第4話 ささやかな正午辺りの描写

 そこへ、校内の公衆電話に用があったらしい浅井奈美が、テレホンカードを手にして教室へ駆け込んできた。

「ねえ、みゆきちゃん、聞いて聞いて聞いて! さっき電話でさ……」

「声が大きい」

 うるさそうに顔を上げたみゆきは、低く唸った。

「ごめん……」 

 気まずそうに後ずさる奈美を、みゆきは試合で退いた相手を擦り足で追い詰めるかのような気迫でたしなめる。

「休み時間の私用電話は禁止だよね」

「あ、だから、さ……」

 奈美が白々しく目をそらした先には、きょとんと見つめ返す絵梨佳がいる。

「何?」

 それを見下ろす悠鷹はというと、いささか疲れたような、それでいてホッとしたような顔で、力なく肩を落としていた。それは恋人の注意が、警戒していた軽薄な優男から、ようやくのことでそれたからだろう。

 みゆきが体育会独特の、妙に鋭い声で号令をかけた。

「起立」

 4時間目、世界史の担当が教室に入ってきたのだ。時計は既に、授業開始時刻を指している。

 チャイムが壊れているのか? 

 そう思ったのは、氷室だけではなさそうだった。教室の誰もがいつものようにノートを取り始めていたが、おそらくは大抵の者が同じことを考えていたことだろう。

 いつの間にか教室に戻っていた陽介を除いては。


 そして、昼休み。

「あの5分、どっか消えたな」

「ん……」

 屋上で弁当を食べながら、氷室は陽介の返事を、どっちの意味か考える。

「はい」か「いいえ」か、いや、それ以前に聞いているのかいないのかよくわからない返事である。

「まだ、5分あると思ってたんやねんけど……」

 氷室が言うのは、3時間目の英語と、4時間目の世界史の間の休み時間のことである。

 悠鷹の視線を無視しながら絵梨佳の質問に答え、みゆきの横顔を見つめながら奈美の騒がしい声を聞き流すのは、ある程度、気持ちに余裕がないとできない。逆に言えば、次の授業が始まる直前に、それはいくら何でも慌ただしすぎた。

 確かに、人間なら誰しも思い違いをすることがあるのだから、気にするほどのことではない。

 だが、3時間目終了のチャイムが鳴った瞬間に見た、教室の時計は覚えている。確かに、休み時間は10分あった。どう考えても、絵梨佳が話しかけてくるまでに5分経ったとしか思えなかった。

 そんな取り留めもない考え事は、いきなり破られた。

「つまり、英語が終わってからの5分間のことだけは覚えてないんだな」

 氷室はきょとんとしてから、眼鏡を指先でつついてかけなおすと、陽介の顔を見る。

「それでいいんだ」

 弁当を食べ終わった陽介は、目も合わせないで答えるなり、アルミの箱を丁寧に包み直した。

 澄み渡った早春の空を仰いでしばし考えていた氷室は、そこである事実に思い当たった。

「お前今日、弁当持ってきたか?」

 街の外から田舎道を共に自転車で走ってきたとき、陽介の車体の後輪辺りに取りつけられたカゴには、何も入っていなかったような気がする。

 返事がないので振り返ってみると、やっぱり陽介はいなかった。


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