今日の新たな発見かもしれない。道は森の中に入ったり、抜けたり。上ったり下ったり、曲がったり、緩やかに続く。


「この辺だと思うんですけど…。」

 随分と走った後、アタシは左にバイクを寄せて停車した。バイクを降りて、ミラーにぶら下げていたコンビニ袋を外した。何となく見覚えのある立木の間を数歩進むと、立木の一本に目印の傷を見つけた。


「ここだ。」

 アタシはコンビニ袋から、取り分けておいた数本の花を取り出した。そしてしゃがみ込んで地面にそっと置くと、手を合わせてお祈りをした。

「さくらのお母さん、久しぶりに来ました。さくらには会ってないけど、見守ってあげてね。」


 5年前、アタシは目の前の道路で車に轢かれた親犬と生き残った仔犬を見つけた。アタシは父さんに、この場所に母犬のお墓を作ってもらった。アタシの家は食べ物屋で犬は飼えないから、仔犬はその時一緒にいた人に育ててもらったんだ。その後、仔犬(アタシが『さくら』って名前を付けた。)には何度か会えたけど、その年の夏休みを最後に会っていない。会いたいな。大きくなったかな?アタシの事を覚えてるかな?仔犬のモフモフした感触を思い出すと、なんだかくすぐったい。アタシは立ち上がった。


「じゃあね。また来るよ。」

 すぐそこに父さんと通ったミニサーキットがある。前に来てから一年半以上経っている。レーシングスーツを着てないから走れないけど、ちょっと見て行こうかな?アタシはバイクでサーキットの駐車場に移動した。


 入口に看板はあるけど、そうと知らなければ土木関係の資材置き場にしか見えない。砂利を敷き詰めた駐車場にNSRを停め、ヘルメットを脱ぐとバイクの走行音が聞こえる。


 ビィーン。ビィーン。

 小排気量のツーストロークエンジンの音だ。懐かしいな。アタシは管理事務所を抜け、パドックに出た。森の中の小さなサーキット。こんなに小さかったかな?三台のバイクがフリー走行をしている。それ以外にも何台かトランポの前にマシンを出して、整備や走行準備をしている。みんなオジサンぽい。奥さんと小さい子供を連れて来たお父さんもいる。


 パァーン!パァーン!

 全開走行を始めたマシンがいる。気持ち良さそう。大気を切り裂いてホームストレートの坂道を駆け上るマシンを見ると、アタシも走りたくてウズウズする。でも、父さんが亡くなった時にトランポやレース用品はNSR50も含めて処分してしまった。レーシングスーツもアタシには小さくなってしまったし…。そのうちスーツだけでも買って、サーキットに戻ってこよう!


「パパ!私も乗りたい!」

 近くにいた小さな女の子(小学校低学年くらい?)がお父さんにバイクに乗せて欲しいとねだり始めた。

「ダメだよ。あなたは女の子だし、まだ小さいんだから。」

「ヤダ!乗りたい~。」


 奥さんがなだめているけど、女の子はグズり出した。そして、アタシの方を見ると指差した。

「あのお姉ちゃんも乗ってた!」

 ギクッ!アタシに振らないで!お母さんが『チッ』と舌打ちした気がする。なんか、やな汗かいてきた。

「お姉ちゃんはオトナなんだから。」

「違うよ?あのお姉ちゃん、ギャルだよ?」

 ギャル言うな!違うから!アタシはもう少しで叫ぶところだった。


「こら、お姉さん困ってるだろ。ゴメンね?うるさくて。」

 家族が騒ぎ始めたのを見かねて、オジサンが謝ってくれた。アタシは別にとかなんとか、モニョモニョと適当な返事をしてしまった。知らない人と話すのは苦手だ。アタシ感じ悪いかも。


「お姉さん、いくつからバイク乗ってるの?」

 オジサンが聞いてきた。女の子もアタシの方を見てる。えー?どーしよ?

「…小学校一年生かな。」

 オジサンはへえーって顔をした。

「え?何に乗ってたの?」

「ポケバイ。」


 アタシはその後もオジサンの質問に凄いぶっきらぼうに答えちゃった。話しを聞いている女の子の目はなんだかキラキラしてきた。対照的にお母さんの目はだんだん怖くなってきた。お願い!アタシをそんな目で見ないで!


「そっかー。それでああいうバイクに乗ってるんだね。」

 オジサンは駐車場の隅に停まってるアタシのバイクを見た。

「話し聞かせてくれてありがとうね。よかったら飲んで?」

 オジサンはクーラーボックスから、ペットボトルのお茶を取ってくれた。

「あ…すみません。…じゃあ、アタシはこれで…」


 ちょっと話したら、なんだか照れくさくなってしまった。アタシはバイクのところまで行くと、身支度をしながらさっきの家族を振り返った。オジサンが女の子をバイクのシートに座らせて、何やら楽しそうに話している。奥さんはしょうがないなって顔で笑ってる。


 アタシが初めてバイクに乗った時もあんなだったかな?覚えてないや。あの女の子もバイク乗るのかな?もしかして今日はアタシが未来のガールズ・ライダーを一人増やしてしまったかも。今思い出したけど、初めてポケバイに乗った時、風を切って走るのが気持ち良かったんだ。あの女の子も楽しんでくれると嬉しいな。


#帰り道


 アタシは今日の用事を一通り済ませたので、帰路についた。まだお昼前だけど、そろそろお腹もすいてきた。この辺の名物とか食べてみたいし、ライダーの集うカフェとかでお茶してみたいけど、アタシみたいな小娘がそういうのって、ちょっとナマイキじゃない?それにコンビニやファーストフードはいつも入っているけど、普通の飲食店って何となく敷居が高い気がする。おひとり様の場合は特にそう思う。


 どうしようか考えているうちに、御殿場で国道246号まで戻って来てしまった。そう言えば道の駅があったなあ。前にサーキットの帰り道で寄ったことがある。確かパンとか、おにぎりが売っていたはず。


「よし!」

 アタシは道の駅に寄ることにした。案内の看板も見つけたので、それを頼りに道を行くとすぐに到着した。駐車場に入ると四輪も二輪も結構いっぱい停まってる。アタシは隅にギリギリ止められる場所を見つけると、なんとか停める事が出来た。


「おお!凄い!」

 山側を振り返ると富士山がそびえている。青い空に、まだ白いところの多い富士山がとっても綺麗。そう言えば、今日はまだカメラで撮ってなかったな。アタシは富士山のよく見える広場に移動すると、スマホを取り出して綺麗な富士山の風景をカメラに収めた。


「お嬢ちゃん。撮ってあげようか?」

 いつの間にか、後ろに三人の男の人が立っていた。なに?誰?見た目はちょっとヤンキー入ってるお兄さん。う、目つき悪い。咥えタバコの口元がニヤニヤしている。なんだかちょっと怖いんですけど。着ている革ジャンも動物?ドラゴン?ドクロと骨がデザインしてあって気持ち悪い。

「…」

 アタシはお近づきになりたくないので、何も言わずにお店の方に戻ろうとした。


「おっと。」

 声を掛けてきた一人がアタシの行く手を遮った。アタシは一歩後じさって距離を取る。

「冷たいねぇ。」

 フゥーって、タバコの煙をアタシの方に吐き出すと、タバコを捨てた。

「イイじゃん。一緒に写真撮ろうぜ?減るもんじゃなし。」

 男はまた一歩距離を詰めてきた。あっそう…。ここは毅然とした態度でお断りしないと。さもなければ…。


「すみません!通して下さい!」

 って大きな声で言ったのは、アタシじゃなかった。声の方を見ると、怖い人達の後ろから、背の高いお兄さんが現れた。ヘルメットを手にぶら下げている。バイクメン?

「ゴメンゴメン!待ちくたびれたよね?」

 馴れ馴れしくアタシに声をかけると、怖い人達をすり抜けてアタシの手を取った。


「何だよ。男付きかよ。ツマンネ。」

 怖い人達は舌打ちすると駐車場の方に去っていった。はぁ~…。良かったぁ。どうなる事かと思った。

「大丈夫?顔色悪くない?」

 放心したアタシの顔を覗き込む人がいる。誰だ?顔近いっ!って、手っ、手ぇー!アタシは慌てて手を振りほどくと一歩下がった。うわわ、焦るー。一応、助けてくれたんだよね?


「あの、ありがとうございました!」

 アタシは一度頭を下げて、助けてくれたお兄さんを見た。おお…、イケメンだ。歳はハタチ前くらい?背は180以上はありそう。髪は男の人としては長めで少しクセがある。オメメぱっちりで優しそう。小顔で整った感じ。細身だけど肩幅がある。赤茶色のシンプルな革ジャンはいい感じで使い込んである。ボトムスは水色のダメージドジーンズとエンジニアブーツ。かっこいい…。ちょっと見とれてしまった。


「はぁ~。良かったぁ。慣れない事するもんじゃないな。」

 アタシを助けてくれたイケメンはいきなりしゃがみ込むとため息をついた。

「怖かったよね?あの人達。」

「あ、ハイ。助かりました。…大丈夫ですか?」

 今度はアタシが心配になってしまった。アタシもしゃがみ込んで改めてよく見ると、背は高いけど、さっき握ってくれた手も細かった気がするし、ケンカとかしなさそう。


「や、キミが困ってたからさ。ちょっと頑張っちゃったよ。」

 イケメンさん、なんだか照れてる?

「あの、あの…。何か飲みませんか?お礼させて下さい!」

 はっ!アタシったら、何を言っちゃってんの!ちょっとイケメンだからって、ちょっと助けてもらったからって、ちょっと照れてるのがカワイク見えたからって…。


「…え?ホント?ありがとう!」

 イケメンさんは破壊力抜群の笑顔で…。あ、何か刺さった。なんだか視界がキラキラして…。やばい…ドキドキしてきた。

「お、奢ります。」

 アタシはマトモに顔が見れなくなってしまった。顔が火照ってるのがわかる。


 アタシはイケメンさんと売店に入ると、アタシのサイフで入れたてコーヒーと手作りパンを買って、外のベンチに座った。アタシはかなりテンパってしまって、パンを一緒に食べたんですけど、味がよくわからない。お話ししたんですけど、イケメンさんの話しについていくのが精一杯。何を話したか、よくわからない。分かったことは、どうやらお互いにソロツーリングだったみたい。


「俺、高校生なんだけど、君もそうだよね?なんか初々しいよね。免許取り立て?」

「あ、ハイ、そうです…。」

「さっき富士山の写真撮りまくってたけど、遠くから来たの?」

「あ、イエ、神奈川です。」

「ホントに?同じじゃん!え、横浜とか?」

「す、すみません。これ以上は、身バレするんで、勘弁して下さい…。」


 うわ、めっちゃ気安く話してくる。これってナンパかな?でも、お礼したのはアタシだよね。アタシがナンパした事になるのかな?そんなつもりはないんだけど。大体、イケメンの男の子に免疫ないんだよね。とか、話しているうちに、パンもコーヒーも無くなってしまった。アタシは手持ち無沙汰に空の紙コップを手のひらでクルクルと回していた。


「あ、飲み終わった?コップ捨ててくるよ。」

 イケメンさんはアタシの紙コップをひょいと摘むと、立ち上がって自分のカップと一緒にゴミ箱に捨てに行ってくれた。戻ってくると、まだ座っていたアタシにニッコリ笑って手を差し伸べた。

「まだ、時間あるなら一緒に箱根とか走りに行かない?」

 ま、眩しい!あ、またキラキラが…。アタシはよくわからないまま、イケメンさんの手を取って立ち上がった。と、その時。


「あ…。」

 イケメンさんは何か上を見た。アタシもつられて上を見るけど…。グイッ!イケメンさんが握った手に少し力を入れて、アタシを引き寄せようとした。と、と、と…。このまま行くと、彼の腕の中に抱きすくめられて、上向き加減の顔は吸い寄せられるように…。この時間はスローモーションの様。ゆっくりと彼が下を向くと、二人の唇は至近距離に近づいて…。

「イヤー!」


 アタシは体を崩されていたけど、引かれた腕に合わせて一歩踏み込んだ。腕を掴んだ相手の手にもう一方の手を添える。そして引かれた勢いのまま、身体を回しながら腕をブンと振った!彼の身体は一瞬ふわっと浮いた後、ゴロリと転がった。

「イヤー!」

 っていうのは、つい発してしまったアタシの気合いだ。


 アタシは小さな頃からよく転ぶ女の子で生傷が絶えなかった。心配した父さんが転んでも受身を取れる様にと、合気道を習わせてくれた。結局中学校卒業までつづけて、今では道場の中でも一目置かれる有段者なのです。


「…?!」

 イケメンの彼は何があったのか解らないって顔で仰向けに倒れている。

 ペチョ。その顔に上から落ちてきたのは、鳥の糞?

「え?ちょっと待って…。」

 もしかして?鳥の糞を避けるためにアタシを引っ張ったの?抱き寄せられるとか、奪われるかもって、アタシの勘違い?


「なんだなんだ?」

「お嬢ちゃん?どうした?」

 なんだか周りの人達が、ただならぬ気配に気づいたのか、一人二人と寄って来た。げ、やばい。倒れた彼はまだ固まっている。

「ご、ゴメンなさい!」

 アタシは逃げた!ダッシュでバイクに跨ると、キック一発でエンジンをかけ、白煙を上げて走り去った。

 パァーン!パァーン!

 NSRは国道246号線に飛行機雲のような白煙の航跡を引いた。


#高校デビュー


 アタシの高校生活が始まった。県立神奈川北部工業高校、機械科一年B組、出席番号26番、晴海ちえりです。同中からは化学科一年C組、佐藤夏子ちゃんが一緒です。小学校からずっと仲良しです。ただでさえ工業高校の女子生徒は少ないので、非常に心強いです。アタシのクラスは1クラス40名のうち女子は6名しかいません。


 そんな工業高校に何故アタシが入ってしまったかというと、バイク部があったからです!父さんに教わったバイクは乗り続けたいけど、家のバイク用具やトランポは維持出来ないから処分してしまいました。でも続けたければ外に環境を求めるしかないので、高校でもバイクが乗れるところ、可能ならばレースがしたい。


 で、探したら県立の工業高校にありました!自動車部二輪班っていうらしい。20年以上前で大昔だけど鈴鹿にも出たことがあるみたい。これは行くっきゃないっしょ!なので、入学早々にアタシは自動車部二輪班の扉を叩いた。保護者として、夏子にも同行してもらって。


 夏子とは小学校から一緒だけど、夏子のお父さんがアタシんちのラーメン屋の常連客で、お互いの父親がバイク好きでポケバイを始めたのが縁で仲良くしている。アタシはバイクとハーモニカが好き、夏子はバイクも乗るけど、シャーロック・ホームズが好きで推理小説と化学実験が大好き。


 小学生の夏休みは二人でバイクの話をした後、夏子は本を読み始め、アタシはハーモニカをポケットから取り出して勝手に吹いてた。二人共ちょっとぼっち体質だったみたいだけど、一緒にいるのは居心地良かったんだ。


 中学校に上がると、アタシはあんまり気にしなかったんだけど、夏子はぼっち卒業を目指して部活に打ち込み始めた。アタシも夏子に引っ張られて、女子バレーボール部に入った。入った時はそんなに強くなかったけど、アタシ達が3年生の時は県大会に行く事が出来た。アタシはチームの中では背が高い方で、ジャンプも出来たからアタッカー。夏子はセッターで結構クレバーな試合運びを見せた。


 夏子は3年生でキャプテンを任されてしまったのだけど、精神的にキツくてよく泣いていた。アタシは相槌を打つ事しか出来なかったけど、いつも一緒にいた。アタシが勝手にハーモニカを吹き出すと、うるさいとか、無神経だとか言われたけど、あっちに行けとかはあんまり言われなかった。


 高校を決めた時は、あんまり相談しなかったけど、進路希望票を提出する時に見せあったら、たまたま同じだった。お互いになんでって聞いたら、夏子は化学実験がどうしてもしたかったらしい。人気がないのか、化学科がある高校は限られているという。夏子は頭いいから普通科行って、いい大学で研究すればいいのにって言ったら、『だって高校で危険物取扱者の資格が取れるんだよ!』って力説されてしまった。そんなに危険物を扱いたいのかな?もしかして夏子って危険人物かも?なんだかズレてるんだよね。


 話を現在に戻す。アタシと夏子は自動車部二輪班の扉を叩いた。自動車部の部室は校舎とは別棟の学生会館と呼ばれる建物だ。会館って言っても旧校舎の成れの果てで、窓はあちこち割れているのをベニヤ板等で補修してある。裏は教員用駐車場に面しており、シャッターが降りていて自動車部が使っている。


「すみません。入部希望なんですけど、見学してもいいですか?」

 部室の扉を開けて出てきた男子生徒は暗い室内から明るい外に出たからか、眩しそうに目を瞬くと、むにゃむにゃと話し始めた。

「…どうぞ。見てもいいけど地味だよ。女子が楽しいようなことは期待薄だよ?」

 あれ?女子は迷惑なのかな?

