少女が竜を殺した理由2

 少女が怯えるように剣から手を離した。

 震えながら広げた掌の中にはーー竜の黒い血がべっとりと付いている。生暖かさや、ぬめり具合。そして独特の生臭い鉄の匂いは、本物のだった。


「……違うっ!!」


 気付く事が出来なかった少女が、否定するように声を荒げる。

 しかしーーそれは無理もないという話だ。

 身体強化の魔法の際に混ぜられた、“触感を鈍らせる複合魔法”の事など……少女が知る訳がない。


 全ては竜の目論見通りにーー事は進んでしまった。


「パナケアさん……リュウさんは、リュウさんはどこにいるんですか……」


 現実から目を逸らす少女が、後方に佇むパナケアの肩をすがるように掴んだ。


「前にいるじゃないか」


「これはよく出来た人形です!リュウさんに会いたい!!リュウさんとお話がしたい!見えるようになったって!!違う驚かせ方が出来るよって!」


 少女はパナケアの肩を揺さぶりながら泣きじゃくる。せっかく開いた青い目にたくさんの涙を浮かべて、必死に懇願した。


「盲目の呪いを解く為に、竜は自分の命を使ったんだ……だから、君の目の前にいるのが紛れも無い……リュウさん本人だよ」


 パナケアはしがみつく手を振りほどき、十字傷に刺さった剣を優しく引き抜いた。白い手で傷口を撫でて、癒しの魔法をかける。その柔らかな手つきは竜の長年の苦労を、慈しむかのようだった。


