少女が竜を殺した理由1

 ーー真っ白な雪山。

 パナケアの寝床がある、その洞窟の入り口にて。


 竜人体型に戻ったパナケアが、薄暗い通路に足を踏み入れた。

 ぼんやりと。通路の壁面に埋め込まれた鉱石が輝きを帯び、遥か遠くまで光の道を作る。この洞窟の主人である、パナケアの魔力に反応したのだ。光の順路通りに進めばパナケアの寝床ーー大空洞へと到着する。時間にして、三十分もかからない距離といったところだ。


 しかしパナケアはその見慣れた道しるべを、ただ呆然と見つめている。

 この道が終わらなければ良いのにーーそんな迷いがパナケアの足を無意識のうちに引き止めていた。


「パナケアさん?」


 隣で宙にフワフワと浮かぶ少女が声をかけた。


「あぁ、行こうか」


 パナケアは無理に笑顔を作り少女に答えた。

 指を鳴らし、二人はプカプカと浮かびながら大空洞を目指し進んでいく。


「そうだ……預かっていたものがあったんだ」


 ふと思い出したように、パナケアはマントの内側から小さな紙切れを取り出した。


「黒き竜からの手紙だ。進みながらで悪いけど、読んで聞かせるよ」


「手紙ですか?」


 いつもより凝った趣向に、少女は頭をひねった。


『親愛なる貴様へ。我はまた画期的な驚かせ方を考えついた。この勝負が終了した時、貴様は身の毛もよだつ、未曾有の体験を手に入れている!体は震え、開いた口は塞がらないというもの!心してかかってくるがいい!フーハッハッハッ!』


 と、パナケアは竜の口調を大袈裟に真似て言った。


「いやいや、どこの魔王の台詞ですか……。それより、リュウさんが大袈裟な言い方する時はですね、だいたい私は泣き叫んでいたりするわけですよ。えぇ」


 これまでの阿鼻叫喚なドッキリを思い出しながら、少女は大きく溜息をつく。


「彼は本当に変わってるよね。いや、ここ最近でさらに変わってしまった」


「やっぱり同じ種族としてリュウさんは変わり者ですよね!?私もおかしいと思ってたんですよ!鈍感だし、女の子を見る目が無いって言いますか!」


「君に対しては特にね」


「どういう意味ですか?やっぱりペットか何かと勘違いしてるんですかね?私のリアクションでお腹が膨れるなら、配膳用の召使いとかーーーーんぴぃぃ!?」


 少女の背中が跳ねたエビのように仰け反った。

 抱きつくような格好で、パナケアがまたもや少女の耳を舐めたからだ。


「パナケアさん!無言の耳責めはやめて下さい!耳の弱さなら私は、この世界で十人の指に入る自信があるんですよ!」


 引っ付くパナケアを両手で押し返しながら、少女は身をよじる。


「身体強化の魔法を使ったとはいえ、空の旅は君にはこたえただろう?だから体に異常がないか調べただけだよ。それに僕が人間の生態を調べた結果、体を舐め合うという行為は同性のスキンシップの範囲内だ」


 パナケアは少女の耳に生暖かい吐息をかけながら、自信満々に言い切る。


「違いますよ!どこのエッチな本の情報ですかそれは!離れてっ、離れてくだしゃい!」


「わかったよ。次からは一声かけて検診するから、許しておくれ」


 そう言ってパナケアは少女の鼻をちょんと触って、腕の中から解放した。


 同時に小さな魔法陣が展開ーー少女の鼻先が光り輝く。

 硬い表情に変わったパナケアは、その魔法の発動を真剣に見守った。


 盲目の少女は、もちろんその様子に気付く事はない。

 着崩れしたローブを正して、おっかなびっくりしながら会話の続きを再開する。


「その……パナケアさんはなんだか大人っぽいから、女の私でもドキドキして困ってしまうのです」


「ありがとう。黒き竜に言って欲しかった言葉だね」


「ところで、心構えしとくものとかありますか?」


「そうだね。ネタバラシが出来るのは……僕は君を忘れないし」


 続けてパナケア言う。


「ーーーー君は僕を一生忘れない。と言う事かな」


「どういう事でしょうか」


「……」


 下唇を噛み、目を伏せたパナケア。

 パナケアは大空洞に着くまで、少女に答えを返す事はなかった。



 二人が辿り着いた大空洞ーーパナケアの寝床。

 正方形にくり抜かれたこの場所の壁には、高い天井までずらりと並んだ数万冊の本がある。小さい子が読む童話から、魔法の書物まで。あらゆる紙の媒体をパナケアは収集していた。