「とりあえず、見せて頂いていいですか?お邪魔はしませんから。」

 男子部員は面倒くさそうだけど中に入れてくれた。


「部長!新入生が入部希望だそうです!女子ですけど。」

 ん?最後の取ってつけたような一言がやな感じ。中は少し薄暗くて目が慣れない。ガレージの様だけど、そんなに広くないし灯りも暗い。だんだん目が慣れてくると、壁には一面に棚があり、工具とパーツが収まっているのがみえてきた。狭い部室には部員のものだろうか?バイクが3台置いてあって、それぞれに数人の部員が付いて、工具やパーツを手に作業に勤しんでいる。


 一台の作業が一段落したのだろうか、キュルキュルってセルモーターの回る音がして、エンジンが始動した。

 フォン!オン!フォーン!

 アクセルをあおってエンジン音を確認している。400マルチの集合管だろう。いい音だ。暫く確認をした後、アクセルを握っていた部員が、他の部員に一言二言指示をしてからアタシ達の方にやって来た。


 頭は丸刈りにしていてちょっと強面で目付きが悪い。いや、アタシ達の値踏みをしているんだ。身長は175センチくらいか?首が太く肩幅が広くて腰回りもガッチリしている。学校指定の作業服はオイル染みの跡があったり、ところどころ擦り切れそうだけど、マメに洗っているのだろう、不潔な感じはしない。


「部長の機械科三年、石田だ。最初に言っておくが、ウチはメカニック技術を磨くのがメインで、タンデムに乗っける女子は募集してない。そういうのは他所に行ってくれ。」

 見た目を裏切らない、太く低い声だ。相変わらず射抜くような視線をアタシ達から外さない。


「初めまして、機械科一年の晴海です。えと、名字が『はるみ』なんで、すみません。」

 あちゃ、いつもの癖で説明してしまった。アタシは気を取り直して、部長さんの目を真っ直ぐに見た。


「アタシはバイクに乗るのが好きです。小学生でポケバイ始めて、つい先日免許を取りました。いじるのも好きなんで、少しお話しさせていただけませんか?」

 部長さんの目が変わった。疑うような気配が後退して、興味が湧いた様に見えた。


「なに乗ってんの?」

 話し方は相変わらずぶっきらぼうだ。

「NSR250Rです。」

 部長はちょっと黙ると、変な目をした。そして、鼻の頭を手の甲でグイっと拭くと、少し明るめの声を出した。

「あんた…ミーハーだな。葛城!新入生に説明してやってくれ!入部希望だ。」


「…という訳で、自動車部二輪班の説明は以上だけど、なんか質問ある?」

 部室の片隅の作業台の前にパイプ椅子がいくつかあって、アタシと夏子は座って話しを聞いた。先程のぶっきらぼうな部長に比べると、全然フレンドリーな葛城先輩は機械科の二年生。ニコニコして軽い感じで話し易い。どっちかっていうと、タンデムに乗せる女子募集中みたいな、…いや、既に乗っててもおかしくない。女の子の扱いに慣れている気がする。


 先輩の話しによると、活動は公式には週三回。それ以外も自由に部室を使っていい。火気厳禁。工具も使っていい。壊したら自腹で弁償。持ち出しは原則禁止。学校の設備を貸してもらってパーツなどの加工も出来る。主な活動はメカニックスキル向上のための研鑽、卒業制作作業、学園祭での展示だそうだ。アタシはだんだん不安になってきた。


「あの、昔レースに出たことがあるって、ホームページに書いてあったんですけど…。」

 先輩は少し寂しそうに語ってくれた。20年以上前は確かに鈴鹿まで遠征するなど、レース参加に熱心だったらしい。学校からも補助があって、部費も潤沢だった。しかし、金が集まるところには悪い奴もやってくるもので、部費を着服して逃げた。それ以降、金のかかるレースには学校としては参加しない様になったということだ。


「俺もレースが好きなんで、入ったらこんなだし。マジで悲しかったよ。本当に好きな奴はプライベートでやってるよ。」

 うわー…。チョーガッカリだ。ここにくれば走れるって思ってたから…。アタシは目に見えて落ち込んでいたのだろう。先輩が話し始めた。

「ジムカーナってやった事ある?」

 アタシは首を振った。

「学園祭でさ、やるんだよ。よかったらやってみない?」


 四輪でドリフトとかやってるジムカーナの二輪版で、平らで何も無い駐車場のような広場に、工事現場に置いてあるようなパイロンを配置して作ったコースを、一台づつ走ってタイムを競うレースだ。スラロームとか八の字とかも組み合わせてあって、状況に応じた運転技術が求められる。教習所の二輪コースでレースするようなものだ。一本橋はないけど。


「学園祭っていつでしたっけ?」

「ゴールデンウィークだよ。ちなみに練習は前日だけ。周りの住宅に迷惑だから、学園祭の準備の騒がしい時しか走れない。20年前はこの辺も山の中で、駐車場にサーキットのコースをペイントして、レースの練習をしてたらしい。昔の写真が残ってる。でも、だんだん住宅が増えて、近隣の迷惑を考えて出来なくなっちゃったみたい。まぁ、バイクいじるのも好きなら、いつでもおいで?歓迎するよ!」


 その後も葛城先輩は丁寧に説明してくれ、アタシのしょうもない質問にも答えてくれた。レースをやってないのは、少なからずショックだけど、バイクに関わるためにこの学校に来たんだから、まずは入ってみようかな。

 一通り話を聞いたアタシ達は自動車部の部室を出て、学生会館の狭い廊下を歩いていた。


「どう思います?夏子さん?」

 アタシと一緒に話しを聞いた夏子は大人しくしていたけど、一箇所だけ食いついたところがあった。

「そうですね、ちえりさん。ケミカル班はちょっとそそられましたね。」

 やっぱそこか。自動車部にはオイルとか素材等の化学的な研究をする班もあるらしい。


「でも、まだ免許取れないし、他の研究会とかも見てからかなぁ?」

 元々夏子は化学実験をやりたくてここに進学したんだから、そういうところに行きたいはずだ。今日はあくまでもアタシに付き合ってくれたんだ。

「アタシはとりあえず仮入部してみようかな。今日はありがとうね。夏子も行きたいところがあれば、アタシも付き合うよ。」

 夏子はちょっと立ち止まると、クスッて笑ったみたい。

「いーの?じゃあね。ココ。」


 アタシ達はとある部室の前に立っていた。看板には『爆発研究会』の文字。

「えええ?!夏子さん!マジですか!」

 アタシは1歩後じさったけど…。

 ガシッ!って夏子の手がアタシの手を掴んだ。そしてニッコリと微笑んだ。

「ちえり?付き合ってくれるんだよね?」

 アタシは自分の血の気が引く音が聞こえた。


#バイト


 アタシのバイク、NSR250Rは燃費が悪い。そんなに無茶な運転はしてないけど、リッター10キロをちょっと上回るくらいで、今どきのバイクの2分の1から3分の1しかない。逆に言えば、ガソリン代が2倍から3倍かかるということだ。これから、バイク生活をエンジョイするためには、ガソリン代を捻出する必要があるんです。ガソリンだけじゃない。いつまでも中学の部活のウィンドブレーカーじゃ、ちょっとカッコ悪いし、夏に向けて他にも色々揃えたいな。


「母さん!はるみ屋さんで熟練した若くてピチピチの看板娘は要らんかね?時給1000円、賄い、オヤツ、昼寝付き…」

「ちえり!また甘えた事言って!バイトなら外で探しておいで!あと、成績悪かったら、バイクもバイトも禁止だからね!」

 厳しいお言葉は杏姉さんだ。長女ってしっかりしてるというより、夏子もそうだけど考えがお固いんだよね。いいじゃん別に。アタシはプーってふくれてしまった。


 はるみ屋さんは採用してくれないので、仕方なくスマホでバイト関係のページを片っ端から検索してみた。宅配関係とかバイク乗れそうだよね?ピザなんてちょっとカッコよくない?あった!わりと近くに宅配ピザのお店がスタッフを募集している。アタシは早速お店に電話してみた。


 ちょうどバイトさん達が卒業とかで入れ替わるタイミングだったらしく、人手不足の宅配ピザ屋のバイトは面接も緩くてアッサリと決まった。

「今日からお世話になります。晴海ちえりです。よろしくお願いします!」


 アタシは真新しいユニフォームを着て、ちょっと緊張したけど元気に自己紹介出来た。最初は先輩に付いて色々教わりながら仕事を覚えなくちゃいけない。アタシの他に女の子が三人いて、アタシに仕事を教えてくれるのは、少し小柄な可愛いギャル系のお姉さん。


 身長155センチくらい?髪は明るいブラウンで長めを上げて、ふんわりポニーテールが可愛い。ちょっと盛ってる?顔小っさ!まつ毛長がっ!つけま?エクステ?リップもぷりっとしててエロい。身体は細いけど、結構グラマラス。ユニフォームも胸元まで開け、胸の谷間をアピールしててエッチぽい。ぼーっとしてたら、ハイって冊子を渡された。


「吉野美佳です。よろしく。これは業務マニュアル、ヒマな時に読んどいて。じゃあ早速だけど、お店の中を説明します。」

 アタシは興味津々でウキウキと付いて行った。そんな様子に吉野さんはちょっとイラッとした感じ。

「…あのさ。メモくらい持ってきたら?一度しか説明しないよ。」

 確かに…。いや、でもバイト初めてだし、わからないんですけど…。アタシは恐縮してしまった。


「す、すみません。ちょっと持ってなくて…。」

 吉野さんはポケットから小さなメモ帳と短いペンを出すと、白いページを出してアタシに手渡した。

「使っていいから、後で書いたところをちぎって自分のメモ帳に写して。それじゃ始めます。」

「あ、ありがとうございます。お願いします。」

 厳しい!けど、優しい!アタシは話しを聞きながら、一生懸命メモを取った。


「…と、お店はこんな感じかな。次はピザを作ります。最初はよく見てて。…えーと、オーダーは…ミックス・スペシャル、レギュラー生地Lサイズ、追加トッピングなし。」

 お店の中を一通り見た後、吉野さんはピザの作り方を見せてくれた。オーダーの並んだモニターを一瞥すると、早速ピザを作り始めた。生地を広げて、ソースを塗って、具材を並べて、チーズかけて…。速い…。隣りでお兄さんが同じ様に作っているけど、あっという間に追い抜いて、先にオーブンに入れてしまった。


「うわっ。やられた!ミカリン、速っ!」

 追い抜かれたお兄さんが悔しそうに叫んだ。ミカリンと呼ばれた吉野さんはキッとお兄さんを睨むと、厳しい声でピシャリと言った。

「ミカリン言うな!」

 アタシはビックリしたけど、お兄さんはいつもの事なのか、苦笑いして仕事を続けている。

「悪かったって。だって吉野さん、速すぎんだもん。」


 ふーん、一応呼び方は直すんだ。吉野さんはツンと無視して、アタシに説明を続けた。アタシは必死に付いていったけど、メモは10ページを越え、アタシのオツムもキャパオーバーだ。吉野さんはそんなアタシの様子を見ると休憩にしてくれた。

「10分休憩します。休んだら、ピザ作りを手伝ってもらいます。」


 アタシはホッと息をついた。この間にメモを見返しておこうと、メモ帳を見始めた。ふとアタシの書いたメモの前を見ると、吉野さんのメモ書きがびっしり書き込んである。凄いな。ピザ作りの手順を整理して何度も書き直している。きっと自分にも厳しい人だ。とことんこだわる人に違いない。感心していると吉野さんが声をかけた。


「はーい、休憩終了。ピザ作るよ。晴海さん、こっち来て。」

 アタシは初めてのピザ作りに取り掛かった。オーダーがバンバン入って、どんどん作る。10枚までは数えてたけど、そこからは疲れたし、馬鹿らしくなって数えるのを止めてしまった。モニターからオーダーの列が途切れた時、店長が声をかけてくれた。


「お疲れ様。晴海さん、今日はそろそろ上がろうか。初日から頑張ってくれたね。」

 気が付くと予定していた時間をオーバーしていた。しまった。次からはちゃんと時計を見ておかないと。すると、吉野さんも上がるのを忘れてたみたい。

「やばい!そろそろ行かないと。晴海さん、またね。」


 そそくさと更衣室に急いで行った。アタシも続けて更衣室に入ると、吉野さんが見慣れた制服に着替えている。

「あれ?吉野さんて神奈北工なんですか?アタシ、機械科の一年ですよ。」

 吉野さんは着替えながら、こっちを振り向いた。

「あ、そうなの?私は電気科の二年生だよ。今日は学校帰りじゃないんだ?」

 アタシは一度家に帰ってから来たから私服だ。ガソリン代節約のためチャリ通勤。


「ゴメンね。今日は急ぐんだ。また今度ゆっくり話そ?」

 吉野さんは着替え終わると、白いマフラーを首に巻き、ロッカーからバイクのヘルメットを取り出した。可愛いピンクの花柄のジェットヘル。

「じゃあね。お先!」

 あ、吉野さんてバイク乗るんだ?

「お疲れ様でした!」


 アタシもすぐに着替え終わって外に出ると、ちょうど吉野さんのスクーターが出たところだった。

 ポポポポポポ。プルルルーン!

