破壊の黒き竜と、癒しの白き竜
「何処にいるーーーっ!!」
竜は怒号を飛ばしながら、パナケアの寝床がある洞窟に突っ込んだ。
狭い通路に差し掛かっても、決してその飛行速度は緩めない。傷付いた翼で内壁をえぐりながら、中心部となる大空洞へと急ぐ。
(どうしてだ!何故、盲目の呪いを治す方法が無いなどと言ったのだ!)
パナケアと竜の関係は決して浅くは無い。
少女の目の治療を任せた時もそうだったが、信頼出来る数少ない仲間の一人と思っていた。
それなのに……と、パナケアへ不信感を募らせる。
(あの時の表情と言葉は嘘だったのか!!)
もやがかる負の感情に、竜の胸はグッと締め付けられた。
曲がり角に巨体をぶつけながら、強引に辿り着いた大広間。
そこに、本棚をぼうっと眺めていた癒しの雌竜ーーパナケアが居た。
パナケアは相変わらず竜人体系のままだった。
額の片側から生えた角が三本。臀部からは尻尾が伸びて、関節部分には小さな鱗が残っている。竜人の特徴そのままだ。
胸元が大きく開いた欲情的なマントを羽織っており、体も服も全身が白に統一されている。
「パナケア!!」
滑り込むように。竜はパナケアの目の前に着地する。
「やぁ黒き竜。こんなに早く君の声を聞けるなんて……僕は幸せでいっぱいだよ」
牙を見せる竜とは対照的に、パナケアは幸せそうな微笑みを返した。
「貴様!我に隠していたな!?」
「何の話だい?それよりもこの傷は……」
切り裂かれた右目。光の帯によってただれた前足。ズタボロになった翼。剥がれ落ちた鱗。
満身創痍の体を見やったパナケアは、すっと白い細腕を伸ばして竜の下顎を抱きしめる。
同時に、大きな魔術陣が竜の頭上に展開された。
そこから出現した柔らかな光のカーテンが、竜を優しく祝福する。瞬く間にーー竜の損傷した箇所は癒え、全ての傷が以前の状態に戻った。
盲目の少女のように、年月をかけて魂と定着した傷なら難しい処置となるが、昨日一昨日といったものなら話は別だ。
どんな致命傷でも、鼓動さえ繋がっていれば超越する事が出来る。
これが完全回復の治癒の神ーーパナケアの真の力だ。
「うん。いつも通りカッコ良くなったね」
パナケアは猫を可愛がるように竜の下顎をさする。
「余計な事をするな!この程度の傷など放っておいても自力で治るわ!」
竜はパナケアを突き放し、『ガキン!!』と牙を噛み合わせ威嚇した。
「三度の問いは無い。貴様は我に嘘を言ったな?」
「……言ってないよ」
途端だ。
竜はパナケアの体を鷲掴みにし、大空洞の内壁にそのままぶち当てた。
亀裂の中心部。竜の拳の中に埋もれたパナケアは、それでも微笑みを崩すことはなかった。
「ハハハ。いつになく情熱的だね。その気になってくれるのは嬉しいけど、押し倒すなら床にしてよ」
「とぼけるのもいい加減にしろ!竜の命を使った完全魔法を知らぬとは言わせぬぞ!」
竜は後ろを振り返り、パナケアの机に置いてあった一冊の本を風の魔法で引き寄せた。
それはガジェートの記憶から読み取った、六芒星が幾重にも重なった魔道書と同じものだ。
竜は最終ページを開き、その文字を、その方法を、パナケアの目の前にありありと突き付けた。
「ここに書いてあるだろう!竜が絶命する瞬間に殺した側の願いを叶える“完全魔法”の事だ!」
「……」
「何故、あの時に教えなかった!」
目を逸らしながら、パナケアは重い口を開く。
「そんな魔法はでたらめ……不可能だからさ」
「まだ誤魔化すか!人間如きがこの完全魔法を使って、竜をも超える力を得ていたんだぞ!貴様に出来ぬ訳がなかろう!」
「……僕は試し事がない。だから出来ないんだよ」
唸るようにパナケアは言う。
「能書きはいい!我の命を使ってーー」
「意味のわからない事を口にするなっ!!」
パナケアが竜の言葉を握り潰した。
「何が命を使えだよ!黒き竜、君は死ぬんだぞ!分かっているのか!?」
「我は破壊の神だ。自分の命を破壊するのも我の勝手だ。我の欲求とはーー世界の意思だ!手伝え!パナケアよ!」
「世界の意思と……僕の気持ちは関係ない!」
「貴様もあの人間を見て、どうにかしたいと思い狩られたのだろう!だから気分屋の貴様もあやつの治療に協力した、違うか!?」
パナケアは口を開こうとしたが、思いつめた表情で押し黙った。
ーー言いたいが言えない。そんな苦悩が見え隠れしている。
「我は闇の中で見つけた!為すべき天命を!照らすべき光を!だから目を背けるな!我を壊すのだ!」
「分からず屋め……僕には出来ないって……何度も言ってるだろ!!」
「ーーっ!?」
パナケアの体から魔力がほとばしる。
竜の手の中でパナケアの体は見る見る変化していき、やがて掴む事すら困難な大きさへと変貌した。
白く細かな鱗。光り輝く二対の翼。青白く何もかも見透かしてしまいそうな美しい瞳。額の片側に生えた三本角も立派に成長している。
体格は黒き竜より一回り程小さいが、神としての力は黒き竜にも引けを取らない。