 その本棚の前に、いくつもの魔法陣が大きなを取り囲うように展開していた。

 こじんまりと。平服するようにその中央で息を潜めている者。


 それはーー竜の中の絶対王者、【破壊の黒き竜】だった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆






 魔法によりその圧倒的な存在感を、空気のように消している黒き竜。

 パナケア達が近づいて来ている事を知りながら、竜はまるで大きな岩のようにピクリとも動こうとしない。


 ーー竜の揺るがぬ覚悟。


 それがパナケアの胸にひしひしと伝わった。


「パナケアさんの寝床にも竜輪草が咲いてましたっけ?良い匂いがします」


 何も知らない少女が、呑気に尋ねる。


「あぁ……よくわかったね」


 ここは生身の人間が入る事の出来ない、極寒の凍土。北の大陸だ。洞窟内と言っても温度は低く、少女もパナケアの施した身体強化の魔法が無いと、あっという間に凍え死んでしまうというもの。それは当然ながら草木の一種である、竜輪草の生息域を下回っていることと同義。

 少女が感じた匂いはーー幻だった。


 隣のパナケアが確信めいた表情を見せる。

 先程使った、嗅覚を麻痺させる魔法が効いているのだと。


「降ろすよ」


 魔法陣をくぐり抜け、パナケアは少女をゆっくりと着地させた。

 場所は黒き竜の鼻筋の上ーー十字傷の目の前だ。


「リュウさんはどこにいるんですか?」


 目をそっと開けた竜が、目線をパナケアに振った。

 パナケアは「分かってる」という素ぶりで、コクリと頷きを返す。


「心配しなくても……後から会える」


「そうですか」


 しょんぼりと下を向く少女。

 一年ぶりの再開にも関わらず早々に飛び立ってしまった竜。二時間程度の会話ではまだまだ伝えきれない事がたくさんあった。少女の考え。少女の決意。少女のーー気持ち。


「早くリュウさんとお話がしたいです」


 寂しそうに、少女はポツリと呟いた。



 ーー目の前にいる“黒き竜”に気付く事なく。



 『パチン』と、パナケアが指を鳴らす。

 テーブルの上に置かれていた、柄に希少な魔石が散りばめられた抜き身の長剣。それが浮かび上がり、パナケアの手に吸い寄せられた。


 覚悟を決めて握り締めるその剣は、頑強な竜の皮膚をも容易く貫通できるように作られた、“竜殺しの剣”と呼ばれる珠玉の代物だった。

 パナケアが作り方を調べ、竜が半年間も魔力を注ぎ込み作り上げた。

 言い換えるならーー“黒き竜を殺す為だけの剣”。


「これを持つんだ」


 パナケアが少女に、柄の部分を握らせる。

 小枝のように軽いのだが、ずっしりと心にまとわりつくような言い難い威圧感を少女は感じとった。


「あのっ、これは?」


「少し重い、ただの棒切れさ……」


 背後から包み込むように、パナケアは少女の手に自分の手を重ねる。

 そして剣先を真っ直ぐーー“竜の十字傷のど真ん中”に誘導させた。


「これがリュウさんの考えたドッキリですか?」


「そうだよ。一歩踏み出して、腕を前に押し込む……それだけで良い」


「パナケアさん?」


 少女が目線を下げて言う。震えるパナケアの手を見つめながら。

 親友の迷いを見た竜は、目を細めて行動を促す。


「分かってる……分かってるよ!!」


 パナケアは自分に言い聞かすように叫んだ。


 竜の覚悟を無駄にしない為に。

 愛する竜の最後のわがままねがいを叶える為に。


「……行くよ!!」


「えっ?」


 ギュッと目を瞑ったパナケア。

 少女の手を持ち、強引にーーーー竜の十字傷に剣先を突き刺した。


「ーーっ!!」


 少し刃先が埋まっただけだったが、想像を絶する激痛に竜は歯を食いしばる。しかし竜は少しも声を漏らさなかった。今すぐにのたうち回りたい衝動を抑えて、小さな身震いすら耐え凌いだ。