 原付じゃなさそうな、でも可愛い音のする、綺麗な水色のスクーター。今度、何てバイクか聞いてみよう。話が合うといいな。

 

#堕天使


 バイクのために部活とバイトを決めたアタシは、クラスメイトとの高校生活が疎かになってしまった。放課後は自動車部の部室か、遅くまでバイト。毎日寝るのが遅いので、休み時間は就寝時間。昼休みも母さんの美味しい中華弁当を食べながらこっくりこ。午後の授業は記憶がない。


 そんな生活を四月の大事な時期にしていたら、クラスの女の子はアタシを抜かしてお昼タイムを満喫しているし、男の子はなんとなくちょっかいを出す事もはばかられる様子で声をかけてこない。しまった!ハブられてる訳じゃないし、孤高を気取っているつもりもないけど、これじゃノート借りる友達にも事欠いてしまう。こういう時にさり気なく気にかけてくれるのが夏子だったんだけど、クラスも科も違うからなぁ。


 休み時間にいつもの通り、机に突っ伏してスマホをチェックしたが、バイト先からも部からも夏子からも特に連絡は無い。あ〜あ…。

「晴海、数学のノート出して。今日提出日だよ。」

 そんなアタシに声をかけてくれるのはクラス委員くらいだ。それに単なる委員の仕事だから、別になんてことは無い。アタシはカバンからノートを出して渡した。


「ハイ。関山、ご苦労さん。よろしくね。」

 見た目ワイルドな、いかつい男子で、クラス委員のタイプじゃない。元同中のクラス委員、関山悟はノートを受け取ったけど、ちょっと心配そうに話しかけた。

「…晴海ってさ、いつも休み時間は寝てるし、放課後はいないし、なんか部活してるの?」


 ん?これはクラス委員として心配されているのかな?同中とはいえ、中学時代にあまり親しく話した覚えはない。

「あぁ、部活とバイトで忙しくなっちゃってね。休み時間眠くって。」

「クラスで一人の事多いよな?友達出来んの?」

 やっぱり心配してくれたんだ。

「心配してくれてありがと。大丈夫だよ。同中の佐藤夏子は隣のクラスにいるし。」

 関山は少し安心したみたい。

「今度学園祭があるからさ、クラスのイベント参加しろよ。よろしくな。」

 そう言うと、クラス委員は自分の仕事に戻っていった。


 とはいえ状況は変わらない。昼休みになると、クラスの女子は机を寄せて、おしゃべりランチタイムが始まる。アタシはなんとなく気まずくて、お弁当を持って教室を出た。隣りのクラスを覗いて夏子の姿を探したら、クラスの女子だろうか、誰かと二人でお弁当を広げている。その様子は楽しそうで、嬉しそうに微笑む夏子が少し遠くにみえた。アタシは廊下に出て左右を見渡すと、なんとなく人のいない方へ歩き出した。


 気がつくとアタシは屋上にいた。春の日差しが心地よい。アタシはとにかくお弁当を片付けようと、フェンス際に座り込んでお弁当を広げた。今日は中華おこわと焼売だ。ブロッコリーとプチトマトが彩りを添えている。相変わらず美味しそうなお弁当だ。


 おこわを一口頬張るとお出汁のきいたもち米がたまらない。焼売もぷりぷりでジューシーだ。やっぱり母さんのお弁当は最高だな。…あとは一緒にたべてくれる友達がいたらいいのに。ふぅとため息をつくと、お弁当を膝の上に置き、ペットボトルのお茶を飲んだ。


 おや?屋上に上がる階段室は屋根が平らになっているが、その上で誰かが寝ていた。頭の後ろに腕を組んで枕にし、片膝を立てて横になっている。男子学生だった。ヤバい、全然気が付かなかったよ。アタシは急いで残りの弁当をかき込んだ。味わいたかったけれど、仕方ない。

「…ムグッ、ゴホッ!」

 急ぐあまりむせてしまった。最低だ。お茶を飲み、弁当箱を片付けると急いで階段に向かう。


「アレェ?道の駅の彼女じゃん?」

 え?アタシはビックリして立ち止まり、上を見上げた。屋根の上から身体を乗り出しているのは、恐らく上級生と思われる男子学生だ。

「俺だよ!あの時はコーヒーご馳走さま。」


 ゲゲゲ!思い出した。道の駅でヤンキーから助けてくれたのに、アタシが投げちゃった人だ!アタシはパクパクと金魚のように口を開いたけれど声が出ない。上級生は起き上がると屋根からハシゴを降りてくる。助けてくれたから王子様効果があるかもだけど、やっぱりカッコイイ!また会えるなんてチョー嬉しい。でもアタシはこのイケメンさんを投げ飛ばしちゃったんだよね。


「君、ウチの学校だったんだ。」

 アタシはハッと我に帰ると階段にダッシュした。

「ゴ、ゴメンなさあ〜い!」

 アタシはそう言うと階段を駆け下りた。恥ずかしい!しかも逃げて来ちゃった。どうしよう。今度会ったらちゃんと謝ろう。きっとまた会えるよね。


 バイトと自動車部で忙しい生活は週末まで続いていた。土日もフルにシフトを入れて、働きまくった。打ち込む事があるのは良い事だ。モヤモヤ感を誤魔化してくれる。モヤモヤ感は自動車部でも感じていた。周りは皆んな男子生徒で、整備士とか、チューナーとか、ピットクルーとかを目指し、メカニック・スキルアップに余念が無い。かなりコアな人材が多くて、走りがメインでちょっとメンテナンスをかじったくらいのアタシにはついていけない。知らない単語、横文字、アルファベットの羅列、謎の数字や単位が飛び交っている。これじゃぁタンデム要員て言われても仕方ないなあ。


「はぁ…。」

 って最近溜息をつくことが多くなってきた。

「…!?」

 誰かの視線を感じて振り返った。だけど、みんな自分の作業に忙しくしていて、誰なのかわからない。

「どした?晴海。なんかあったか?」

 一緒に作業していた葛城先輩がアタシの素振りに気が付いて、声をかけてくれた。

「…いえ、なんでもないです。」


 最近、視線を感じるの多いんだよね。女子はアタシ一人だから、目には付くと思うけど。学校指定のダサい作業着を着てるから、色気も何もあったもんじゃない。ダブっとした作業着だから、しゃがんでも上着のスソからパンツが見えることも無い。オイルやグリスがいつの間にか鼻の頭に付いているのはご愛嬌。そういえばアタシの他にも新入部員が入ったらしいけど、歓迎会はバイトでぶっちしてしまったから、いまだに部員の顔が覚えられない。なんてことを考えてたら落ち込んできた。いかん、いかん!


 今は学園祭に向けた準備で忙しいんだ。毎日遅くまでバイクの整備しているのは。駐車場ジムカーナをやるマシンを仕上げなくちゃいけないから。10年以上前から代々受け継がれたというエイプだ。部には三台あるけど、一台は廃車で部品取り専用。他の二台もどこかから拾ってきた廃車の部品から組み上げたものらしく年式不明。


 去年の学園祭から一年間ほったらかしだったバイクは、色々メンテナンスが必要で、最初はエンジンもかからなかった。アタシは先輩達とああでもない、こうでもないと試行錯誤して、ここ二三日でどうにか動く様になった。少し動くと運転したくなるのがライダーのサガ!アタシが駐車場で試運転をしていると先輩に注意された。

「晴海さん!駐車場ではあんまりアクセルフカさないで!近所から苦情来るから。」

 ちょっと調子に乗ってしまった。やっぱバイクは転がしてナンボでしょ?

「さーせん!上がります。」


 アタシはエイプをガレージに入れると、一緒に整備していた葛城先輩に話しかけた。

「ジムカーナ楽しみですね。早くアタシの整備したエイプで走りたいです。」

 葛城先輩はヤレヤレといった表情でクギを刺した。

「晴海、学園祭イベントの正式名称は『交通安全練習会』だからな?『ジムカーナ』って言うな。色々うるさいヤツらがいるんだよ。」


 そうなのかもしれないけど、アタシは腑に落ちない。

「…さーせん。」

「まぁ、学園祭が終わったら、バイクでどこか連れてってやるからガマンしろ。」

 うーん。誰かとツーリングっていうのもどうなんだろうなあ…。一人の方が気楽な気がする。アタシは誘われたのにも気が付かなかった。

「…はぁ…。」

 アタシの生返事を溜息と勘違いしたのか、葛城先輩が言い継いだ。

「…そんなにガッカリされると凹むんだけど。オレじゃ頼りない?」


 ん?『オレ』って、もしかしてペアツーのお誘い?うわ…どうしよう。ちょっと今は考えられない…。なんだかパニクってきた。

「…あ!アタシ、バイトがあったんです。す、すみません!今日はこれで帰ります。お、お疲れ様でした!」

 アタシはロッカーからカバンと着替えをひっ掴むとダッシュで部室を逃げ出した。最近逃げてばっかりだ。


 翌日は土曜日。午後からバイトに出かけた。明日もバイトだ。昨日の夜、今週の出来事を振り返って凹んだ。なんだか、やることなすこと中途半端だ。クラスに溶け込めてない。夏子にも声をかけられない。自動車部もちょっと気まずくなった。ちょっと気になる屋上の上級生からも逃げてしまった。もうアタシは働くしかない!って思ってたけど…。


「晴海さん!生地間違えてるよ?」

「オーダー溜まってる!ガンガン作って!晴海さん!手が止まってるよ!」

「ちょっと邪魔!なに突っ立ってるの!」

 上手くいかない時は重なるモンです。気持ちが空回りして、身体が思ったように動かない。終いには吉野先輩からキツイ一言。

「使えなー!今日はもう帰れ!明日も来なくてイイ!」


 あ、もう…ダメ…。アタシは立ち尽くしたまま、ポロポロと涙をこぼしていた。

「…ちっ。」

 吉野さんは舌打ちするとアタシの手を引っ張って、アタシを更衣室に連れて行った。

「店長!5分休憩入ります!」


 更衣室で休憩用のパイプにアタシを座らせると、自分も向かい合わせに座った。

「晴海、なんかあった?今日おかしい。」

 吉野さんはアタシの手を取って、顔を覗き込んだ。その目は優しくて、なんか話したいんだけど、…言葉が出てこない。

「…あんた、バイト入れ過ぎじゃないの?なんか切羽詰まってる。さっきの話、冗談じゃなくて今週はもう休みな。店長には言っとく。…5分経ったね。」

 吉野さんは時計を見て立ち上がると、アタシの頭を手でポンポンと叩いた。

「その代わり、来週シフト代わってよ。お願いね?」


 アタシは顔を上げるけど、吉野さんはもう更衣室を出ようとしている。

「…先輩。…ありがとうございます。」

「…。」

 吉野さんは振り返らずに片手を上げて答えると、更衣室を出ていった。ツンツンモードに入ったらしい。切り替え方が凄いなあ。仕事出来るし、おしゃれも気合い入ってるし…。あぁ、また落ちてきた。アタシは着替えを済ませると家路に就いた。


 帰り途、アタシは自動車を押していった。頭がぼーっとしていて運転すると危険な気がした。転ばない様に、倒れないように足元をじっと見ていた。アタシはなにをしているんだろう。こんなはずじゃなかった…。クラスにも、友達の隣にも、部活にも、バイトにも、なんとなく居づらくなってしまった。アタシの居場所はどこにあるんだろう。


 いつの間にか、アタシは家に着いていた。ラーメン屋はるみ屋は土曜夜の混雑前で、お客さんはちらほらいるけど忙しいのはこれからだ。アタシはお店から入っていった。

「ただいま。」

「おかえりなさい。」

 母さんと姉さんが厨房から声をかけてくれる。アタシはテキトーに返事をすると奥に引っ込んだ。二階に上がって自分の部屋に入ると、小さなベッドに倒れ込んだ。


 詰め込み過ぎ?空回り?アタシのやりたかった事ってなんだっけ?アタシはベッドに横たわったまま、頭がグルグル回り出した。アタシはなんでココにいるんだろう。なんで自動車部なんか入ったんだっけ。なんでバイトしてるんだっけ。なんでこうなった。なんで…。もう…ココじゃないどこかに行きたい…。


「ちえり?」

 気が付くと姉さんがドアを開けて顔を出している。

「ちえり、バイト遅いんじゃなかった?」

 答えるのが面倒臭い。

「…うん。早引け。」

「ふ~ん?明日は?」

「休み…。ちょっと?なに?」

 姉さんがベッドの横に来てアタシの額に手を当てた。

「熱は無いね…。ちえり、疲れた?毎日遅いけど…、たまには休んだ方がいいよ。最近バイクも乗ってないでしょ。」


 だって…ガソリン代稼がなきゃいけないんだもん。来週やっと給料日だよ。アタシの額に当てた姉さんの手はザラザラしている。お店の水仕事で荒れているんだ。短大出てお店に入って、朝から晩までの立ち仕事。普通にOLしてもよかったのに、母さんを助けるからって頑張ってる。それなのにアタシは…。


「ちえり、お休みなら明日は気分転換にお出かけしたら?天気は良いみたいだよ?あ、ちょっと待ってて。」

 姉さんは部屋を出ると自分の部屋に戻ったみたい。暫くしたら戻ってきた。手には五千円札が一枚。

「ハイ。もうすぐお給料日でしょ?貸してあげる。」

「え?ホントに?」


 アタシは起き上がって、姉さんに向き合った。なんだかかしこまって正座してしまった。

「マメにエンジンかけないと、バッテリー上がるよ。ちえりもね?バイクはここではないどこかに連れていってくれるから…。充電していらっしゃい。」


 神だ…。天使が降臨した。あ、眩しい…後光が差してる。アタシは正座してて、姉さんは立っているから、天井の蛍光灯を見上げてるだけなんだけど、眩しいから目がウルウルしてきた。やだな…アタシったらホントに最近湿っぽい。


「姉さん…。ありがとう。」

 天使は微笑んだ。あれ?ちょっと口元が怖いかも…。

「いいの…返済はトイチでお願いね。」

「…え?…姉さん、台無しだよ。」


 とんだ堕天使だ。かなり台無しだったけど、アタシは明日バイクでお出かけする事にした。することが決まったからか、今週落ち込んでいたのが大した事じゃない気がしてきた。お風呂に入って、家族で遅い夕食を取って、ベッドでマッタリした。


 アタシってばゲンキンだな。しかも現金五千円ってお安いよね。しかもしかも、もらった訳じゃなくてトイチで要返済の闇金物件なんですけど。現金が手元にあるって安心するな。人はこうして借金地獄に堕ちて行くのかしら。ひとしきり五千円の幸せを噛み締めると、アタシはお札の入っていなかったおサイフに、久々の高額紙幣をしまい込んだ。その後、スマホで明日の行き先を調べていたけど、知らないうちに寝入ってしまった。


 翌日は晴れ!またもや朝日とともに目覚めてしまった。アタシってば健康的!カーテンを閉め忘れたことも前向きに考えよう。今日の行き先は海のち山。借りた五千円を有意義に使うため、高速道路は使用しない。スマホで大体の道のりを確認すると、アタシとNSRは出発した。


 国道246号線を大和近辺まで下ってトンネルの手前を左折して、藤沢街道に入る。暫く真っ直ぐの単調な道が続く両側には、ショッピングセンターがあったり、並木道があったり、それなりに建物もある。


 かなり長い道のりをひたすら真っ直ぐ進むと、やがて道は国道1号線を潜り、藤沢街道を道なりに左折する。藤沢駅周辺はそれなりに賑わっていて車も多い。アタシは面倒臭いけど、大人しく車の流れに身を任せた。少し混雑した街中を抜けると、道はまた暫く真っ直ぐだ。江ノ島に出る手前で江ノ電の線路が現れた。しかも、ここを右に曲がるんだよね?あれ?どの道?アタシは交差点のど真ん中で迷ってしまった。


 パ~ン!

