怒れる黒き竜VS魔法使い4
「グゥウウオオオオオオーーー!!!」
宙に静止していた竜が咆哮した。
あの途方も無い精神空間の檻から、意識を取り戻したのである。
世界の時間にして僅か二、三秒の出来事。
しかし竜の魂と呼ぶべき部分は、たしかに何年もの間、現実から隔離されていた。
気薄していく意識は、まるで千切れかけた細い蔦のよう。
それでも竜は、か細い記憶を紡ぎながら少女を探し続けた。
何度も途方に暮れて、何度も立ち止まった。
だが……竜は暗闇にぽつんと咲いた、一輪の花ーー光を見つけたのだ。
“少女という希望の光を”。
それこそが魔法剣士、ガジェートがかけた闇の魔法。
唯一の綻びであった。
その小さな綻びから竜は摂理を手繰り寄せ、紐解き、暗闇の精神世界を本能で破壊し尽くしたのだ。
「あああああああああああ!!」
休む間も無く、竜の目の前に現れた絶叫の主。
上半身だけになった男ーーガジェート。
(この男は!?)
竜がハッ!と状況を思い出し整理しようとするが、その若干の隙を影が蠢く剣先が見逃すはずはない。
「死ねえええええええええええ!!」
ガジェートは目を丸くする竜の眉間ーー“十字傷”目掛けて渾身の一撃を振り下ろした。
「ーーぬぅぅっ!!」
腹の底から漏れたうめき声と共に、黒い血飛沫が夜空に溶ける。
「……惜しかったなぁ……人間」
残念そうに、皮肉るように竜が言う。
間一髪の所だったが、竜は条件反射とも言える咄嗟(とっさ)の動きで、十字傷から軌道を逸らし右目で剣を受けていたのだ。
切り裂かれた右目からはドクドクと血が流れている。もう開ける事すらままならないだろう。だが、急所である十字傷に一太刀入る事を考えれば、安いものだとも言える。
しかしだ。竜の致命傷となり得る箇所は、何も眉間の傷跡だけでは無い。
仮にガジェートの攻撃が下っ腹を掻(か)っ捌(さば)く切り方や、逆鱗(げきりん)と呼ばれる顎の下の部分を串刺しにするといった攻撃であったなら、竜はいよいよ絶命していたかも知れない。
狙ってくれと言わんばかりの十字傷。
忌々しく疼くこれが、囮として役に立つとは。と、竜は苦笑いを浮かべた。
再び、竜の意識の片隅が闇に覆われていく。
ガジェートが先ほど見舞った、精神に作用する暗闇の魔法だ。けれどーー
「もうその術式は見極めた。我に二度は通用しない」
竜は視界に広がった闇を、瞬く間に破壊した。
「くそがあああああぁぁぁぁーーっ!!」
浮かぶ目の前のガジェートが剣を振りかざすも、それは上半身だけ。不意打ちを食らいはしたが、視界にさえ入っていれば、動きは単調にして遅い。
竜は首を仰け反り、余裕もって剣を躱す。
「貴様は人間にしては良くやった。もう諦めるが良い」
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅぅうううう!!!」
「ーーーー皆殺しか」
ポツリと。雫を垂らすような口調で竜は言った。
その言葉に、ガジェートの振りかざした剣がピタッと止まる。
「……あぁ?」
「下半身を喰らった時に一部の記憶を読み取った。父のゴーディ、母のソウレイ、妹のエンダ、弟のバイル……それだけでは無い。全ての血筋を断たれたか」
「ーーっ!?」
ガジェートの目が左右に泳ぐ。
「貴様は、“心に闇”を抱え過ぎたのだ」
「……語るな……竜の分際で俺の家族を語るんじゃねえええええええええ!!」
闇の剣戟を無鉄砲に飛ばすガジェート。
その表情は先とわずかに変わっている。
今までのガジェートの顔は、言うならば現実から逸脱した狂気の塊だった。それが竜の核心をついた一言によって、怒りという感情を轟々と燃やす復讐者の顔に変わる。
「少し人間らしくなったな。ガジェート」
あえて、竜は名前を呼んだ。
「黙って切られてろおおおおお!!」
竜は優雅に旋回し、斬撃を避け続けた。
絶好の勝機を逃した以上、もはやどうやってもガジェートに勝ち目は無い。
単純な力。速さ。生み出せる魔力値。共に竜が上回っている。長期戦になれば体力の差も顕著に出てくる。
加えて、次の新たな魔法を仕掛けてくる様子がない事から、奥の手も無いと言えるだろう。
しかし竜は、すぐにトドメを刺す事はしなかった。