「そんな……そんな事って……いやああああああああああああぁぁぁぁーーーっ!!!」


 悲痛な叫びが、静けさを増した大空洞に響く。そこに、


「フェ……ミィ……」


 声が聞こえた。

 かすれ消えるようなーー竜の低い声が。


「リュウさんっ!!」


 風前の灯火と言える黒き竜が、少女の名を呼んだ。


「どこに……居るのだ」


 少女は慌てて竜の目を見つめた。

 しかし、虚空を見つめる竜の瞳は揺れることさえなかった。ほんの少しの温もりだけが、黒い瞳の奥底から伝わる。そんな気がした。


「ここです!私はここにいます!!」


「……そうか……貴様は……小さく……見つけ辛い……」


「なんでこんな事をしたんですか!!」


 少女は怒鳴るように言い、すぐにパナケアに詰め寄る。


「パナケアさん!早く治してください!!」


 大きく揺さぶられているにも関わらず、パナケアは放心状態で、ただ涙を流していた。


「パナケアさん!しっかりしてください!リュウさんは話せてます!今なら治せるはずです!!」


 取り乱す少女を前に、パナケアはゆっくりと首を横に振る。


「どうしてっ!?」


「……もう、黒き竜は死んでいるから……残っているのは……魂の欠片だけだ……」


 折れるように。その場に膝をついたパナケア。


「そんな……そんな事って!!」


「パナケア……礼を言うぞ……貴様は……唯一無二の、親友だ……」


「黒き竜……満足したかい?」


『グルル』と。竜は喉を鳴らした音でパナケアに答える。


 何百の後悔を振り払ったはずのパナケアが、悔やむように膝の上に拳を作った。その上に、大粒の涙が降リ注ぐ。


「フェミィ……我の、姿が……見えるか」


「見えます!ちゃんと見えてますから!!」


 少女は鼻筋の上を走った。

 竜の大きな目玉に限りなく近づき、懸命に竜の言葉に耳を傾ける。


「我が……怖いか……」


「怖くありません!リュウさんは楽しくて優しい方です!!」


「ならば……食って分からせるしか……ないなぁ……」


「食べて良いですからっ!だからっ……だから死なないで下さい!!」


 少女の張り裂けそうな掛け声も虚しく、竜の体から離れるように光の粒が宙に解き放たれていく。

 ーー舞い上がる、細かな雪のように。


「待って!待ってください!!」


 理屈じゃなかった。

 気が付けば少女はその光に向かって、必死に手を伸ばしていた。竜の想い。竜の記憶。竜の魂。そう信じて。


「真っ暗でひとりぼっちだった私が、どれだけ勇気付けられたか!」


 顔をくしゃくしゃにしながら、少女は光の粒を掴もうとあがく。

 が、光は遊ぶように指の間からすり抜けていく。


「空の大きさを!雪の音を!私の気持ちを!目の見えない私に教えてくれたのは、リュウさんじゃないですか!」


 やっとの思いで捕まえた、一粒の光。

 少女は大切に、離さないように、両手でぎゅっと包み込んだ。


「だからっ、いまの私を作ったのはあなたなんです!」


 周りの輝きが次第に薄くなり、宙へと還っていく。力一杯に少女が掴んでいる光も同じように弱まっていった。


「リュウさんを愛しています!だからっーー私を置いて行かないでよ!!」


 グルルーー竜の喉がご機嫌に鳴る音が聞こえた。


「腹が……膨れた……また、我の勝利……だ」


 その言葉を最後に。

 まるで少女の未来を見守り続けるような、穏やかな表情のまま、






 ーーーー破壊の黒き竜は絶命した。






「あっ……あっ……あああああああああああーーーっ!!!」


 少女が胸を抑えながら苦しそうに叫ぶ。

 見かねたパナケアが少女の肩に手を置いて、呼吸をしずめた。


「治してっ……治してよ!」


「……」


「パナケアさんは神様なんでしょ!だったら竜さんを治してください……お願いします!お願いだからっ……」


 パナケアの足元にしがみつき、少女は力の限り懇願した。


「君達は無茶ばかり……生き返らせるのと治すというのは根本的に違うのさ……」


「リュウさんを治してえええぇぇぇ!!!」


 わんわんと泣き叫ぶ少女を見て、パナケアは心を痛めた。

 生まれて初めて見たものが愛する者の死。それも、自分で殺めた結果だなんて……これを悲劇と言わず、なんと呼ぶのか。

 パナケアは慰める言葉が見つからなかった。


「私はこんなの求めてなかった!」


「……でも、黒き竜は何もかもを犠牲にして願ったんだ。彼が必死に守り続けてきた空の青さ、星の輝きーーこの美しい世界を君に見て欲しくて」


「私は望んでません!」


「竜が決めた自分の物語だ。君の望みとは関係がないんだよ……」


「私はリュウさんが居てくれたら……それで良かったのにっ!!」


 ーーがくりと。

 全身の骨が砕けたように、少女はその場に崩れ落ちた。


「過程がどうであれーーこれが、【少女きみが竜を殺した理由】さ」


 パナケアは冷たく言い放って、少女と共に地面へ降りた。

 無表情のまま、片手を死んだ竜に向けーー強大な零度の魔法を放つ。すぐに大きな足先から氷の霜が発生し、やがて全体へと冷気は広がっていく。


「やめて下さい!奥の部屋にいる仲間のように、リュウさんも氷漬けにする気ですか!!」


「そうだね」


「貴方は最低な竜です!!」


「土葬や火葬の美学は……人間だけの話だ。僕のやり方に口出しをしないで欲しい」


 淡々と言い放つパナケアを少女は睨みつけた。


「治った目を使って凄まれても、ね」


 パナケアの物言いに、少女は即座に二本の指を動かした。