 これは電車の警笛だ。文字だけだとツーストロークエンジンの全開排気音と見分けがつかないけど、そこは察してください。


 立ち往生したアタシの目の前を江ノ電が悠々と横切っていく。おお、路上を歩くおっきい緑のイモムシみたいだ。普段見慣れたステンレス製の銀色で金属のカタマリ然とした車両じゃない、緑とクリーム色でペイントされた時代がかった電車が、のったりと動いてる。プラットフォームでなく路面の高さから見るそれは、大型トラックより威圧感がある。


 キィー。キィー。

 短い編成の江ノ電はカーブで車輪とレールの軋る音を響かせて進んでいった。アタシはのんびり走る電車を見送ると、進行方向を見きわめて再び走り始めた。江ノ島はもうすぐだ。


 ちょこっと走ると目の前がぱぁっと開けて海岸線に突き当たる。コンビニの前で赤信号で停ると、視界には砂浜と海が広がっていた。おお、海だ!凄い久しぶりに海を見た。右手にはすぐそこに江ノ島が見える。ちょっと感動。信号が青になると右折。今日は箱根に向けて海岸線を流していく。


 江ノ島を左に見ながら国道134号線を西に向かう。砂浜が見える。まだ春なのにサーファーの皆さんは早朝から頑張っている。チャリの横にボードを積んで走っている人もいる。ランニングしている人もちらほら。皆さん早起きですね!頑張って!あ、水族館もあった。夏になったら夏子と来よ。


 そのうちに海側は防砂林の松林で砂浜は隠されてしまった。ちょっとガッカリ。でも、たまにチラッと見えるとオオッてなる。川にかかる橋の上からは海岸を見回す事が出来てイイね。バイクもたまに走っている。何台かすれ違ったし、のんびり走るアタシをハーレーダビッドソンや大型SSが追い越していった。


 やがて国道134号線は西湘バイパスになる。まだ大丈夫。しばらくは無料区間。アタシは速度を上げた。道は高架になり、海を見下ろせる。大磯の港を下に見てカーブを通過すると、真っ直ぐに続く砂浜が広がっている。うわー、イイわ。


 ココからひたすら真っ直ぐな道のりだけど、お金の無いアタシは節約のため、『ここから有料』の看板を最後に西湘バイパスを下りる。国道1号線に入ると東海道の街道筋だ。背の高い建物も無く、特別賑わっている訳でもないけど、たまに現れる古い家屋とか、松の並木が古い街道を偲ばせる。


「お、ハンバーガー屋だ。」

 そろそろ一息入れようかと思ってたところにファーストフード店発見。アタシは駐車場にバイクを止めて小休止。ホットコーヒーを頼むと、窓際の席に座った。ポーチからスマホを取り出すと、マップでこの先の道のりを確認する。この先、酒匂川を越えて小田原に入って、国道1号線を西へ、芦ノ湖を目指す。今日は箱根駅伝コースを進むことにした。


 アタシはコーヒー飲み干すと出発した。酒匂川を越えて小田原に入ると、道は二車線に広がって街中の道になる。国道からはあまり見えないけど、小田原城に突き当たり1号線を道なりに進む。やがて東海道線を潜ると、左に早川、右に箱根登山鉄道に挟まれた道だ。少し行くと両側に蒲鉾屋さんが現れた。帰りに寄っていこうかな?


 道は湯本に向かって緩い登り坂。西湘バイパスの出口と箱根新道の入口を過ぎるとすぐに箱根湯本駅だ。橋の向こう側は湯本の旧東海道の温泉街だけど、今日はこのまま国道1号線を進む。箱根新道は無料だけど、今はくねくね道を走りたい。賑わう駅前を過ぎると早川沿いの山道だ。


 幾つもの温泉宿が現れるけど、やがて道は緑が濃くなり、森のトンネルの様相を呈してきた。道も山側も谷側も険しく切り立っていて、山肌を削って通した事がわかる。道はくねくねと曲がる楽しい道だけど、勾配もきつくて、それなりにアクセルを開けないと登らない。車も多いからカッ飛んで行くのも難しい。


 コーナーが近づく。パンッ。アクセルを軽くあおる。カチッ。シフトダウン。クッとブレーキ。フロントフォークが沈む。タイヤが路面を噛み減速。ブレーキをリリースしながら、スッと体重移動してリーンイン、バイクを倒し込む。ビィーン。アクセルを開けて加速する。フロントフォークが伸び、リアのスイングアームが踏ん張って、リアタイヤを路面に押し付けてグリップする。カチッとシフトアップ。次のコーナーに向かう。


 こんな単調だけど、単純じゃない操作を淡々と繰り返す。つまんない?楽しいんだって!コーナーのR、道路の勾配、路面の状況によって最適なライディングが変わる。思い通りのラインでコーナーを駆け抜けるのは最高に気持ちイイ。それはサーキットでもツーリングでも同じ。


「うう、さぶぅ~。」

 もう4月も下旬だというのに、日の当たらない北斜面だからか、標高が上がったからか、ちょっと寒い。温泉で温まりたいな。大平台に登るヘアピンを抜けるとまた温泉街が現れる。もう少しで宮ノ下の交差点。この辺に歴史のあるホテルがあったはず。あ、これだ。趣のある外観をチラ見して。アタシは交差点を左折し、国道1号線を芦ノ湖方面へ。


 小涌谷の大きな温泉ホテルの前を通り過ぎると再び山道。今度は芦ノ湖に向けてゆるゆると下ったり上ったり。

「見えた!芦ノ湖!」

 キラリと光る湖面が見えた。元箱根湖畔には観光施設が並んでいる。アタシは駅伝ゴールの駐車場にバイクを止めると思いっ切り伸びをした。

「とうちゃ~く!」


 今日も天気だ。芦ノ湖がキレイ!アタシはブラブラと湖畔を歩いていた。まだ肌寒い箱根の山はその分清々しい。チャプチャプと小さく寄せる波が、なんだか可愛い。少し大きめの波が来たかと思うと、海賊船が湖面を進んで行く。


 そんな感じでノンビリと湖畔を歩いて行った。しばらく歩くと人気の無いところに着いた。道路や建物から程よく離れていて、おあつらえ向きに腰掛けられる程の石が転がっている。アタシは石に腰掛けると、ポーチからハーモニカを出して吹き始めた。


 今日のお題は明るめのJPOP。ジャニーズ系、AKB系、エイベックス系など、勝手気ままなメドレーを吹き終わると、昨日の塞いでた気分もなんだか晴れてきた。やっぱりアタシって単純!先週までの事がどうとでもなるような気がした。


 クラス委員の関山に言って文化祭に参加して、クラスに友達を作ろう。夏子にお土産買って会いに行こう。吉野先輩にもお土産買ってお礼しよう。姉さんにもお土産買っていこう。自動車部にも頑張って行って、葛城先輩は気まずいけど話してみよう。

「よし!決めた!」

 アタシは立ち上がった。パンパンとズボンをはたくと、顔を上げて意気揚々とお土産を物色するべく歩き出した。


「なんなのこの行列は…。」

 アタシは早くも意気消沈していた。箱根のお土産と言えば、黒玉子と寄せ木細工というのが、アタシの中に刷り込まれている。寄せ木細工はどこのお土産屋さんにもあって何にしようか迷ったけど、小さな根付ストラップに落ち着いた。


 問題は温泉黒玉子で、アタシの知っている限りでは大涌谷にしかない。仕方ないので大涌谷に向かったが、駐車場までは大渋滞。登り坂だし、延々待ちだし、バイク専用の駐車場が欲しいです。やっと駐車場に停めると黒玉子屋さんの行列。まぁ、こっちは人気ラーメン店ほどは待たされなかったけどね。


 という訳でアタシはやっと温泉黒玉子にありつく事が出来ました。ひと袋5個入り。ひとつふたつ食べたら残りはお持ち帰り。真っ黒な殻を剥き、塩を振りかけてパクつく。ほんのり温泉の香り、美味しいです。でもちょっとしょっぱいのは塩をかけ過ぎたのか、渋滞で泣いたアタシのナミダなのか?


 そう言えば温泉の硫黄って卵の腐ったような匂いだって学校で習ったけど、温泉黒玉子が美味しいのはナゼだろう?でもアタシはピータンも好きだからな。なんてつまんないことを考えながら、大涌谷からの富士山の眺望を楽しんだり、神社にお参りしたり、お土産屋さんを物色していると、そろそろお昼を回っていた。帰り道が混雑する前に帰ろう。明日も学校だし。


 アタシは乙女峠を越えて御殿場経由国道246号線で帰路に就いた。早めに帰って正解で、渋滞にもハマらずに家の近くまでたどり着いた。途中のファーストフード店で一休みした時、夏子にメッセージを送ったら今日は家にいるらしい。明日でもいいかもだけど、今日の方がいい気がした。


 ピンポーン。アタシは夏子の家のチャイムを鳴らした。

「いらっしゃ~い。ちえり、箱根行って来たって?どうぞ、入って?」

 アタシは取り出しておいたストラップを渡した。

「ううん。ハイ、お土産。今日は他にも行くところがあるから。」


 夏子はなんか気づいたかも。

「…大丈夫なんだよね?最近あんまり話してなかったけど。」

 アタシはニッコリ笑った。

「うん大丈夫。また明日からよろしくね。」

 アタシは明日のお昼を一緒に食べる約束をして夏子の家を出た。


 次に向かったのはバイト先。通用口から入るとちょうどよく吉野先輩が休憩していた。ちょっとしんどそう。でも、アタシに気が付くとニコッて笑ってくれた。

「アレ?晴海?どうしたの?」

 アタシは姿勢を正して礼をした。

「今日は変わって頂いてありがとうございました。おかげさまでスッキリしました。」

 アタシはアタマを上げて、持っていたストラップを渡した。

「あの、今日はバイクで箱根行って来たんでお土産です。良かったら使って下さい。」


 吉野先輩はお土産を受け取ると、アタシを上から下からじっとり眺めた。あ、モードが変わったみたい。

「ありがと。晴海バイク乗るんだ…。そう言えば、自動車部に入ってるんだっけ?」

 吉野先輩は何を考えているのだろうか?やがてニタリと笑った。パイプ椅子を指して座れと促す。アタシは大人しく座ることにした。先輩は持っていた甘そうなロイヤルミルクティーのボトルをひと口飲むと話しを切り出した。


「あのさ、バイトのシフト代わってって言ったけど、晴海は少しシフト減らした方がいいよ。バイクのためのバイトでしょ?バイクに乗れなかったら、本末転倒だからね。でさ、代わりと言っちゃなんだけど、名前貸してくんない?」

 な?名前?なんだろう。ブラック関係?

「…ゴメン。思いっ切り引いたよね?」


 吉野先輩は椅子にキチンとかけ直して、真っ直ぐにアタシの方を見た。

「実は私も学校で部活があるんだけど、先輩が卒業して私を含めて二人しか残ってないんだ。学園祭後のサークル連合会議までに、最低構成人数が部員名簿に載ってないと廃部になっちゃう。バイクに興味があって、楽しい仲間を増やしたかったら是非参加して欲しい。でも、とにかく部活を潰したくないから、幽霊でいいから部員になって欲しいんだ。」


 吉野先輩って普段はツンツンしてて、アンタなんか興味無いわよ!って顔してるけど、やる時はやる人だよね。

「あの、アタシなんかでいいんですか?もう自動車部に入ってるんですけど。」

「大丈夫、兼部OK。そういう人も他にいるから。…でも、晴海は最近ちょっと居づらくなってんじゃない?あの魔窟に。あそこって男ばっかで、黙々と機械いじってて暗くない?」

 え?なんで知ってんの?


「わかりました。とりあえず、幽霊部員でお願いします。ちなみになんて部なんですか?」

 アタシが入ることにして喜んでいるのか、ニコニコって嬉しそうだ。

「うん。文化系研究会なんだけどね。『自動二輪研究会』って言うんだよ。略称『自二研』、通称『二輪女子会』。学園祭の展示見に来てよ!よろしくね!」


#学園祭初日


 アタシは週明けに色々あった懸案事項を一つ一つ片付けた。夏子と夏子の友達とお昼をたべた。関山くんに話しをして、クラス展示に参加する事にした。そんな関係でクラスの女子とも、話す機会が増えた。まだ友達ってほどじゃないけど。自動車部はとりあえず顔を出して、今まで通りに学園祭の準備をした。葛城先輩は何か言いたそうだけど、アタシは今まで通りにしていた。やっぱりちょっと気まずいなぁ。でももうすぐ学園祭だし、ジムカーナ楽しみだし、頑張っていこう。


 学園祭の直前に待ちに待った給料日が来た!姉さんには利息も含めて完済。これからはガソリン代に悩む事も減るし、もう少ししたら夏用のウェアとか、色々揃えられそう。もちろん学園祭を回るお小遣いも確保。いやぁフトコロが温かいと心も軽いもんですなあ。夕方に現金をテーブルに並べてニヤニヤしていたら、姉さんに見つかった。


「ちえりちゃん…お金好きなんだ。」

 アタシの向いに座った姉さんに、アタシはお金をサイフにしまいながら、幾分ムッとして抗弁した。

「違うモン!…えっと…そうじゃなくて、これで学園祭も遊べるなって考えてたんですぅ!」

「いいなぁ…学園祭かぁ…。私も学生の時は楽しかったな。ちえりちゃん、なにかやるの?」

 姉さんは羨ましそうに、アタシの方に乗り出してきた。


「クラスの展示は『カンフー飲茶』って模擬店で中華まんや焼売を出すんだ。女子はスリットの入ってるチャイナドレス、男子はズボンのチャイナ服で給仕するの。」

「ちえりちゃんチャイナドレス着るの?いいなぁ。見たいわぁ。」

「あ、でもアタシは遅れて参加したから、チャイナ服なの。女子用はサイズもなくて…一応色は赤なんだけどさ…」


 姉さんは一瞬固まったけど、なんとかフォローの言葉を探してるみたい。

「そ…そうなのね。ちえりちゃん、かっこいいからまた女の子にモテちゃうわね。」

 姉さんってば、全然フォローになってないよ!アタシはちょっとガックリしてしまった。

「…そうだ!チャイナ服ってどんなの?」

「あ、これこれ。」


 アタシは放ったらかしだったカバンからチャイナ服を取り出した。安物のイベント用で派手な赤で、チャイナ服っぽくちょっと立ったエリと、前ボタンを留めるところが特徴。作りは極めてシンプル。上着は短めで腰までで、ズボンはダボッとしている。

「…ダッサ。」

 姉さん!バッサリ言ったね!しょうがないじゃない。これしかなかったんだから…。

「ちえりちゃん、これちょっと貸して貰えるかな?」

「え?いいけど。」

 姉さんがなにか企んでる。ちょっと、いやかなり楽しみかも。


 スポポポポ。プンッププゥ~ン。

 明日は学園祭。今日はジムカーナのコース作り。部長の指示で葛城先輩他数名と、コースにパイロンを並べながらエイプで試走。アタシはエイプに跨って軽やかにコースを走る。


「晴海さん、ここの八の字ちょっと窮屈じゃないか?」

「いえ、これ位の方が次のスラロームへの繋ぎがいいと思いますよ。」

 葛城先輩とは普通に話せる様になった。とはいえまったく意識しないワケでも無く、アタシはなるべく二人にはならないようにしてる。今日のうちにコースを決めて、明日は朝イチで準備して安全運転練習会の開講。アタシはお昼前に抜けてクラス展示でお昼時の忙しい時間の係。午後は部内ジムカーナ大会。


 一日目は忙しいから学園祭回りの時間はナシ!たぶん回る時間は二日目の午後くらい。自動二輪研究会の展示も見たいけど、楽しみは後に取っておこう。アタシはそんな事を考えながらエイプを走らせていた。

