怒れる黒き竜VS魔法使い3

 ーー竜がアミラを鷲掴みにしていた。


 細く華奢な身体を逃さぬように締め付けてはいるものの、思ったほどの力を竜は込めていない。込める必要はもうなかったのだ。

 太く鋭い、獣が如き一本の爪。それがアミラの腹部を丸々と貫通していた。


「身の程を知ったか?人間よ」


 首だけ突出した状態で、アミラはごぷりと吐血した。

 身体強化の魔法をかけてはいるものの、竜の腕を伝うおびただしい出血は防ぎようが無い。

 残された命はあと僅か。だが、アミラの眼光は一切の衰えを見せなかった。


「……竜は人類の敵。地平を喰らう化け物です」


「ふん。人間は学ばぬものだな。故に幾度も滅びかけるのだ」


 アミラは怪訝そうな顔をうかがわせた。


「幾度とは……」


「毒だ。人間はどの時代も毒で殺し合い、自滅し、同じ事を延々と繰り返している。何万年もの間な」


「……」


「貴様の先祖とて、我が過去に毒を破壊していなければ生きてはいないだろう」


「……虚言です」


「死にかけの貴様に嘘をついて、何の肥やしになるというのだ」


「その様な……惑わしの言葉は通じません!!」


 竜の大きな手の中で、反発を示すようにアミラは体をよじった。


「何度も言うが竜は神だ。本来の我らの役目は世界の成長を見守る事にある。人間も含めてな。我は破壊の竜であるから、貴様から見れば危害は大きく感じるかも知れぬがーー摂理さえ通していれば、貴様らの繁栄に手を出す事はない」


 諭すような竜の口調であったがーー太い指の隙間。そこから、細腕がズタボロに引き裂かれながら飛び出た。

 真っ赤に染まったアミラの掌の上。

 そこには最後の魔力を振り絞った魔術の陣が完成されていた。


(会話による時間稼ぎ……)


 即座にアミラから放たれる十数個の光の玉。

 それは一瞬で遥か上空へと舞い上がり、南の方角へ向けて飛び去った。


「増援を呼んだか」


 竜の問いにアミラは首を振る。そして、微笑を返した。


「黒き竜。今の貴方に勝てる可能性のある魔法使いを以外、私は知りません。無残に死ぬだけです。だから……私の大切な後輩達に貴方の情報を送りました。あの人が失敗したとしても、いつか……いつか必ずミシェルの仇を取ってくれるでしょう」


 アミラは悪意も憎悪も感じさせない、満面の笑顔を竜に見せつけた。

 それは強大な力に対する人間としての、唯一の抵抗だったのかもしれない。


「楽しみにしていよう。賢き道化よ」


 ーーグシャリ。


 鋼をも簡単にひしゃげる握力だ。加えて破壊の魔力も練りこんでいる。

 いくら光の魔法で体を強化していたアミラとて、耐えられるものではなかった。

 一瞬で肉塊と化したアミラを天に掲げ、竜はポタポタと流れ出る血を飲み込んだ。


(やはり。こやつもまた光竜と水竜を食しているか)


