第7話 センパイとの危険なアバンチュール
陸上部の練習は、想像するまでもなくきつい。単調な運動を何百回となく繰り返すほかに、上達の道はないのである。
「みゆき先生、50mダッシュあと10本いきます!」
「氷室さん……ちょっと休んで」
やる気満々の冴と比べると、顧問の葉月みゆき先生のほうは、ちょっとダウン気味だった。
グラウンド脇のベンチに腰かけて、ただ見ているだけの顧問である。しかし、決して名ばかり顧問ではない。タンクトップとハーフパンツからすらりと伸びた白い腕や脚は、とても子持ちの既婚者のものには見えなかった。
それでも、独りで勢いづいている人間が目の前に1人いるだけで、心というものはドッと疲れるものらしい。ベンチの背もたれにぐったりと身体を投げ出して、胸を反らしている。たまたまそっちを見てしまった純情そうな男子生徒が、慌てて視線をそらしたりもする。
しかし、そんな疲れも、素敵な彼がいれば軽く吹っ飛ぶ。氷室冴14歳は、今、青春真っ只中であった。
ちょっと憧れている3年のキャプテンとの、偶然一緒になった帰り道。因みに家とは逆方向である。いつもより帰りが遅くなったって、言い訳は利く。陽介の方が遅いのである。しかも理由は不明。女の子であるということを除けば、冴が叱られなければならない理由はなかった。
春の日は長いとはいえ、そろそろ日も暮れかけている。遠くの家々は、薄暗い空に屋根がぼんやりと霞み、すれ違う人は影のみで顔もはっきり分からない。いわゆる逢魔が時という奴である。
そんな時に先輩は、神社への石段を登っていった。こんな方向に、先へ進む道はない。冴の胸は高鳴る。そこいらの少女マンガの1シーン1シーンが、目の前に明滅する。
まさか? まさかまさか? チャンスだなんてそんなことを考えちゃいけないけど嬉しいでも怖いどうしよう……
不自然な行動はどうしたって尋常な行動に結びつくはずがない。案の定というか青春のメモリーというかとにかく、お約束というにはちょっと危険なシチュエーションが冴を待っていた。
誰もいない薄暮の境内。頭ひとつ高い先輩が、夜の青に染まり始めた空を背に、微笑みかける。
先輩が何を求めているか分かっている。冴は一生懸命背伸びした。意識しなくても、自然に目は閉じる。たくましい手が、肩にかかるのが分かる。顔が近づいていくのが分かる。唇が重なるまで、あと数秒……
「そこまでだ、青少年!」
足元で電気ショックを食らったように、二人は硬直する。
先輩が振り向くのを、冴は見た。
その見上げる先に目をやると、空高く投げ上げられた季節はずれのトレンチコートが、まっすぐ降ってくる。
それが先輩の眼前に舞い降りた時、さえぎられた視界の向こうで、疾風の如く、何かが動いた。
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