憎悪に振り回される化け物としてではなく、ガジェートに人としての“諦める意志”を持って欲しかったのだ。
だからこそーー竜はガジェートに語り続けた。
「貴様の闇の世界、中々のものだったぞ。だがな、貴様は本当の闇を知らぬ」
「ちょろちょろと動き回りやがってえええ!!」
「我は貴様より暗い場所に居る人間を一人知っている。その者は一つの色すら知らず、日の光の眩しさすら感じた事がない」
「逃げるなああぁぁぁ!戦ええええぇぇーーっ!」
はためかせた翼から、竜は零度の魔法を繰り出した。
即座にガジェートの体は霜を帯びて、首から胴までが凍りつく。
「その者はいつもふざけていた。目の前が何時も暗闇だという事を忘れてしまうくらいに、走り、転び、声を出して笑うのだ。そんな、おかしな奴なのだが…………自分の顔すら求めるほどに、その闇はひどく静かで独りだった」
大衆演劇を観に行った時の事。
少女の涙を舐めた竜は、少しだけ彼女の奥底に眠った過去を読み取っていた。
「ぐぅぅぅ!離せぇ、殺させろ、締めさせろ、その首を切らせろ!」
ガジェートは歯を食いしばりながら、剣を握った腕を動かそうとするが、凍り付いた体は微動だにしない。
「しかし、その者は決して闇に取り込まれたりはしなかった。泣く時も必死に我慢しながら泣くのだ。認めたくないのだ。弱い自分を。卑屈な自分を。それは目指す光を見据えているからだ。目の前の障害を壊し、希望の色を絶やさぬからだ!」
竜はガジェートの眼前へと迫り、その眼を真に捉えて言った。
「闇の大きさとは即ち、心の広さだ!分かるか!?抱える闇が大きいほど人は成長出来るのだ!未来に繋がるのだ!そして、その者は今も自分と戦っておる!抗っておる!それこそが!その姿こそが!真の美しい人間の在り方ではないのか!?」
「ーーっ!?」
突然の竜の気迫に、ガジェートの表情は若干の混乱を見せる。
「負けを認めよガジェート!貴様も毒による不幸を散々目にしてきたであろう。こんな国からはさっさと出て行け!さすればーー命は奪わぬ」
破壊の本能が告げていた。
この男はまだ完全破壊するに至らないと。
そこまでこの男は毒の荒事に加担していない。そして、竜を卑怯な手で殺していないという事だ。
「……何が命は奪わぬだ……殺す殺す殺す殺す……竜はぶっ殺す!!!」
戸惑いは見せたものの、ガジェートの殺意ある眼光はしずまらない。
説得は……不可能だった。
ガジェートが長い年月をかけて塗り固めた闇は、あの猛毒ーー“孤毒”のように心を蝕んで離さない。
「……わかった。憎悪の闇ごと我が破壊してやろう」
竜が口を大きく開けて、ガジェートにゆっくりと迫る。
「一匹でも多く竜が死ぬ事を願いながら死んでやる……俺は絶対に竜を許さねぇ…………許されねぇんだよおおおおーー!!」
「我は許そう」
竜は哀れんだ口調で言った。
「……あ?」
「我が許すと言っている」
「ああああああああああぁぁぁ!?!?」
その脈絡の無い返事に、ガジェートは目を見開いた。
「我は神だ。貴様の悪行も毒が生み出した因果によるもの。故に我は貴様を許す」
「ふざけてんじゃねえええぇぇぇ!!」
「その憎悪。その執念。その軋轢。体内で全て浄化しよう」
途端にガジェートの顔が青ざめた。
首を精一杯振って、涙を浮かべ、絶対なる拒絶を露わにした。
「勝手な事を抜かすな!俺はこのまま死にてぇんだ!竜を恨みながら、軽蔑しながら、死にてぇんだよ!!俺の人生全部竜への憎しみだ!怒りだ!それを、お前は!俺の生きた証すらも奪うっていうのか!?」
「知らぬ。我は誰の言う事も聞かぬ」
「やめろおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
悲鳴ごと、最後の魔法使いーーガジェートを竜は丸呑みにした。
「ぬぅぅ……」
意識を失っても宙に飛び続けていた竜が、初めてフラついて高度を落とした。
この男の壮絶な半生と想いが、完全に竜の頭に流れ込んだきたからだ。
ーー魔法剣士、ガジェート。
彼はこの国の名誉ある騎士の家の出身だった。
それが軍と騎士との大規模合同訓練で山に入った時に、一瞬にして竜に一族を滅ぼされたのだという。
その時にたまたま病に倒れていたガジェートは、自宅で待機しており難を逃れた。
そこからだった。