 竜の脳内に流れ込んでくるアミラの半生や、思いを整理する暇もなくーー


「あああああああああああああ!!!」


 狂乱する男の叫び声が、竜の耳をつんざいた。





 ◇◆◇◆◇◆





 絶叫と共に瓦礫から浮上してきたのは、魔法剣士ーーガジェート。

 アミラが言い残した“あの一人”だ。


「竜は壊滅殲滅全滅だあああああぁぁぁぁああ!!」


「しぶとい」


 器用に立ち回りを見せたアミラとの攻防の最中。

 無鉄砲に突っ込んでくるガジェートを、竜は羽虫の如く何度も地に叩きつけていた。


 彼の左腕はとっくに肩から千切れていた。

 異常があるのは左腕だけでは無い。全身の骨は砕け、臓器も殆ど潰れている。身体強化の魔法をかけようと、通常の魔法使いならば空を飛ぶことすら困難なはず……。


 しかしーーガジェートは右手に持った“揺らめく影のような剣”を、初撃よりも素早く竜に向かって振り抜いた。


「ぬぅ!!」


 首を掠めた影の剣。

 すれ違いざまに見たガジェートの瞳は憎悪の底に染まっている。それは人間という生き物の範疇はんちゅうを遥かに超えていた。


「何故、人間風情がこのような魔力に辿り着く!」


 大魔導師……いや、その更に上の資質を竜は感じ取った。

 先に戦った二人の女魔法使いと比べ、ガジェートは体力も魔力も明らかに格が違う。

 認めざるを得なかった。このガジェートという男の力量は、並の竜すら凌駕していると。


 竜は高々と天に吼え、空に広大な魔法陣を展開した。

 複雑な魔法文字が、術式が、幾重にも合わさる。中心部には竜から送られた強大な魔力が集まった。


 ーー刹那。


 ドオオオオオオオオオオ!!!


 と、束になった黒い稲妻がガジェートの体を貫いた。

 この世では考えられないほどの激しいエネルギーと衝撃音が、水平線の彼方まで響き渡る。


 想像を絶するその破壊魔法。だが、ガジェートの肉体は辛うじて原型を留めている。


「ぬん!!」


 眉を寄せながら竜は肉薄し追撃した。

 気合いと共にガジェートの眼前で回転する巨体。

 鞭のようなしなやかさで、鉄骨よりも硬い尻尾が空気を裂いた。


 一方のガジェート。

真紅の血で染まり果てた彼の瞳は、その尻尾の残像すら捉えきれていなかった。しかし、迫る強大な力に対し生存本能とも言える所作で、カタカタと無意識の内に剣を構えた。が、


 ーーヒュン。


 竜の尻尾が通った後、宙に残っていたのはガジェートの下半身のみだった。

 すぐに聞こえた地上で起こる墜落音。

 上半身はその中心部分に吹き飛んでいた。


「終わりだ」


 即座に残された下半身を竜は喰らう。

 ぬるりと。脳内にガジェートの心の声と半生が流れ込む。


(ぬぅぅ。この男の憎悪……これほどとは)


 竜は唸った。

 一人の人間が抱えるには大き過ぎる絶望と、殺意がそこにはあったのだ。全くの闇ではない。

 塞ぎこむように、何度も何度も黒を塗り重ねた結果に出来た、“歪な闇”だ。


(そうか……この人間も毒の被害者という訳か)


 ほんの少しだけだが、竜は寂しそうな表情を浮かべた。

 同情。憐れみ。そう言った気持ちが竜の心に湧き上がった。


「やはり毒は人間を、世界をも崩壊させてしまうな……」


 竜は滅びを迎える街の音を聞きながら、冷たい棺桶ーー要塞に目を向けた。

 視界を遮るものは無い。孤毒の生成魔装置を守る番人ーー魔法使いはもう居ないのだ。


「沈め。灼熱の中に」


 竜が火球を生成しようとした……その時だ。


 背後に凍りつく様な怖気を竜は感じた。『バッ!』と竜が素早く振り向くや否やーー。


「上からもの言ってんじゃねぇぇぇ!!トカゲ野郎がああああああああーーーっ!!!」


 鱗が削げた横っ腹にーーーーガジェートの剣が深く突き刺さった。


「ぐっ!?」


 竜は油断した。

 まさかのみで空を舞い、襲いかかってくるなど。

 竜の記憶の中にこれほどぶっ飛んだ人間は居ない。

 言動から記憶から、ガジェートが竜に対して強い恨みを持っている事は分かっていたのだが。もはや“執念”という言葉だけでは片付ける事の出来ない現象が、目の前で起こっていた。