「ハイ、OKです。晴海さん、上がっていいよ。お疲れ様!」

 葛城先輩からコース設営作業の終了が告げられた。

「あざーす!エイプしまっておきますね。」


 アタシは部室兼ガレージにエイプをしまうと、作業していた他の部員も戻ってきた。帰り支度をしていると、隣りにいたまだ名前を覚えていない男子が話しかけてきた。

「晴海さん、乗れてるね。コース作りもやったから、明日はいいとこまでいけるんじゃないの?」

「いやいや、先輩方の方が慣れてるんじゃないですか?」


 話していた男子はちょっと辺りを気にすると、声を低めて言った。

「この部ってメカの技術は凄いけど、乗る方は今ひとつだよ。アンタの他にもう一人走れる一年の奴が入って来たんだけど、先週問題を起こして停学になっちゃってね。」

「ハア、そうなんですか?」

 まあ、今までの活動を見た限り、走りよりメカいじりの方が圧倒的に多い。吉野先輩の言う魔窟っていうのもあながち外れてはいない。

「じゃあ晴海さん、お疲れ様。明日のジムカーナで鮮烈デビューを期待してるよ。」

 学園祭でジムカーナが終わったら、アタシは密かに心に決めていることがあった。それは紙に書いて胸にしまっておいた。


 学園祭一日目!今日は早朝から安全運転練習会の最終準備。作業着に着替えて、エイプを出してチェック、コース上もチェック。クラスの方にもちょっとだけ顔を出して戻って来ると、コース上に白バイの姿があった。ウソ!なんで?アタシが近づくと石田部長が紹介してくれた。


「オレの従姉で女性ながら交通機動隊で白バイに乗ってる石田くるみ隊員だ。今日は急遽参加して頂けることになった。今日の午前中しかいられないが、色々教えて貰おう。石田隊員、一言お願いします。」


 石田隊員は白バイを降りて横に立った。身長は155センチ位?かなり小さくて白バイが巨大に見える。ヘルメットを脱ぐとショートボブにした黒髪がフワリと踊った。お化粧が薄いのもあるけど、可愛い感じ。ちょっとポッチャリ系?いや鍛えているのかも。年齢は若く見えるけど、多分20代前半かな?アタシの姉さんよりも上に見える。


「私は石田くんの従姉ですが、この高校のOGでもあります。なので安全運転練習会についてもよく知っています。」

 全員がハッと息を飲むのがわかった。なにか釘を刺されるのだろうか。そんな空気を感じ取ったのか、白バイ隊員はクスリと笑うと、にこやかに話し始めた。


「公道での暴走行為や無謀運転は、私達白バイ隊員が決して許しませんが、クローズドコースで運転技術を磨くのは有益な事だと思っています。実際に各地の教習所などでは、安全運転講習会が開催されています。学園祭でこのような会を開催する伝統は後輩に引き継いでいって欲しいと思います。今日の午前中はこのコースを利用して指導講習をさせていただきます。皆さん、奮って参加して下さいね!午後は残念ながら任務のため失礼させていただきますが、部活で切磋琢磨した運転技術を発揮して下さい。無茶と怪我はしないように。近隣への配慮も忘れないようにお願いします。」


 オオ~。パチパチパチ。こんな先輩もいるんだ。白バイもいいなあ。午後のジムカーナは問題起こすなよ、ということですね。そんなこんなで、午前中は白バイ隊員のテクニックに舌を巻きながら、学生や外部のお客さんと安全運転練習会に勤しんだ。


「さーせん。葛城先輩。クラス展示なんで抜けます。」

「オオ。部内戦は遅れるなよ。」

 アタシは11時を回ると、急いでクラス展示の教室までダッシュした。

「鈴木さんゴメンねぇ、間に合ったかな?」

 クラスメイトの女子の鈴木さんは大人しくて、色々と仕事を押し付けられている。クラス展示もいろいろ係を頼まれて、クラス委員の関山と一緒に忙しそうだ。

「大丈夫だよ。でも急いで着替えて交代してくれると助かるよ。」


 クラス展示の『カンフー飲茶』は結構繁盛しているようだ。女子は横にスリットの入ったチャイナドレス、男子は短めの上着とズボンのチャイナ服で給仕をしている。チャイナ服が足りなかった生徒は黄色の上下に黒いビニールテープでラインを入れて、ブルースリーを気取っている。関山くんがそのカッコにサッカーのキーパー用グローブを着けて遊んでるんだけど、ソレってカンフーサッカーかい?工業高校にただでさえ少ない女子が脚をチラ見せしているから、男子生徒の入りは悪くない。レンチン中華まんや焼売がそんなに美味しいとは思わないので、仮装のアイディアはよかったのかも。


 アタシは部屋の隅に用意した更衣室に飛び込むと、カバンからチャイナ服を取り出した。姉さんが色々と手を加えてくれたみたいだけど、ちゃんと見るのは初めて…。って、なにこれ!

「…す、鈴木さぁん。ちょっと来てくれる?」

 アタシは着替えたものの、ちょっと気後れする感じで、更衣室から首だけ出して忙しそうな鈴木さんに呼びかけた。

「はーい。今行きまーす。」


 鈴木さんは手持ちの仕事を片付けると更衣室にやってきた。アタシを見ると一瞬絶句した。

「どーしたのソレ!」

「姉さんが直してくれたみたい。」

 姉さんの女子力は安物のチャイナ服をチョーかっこよく変身させていた。ダブダブだった袖や胴やズボンがカラダにぴったりとフィットしている。胸の部分にはワンポイントで花の刺繍があり、襟や袖口や服の裾にも刺繍がしてあって高級感を漂わせている。


「…これは凄いね。…晴海さん、ちょっと綺麗にしようか?」

 鈴木さんは自分のカバンから、ポーチを出すと中からお化粧道具を取り出した。そして、他の女子にも声をかけると、晴海さん大化け作戦が始まった。なんかこのカッコエロいねとか、カラダのラインが綺麗に出てるとか、女子もホレてまうわとか、なんか色々言われてるんですけど!


「カンペキ!」

 鈴木さんの声を聞くと、ものの10分程で変身が完了したらしい。鏡が無いのでアタシにはどうなったのか分からない。とりあえず、髪は編んでツインテールになってる。アイライナーとリップは入ってると思われる。


「じゃあ、晴海さんは呼び込みやって下さい!…流し目とかウインクとか出来る?」

「鈴木さん!そんな高等技術はできませんよ。」

「じゃあ、あんまり大声で呼び込みやらないで?声出しは男子に任せる。所作はテキパキせず、流れるようにお願いします。」

 …果てしなく無理っぽいが、仕方ない。

「じゃあ、行こう。明日はもう少し時間掛けて綺麗にしたいね。」


 鈴木さんと更衣室を出ると、飲茶の教室がざわついた。みんなアタシを見てる。スゴく気になるな。なんだか恥ずかしいよ。教室の入口では関山くんともう一人男子が呼び込みをしていた。

「関山くん!声掛けはアナタが引き続きお願いします。この娘マネキンだから、テキトーにポーズ取らせておいて。写真はお客さん以外はNGだからね?お店を出る時に撮らせてあげて。じゃ、よろしくね。あ、これ使って!」


 鈴木さんはアタシに羽の付いた扇子を押し付けると教室の中に戻っていった。鈴木さん、キャラが変わったなあ。アタシはぼーっと立ち尽くしていた。

「あれ?晴海さん?」

 関山くんがアタシの方をためらいがちに見ながら、話しかけてきた。心なしか顔が赤い。


「なによ?アタシのシフトでしょ。他に誰がいるの?」

「え?…本当に?…ふ~ん、そうなんだ。…なんか凄いね。」

 関山がアタシの事をジロジロ見る。いや、廊下を歩く男子生徒がみんなアタシを見てる気がする。ちょっと恥ずかしくなって、扇子を広げて口元を隠し、目だけでゆっくりと周囲を見回した。


「ぶはぁっ!」

「ズキューン!」

「トスッ。」

 鼻血の出る音、心臓を撃ち抜かれる音、キューピットの矢が刺さった音があちこちから聞こえる。どうやら意図せずして、流し目を送ってしまったようだ。


「すみません!カメラいいですか?」

 関山がアタシの前に立って遮った。関山、アンタそんなにアタシの事を…。

「申し訳ありませんが、写真はお買い上げの後でお願いします。お店の入口はアチラです。ごゆっくりどうぞ。出口で記念撮影いたします。」

「…関山、アタシはアンタの事を見損なったよ。」

 アタシはかなりゲッソリして言ったんだけど。

「…晴海、後で一緒に写真撮っていいか?…なんか、今日かっこいいぞ。」

「…バカじゃないの?」

 アタシは関山の顔が見れなくなってしまった。


 その後、馬子にも衣装のエセ・チャイナレディとの記念撮影を狙って殺到するお客さんのおかげで、中華まんと焼売は飛ぶように売れた。アタシは作り笑いが張り付いて、ほっぺたがヒクついてきた。あれ?なんか忘れてるような気がする。


「晴海!こんな所にいたか。」

 葛城先輩が廊下を歩いてくる。やば、そうだよ。ジムカーナ大会に行かなくちゃ!

「関山。アタシ部活のイベント行かなきゃ。」

 呼び込みで疲れ切った関山はスマホで時間を確かめた。

「ああ、もうこんな時間か。いいよ。お前のお陰で大盛況だ。もういいだろう。なんかレースだっけ?頑張れよ。」

 声もガラガラだ。アタシが変なポーズ決めてる間、一生懸命声掛けしてくれたもんね。

「ゴメンね。また後で。」

 アタシが謝ると、気にすんなって感じで手を振ってくれた。いい奴だな。


「晴海!急げ。そろそろお前の番だぞ。っていうか、お前なんてカッコしてんだ!っていうか、やべ…。」

 葛城先輩が五月蝿い!走りながら話し掛けてこないで!しかも、やべ…で止めるな!話し続かないじゃん!


 その後は黙って走り続けて、ジムカーナ会場に到着した。アタシも葛城先輩も息を切らしている。石田部長が機嫌悪そうにこっちを見てる。ちょっと、息整えさせて。

「遅いぞ、葛城、晴海!後はお前らだけだ。とっとと走らんかい!」

 むぅ、ご機嫌ナナメか…。アタシが忘れてたのが悪いんだ。仕方ない。OBらしい人達が待ちかねた感じでこちらを見た。グラサンをかけた小柄な女の人もいる。ん?あれって…。


「…さーせん。走ります。」

 アタシはスタート地点のエイプに近づこうとしたその時…。

「オレを先に走らせんかい。お前は座ってみてろ。」

 葛城先輩が先にエイプに跨った。部員の一人がヘルメットを渡すとそれを被ってエンジンをかける。


 スポポポ、ププゥーン。

 何度かアクセルをあおって調子を整えると、スターターにいつでもいいと、声をかけた。

「3、2、1、スタート!」

 スターターの声を合図に葛城先輩はスタートした。コースはスピードの出せる外周、S字、クランク、八の字、スラローム、この組み合わせで何パターンか走らせる。今日のコースはアタシと葛城先輩達で考えたから、カンペキに覚えてるけど、ちょっと落ち着いてから走りたい。葛城先輩はやっぱり最初に迷いがあって、スピードに乗れなかった。


「1分16秒5です。」

 後半は追い上げたけど、部長の1分15秒7に続く2位。

 最後はアタシだ。ヘルメットとグローブを付けると、エイプに跨った。

「お前、本当にそのカッコでやんのか?」

 部長がギョッとしてツッコミを入れるのも無理はない。アタシはクラス展示の模擬店『カンフー飲茶』の呼び込みのチャイナ服を着たまま勝負に挑もうとしているのだ。だって、着替え待っててくれないでしょ?


「…すぐに済みますから。」

 アタシはスタート地点に移動しながら、コースをイメージした。葛城先輩が先に走ってくれたから、その作業は容易だった。スタート地点で止まり、アタマの中に、走りのイメージがハッキリと映し出された。アクセルを何度かあおって、エンジンのフケを確かめる。

「スタート、OKです。」

 アタシが準備完了を告げると、スターターが部長にうなづいた。

「スタート10秒前…5秒前、3、2、1、スタート!」


 プァーッ!

 アタシはスタートダッシュで、ポンと飛び出した!よし!まずは加速して外周路を駆け抜ける。最初のパイロンが現れた。グッとブレーキを引き急減速。エイッとマシンを左に倒し込み、パイロンを回る。ブィ~ン。アクセルを開けてマシンを起こしながら、視線は次のパイロンへ。パイロンの左側にマシンを持って行き、引き起こした勢いのまま反対側にバンク。プンッ!パイロンを右に回り、最初のパイロンを再び左に回って八の字をクリア!目の前に一列に並んだパイロンスラロームが待ち受ける。


 プァッ。プァッ。プァッ…。

 アクセルのオンオフでリズムを取り、リアブレーキでスピードを調節して、ヒラリヒラリと右に左にマシンを倒し込む。リズムよくスラロームをクリアすると、次はクランクとS字だ。


 ペェ~ン!少しスピードを上げてエイプを走らせる。あまりいいタイヤじゃないから、グリップを確かめながら注意してアクセルを開ける。よし!いい感じでクリア。ここから八の字三連発!ズザザザザッ!フロントタイヤに負担が掛かる。荷重に気を付けて丁寧に回る。ズルッといかないように慎重に、でもスピードは殺さずに…。ナントカ持ちこたえた。


 プヮ~!再びスピードを上げて外周路を走り、最後に3つ設けられたパイロンの関門を抜けていく。通れる方向の決められた関門を逆から通らないように、最適なライン取りで走らせる。ひとつ…ふたつ…みぃーっつ…抜けた!ゴール地点にエイプをピタリと止めると、ヘルメットのシールドをはね上げた。

「タイムは?!」

 計測係がタイムを読み上げる。

「1分…13秒9!トップです!」


 やった!アタシはヘルメットを脱いでバイクを降りると飛び上がった。

「やったな晴海!すげーなお前!」

 葛城先輩が駆け寄ってきた。ハイタッチのポーズ。アタシも嬉しくて調子に乗っていた。パチン!ハイタッチ!イエーッ!

「お前ならやってくれると信じてたよ!先に走ってやって良かった…。」


 葛城先輩…?やばい…自分に酔ってる?アタシはちょっと身構えたけど…。ガシッ!って、葛城先輩がアタシの手をつかんだ。アタシは咄嗟に振りほどこうとする!先輩はハグする勢いでカラダを寄せてきた!