これが白き雌竜ーーパナケアの本来の姿だった。
パナケアはぐるりと、鋭利な尻尾を回転させ、竜を大空洞の端まで弾き飛ばした。
「ぬぅ……!!」
立ち上がろうとした竜の膝が崩れた。
連戦に次ぐ連戦だ。いくら傷が治ろうとも、体力や魔力が早々に回復する訳では無い。
竜の体はとっくに限界を超えていたのだ。
「出て行ってくれ……もう、君の顔は見たくない」
地に這う竜を見下しながら、パナケアは冷たく言い放った。
だが、竜は引かない。
震える膝を叩き起こし、出口への通路を塞ぐように立ち上がる。
固い決意の瞳に映るのは、一途な少女への想い。
暗闇の中で、なぜ少女の姿を思い浮かべたのか。なぜすがるように追い求めたのか……。
出会い、求め、無から生まれて大切に育んでいくあの感情と、竜の破壊の本能は反対の性分。
『鈍感』『不器用』そう言った言葉は散々、同じ種族の竜に言われ続けてきた。
その竜がたった一人の少女に、気付かされたのだ。
だからーー
「我に協力するのだ!パナケア!」
「いい加減に……出て行きなっ!!」
事切れたパナケアの巨体が宙を舞う。
竜の背中を鷲掴みにし、そのまま通路へと引きずり飛んだ。
「グゥゥゥゥーー!!」
ボロ雑巾のように、竜は通路内を連れ去られていく。
されるがまま、竜は洞窟の入り口ーー冷たい雪上へと放り出された。
この一連のやりとり。
パナケアとて決して本意ではない。
目を背けながら震える口を開く彼女を見れば、それは一目瞭然だった。
「あの子の目が見えなくても……死ぬわけじゃない。“己を知り、足りる事を知れ”。君がよく使う言葉じゃないか……」
「……」
「それに君は偉大な破壊の神だ。やるべき使命、守るべき人間は他にたくさんいるはずだろ」
「……」
「いい加減に頭を冷やーーーー」
頭をあげながら言ったパナケアは…………絶句した。
山よりも気高く、空よりも雄々しい竜の中の竜。孤高の絶対王者、“破壊の黒き竜”が屈服の姿勢をとっていたのだ。
四肢を小さく畳み、長い首を丸め、鼻先を雪の地面につけている。まるでーー敗北者のように。
何万年という付き合いの中で、その無様な姿をパナケアは見たことがなかった。
「なっ!?なんて事してるんだ!黒き竜!」
慌ててパナケアは“あってはならない行為”をやめるように竜にすがる。
しかし、竜はテコでも首を上げなかった。
目線さえ合わさずに、パナケアに最大の懇願を示し続けた。
「ーー我を壊して、あやつの目を治してやって欲しい」
「そうまでして、君は……」
パナケアに苦渋の表情が浮かび上がる。
少女の目が開かない事で世界が滅ぶわけでもない。たかが人間一人の悩みの為に、神が命を捨てる。そんな馬鹿な話はないだろうと。
「……帰ってくれ」
淋しそうにパナケアはそれだけを言い残すと、洞窟の中へと姿を消した。
「パナケア……」
◇◆◇◆◇◆◇◆
ーー三ヶ月後。
雪山は千年に一度の激しい雷雨に見舞われた。
繁殖地へ向かう雷の竜が、北大陸最期の仕事に入った為だ。
縦から横に。横から四方八方へ。
荒れ狂う雷が鳴り響いている。
一閃。
一際太い稲光が、重い空と大雨を真横に切り裂いた。
それはとある場所で不自然に、降下を見せる。
ドドドドドドドドドーーーーーーーッ!!
と、想像し難い衝撃が
「ぬぅ……」
竜が目を細めて唸った。
全てを受け止めたのは、洞窟前から一歩も動いていない“破壊の黒き竜”だった。焼け付いた鱗から立ち昇る蒸気は、すぐに雨に溶けていく。
直撃したにも関わらず、竜は理不尽な雷の事など微塵も考えていなかった。
この三ヶ月の間、どれだけの雨に晒されようと、壮絶な雷に打たれようと、じっと頭を下げ続けている。
「パナケア……頼むのだ」
竜は嘆きを繰り返す。
誰の気配も感じない、洞窟の入り口に向かって。
ーー竜の命を使った【完全魔法】
この儀式を発動するには、いくつかの難点があった。
第一にその小難しい術式は、大雑把な破壊の竜が使えるものではない。
次に、効果を得られる対象者は直接“竜を殺した者”に限るということ。竜の体は大きい。その分、生命力は満ち溢れている。
普通の人間でも、無抵抗の竜を殺すのは至難の技だというのに……少女は加えて盲目だ。誰かの手を借りなければ、ほぼ不可能に近いだろう。
ましてや、あの優しい少女の事。
感情的になって拒否を示した時も、魔法でどうにか対処しなければならない。
(我は輝く星や、美しい月をあやつに見せてやりたい……ただ、それだけなのだ)
問題はまだあった。
竜の命は一度きり。絶対に失敗は許されない。
だから人間の魔法学に精通したパナケアの腕と、何よりもーー命を預ける事が出来る大きな信頼が必要だった。
「あやつの目をーーーー」
ピシャリと。上空で雷が鳴る。
竜の小さな願い事は、大粒の雨と雷鳴の中にかき消されていった。
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