 このガジェートという男は人間として、生物として、黒き竜の域をも超えたーー本物の怪物に成り果てていた。


「ぬぅぅ!貴様っ……人間を捨てたか!?」


「死ねぇえええええええええーーーーーっ!!」


 竜は土手っ腹に刺さった剣から、凶悪な魔力を感じた。

 影で出来た剣の長さは自由自在。ガジェートの憎悪に呼応する様に刀身は真っ直ぐに伸び、反対の腹を容易く貫通した。


「死んで詫びろおおおおおお!!!」


 その言葉と同時に。

 竜の体内でーー“刃の花”が咲いた。

 強靭な肉体の四方八方から、表皮を突き破った剣先が飛び出る。


「ふぐうぅぅぅぅ!!」


 歯を食いしばった牙の隙間から、大量の黒い血が噴き出た。

 すぐに竜は破壊魔法で内部の刃を消滅させるが、もはや身体中は穴だらけとなっている。

 止血のため。竜は自分自身の細胞に破壊魔法を施し、無理矢理に刺し傷の出血を防ぐ。


「やりおったなぁ……人間の分際で!!」


 気を張り直して、重苦しくなった首を持ち上げた竜であったが……。


「ーーっ!?」


 竜の視界は一変していた。


 上に下に、竜は視線を忙しなく向ける。

 そこには上空で死闘を見守っていた月も、戦火を上げる地上の街も、竜の眼には映っていなかったのだ。


(あの男はどこにいった!?)


 どれだけ辺りを見回しても、光の一つも見えはしない。

 完全な闇が広がっていた。


(これは何だ!?新手の魔法か!?)


 神の化身であるからといって、竜は何でも出来るわけではない。治癒魔法が良い例である。壊す事に派生する魔法は扱えるが、少女のかすり傷一つすら竜には治せはしない。


(どういう事だ。一体ここは何処なのだ?あの憎しみの塊の様な男はどこに行った……)


 ましてや器である竜の体は生き物としては何も変わらない。有り体に言えば、頑丈な動物だ。

 不死者でも無ければ、傷一つ負わない無敵の英雄でもない。


(いや…………男とは誰の事だ?)


 使い過ぎた魔力。流し過ぎた血液。

 それは竜の体への大きな負担となっていた。

 そんな状態で体内から、憎悪の魔力が込められた刃を何十と突き立てられれば、密かに込められたガジェートの闇の魔法にかかってしまうのは必然の事態であった。


 ガジェートが“刃の花”と共にかけた魔法は一つ。

 意識だけを“永遠に深い闇の中”に閉じ込めるという、おぞましい魔法だった。


(何故、我の体は疲れているのだ。何故、身体中が痛いのだ。何故……我は寝床に居るのだ)


 ぼやけていく思考の中で、竜は知った環境に答えを求めていた。魔法の霧が四方を囲み、僅かな光すら届かない場所。

 “夜の竜の寝床”だ。


(……いつの間に我は寝床に帰ったのだ)



「竜竜竜竜竜竜竜りゅううううううううううううううううううううううううぅぅぅぅぅぅ!!!」


 竜の眼前でガジェートは絶叫する。

 それでも竜は気付かない。気付けない。

 ガジェートの闇魔法により、竜の意識は遥か遠くに吹き飛ばされてしまったからだ。

 現実の竜は虚ろになった眼差しで、ただぼぅーと虚空を見つめ続けている。


(千里眼が発動しない。一体どういう事だ。それよりも寝床だというのに何故ーーがいないのだ……)


 竜は暗闇の中に、天真爛漫なあの影を求めていた。


 盲目を気にもさせない笑顔を。

 我慢するように泣く健気さを。

 他の者を思いやる優しさを。

 立ち止まらないその勇気を。

 課せられた試練に抗う、胸に宿した力強さを。


 彼女だけの【七色の光】を、竜は闇の中で追い探した。


(どこだ。どこにいる。我はあの少女に…………に会いたいのだ)


 一度足りとも聞くことが無かったはずの少女の名前。

 混濁する意識の中、竜にはどうしてかその名前が分かった。


(フェミィ……我は……)


 その思いを最後に。

 竜の虚ろな眼から生気がすぅーっと失われた。



 翼を広げたまま、闇夜に静止する巨大な竜。

 背中に月を負ったままーーーー竜は“完全に沈黙した”。

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