「ちょっと待ってー!」


 葛城先輩が一歩踏み込んできた時、アタシのカラダはいつものように自動的に動いていた。体を開き、踏み込みの勢いを利用してチカラを受け流す。掴まれた手に反対の手を添えると、勢いのままに手を振り上げる。葛城先輩は掴んだ手を引き込まれ、伸び上がったところで身体が反対側にクルリと回転、後ろ向きに倒れそうになる。

「ちょっと待ってー!」

 っていうのは、後ろ向きに投げ飛ばされる事を悟った、葛城先輩の最後の抵抗の叫び声だ。そしてアタシは気づかなかったけれど、アタシの胸元からハラリと紙切れが落ちた。


 葛城先輩を投げ飛ばした後、アタシはその場を走って逃げ出した。アタシってばアタマが考えるより早くカラダが動いてしまう。もうイヤ!クビをブンブン振って忘れたいと願うけれど、やってしまった事は覆せない。あの場面でどうすればよかったの?やんわりと葛城先輩を押し返して『駄目ですよ。先輩?』とか可愛く断ればよかったの?パチンとほっぺたのひとつも張って『やめてください!』とか毅然と断ればよかったの?投げ飛ばしちゃったら、オトメの恥じらいも、オトコのメンツもなにもあったもんじゃない。そんな自己嫌悪に囚われていた。


 学生会館から校舎に向けて走っている時、校舎の方から『ボン』という音と共に、ポッと白い煙が上がった。

「夏子?」

 中学生の頃、やはり文化祭で化学実験をしていた夏子が、化学部の実験で爆発事故をおこした事があった。その後、化学部は活動自粛。実質的に廃部に追い込まれてしまった。夏子がバレーボール部に入部したのはその後の話だ。


 アタシが校舎に到着すると、やはり大騒ぎになっていた。すれ違った生徒は口々に爆発騒ぎについて話している。

「爆発事故だって!」

「ドコの展示?」

「爆発研究会だって。」


 やっぱり。アタシは校舎に入る前に煙の発生している教室の目星を付けていた。階段を駆け上がり、廊下を走り抜けて目指す教室に駆けつけた。廊下は既に窓が開け放たれていて、煙も最初の爆発の時だけだったのだろう、少し異臭があるものの煙は残っていなかった。先生達が野次馬を整理している。誰かが呼んだのだろう、遠くから消防車のサイレンが近づいてくる。野次馬をかき分けて教室の入口に辿り着いた。恐る恐る中を覗き込む。教室は爆発事故があったにしては、窓ガラスが散乱しているわけでも無く、真っ黒に煤けているわけでも無かった。いくつかの机と椅子が倒れていて、床に薬品のこぼれた跡がある。


「すみません!部外者の方は外に出ていて下さい!あ、そこの薬品に気を付けて!手袋しないと手が荒れちゃうよ!」

 中で事故処理の陣頭指揮を取っていたのは夏子だった。眼を保護するメガネを掛けて、頬には爆発の時に傷でも付いたのだろうか、絆創膏を貼っている。少し汚れの付いた白衣をひるがえして、アチラを片付け、コチラの生徒に指示を出し、テキパキと処理している。


「夏子!」

 アタシが呼ぶと夏子が駆け寄ってきた。

「ちえり!」

 知った顔を見て気が緩んだのか、夏子は目に涙を溜めている。

「どうしよう!また爆発しちゃった。」

 アタシは夏子の手を握った。冷たくて少し震えている。


「うん!でも夏子が無事みたいで良かったよ。怪我は無い?」

「うん。大丈夫。…ちえりも何かあった?ほっぺたが引き攣ってる。」

 夏子にはすぐバレちゃうんだよね。

「うう…自転車部の先輩を投げ飛ばしちゃって…。どうしよう夏子。」

 アタシも泣きそうになった。夏子はぷっと吹き出した。

「…私達、進歩無いね。人間そんなに変われるもんじゃないよ。まったく、しょうがないよね…。」


 緊張の糸が切れたアタシと夏子はふたりで床にへたり込むと、おいおいと泣き出してしまった。その後、消防士さんと先生達に追い出されるまで、教室の隅でふたりで泣きじゃくっていた。


#二日目


 翌日は学園祭も二日目最終日。昨日の爆発事故は騒ぎにはなったものの、怪我人も無かったため、爆発研究会の取り潰しには至らなかった。しかし、やはり危険な事故を起こしてしまったため、学園祭の展示は中止になってしまった。暇な夏子はクラスメイトと一緒にカンフー飲茶に朝から入り浸っている。


 アタシは午前中クラス展示で、午後からは学園祭を回る予定だ。自動車部は今日は元々係じゃないし、行きづらいからパス。葛城先輩は怒りまくっているんじゃないかな?でも昨日のジムカーナで分かった事もある。やはりアタシは走ってナンボのライダーだ。魔窟に巣食うドワーフにはなれない。昨日大事な書類を無くしてしまったのも気にかかる。


「あ、来た来た。春坊!こっちだよ!」

 夏子が大声で弟の春男くんを呼んだ。今日は受験する高校の学園祭を体験しに来たのだ。一応、中学校の制服を着てきた春男くんはまだ可愛く見えた。

「こんにちは。…あれ?晴海さん?!」


 アタシは昨日と同じ姉さん仕立ての可愛いチャイナ服だけど、クラスメイトの鈴木さんが気合いを入れてお化粧してくれたので、ちょっと女子力アップを過信していた。

「なぁに?こんにちは。カンフー飲茶へようこそ!ゆっくりしていってね?」

 なんて、慣れない流し目とかしてみる。と、弟くんのアゴがカック~ンと落ちた。目を白黒させて、口をパクパクし始めた。なにか言葉を探しているが、意を決して口にしたセリフは下記参照。

「…あの、今日はお綺麗ですね。スゴくかっこいいですよ。」


 ああっ、呆れてる!棒読みだよ!すっごい棒読みだよ!ちょっとへこむ。弟くんはアタシの目を覗き込むと、あれ?って顔をした。ふいっと夏子の方を振り向くと、やはり目を見てる。

「…な、なによ?私の顔になにか付いてる?春坊。」

 夏子が弟くんのジト目に耐えかねて言う。

「…なんか、ふたりして目が赤い。晴海さん、お化粧で隠してもダメですよ。昨日ふたりで泣いてたんでしょ。爆発騒ぎがあったって、夏姉の仕業だろ?もういい加減にしなよ。」


 す、鋭い。お化粧してくれた鈴木さんが、アタシの目が赤いのでちょっと濃い目にして隠そうとしたんだ。夏子も目元を隠すために、いつもは眼を保護する時にしか掛けないメガネを掛けている。何故か白衣も羽織ってる。出来る女科学者か、女医さんか、そんなオーラもまとってる。爆発研の展示が中止になったから、敢えてこのカッコなのかな?


「よく分かったね、春男くん。凄い観察眼だね。びっくりしたよ。」

 アタシは素直に感心してしまった。

「そりゃ、分かりますよ。ボクがどれだけ晴海さんを見ているか…って、うわ、な、なんでも無いです。」


 途中からモニョモニョって、よく聴こえなかった。あれ?春男くん下向いてる。夏子がチッて舌打ちした気がする。ん?『色気付きやがって…』とかなんとかブツブツ言ってる。なんだろ?


 何となく静かになってしまったタイミングを待っていたかのように、ドスの効いたデカイ声が響いた。

「おい!なんだこの店は!しょぼい兄ちゃん姉ちゃんしか居らんのか?晴海って奴を連れて来い!」


 うわぁ…顔を見なくても分かる。自動車部の石田部長だ。アタシ達はホステスじゃないんだけど…なんか、わざとやってない?凄い小芝居だ。仕方ない…。ここはひとつ乗っかってやるか。アタシが声のする方を見ると、やはり石田部長だった。開襟シャツが似合い過ぎていて怖い。


 目が合った。部長はポケットから紙切れを取り出すとヒラヒラと振った。サーッと音を立ててアタシの血の気が引いた。アレはアタシの書いた退部届けだ!昨日のジムカーナの時に落としたに違いない。しかし、アタシの気持ちは決まっていた。アタシは石田部長の席にゆっくりと歩いて行った。夏子と弟くんが心配そうに見送る。アタシは『大丈夫』ってウインクした。


「お待たせいたしました。晴海でございます。石田部長、ようこそいらっしゃいました。」

 ニコやかに挨拶しつつ、部長の隣の席に腰掛ける。何故か机の上にプレッツェルの箱が置いてある。

「部長、ま、おひとつ…。」

 プレッツェルの箱を開け、軽く振るとプレッツェルが一本出てきた。アタシは箱を部長の目の前に持っていった。部長はピクリと右眉を上げ、右の口角を上げた。微笑したつもりらしい。アタシは吹き出しそうになった。


「…すまんな。」

 部長は親指と人差し指でプレッツェルをつまんで引き出すと口に咥えた。と思ったらブレザーのポケットをまさぐり始めた。ライターを探してるフリ?小芝居はまだ続くようだ。

「…どうぞ。」

 アタシは右手を軽く握って、左手を添えて差し出し、ライターで火をつける真似をした。笑いを堪えているため、ちょっと手が震えている。

「ああ、ありがとう。」

 部長は咥えたプレッツェルの先を、アタシの差し出した手の上にかざした。息を吸いながら数秒間止まり、そのまま椅子の背もたれに寄りかかった。プレッツェルを再び指でつまんで口元から離し、フゥーッと息を吐いた。

「…実はな…」


 アタシは堪えきれず、プーッと吹き出してしまった。

「アハハハハ…部長?なんですか、この小芝居は?」

 部長は退部届けの真意を確認する為、また昨日葛城先輩を投げ飛ばして逃げ去ったアタシが落ち込んでいることを心配して顔を見に来たらしい。一通りバカなやり取りをした後、アタシは退部する事を切り出した。


「まぁ、笑う元気があるなら大丈夫だな。退部の意思は固いのか?」

 アタシは部長に向き直って、しっかりと眼を合わせて話した。

「メカも好きだけど、やっぱり走らせる方が好きです。」

 アタシはもっと走りたい。ジムカーナを走ってみてハッキリした。魔窟の中でしか極められない事もあるけど、アタシの目指すところはそこじゃないって分かった。そういう意味では僅か三週間だけど、魔窟体験は無駄じゃなかったよ。


「分かった。そういう事なら仕方ない。でも退部じゃなくて休部にしとけ。また、メカをやりたくなったら言ってくれ。」

 アタシはアタマを下げて非礼を詫びた。

「我儘言ってすみません。…あの、またジムカーナ参加していいですか?」

「ああ、大丈夫だろう。まったく美味しいところを持って行ったよな。…そうそう!」

 石田部長はポケットをまさぐると、なにかチケットの束のようなモノを取り出した。

「ジムカーナ準優勝の景品だ。受け取ってくれ。ああ、大したもんじゃない。バイク用品店の割引券だ。」


 なんと!景品があったんだ。やった!束になっている割引券をパラパラとめくる。え?ウェア半額?マジで!アタシはパァーっと目の前が開けてキラキラしてきた。うわぁ、アガるぅ!でも、あれ?準優勝って…。アタシがなにか聞きたそうなのを察してくれたのだろう。部長が口を開いた。

「優勝したのは、オレの従姉妹だよ。グラサンして、カーキ色の迷彩のタンクトップを着てた奴がいただろう?まったく現役の白バイ隊員が大人げないよな。オマエのタイムを二秒以上削ってぶっちぎりの優勝だよ。」


 アタシは素直に感心してしまった。白バイ凄い。見掛けたら逆らわないようにしよう。

「ちなみに優勝賞品は4スト用エンジンオイル10リットルだ。晴海の2ストバイクには役に立たないから、丁度よかったかもしれないな。なんか、公務員は受け取れないからって、上位入賞者に譲ってたけどな。」

 確かに…。アタシがもらっても、ガレージにでも寝かせておくしかない。準優勝でよかった!


「アレー?男子部の部長さんじゃないですか。」

 この声は!アタシが振り向くと、ミカリンことピザ屋のバイトでお世話になっている吉野先輩だ。学校で会うのは初めてかもしれない。科も学年も違うからか接点がなかった。今日は学園祭だからか、いつもと違う。…っていうか、レイヤーさんですか?


 黒いゴスロリ系の凝ったレースをあしらったワンピース。黒いストッキング。しかもガーター付けてるって分かるくらいスカート短い!肘まで隠れる長い黒の手袋。左の手首と足首に真っ赤な薔薇のコサージュ。ハデな赤毛の盛髪ツインテールで、お目目パッチリ、まつ毛も盛ってる。


 青ざめたような白い頬に、真っ赤なルージュ。小さな赤い涙の雫が左頬にペイント。手には小さくて役に立たないと思われる日傘。あと、アタシとしては吉野先輩の履いてる、靴底5センチ、ヒール10センチのブーツはちょっといただけない。ミカリンは身長にコンプレックスがあるのかも。石田部長は吉野先輩を見ると、はぁとため息をついた。

「吉野、お前相変わらずだな。晴海と知り合いなのか?」


 吉野先輩は日傘を肩にかついで、その場でクルリと廻ると、ニコやかに言った。

「アタシのバイトの後輩ですよ。うふふ。」

 ああ、後ろ姿も見せたかったのね?腰のリボンも赤なんだ。目も赤いカラコン入れてる。赤と黒なんだ。アタシがじっと見てると吉野先輩が説明してくれた。

「いかが?ヴァンパイアの花嫁よ。ウチのクラス展示は『美しき青きお化け屋敷』なの。」


 ふ~ん、そ〜なんだぁ。オトコ臭い工業高校でお化け屋敷をやって楽しいんだろうか?このカッコしたくて吉野先輩がねじ込んだ企画じゃないかな。

「吉野が来たってことは、晴海は自二研に入ったのか?」

 石田部長は意外そうでもなく言った。男子部、女子部っていうのはそういう関係なのかな。

「いいえ。現在、絶賛勧誘中なの。今日は私達の展示を見て貰おうと思って、顧問の先生と一緒にお迎えに来ちゃった。」


 顧問の先生?そういえば、教室の入口付近で楽しそうにニコやかに眺める若い男の人がいる。まだ、20代前半だろう。身長は175センチくらい。白衣を着ていて、体型は分かりにくいが太ってはいない。肩のラインからすると痩せ型なのかも。先程から笑いを堪えているのか、口元を左手で隠している。その手は骨っぽくて指が長い。手首にはゴツイ腕時計。髪は栗色で柔らかそう。自然に流している感じだが長くはない。細めのフチなしメガネを掛けていて、眼は少しツリ目のようだが今は優しそうに細められている。


「吉野くんも面白いけど、晴海くんも面白そうなコだね。初めまして、晴海くん。ボクが自動二輪研究会の顧問をしてます、天崎隼人(あまがさきはやと)です。化学の教師をしてます。」

 少し低い柔らかな声で落ち着いた感じの先生だ。

「今、部員が足りないので吉野くんが部員集めに奮闘していますが、もし興味があるならいかがですか?」

 なんかジェントルマンな感じ?


「天崎先生!なんで先生がこんな場末の飲食展示に?!」

 裏返った大声にアタシが振り向くと、夏子が立ち上がって頬に手を当て天崎先生を見詰めている。夏子さん、場末で悪かったですね。どうせアタシは場末のチャイナガール。涙の似合うオンナよ!…と、一人芝居は置いといて…。先生も夏子を知っていたみたい。

「ああ、佐藤くん。こんにちは。いつも真面目に授業を受けてくれてありがとう。佐藤くんも入部希望ですか?バイクに乗るとは知りませんでした。」


 夏子はメガネを机にカタンと置くと、小走りでアタシをスルーして先生の前に立った。そして先生の目を見上げて言った。

「先生がバイク好きなんて、初めて知りました。免許証はまだですけど、私もお仲間に入れて頂いてよろしいですか?」

 先生は至近距離のアプローチに、別にうろたえる事も無く、優しげな眼差しのまま、ポンと夏子の肩を叩いた。

「佐藤くん、爆発研の話はボクも聞いた。もし、佐藤くんが風にまかせてバイクを楽しみたければ、自二研のドアは開かれているよ。」


 ボンッて音がした。夏子が熱暴走したか、気絶しそうな感じだったので、アタシは後ろから支えてあげなくちゃならなかった。吉野先輩がぷぅっとふくれて、私が勧誘に来たのにとか、ブツブツ言っているけど、気を取り直して言った。

「じゃあ、これから自二研の展示を見に行こうか?ミクリンも首を長くして待ってると思うし。」


 吉野先輩はそう言うと先頭に立って歩き始めた。あれ?ココにいるのはミカリンだよね。ミクリンって誰だ?