 素早く突き刺そうとした先は開くようになった青い瞳だ。少女はそれを潰そうとした。

 言い方にそこまで腹が立ったのではなかった。目がまた見えなくなると、竜が復活するかもしれない。そんな支離滅裂な願いを、少女は勝手に込めていたのだ。


「やめるんだっ!!」


 手をかざしたパナケアが、物理干渉の魔法を少女に放つ。

 少女の二本の指は間一髪の所で、キリキリと動きを止めた。


「指をへし折るくるいの力を込めてるはずなんだけど、君には魔法の才能があるね」


「こんな事になるなら見えなくても良かった!私は……リュウさんの居ない世界を見たくありません!」


「馬鹿な事はしないでくれ。それこそ、黒き竜が地獄から帰ってくるよ」


「リュウさんが帰ってくるなら!私は構いません!」


「黒き竜がどんな想いで君の目を治したかったのか。どんな想いで命を絶ったのか……目を壊すのは竜の気持ちを良く考えてからにしておくれ」


 だらりと少女の力が抜けた。

 その様子を確認して、パナケアは魔法を解除した。


「うっ……うっ……うわああああああん!!うわああああああああん!!!」


「僕は……少し風に当たってくるよ」




 むせび泣く少女を残して、パナケアは大空洞を後にした。







 ◇◆◇◆◇◆







「バカ……まぬけ…………アホ……リュウさんの、大バカ者……」


 少女はぼそぼそと一人呟いていた。

 三角座りをしながら、氷の中に眠る竜を見上げて。


「それぐらいにしたら?」


 時間にして半日程度。

 パナケアが少女の様子を見に帰ってきた。


「こう言うと……リュウさんが怒りながら、帰って来てくれる気がするんです」


 振り向く事なく少女は答える。

 やせ細った声に、震えている体。その後ろ姿だけでも極度の疲労と脱水症状が、パナケアには見てとれた。


「人間が食べれるものを色々と持ってきたよ。一緒に食べようよ」


「……食べたくありません」


 パナケアは神の化身、竜だ。動物的栄養が必要という訳ではない。一緒に食べようと言ったのは、少女を思っての事だった。


「人間は食べないと死んじゃうよ」


 パナケアはフッと吐息を吹きかけて、少女の衰弱した体を包むように癒した。


「……」


 ローブをきつく握りしめて、少女は膝にうずくまる。

 大好きな竜を自分が殺してしまったというーー支えきれない重圧に押しつぶされて。


「フェミィ」


 身を案じるように、パナケアが落ち着いた声で少女に声をかけた。


「……はい」


「この世界はね、とてつもなく広くて君が思ってるより遥かに多くの竜が生きている」


「……それが何か」


「しかし、残念な事には、何百万年と確認されていない」


「……何が言いたいんですか」


 絶望的なパナケアの言葉だった。

 少女の胸は針で刺されるような痛みを感じる。


「落ち着いて聞いておくれ」


「そうまでして、私に諦めさせたいんですか!」


 立ち上がった少女は、竜が眠る氷塊に抱きつきながら怒った。


「……そろそろここから出ようよ。君の物語はここで終わりじゃない。終わらせちゃいけないだろ」


 君は人間だ。目が治ったのだから人間の生活に戻れ。

 少女にはそんな意味に聞こえた。


「私はここから動きません。ずっとここにいます。リュウさんとこのままーー」


「こっちを向いてごらん」


 少女がゆっくりと、パナケアの方を振り向いた。

 虚ろな視線の先に映ったのは、宙に浮いた石板達。

 その数は、ざっと百を超えている。


「これは“竜の石板”と言ってね、生存している竜の種類が刻まれる特殊な石なんだ」


 パナケアは一枚の石板を動かして、少女の手元に預けた。


「……リュウ」


 少女は石板の溝をなぞりながら呟いた。

 溝の彫りが浅くなっているが、所有している石板と確かに同じ物だった。


「やっぱり読めるんだね。それは“黒き竜の石板”さ」


「リュウさんの石板……」


「破壊の竜は一種しか居ない。つまりこれは、リュウさん専用の石板って訳さ。生存確認のために僕がいくつも作って用意したけど……明日には砂になってしまうだろうね」


 ぽつぽつとーー抱き締める石板にシミが出来ていく。

 パナケアの言うことが本当だとしたら、タンスの中に大切に閉まってある石板も消えてしまうという事だ。

 唯一の繋がりが消える。祈り続けた想い出も、何もかもが少しずつつ無くなってしまう。

 パナケアの言葉を聞いた少女は、さらに竜の死を実感した。


「うっ……うぅ……リュウさん……うあああああん!!」


 再び泣きじゃくる少女。

 パナケアはその頭をゆっくりと撫でて、母親のように抱きしめた。


「泣かないでおくれ。僕も黒き竜を愛している。君に負けないくらいにね」


「パナケアさん……」


「君の盲目の呪いを解除した魔法は“完全魔法”と言ってね、竜を殺した者ののあらゆる願いを叶える魔法だったんだ」


「それは、大方分かってます……」


 治癒の神と破壊の神が、あらゆる手段を使っても治せなかった盲目の呪い。

 それを治す為に竜は危険な魔法、命を使った。

 目を開けた少女が見た……最悪の展開だ。


「本題はここからだ。だから僕は必死に抜け道を考えた。こんなに不可思議な魔法だったらーーこの“結末”を変える方法があるんじゃないかって」


「何を……」


「完全魔法とはそもそもが、不確定の多い未知の魔法。しかも、その効果は肉体に限られる。だから、成功するかどうかは厳しかったけど……この賭けは三人のーーーー愛の勝利だ」