孤独になったガジェートが、竜に復讐するためだけにその身を“焦がし続けた”のは。
だがーー竜は軍の関係者を既に何百人と殺している。
そこから統合した記憶と、ガジェートが血の色で見ていた景色は全く違っていた。
真実は、集会時に誤って毒が漏れた事による感染の遮断ーーつまり隠蔽だった。
ガジェートの一族は竜ではなく、“共に訓練していた軍に皆殺し”にされたのだ。幼い妹や弟も、口封じの為に関係なく。
彼が命を賭けた復讐者としての人生。
胸に切り刻まれた痛み。覆い尽くされた心の闇。
全てが真っ赤な偽物だった。
「グオオオオオオオォォーーー!!グオオオオオオオォォォーーーーーン!!」
竜は怒りに震え、ガジェートの想いを吐き出した。
毒に肉親を殺され、毒を守る為に戦い続けた、哀れな男。
誰にも心を許さず竜を恨み続けた彼は、死の間際まで……孤
「貴様の全てを受け止め……破壊しようぞ」
竜はまるで去り行く我が子を見るような顔つきで、ガジェートの想いを体内で汲み取り、包むように光の粒へと昇華した。
「見えざる毒か」
三人の魔法使い。全ての因果は毒から始まっていた。
毒の恐ろしいところは直接的な外傷だけではない。その強大な欲望の渦に、善良な人間が巻き込まれてしまう所にある。
(この人間達も毒に関わる事が無かったのならば、良き魔法使いとして、世界を導く存在になったのかも知れぬな)
そして竜はガジェートがどの種類の竜を食べて力を得たのか、その記憶を辿った。
ミシェルは火竜、アミラは光竜と水竜を食べて、抜きん出た属性の魔力を会得している。
となると、ガジェートは闇竜か。
しかしーー竜の知る限り、この中央大陸に闇竜は生息出来ないはず。
(一体こやつは……)
竜は水を優しくすくうように、ガジェートの半生を辿っていくと、
「ーーなっ!?」
唐突に竜が口を開けて驚いた。
とある場面で竜の思考が固まってしまったのだ。
ガジェートは他の二人とは違い竜を激しく憎んでいた。
そんな男が竜の肉を口にするはずが……無かった。
魔法剣士としての才能は一族の中でも突出したものがあり、ガジェートは自力で大魔導師と呼ばれるクラスまで強くなった。
しかし、人間としての肉体の限界は必ずある。
そこでガジェートは無謀にも単身で木竜に挑み、死闘の末に辛くも絶命させ、とある秘術を試したのだ。
それがーー
「竜の命を使った
竜という種族が絶命する僅かな時間。
その最後の輝きを糧にして発動する、“完全魔法”と呼ばれる秘術。
冬眠している間にこの時代の人間が新たに開発した、竜の全く知らない新魔法だった。
ガジェートはその難解で膨大な魔力を用いる術式を、完璧に発動させ、自身を人間から“闇の化け物へ”と変化させていた。
それが上半身だけでも戦える、人間離れしたガジェートの秘密だった。
「これがあの男が強くなった理由だと言うのか!?」
竜は顔を歪ませた。
その用途がなにも、絶大な力を得る為だけではなかったからだ。
ーー完全魔法とは、竜を殺した術者の身体にまつわる【あらゆる願いを叶える】事が可能だった。
「何故だ!!」
竜は北の方角を、片目で睨み激昂する。
散っていった魔法使い達の事を思ってではない。同族の竜が殺された事でも無い。
竜は“ある人物”に嘘をつかれた事に、腹を立てているのだ。
ガジェートはこの完全魔法の方法が書かれた魔導書を、一族の住んでいた蔵の書庫で見つけていた。
古代文字が刻まれた“
そして竜はーー全く同じ“六芒星の魔道書”を、つい最近に見たばかりだった。
「この魔道書!この完全魔法を!あやつが知らぬはずがないではないか!!」
竜は急いで
あっけなくコンクリートと魔法の防壁は吹き飛び、併設された城含めて一面を火の海へと変えた。
これで少女の歯車を狂わせた原因ーー孤毒の元凶を完全に破壊した。
しかし竜は、自分の寝床へと帰ろうとはしなかった。
三枚になったボロボロの翼を広げ、北の方角に向かって大きく跳躍する。
「パナケアーーーーーッ!!!」
消耗しきった身体の事など微塵にも気にせず、竜は一心不乱に夜空を駆ける。
胸に秘めるは大きな猜疑心と……ロウソクの火のような微かな望みだった。
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