「ミクリンは三年生の部長さんですよ。吉野くんとなかよしなんです。」

 天崎先生がアタシの『?』マークを見つけて補足してくれた。

「じゃあ、行きましょうか。」

 天崎先生も吉野先輩の後につづいた。


「石田部長、すみません。また今度改めてご挨拶に行きます。」

 おいてけぼりの石田部長に慌てて声をかけた。部長は肉まんをほおばりながら、別のチャイナガール(鈴木さん?)と話していたけど、アタシの呼びかけに答えてくれた。

「おう、そんなに気にしなくていいぞ。気が向いたらこいや。」

 アタシの方にグッと親指を突き出してみせた。アタシはぺこりと深いおじぎをした。

「ありがとうございました!」


 アタシはよろめく夏子の腕を取った。夏子はへろへろしながらもついて来る。アタシが引っ張っているからではなく、アタシの前を歩いて行く天崎先生にフラフラと吸い寄せられているようだ。

 階段を上がって最上階に出る。

「弱小研究会は隅っこに追いやられてるの。お客さんもなかなかここまでは足を運んでくれないのよ。あ、廊下の突き当たりだから、もう少し歩くよ。」


 廊下を歩きながら、吉野先輩が話してくれる。振り返ると夏子を連れたアタシの後ろから、夏子の弟、春男くんも付いてくる。そりゃそうか、学校内には夏子とアタシしか知り合いがいないんだから。夏子がこれじゃぁ先に帰るのも心配だよね?とはいえ、通り過ぎる教室の展示やポスター、すれ違う生徒や先生に目を奪われて興味深々の様子。これから受験しようっていう学校だから、知りたい事がいっぱいあるだろうな。


「春男くん、楽しい?」

 弟くんは急に声を掛けられてびっくりしたみたい。

「は、はい!楽しいです。なんかいいですね。僕も早く入学したいです。」

 可愛い後輩が自分の高校に入りたがるってなんだかくすぐったい。でも入って来たら素直に嬉しいだろうな。


「来年も一緒に回ろ!きっと楽しいよ。受験頑張ってね。期待してるから。」

 弟くんは一瞬立ち止まってしまった。

「どうしたの?」

 弟くんはうつむいて視線を床に落としている。

「…僕が入学したら、本当に来年一緒に回ってくれますか?」

 そう言うと顔を上げた。

「約束ですよ。」

 頑張り屋さんが顔を出した。やっぱり知り合いのいる学校に入学して、学園祭とか回ると楽しいよね。アタシは嬉しくてニッコリ笑った。

「ん、いいよ!」


 と、そこに吉野先輩が声を掛けてきた。

「お~い!なにやってるの?ココだよ。こっちだよ。おいで!」

 どうやら、先頭は自二研展示の教室に到着したらしい。アタシ達も行かないと。

「やばい!早く行かないと、吉野先輩に怒られちゃう。春男くん、行こう。」

 アタシが先に走り出そうとするけど、弟くんはなんだか動かない。アタシを戻って手を引いた。

「ホラ!行こ?みんな待ってるから。」

 弟くんはびっくりしたみたいだけど、何も言わずについてきた。うつむいて小走りでつまづきながら。


「あらぁ?ミクリン?いないねぇ。また屋上にサボりに行ったかな?」

 吉野先輩に少し遅れて、教室に駆け込んだ。教室の三分の一に仕切られたスペースにビッシリと書き込んだ模造紙が貼り出されている。風景とかバイクの一部のプリントした写真とか、地図とかも混じっている。幾つか並んだ机の上にはバイクの模型が置いてある。隅っこには小さなパソコンとテレビがあって、動画が流れている。


「地味でしょ?でも一年に一回くらいこれくらいやらないと、研究会って認めてもらえないんだ。」

 吉野先輩が珍しくテレながら言う。

「今回のテーマは、春の富士山ツーリングと、バイクの電子制御について。黒板側に貼ってあるのがツーリング関係、間仕切りに貼ってあるのが電子制御関係。ツーリングはミクリン、電子制御関係は私が担当しましたぁ。ゆっくり見て行ってね。でも飽きちゃったら他を見に行こう。」


 アタシは吉野先輩の言葉を聞きながら、展示に見入っていた。ツーリングの記事は、富士五湖、富士宮、御殿場方面で、おすすめのコースや、道沿いの様子、寄り道スポットなどが、書いた人の思いと共に綴られている。どこまでも続くワインディングロードを走る楽しみ、道端の木立の移り変わる様に気づいた時の嬉しさ、突然目の前に広がる風景に感じた驚き。アタシが最近感じていたバイクの楽しさがわかりやすい言葉になっていた。


「気に入った?」

 いつの間にか、アタシは展示の模造紙に書かれた世界に入り込んでいたらしい。吉野先輩が声を掛けるまで、結構な時間が経っていたようだ。

「晴海はこっちの方が好みだったかな?もう少ししたら、ミクリンも戻って来るだろうから、お茶でも飲んで待ってようか。」

「あ、ありがとうございます。先輩の方も見ていいですか?」

 吉野先輩は嬉しそうに笑った。

「そう来なくっちゃ!いいよ、ゆっくり見ていって。」


 アタシが電子関係の記事を見始めたら、横で夏子が難しい顔をして模造紙に集中していた。

「夏子がそんな難しい顔してるのも珍しいね。解る?」

 アタシは見始めたけど、チンプンカンプンで何が書いてあるのか解らなかった。夏子はブツブツと呟くばかりだが、やがて自分自身に話しかけているのか、アタシに話しかけているのか、声がはっきりと聞こえてきた。


「…凄い。これ、立派な論文じゃん。吉野先輩って…どんな勉強してるの?」

 夏子は圧倒された様に息を飲んでいる。アタシはもう一度模造紙に目を戻すと、内容を理解しようと文字を追っていこうとするけど…ダメだ、アタシのアタマじゃついていけない。

「ああ、吉野くんは今、高校に通いながら、国立大学の研究室に出入りしているんだ。そこでやっている研究の一部を大学の許可を得て展示している。」


 いつの間にか、天崎先生が後ろに立っていた。

「彼女は海外にも目を向けていて、留学も考えているみたいだよ。」

 あんなカッコしてるけど、そんなに凄い人だったんだ。吉野先輩の姿を探すと、春男くんに動画を見せて何か説明している。楽しそうに話す先輩は、バイトにも勉強にも全力投球しているんだ。アタシもあんなふうになりたいな。


「ちえり、私この研究会に入りたい。いや、入る!」

 夏子が突然アタシに宣言した。アタシはびっくりして聞き返した。

「え?アタシがまだ入るって決めてないのに。」

 夏子は真剣な目でアタシと後ろに立っている天崎先生を交互に見ながら言った。

「私はサイエンティストとして尊敬出来る人がこんなに身近に居てラッキーです。吉野先輩と、天崎先生に少しでも近づきたい。色々お話が聞きたい。ダメですか?」

 天崎先生は優しげに夏子に微笑むと、振り返って吉野先輩を呼んだ。


「吉野くん!新入部員一名様、ご案内です!あ、晴海くんじゃなくて、佐藤くんです。」

 は~い、と返事をして吉野先輩が入部届の用紙を持ってきた。天崎先生は夏子に改めて言った。

「佐藤くん。私もサイエンティストの中に入っているのかな?」

 夏子は真っ赤になりながらも、頑張って声を出して言った。


「ハイ!先生、色々教えて下さい!」

「分かった。ありがとう。これからもよろしく、佐藤くん。」

 天崎先生は真面目な顔で答えると、アタシの方に向き直った。

「で?晴海くんは?入部するのかな?」

 吉野先輩も先生の横でニコニコしながら、入部届用紙とペンを持ってスタンバっている。あ~…わかりました…。書けばいいんでしょ!書けば!


 アタシと夏子が入部届を書いている間に、吉野先輩は『ミクリン』を探しに行った。天崎先生は入部届を受け取ると、自二研の活動内容と歴史について説明してくれた。週一回の研究会活動、夏のツーリング、年一回の学園祭展示。年間の公式な活動内容は以上。去年は放課後になると、研究会用に割り当てられた教室にテキトーに集まってダベっていたらしい。弱小研究会なので部室はない。一緒にいた春男くんも入学したら入部するって言ってる。


 これくらいの活動ならバイトと走るところを探す時間もありそう。自動車部だと魔窟での拘束時間が長過ぎる。とりあえずバイトでお金を貯めよう。天崎先生の話しを聞いていたら、吉野先輩が戻ってきた。

「ごめんね!ミクリンたら屋上で昼寝してたよ。紹介します!自二研会長の、機械科三年御厨(みくりや)さんです。…って、会長?入って?」


 吉野先輩が手を引いて入って来たのは、背の高い男子生徒。?ミクリンって男子だったの?お、イケメンだ。『背は180以上はありそう。髪は男の人としては長めで少しクセがある。オメメぱっちりで優しそう。小顔で整った感じ。細身だけど肩幅がある。…』って、このプロフィール、どこかで…。


「あ~っ!?」

 アタシは思わず立ち上がって、指差してしまった。この間屋上で会った上級生だ!御殿場の道の駅で、怪しいお兄さん達から助けてくれた人だ。そんでもってちょっといいなって思った人だ。その後、アタシの勘違いで投げ飛ばしてしまった人だ!御厨先輩は入って来る時には分かったみたい。


「あ!この間の?」

 アタシは目を合わせられない。ツイっと目をそらしてしまった。

「…どうも…」

 き、気まずい…。吉野先輩がアタシと御厨先輩を厳しい探るような目で、交互にジトって見比べている。

「ふ~ん?…お知り合いでしたか?ミクリン?晴海さん?」


 こ、怖い!けど、なんか誤解してるみたい。い、言わなきゃ…。

「あ、あの、アタシが困ってる時に御厨先輩が助けてくれたんです。それで…アタシが先輩を投げ飛ばしちゃったんです!」

「へっ?」

 吉野先輩は一瞬気が抜けたように言った。

「ぷっ…」

 夏子が口元を押さえた。肩が震え始め、やがてこらえ切れずに言った。

「あはははは!ちえり、全開だね!まったく予測不可能だよ!」


 夏子の笑いが爆発すると、釣られて吉野先輩もクスクスと笑い始めた。御厨先輩はかなり恥ずかしそうで横を向いているけど、少し笑ってるかも。天崎先生は左手で口元を隠して笑いをこらえている。夏子の横で春男くんは青くなったり赤くなったり。


 アタシと御厨先輩は道の駅での出来事をみんなに話した。アタシが勘違いした事も、全部、ぜ~んぶ!あ、ちょっといいなってのはナイショ。

「むぅ、…それはミクリンが悪い!」

 吉野先輩が御厨先輩を執拗に責める。彼氏気取りでアタシに声をかけたのが気に入らないらしい。この二人、付き合ってるのかな?


「しょうがないじゃないか。咄嗟に出てきたんだから。」

「ミクリンてば、可愛い女子には咄嗟に彼氏気取りになれちゃうんだ?へえー。ふーん?」

「だから…」


 コレはどう見ても、浮気のバレた彼氏が彼女に言い訳してる場面だよね?アタシはそんなんじゃないから、退場したくて仕方ないんですけど。って、アタシがモジモジしていたら、天崎先生が助け船を出してくれた。

「吉野くん、新入部員が可哀想だよ。もう解放して上げなさい。後夜祭までに校内を一巡りくらいしたいでしょう?」

 アタシと夏子はブンブンと首を縦に振った。

「行きます!行きます!」


 吉野先輩はジロリとアタシを見たけど、ふぅとタメ息をつくと行っていいよと手を振った。

「ミクリンには私からキツク言っておくから、来週の活動日には来てね。ってか、バイトで会うけどね。よろしくね?」

 そう言うと、ニッコリと笑った。うーん…。今は言葉通りに受け取っておこう。アタシは笑顔を返したけど、ちょっと引きつっていたと思う。


「はい。よろしくお願いします。」

「じゃあ、また活動日においで。」

 御厨先輩もアタシにニコヤカに手を振ってくれたけど、吉野先輩に耳を引っ張られて何か言われていた。

「なんだよ、アイツ…。」

 一緒に教室を出ようとしていた春男くんが、ボソッと呟いたみたい。


「さ、行こ!」

 夏子がゲキを飛ばすように言った。アタシ達は初めての学園祭を満喫するために教室を走り出た。

 焼きそばを食べ、お化け屋敷でキャーキャー騒いで、アイスキャンディを舐め、展示を眺めて、クレープをパクついて、ライブでノリノリで、乾いたノドをなんだか分からないカクテルジュースで潤して、あっという間に空はオレンジ色に染まり始めていた。アタシ達は氷だけになってしまったプラスチックのカップをストローで啜りながら、廊下を歩いていた。


「ねぇ。夏子のクラスは展示無かったの?」

 夏子はちょっと寂しそうな顔をした。

「私達のクラス展示は爆発研と同じ教室でね。爆発事故で一緒に吹っ飛んじゃったんだ。」

 しまった。夏子のキズに塩を塗ってしまった。

「ゴ、ゴメン。」

「いいよ。」


 うーん。って考えていたら、クラスメイトの関山くんや鈴木さん達が、ゾロゾロと廊下を歩いてきた。あれ?展示は?と、関山くんが話しかけてきた。

「よう晴海さん、こんなところにいたか。もう後夜祭が始まるからさ、展示閉めて屋上に行くぞ。」

「あ、アタシ荷物…。」

 鈴木さんが重そうに持っていたアタシ達の荷物を渡してくれた。

「持ってきたよ。置いといてなくなったらイヤだから。」

 わざわざ持ってきてくれたんだ。なんだか申し訳ないな。

「あ、気にしないで。ついでだから。」

「ううん。ありがと!助かるよ。」


 鈴木さんにお礼を言って微笑みかけると、笑顔を返してくれた。や、嬉しいな。クラス展示に参加して良かった。

 荷物を受け取ると夏子姉弟も一緒に屋上に向かった。後夜祭は有志参加なので帰ってしまう生徒も多いけど、学園祭の役員や各展示の責任者は概ね残っている。校庭では夕暮れの中でキャンプファイヤーが焚かれていて、校舎からは生徒達が三々五々集まり始めている。屋上も開放されて何人かの生徒が、校庭を見下ろすネットフェンスにもたれている。後夜祭と言ってもなにかお楽しみがある訳でもなくて、キャンプファイヤーを囲んで気の合う仲間で座り込んだり、歩いたりしながら勝手にやっている。


 一応朝礼台が開放されていて、歌い始める人、なんか宣言する人、踊り始める人がいる。みんなは何となくそれに見入ったり、野次を飛ばしたりしている。学園祭役員も仕切ったり、イベントするのも疲れたのだろう。あんまり騒ぐと近隣の住民から苦情が来るのかもしれない。校庭や屋上にはあちこちにグループが出来てだべっている。何組かカップルもいるのか、男女で手を繋いだり、座って話し込んだりしている。イイなあ。大体、この学校は工業高校のご多分に漏れず、圧倒的に女子が少ない。当然カップルも少ないのだ。とはいえ、好きでもない男子にグイグイ来られても引いちゃうしなぁー…。今日は夏子がいてよかったな。なんて事を考えてたら、夏子が話しかけてきた。