「リュウさん、近くにいるんですか!?」


 ハッ!と、竜とパナケアが目を見合わせた。

 絶対に竜は声を出していない。魔法で存在感も限りなく薄くしている。


 だというのに、盲目の少女は竜の気配を感じ取ったのだ。


「どこですか!?何をしてるんですか!?」


 思わず剣から手を離した少女が、キョロキョロと辺りを伺った。

 ドクドクと十字傷から溢れ出る黒い血ーー必死に激痛を耐える竜が、パナケアを睨む。


「僕が少し咳き込んだだけさ。落ち着いて」


 再びパナケアは、少女の手を掴み少女に剣を握らせた。


「そう……でしたか。リュウさんの声が聞こえたと思ったのですが」


「さぁ……もっと深く押し込むよ」


 ぬるりとーー竜殺しの剣は、竜の十字傷の中心に吸い込まれるように入っていく。

 竜は弾き出されそうな痛みの中で、懸命に自我を保っていた。万が一にでも、声を上げれば全ての作戦が終わってしまうかもしれない。

 だから竜は、死の間際まで意識を耐え抜くつもりでいた。


「あと少し……頑張るんだっ!」


 パナケアは二人に向かって言った。

 竜の為に竜を殺す少女と、少女の為に少女に殺される竜。

 すれ違うーー両者の想いに向かって。


 長剣はパナケアに誘導され、半分以上が竜の額に埋まっていく。


 ーー全ての作戦が終わるまであと少しといった所で、


「ーーいやですっ!!」


 何かを察した少女が急に取り乱した。


「ど、どうしたんだい?」


 焦るパナケアが冷静に少女をなだめる。


「パナケアさん手を離して下さい!!今すぐに!!」


 口調には怒気が孕んでいた。

 いつもおちゃらけている少女が見せる、本物の怒りだ。


「……それは出来ない。リュウさんが言ったはずだよ。僕の言う事を絶対に聞くように」


 体をよじる少女を逃さぬように、パナケアは背後からがっしりと力を込める。


「でも!!」


「いいからやれっ!!」


 竜の絶命時に願いを叶えれる“完全魔法”とは、絶命させた者だけに効果がある魔法だ。ここで少女が手を離しては全ての意味が無くなってしまう。

 反発する少女の手を、パナケアは強制的に魔法で操った。


「やめてっ!!パナケアさん!やめて下さい!」


 意思に反して前に動く腕。進む足。

 少女は何かがいつもと違うと感じた。


「こんなのおかしいです!リュウさんはいつも無茶な事ばかりするけど、決して私の嫌がることはしなかった!いつも私を喜ばせようとしてくれた!」


「……黙るんだ」


「こんな事はーー間違っています!!」


 少女の身体から強い光が溢れた。

 それは彼女の強い意志が生み出した魔法。

 魔法の始祖である竜と触れ合い、絆を深め、少女は魔法使いとしての“きっかけ”をすでに手に入れていた。


 しかし、形相を変えたパナケアが抑え込むように、さらに魔法を強める。もはや竜人としての形態を抑えきれず、白く鋭い尻尾が後方にグングンと伸びていく。


「喚くなフェミィ……僕だって……僕だって我慢しているんだよっ!!」


 涙を零しながらパナケアは、勢いを持って竜殺しの剣を最後まで突き刺す。傷口から流れ出る血が、ズルズルと刀身を黒に染めていく。

 同時にーー竜を囲う無数の魔法陣の光が強まった。

 パナケアも目を背けるほどの光量と魔力が大空洞に広がりをみせた。


「ーーっ!!」


 途端に少女が身悶えし、顔をしかめる。


「パナケアさん!私の目が変です!痛いです!熱いです!焼かれているようです!」


「……」


 眩い光の中。

 パナケアは黙ったまま、黒く染まっていく竜殺しの剣を見つめている。


「本当に痛いんです!このままでは死んでしまいますっ!!離してください!!お願いです!」


「……なぜ、そう感じるのか」


 パナケアの呟きと共に、竜を囲う輝く光の粒は消え去る。

 膨大な数の魔法陣も次々に消滅していき、パナケアの寝床はいつもと変わらない薄暗さに戻った。


「えっ?」


「盲目の呪い。それは原点回帰の魔法すら弾き、何の痛みも感じないはず」


「そう言えば……」


 少女を襲った痛みと熱さは、眼球の再形成。

 そして脳との神経を正常に繋ぐために起きた現象だ。



 ーー完全魔法は成功したのだ。



 パナケアが即座に少女の瞼を撫で、治癒魔法を施した。


「君の目は、もうはずさ」


「見える?」


 パナケアが何を言っているのかはわからない。

 けれど少女は言う通りに、恐る恐る瞼に力を入れる。


 ゆっくりとーーまるで長い冬を越えて、春を迎える花のように少女の瞼は動いていく。


「開いた……」


 快晴の空の様に美しい透き通ったブルーの瞳。

 それが、生まれてから塞がれ続けていた少女の瞳の色だった。


 盲目の呪いと呼ばれた緑の縦筋は、完全魔法により綺麗に消滅していた。


「目が開きました!見えます!私、ちゃんと見えてます!!大きな……リュウさんの目……が……」


 束の間の喜びを見せた、少女の言葉が詰まる。

 その綺麗な瞳がこの世界で最初に見たものはーー虚空を見つめる大きなガラスの球体のようなものだったからだ。


 少女は想像の中でこれを知っていた。間違って突いて怒られた事もある。


 いくら盲目とはいえ、触って確かめたものを間違えるはずがない。まして、大好きな人の形ーーいつも少女を見てくれていた、黒き竜の大きな瞳を。


「これ、は……」


 カタカタと、震えながら少女は前を向いた。

 映るのはゴツゴツとした眉間の鱗。乱暴に引き裂かれた様な痛々しい十字の傷跡。


 頭の中で描いた想像と同じ、“黒き竜”の姿だ。


「どうして……うそ……こんなっ……」


 そして少女は知る。


 自分が今握っている物が聞かされていた“ただの棒”ではなく、竜の十字傷に深々と突き刺ささった、“一本の剣”だという事実に。

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