 パナケアは少女の目を見つめて言った。


「“何でも生き返らせる竜”の話をーーー君は知っているかい?」


「さっきは……居ないって……」


「そう、はね。だけど存在しなかった“蘇生の竜”が、今しがた誕生したのさ」


 パナケアは一つの石板を呼び寄せ少女に手渡した。

 刻まれた古代文字をなぞる少女は、その文字が不思議と読めた。


「蘇生の……宵闇の竜?」


 パナケアは完全魔法の陣。そこに盲目の呪いを解除する術式とは別の、『もう一つの願い』を書き込んでいた。

 肉体の一部と呼ぶには不確かなーー少女の魂の部分に【蘇生の竜へと出会う運命】を。


「黒き竜が死んで、君の物語は終わろうとしている。だけど……また始めてくれないか?君の為に。僕の為に。そしてーー破壊の黒き竜の為に」


 少女はすぐに顔を上げて、パナケアを真っ直ぐに見つめた。


「君が心から蘇生の竜を求め行動すれば、必ず出会えるはずだ。だから手始めにーー竜が集まる西の大陸へ行ってみようよ!」


「私は……私は……っ!」


 唐突な出来事に、少女は感極まって声を詰まらせた。


「西の大陸は人間にとって厳しい環境だ。もちろん無理強いはしない。だけど、黒き竜への愛。それだけで【少女きみが竜を助ける理由】にはならないかな?」


「行かせてください!」


 パチンと指を鳴らしたパナケア。

 その背後に、用意してきた人間用の服や、旅の支度がずらりと並ぶ。


「決まりだ。目指すは西の大陸ーー“竜の都”さ!」




 パナケアの差し出した手をーー少女は強く握りしめた。







 ◇◆◇◆◇◆







 これは竜に出会った、盲目の少女の物語。


 変わらない人間もいる。変えられなかった運命もある。だけど、一歩先の物語がどうなるかは誰にも分からない。


 ほんの少しの勇気で、届かないと諦めていた光が、掴める場所にあったんだと気付く事もある。


 竜が強引にーー少女の運命を捻じ曲げたように。

 少女があっけなくーー自分の迷いを乗り越えたように。


 強い想いで一歩を踏み出して、

 固い絆を信じて二歩目を踏み出す。


 そうやって、少女は暗闇の中を走り続けてきた。


 ここまでもーーこれからずっと先も。





◇◆◇◆◇◆





「用意が出来たよ」


 準備を終えたパナケアが少女に声をかけた。


「はいっ。私はいつでも大丈夫ですよ!」


「でも、本当に封印して良かったのかい?……その目を」


 パナケアが不安げに少女の瞼を見つめた。

 盲目の呪いである、緑の縦筋は消えている。が、瞼はしっかりと閉ざされており、以前と変わらず開く様子はない。


 原因はーー少女の希望を聞いたパナケアが、魔法をかけたためだ。


「いいんです。私はこの方が前に向かって進めると思うので……それに」


 少女は氷の中に眠る竜の方を向いた。


「最初に見たいのは、生きてるリュウさんだって決めましたから」


「なら僕は何も言わない。女の告白にケチをつけるような真似はしないさ」


 決意を汲み取ったパナケアは少女の横に並び、同じように竜を見上げる。


「リュウさん……勝負はまだついてませんよ。なんでもあなたの言う通りになると思ったら、大間違いなんですから」


 パナケアも「そうだ」と、笑って頷いた。


「私は絶対にあなたを生き返らせてみせます。それまでこの目はお預けなんです」


 少女は再び閉ざされた目で、いたずらっぽくニィーと笑って見せた。


 ひらりと。

 竜に背を向けた少女は、パナケアと共に新たな一歩を踏み出した。


「ではーー竜さんの未来の恋人、フェミィは行ってまいります!」




 地図も小さな光さえ見当たらない暗闇の世界を、少女は太陽のように真っ直ぐに歩き続けていく。







【少女が竜を殺した理由】を【少女が竜を助ける理由】に変えるために。








 《END》



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