「ちえり、静かだね。」

「…なんか、いろいろ考えちゃってた。部活の事も、クラスの事も、夏子の事も…。」

 夏子はびっくりした顔をした。

「あ、私?」

「ありがとね。今日は一日一緒にいてくれたし、自二研も一緒に入ってもらっちゃった。」

「いや、あたしは別に…、天崎先生がどうしても入れっていうからさ。」


 夏子は照れたのか、恥ずかしいのか、そっぽを向いてしまった。横から見ていたらなんとなく耳が赤いのは、夕日に照らされているだけではなさそうだ。そうだ、夏子は天崎先生が好きなんだ。アタシはまだ好きって思ったことないなぁ。まだ、お子ちゃまなのかな?背は伸びてるんだけどな。ああ、でも御厨先輩はちょっといいな。一度助けてくれたし。イケメンだし。背も高いし。残念ながら他人のものみたいだけど。


「アレー?晴海もここにいたの?」

 その声はと振り向くと案の定、吉野先輩だった。なんでこんなこと考えている時に現れるんだろう。ちょっと意地悪してみたくなる。

「…ども。お話は済んだんですか?」

 意地悪な感じが伝わってしまったのだろう。吉野先輩はちょっとムッとした顔になった。

「む、いやな言い方するねぇ。済みましたよ。で、罰ゲーム!衣装はクラス展示から分捕ってきたよ。」


 吉野先輩の後ろから、御厨先輩がヌッと現れた。『ヌッ』ていうのは何ていうか、そのカッコのせいだ。黒の長いマントを羽織って現れた御厨先輩はニヤリと笑った。笑った口元には牙が見える。そう、怪しい吸血鬼の登場だ。

「…今宵、吾輩は新鮮な乙女の血を欲しておる。だれぞ、その白い頸を差し出すものはおらんか。永遠の命と美しさを与えよう。」

 バサーッとマントを翻すと、不敵に笑った。ノッてるな、ノリノリだな。

「…罰ゲーム?」


 アタシと夏子が吉野先輩に目を向けると、先輩はウットリと御厨先輩に見入っている。いや、魅入られている?ま、いいか。勝手にしてもらおう。ていうか、吉野先輩はこれがやりたかったのか。この二人ってやっぱり付き合ってるんだよね?吸血鬼と花嫁だもんね。結婚まで考えているのかな?それはそれでなんかすごいな。

 ビューッ!その時、ちょっと強めの風が屋上を吹き抜けた。

「うわっ、寒っ!」

 アタシと吉野先輩は相変わらずコスプレで薄着だったし、五月の夜の屋上は暗くなって冷え込んできた。


「なんか寒くない?」

「…ですね。」

「なんかあったかいもの買ってこようか?」

 そんな様子を御厨先輩が気にかけてくれる。

「ハイ、そこに並んで…ハイ、しゃがむ!オッケー!じゃあ、これ。」

マントを脱ぐと、あたしと吉野先輩を並んで座らせて二人にマントをかけてくれた。


「ちょっと待ってて。」

 というと、昇降口に走っていった。やっぱりイイなあ。アタシはツイ目で追ってしまう。あれ?吉野さんがアタシをじっと見てる。にらむとかじゃなくて、なんか優しげ。で、一言。

「気になる?」

 え、ゴメンなさい!ゴメンなさい!彼女さんの前で彼氏さんをガン見してしまいました!アタシは青くなった。けど…。


「やっさしーんだよね。ミクリン。」

 吉野先輩は寂しげにポツリと言った。

「誰にでも…。」

「え?」

 そうなの?


「カレね、去年自二研が会員不足で潰れそうな時に私と一緒入部したんだ。自動車部から移籍する形で。当時、カレの憧れの先輩女子が自二研の部長でね。引き込まれたらしいよ。どうやら片思いに終わったらしいけど…。その後はミクリンに告白する奴は絶えないけど、付き合ってる女子はいない。」


 吉野先輩は淡々と話を続ける。アタシは黙って聞いているしかなかった。

「でも今年も部員不足でさ、ミクリンも私も二人で春休みを潰して学園祭展示の準備をしたんだ。楽しかったよ。アタシも夢の道筋が見えて来たし…。それでアンタ達が入ってくれて嬉しいよ。」

 御厨先輩がアタシと会ったのは取材の途中だったんだ。


「私はミクリンとは付き合ってないし、付き合わない。」

 吉野先輩はアタシの目を見て言った。なんだか、泣きそうにも見える。

「私は卒業したら、海外に行くんだ。だから、ずっと仲の良い友達でいたいんだ。たまに日本に帰ってきた時に笑って会いたいんだ。」

 自分に言い聞かせるように無理やり言葉にしたように聞こえた。

「…ゴメンね、晴海がなんだか気にしてる気がしたから。」

「いえ…。」

 なんだか気になる事が山盛りになってきたんですけど…。


「…そこ、暗くないですか?」

 弟くんとネットフェンスから校庭を見下ろしていた夏子がコチラを振り返って声を掛けてきた。聞いてたかな?

「…なんか、楽しく無い!」

 夏子がちょっとイラッとして言った。アタシは屋上に散らばる生徒達を見回した。みんな勝手にだべっているけど、なんだかつまらなそう。


「そうだね。」

 でも、アタシも何かしたい事がある訳でもないしなぁ。ふぅとタメ息。と思ったら、校庭を眺めていた夏子が何か見つけた。

「ちょっと、ちえり、アレいこう!アレ!」

 夏子はアタシの手を引いてネットフェンスから校庭を指差した。

「あそこ、あそこ!何人かで踊ってるっしょ?」

 確かに数人の生徒がキャンプファイヤーの前で踊ってる。でも音楽も無いし、ちょっと寂しいよね。


「ちえり、アンタ持ってるよね?」

 うーん、この展開は予想してなかったけど。

「え、持ってるけど、…でも、アタシじゃ…」

「じゃあ、僕もやりますよ。」

 いつの間にか、春男くんが横にいて、ニカッと笑っている。手にはハーモニカを持って。ま、マジですか?

「え~?…イヤイヤイヤイヤ、ちょっとそれは…恥ずかしいって。」


「なになに!何かやる気?私達も入れてくれない?」

 一緒に屋上に上がってきた鈴木さんや、関山らクラスメイトが、やはり退屈したのか、どこから話を聞いていたのか、寄ってきた。夏子はしめたとばかりにアタシにニヤリと笑いかける。

「ちえり、ハラくくりな。行け!」


 あぁ、しょうがないな。夏子は言い出すと聞かないんだよね。アタシはカバンからハーモニカを取り出すと、春男くんに話しかけた。

「じゃあ、ちょっと音を合わせようか?」

 やった!と喜ぶ弟くんと少しハーモニカの音色を確かめる。うん、大丈夫。夏子の方を向いて確認する。

「夏子、フォークダンスね。」

 夏子はニコニコ顔でうんうんと頷いた。


「じゃあ、始めるよ。」

 アタシは一度深呼吸をして息を整えると、隣にいる春男くんは見た。彼もアタシを見て頷くと、合図を待っている。アタシはハーモニカを構えて、スーッと息を吸うと、せーのって首を振って合図した。二人のハーモニカが鳴り出す。奏でる軽やかなリズムはマイムマイム。


「これ知ってる!」

「ちょっと!輪を作ろうぜ。」

 クラスメイトを中心に何となくフォークダンスの形が出来ていく。一周目はなんか照れながら、二週目はみんなニコニコして、三周目からはみんなノリノリで!特に男子のノリが凄い!少ない女子にアピールでもしようというのか、なんだか一生懸命で、なんだか可愛い。


 関山くんは暴れ過ぎだし。鈴木さんはまだ照れながら一生懸命ステップを踏んでいる。夏子も友達を見つけたのかな?笑って輪の中に入っている。あれ?御厨先輩?いつの間にか戻って来て吉野先輩と踊ってる。なんかチクリときた。やっぱり仲がいいね。とっとと付き合っちゃえばいいのに。長身の御厨先輩が小柄な吉野先輩に合わせて気を使って踊っているようにも見える。アタシくらい身長があった方が御厨先輩も楽しく踊れるんじゃないかな…。ってナニを考えてるんだアタシ!そんな気持ちがハーモニカに現れたのか、春男くんが合図を送ってきた。『終わりましょう。』…そだね。一旦終わろうか。アタシと春男くんはテンポを落として、フィナーレを高らかに吹き鳴らした。


「ブラボー!」

 屋上にいた生徒達が拍手と歓声を送ってくれる。こんなにいたっけ?屋上には演奏開始時の数倍の生徒で溢れていた。

「ちえり!下見て。」

 夏子が校庭を指差すのを見ると、校庭の生徒が校舎を見上げて歓声を上げている。

「いいぞぉ!」

「もっと吹いて!」

「アンコール!」


 うわぁ、恥ずかしい。そんなつもりじゃなかったのに。ちょっと引いてしまった。

「ねえ!私達も一緒にやっていいかな?」

 面食らってるアタシに追い討ちをかけるように、後ろから声をかけてきた人達がいた。吹奏楽部だろうか、軽音楽部だろうか、手に思い思いの楽器を持って立っている。

「ね、一緒にやろ!」

 もう、どうにでもして!アタシ達は近隣の住民からクレームが来るまではしゃぎ続けた。


 先生達がアタシ達の演奏にストップをかけた後、アタシと夏子と春男くんは職員室に連れて行かれてこってりと絞られた。ハーモニカは没収されそうになったけど、父の形見なんですと涙ながらに訴えてなんとか無事に済んだ。春男くんは中学生と判ると、よく覚えておくからと、言われて青くなっていた。夏子は離れた席に座っていた天崎先生を終始眺めていて、お説経も聞いていなかった。疲れ切って職員室を出ると、御厨先輩と吉野先輩が廊下で待っていた。


「お疲れ様。大丈夫?」

 御厨先輩がアタシ達を気遣ってくれる。疲れた心に沁みるなあ…。嬉しいな。ああ、バイクに乗ってスッキリしたいなあ。疲れていたからか、気持ちが素直にコトバに出た。

「先輩方、バイクでどこか連れてって下さい。」

 先輩達は顔を見合わせるとクスリと笑った。吉野先輩がアタシの肩にポンと手をおいた。

「いいよ。お願いされるとなんだか嬉しいな。どこに行きたい?」


 んー?どこだろ?どこでもいいけど、ライディングを楽しみたいな。

「…えっと、くねくね道?」

 吉野先輩は一瞬ちょっとショックを受けたように口を開けるとガクリと頭を垂れた。そして後ろにいた御厨先輩にタッチした。

「…まったく、ココにもいたよ。峠バカ。…ミクリンの専門ね。ハイ交代。」


 御厨先輩がしょうがないなというように吉野先輩と交代した。アタシはなんかちょっとテレるなあ。

「…晴海さん、NSR250だっけ?峠を攻めるのが好きなんだ?」

 あれ?なんでアタシのバイク知ってるんだっけ?…ああ…そうか。アタシの脳裏に、道の駅で御厨先輩を投げ飛ばした後、逃げ去った情景が再生された。見られてたか…。ハハハ…。


「…箱根は行った?」

 御厨先輩はアタシの混乱には気付かずに話を進めている。ああ、いけない、ちゃんとお話しないと。

「…は、はい。小田原から。」

「じゃあ、湯河原からは?」

「…ないかな。」

 御厨先輩はニッコリ笑った。あ、それ反則です!アタシはなんだか暑くなって、先輩から目を逸らしてしまった。

「じゃあ、決まりだね!椿からの大観山コースで。」


 そう言いながら、御厨先輩は吉野先輩の方を振り返った。吉野先輩を見ると、なんかコワイ顔をしている。アタシのせいかな?

「…また?あそこって、ビュンビュン飛ばしてるバイクがいて怖いんだけど。」

 あ、ソッチか。…よかった、こんな気持ち、気付かれたら怒られそう。

「まぁ、ミカリンのべスパじゃね。」

「フンだ!…で?いつ行くの?」


 そうだよ。早く行きたいな!アタシは張り切ってしまう。

「先輩!来週末とかどうですか?」

 先輩達は顔を見合わせた。で、ちょっと無いかなって顔。

「晴海さん、勉強は大丈夫なの?」

 ん?なんで勉強?

「そうだよ!ちえり!勉強はどーするの!」


 先輩達と話し込むアタシを珍しく大人しく待っていた夏子が急に割り込んできた。

「来週は中間テストだよ。ちなみに今週は小テストの嵐。…ちえりも同じでしょ?」

 がーん!…そう言えばすっかり忘れてた。

「ちえり、バイトと部活でろくに勉強してないでしょ。お母さん厳しいから、赤点でも取ろうものならバイク禁止だよね。」

 …おっしゃる通りです。ヤバイ、それはヤバイ…。


「ちえり、レースと同じだよ。スタートでコケると後から抜き返すのは大変だよ。」

 夏子が畳み掛けるけど、アタシには返すコトバも無い。

「晴海さん?勉強なら俺が見ようか?」

 落ち込んでるのを見かねた御厨先輩が助け舟を出してくれた。う…先輩がまたキラキラしてる。あ…その横で何かがメラメラって…。吉野先輩、めっちゃ怖い!

「俺も機械科だし、成績も悪くないよ。放課後、研究会の教室で教えてあげるよ。」

 横でくすぶり始めた吉野先輩には気付かずに御厨先輩が続ける。


「ちえり、よかったじゃん。いい先輩達がいて。私も一般教科ならいいけど、専門が違うからね。」

 夏子もホッとしたようだ。アタシの背中をバシバシ叩きながら笑いかける。

「さぁ帰ろ?まぁ、この一月は高校生活のスタートとしては上出来だったね。」


 そうだね。色々あったけど、この後も色々あるだろうけど…。アタシ達がお説経されている間に、他の生徒達はほとんど下校してしまった。すっかり暗くなった空を仰ぐと、晴れた空に明るい月がかかっている。アタシ達の足元には月明かりで照らされている。暗い中でもお月様があれば、歩いていける。無かったら、ヘッドライトで照らせばいい。始まったばかりの高校生活だけど、自分で行く道を照らし、誰かに照らされ、走って行こう。アタシ達のレースはまだスタートしたばかりなんだ。


「まだ学校に生徒がいるのか?」

 その時、学校指定の作業着を着た生徒が一人、校門の外を歩いていた。学園祭が終わったばかりの高校に何か用があったのだろうか?彼がリードを引くと彼の影に隠れていた柴犬が顔をのぞかせた。犬は校門から出てきた数人のグループを見つけると、知った人でも見つけたかのように走り寄ろうとする。彼はリードをグイと引き、飼い犬の行動をたしなめると、反対方向に歩き出した。


「行くぞ、サクラ。」

 犬は一度校門を振り返ったが、再度引かれたリードに諦めて従った。やがて飼い主の彼に引かれて学校を囲む高い塀の影に消えた。一度誰かを呼ぶように吠えたようだが、犬を叱る低い声がした後は静かになった。


 アタシは後ろを振り返った。犬の吠える声が聞こえた気がしたから。

「…サクラ?」

 立ち止まったアタシに夏子が寄ってきた。

「ちえり?どうかした?」

 アタシは校門の方に目を凝らすけど、何も見えない。

「なんでもない。」

 アタシは自分に言い聞かせるように呟いた。

「なんでもないよ。行こう!」

 アタシ達は月明かりに照らされた道を進み始めた。


 スターティンググリッドに並ぶと、もうすぐ先には過酷なレースが待っている。しかし周りを見れば、同じように緊張している者、これから始まるドラマにワクワクしている者、勝負に向けて静かな闘志を燃やす者たちが勢ぞろいしている。彼らは見知った友、新しく出会う仲間、あるいは好敵手として、レースを共に競う運命共同体の一員なのだ!

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