竜舞奏という人

 午後3時25分。本来の約束の時間まであと35分。

 人気の全くない、第3校舎裏の池の前に、大人の男性が約20人、ぞろぞろやってきました。誰も入館証を付けていません…………おそらくほかのビルの2階からキャンパスの塀を越えてきたのでしょう。ご苦労様です。

 彼らの年齢は、20代から50代まで様々ですが、共通するのは、だれもが手に包帯やギプスを巻いていることでしょうか。


「あいつ、素直に来るかな」

「来るに決まってるさ。俺たちはあいつの弱みを握ってんだぜ」

「車の準備は?」

「ばっちりだ。あいつの歪む顔を想像するだけで……いい気味だ」


 口々に言いたいことを言ってますね。

 彼らはもうすっかり自分たちがしでかしたことを、無かったことにしているようです。実に愚かなものです。

 断罪、というほど高尚なものではありませんが、憂いはきれいに取り除いておきましょう。


「はいはい、皆様ようこそお集まりくださいました」

『なっ!?』


 彼らは一様に驚いて目を剥いています。そんなおまぬけな顔をさらしてしまって、いい大人がかっこ悪いですよ?


「ど、どうしてお前はもうここにいるんだ!」

「陳腐なミステリーのように、私が指定された時間ピッタリに来るとお思いでしたか? 私は3時間以上前からここで待っていましたよ。皆さん、詰めが甘すぎます」


 私は、池の中央にぽつんと浮いている岩の一つに立って、彼らを見下しています。彼らは、水辺によって、動きが制限されているこの場所で、あらかじめ私を待ち伏せて、包囲するつもりでしたから、すでに想定外の事態なのでしょう。


「それで、あなた方とは面識はないはずですが、私に何の用です?」


「しらばっくれるなよ! お前には半年前に、電車の中で右手の骨を砕かれた!」

「俺もだ! この手は今も治療中なんだぞ!」

「あんたはやりすぎた。ひとりじゃ何もできないと思っているようだが、俺たちはひそかに、被害者の会を結成したんだぜ」

「さすがのお前も、この人数に一斉に被害届を出されたら……どうなるかな?」

「これだけの証言があれば、冤罪とはいわせねーよ」


 なんという気持ちの悪い笑顔でしょう。

 このような顔を見るたびに、心の古傷がしくしく痛みます。

 集団で一人の弱者を嬲る愉悦、倫理を逸脱することへの陶酔、そして復讐の味を存分に噛みしめる歪んだ幸せ…………私も一歩間違えていたらこうなったのでしょうか。なんと醜く、なんと憐れなのでしょう。


 正直、こうして私を脅すよりも、正々堂々と被害者の会を結成して立ち向かってきたほうが、よっぽど厄介でしたが…………余計なたくらみをした分、隙ができて幸運でした。


「なるほど。素晴らしい自信ですね。それで、仮に私を訴えてどうするつもりですか? あなた方も痴漢をしたと白状なさるのでしょうか? 社会的地位まで失っても、私から取れるのはせいぜい治療費位でしょうに」


「それについては心配無用だ。なぜなら、早く来ていたとはいえ、お前はもうここにきているんだからな」

「お前は天涯孤独だ。それに、恨みを持っている奴も多い。存在を闇に消すことくらい、わけないさ」

「メンバーの中にはヤクザだっているんだぜ。大人しくした方が身のためだ」


 本人たちは圧倒的優位に立っているつもりでしょうが、自分たちの首を絞めていることに気が付いていないようですね。いえ、気付くだけの頭があれば、こんなことはしていませんね。


「はぁ、もう茶番は飽きました」

「なに……! 茶番だと!」

「みなさーん、出番ですよ」


 私が手をぱんぱんと二回ならしますと、校舎の影や茂みの中、それに植木林の中に岩の向こう側…………あちらこちらから、様々な年齢の女性が姿を現します。半分以上は大学生以下ですが、中にはスーツを着ている社会人の方もいます。

 彼女たちの出現により、男性の集団たちは一気に顔色が青くなりました。なかには、呆然とその場にへたり込む方も見受けられます。


「そちらが被害者である以前に…………こちらも被害者なのです。そのことを

お忘れではありませんか?」


 彼女たちは、目の前の自称被害者集団から、実際に被害を受けた方々です。

 被害者の会の女性は大勢いますが、きちんと確証のあるメンバーだけに絞ってもなお、その人数は50名以上にも上ります。


「私を道連れに訴えますか? 結構、ですが、私を含めこれだけの被害者に対して、反省の意を示すことができるでしょうか?」


 いい気味です。あれだけ私に制裁を加えると気炎を上げていた人たちも、怒りと恐怖がごちゃ混ぜになって、顔色がモニタージュのようにグルグル変わっています。


「しょ……しょしょしょしょしょうこはくぁwせdrftgyふじこlp」

「あら、よく聞こえませんね。ひんたぼ語かなにかでしょうか? 日本語で分かるように喋ってください」

「証拠はあんのかっつってんだコノヤロウ!」


 まあまあ、そんなに吠えても無駄ですよ。先ほど手に入れた「証拠」高かったんですからね。


「では、この封筒の中身をご覧ください」


 私は彼らに封筒を投げ渡しました。彼らの足元には、封筒に入っていた何百枚にも及ぶ資料がばらまかれます。

 記載されていますのは、彼ら被害者の会のメンバーたちがやり取りした、メールやSNSの履歴です。もちろん、マスターデータは私の手元にあります。さすがは高かっただけあって、いい仕事しますね。きっとこれが世間に知れ渡れば、彼らはもはや日の当たる場所を歩くことはできないでしょう。


「きたねええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! きたねぇぞっ!! 竜舞奏ええぇぇぇぇぇっ!!」


 絶望のあまり、一人の男性が狂ったように叫び声を上げました。

 そして、服が濡れるのにもかまわず、池の中を、ぬかるみに嵌って何度も転びながら、怒りで我を忘れて私の方に突撃してきます。

 彼は確か、新興企業ベンチャーの社長さんでしたね。人生の上り坂を、たった一人のために破綻させられて、死ぬほど悔しいのでしょう。

 ですが、私にとっては、そんなこと知ったことではありません。情け容赦なく、こっそり鉄板入りの靴で、顔面を蹴り飛ばしました。男性は眉間の急所を撃たれて、激痛を感じたまま池に浮かびます。


「ご理解いただけましたでしょうか? これが竜舞奏を敵に回すということです」


 協力して頂いた女性の方々や、駆け付けた野次馬の女子大学生たちが、一斉に歓声を上げ、男性の集団に抵抗する意思が消え去りました。中には失禁している男性もいました。

 こうして、彼らは警備員さんたちに連行された後、警察に引き渡されました。


『都内私立女子大に、不審者の一団が侵入』


 このニュースが世間を騒がせて以降、痴漢の数は大幅に減りましたが、痴漢冤罪の数がちょっと増えたとのことです。



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