怒れる黒き竜VS魔法使い 1

 一つの街を火の海に沈めても竜の進撃は止まらない。

 すぐに夜空を突っ走り、二つ目の猛毒を保持する都市を壊滅させた。


 天に向かって吠え猛る竜の脳内に、死んだ人間のあらゆる記憶や思いが雪崩れ込んでくる。その全てを背負いーー全てを壊した。

 これが本来の役割、【破壊の黒き竜】のあるべき姿だから。



「ぬぅ」


 毒の番をしていた数人の魔法使いを丸呑みにし、竜は次の標的への情報を得た。


「美しいこの世界に……異物を作りよって」


 呟く竜が眉をひそめる。

 最初に半壊させた防衛都市も、この都市も“生成魔装置”と呼ばれる機械によって、毒が作られている事が分かったのだ。

 危険な化学物質に、既存の毒魔法で無理矢理に圧をかけ続け混合する。

 その様な外道なやり方が用いられていた。


 毒は自然界の物質に触れると、その猛威を振るうように作られていた。が、目に見える効果がすぐに表れる事はない。

 影がひっそりと足元に現れ、いつのまにか伸びていくように、その毒は蔓延していくのだ。


 やがて気付く自身の異変。

 その者達は病が伝染しないようにと、愛する人から離れ一人寂しく死を選ぶ。その事から付けられた毒の名前。


 名を【独毒こどく


 原液に少しでも触れたのであらば、人間の致死率はほぼ十割。人類の歴史上に残る、最強最悪の猛毒だった。


 そして、この国家が抱える独毒は全て一つの装置によって作られていた。


 脳内で統合した情報によると、この国に他に生成した毒の保存場所はない。

 残るは孤毒を生み出した装置のみ、ということだ。


(あと一つ……)


 装置の保管場所はここからさらに北東の場所。


 この国家の中心都市ーー





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





「よく聞け!害虫共!!貴様らが戦争に使う毒は、世の摂理から踏み外した外道の所作である!無関係の者は即刻この街から出て行けえええええええーーーっ!!」


 月を背にした上空から、竜は最後の街に向かって脳内に直接警告を行った。

 続けざまに夜空に放つ、花火の数百倍もの大規模な閃光ーーそれは真昼間と勘違いするほどの光量と、一般人が立つ事も出来ない爆音を伴った。


 『異形の怪物が来た!』と、街の人々に知らしめるには十分な威力。

 竜の視界に蟻ほどの大きさに見える人々が、悲鳴を喚き散らしながら民家や建物から避難していくのが見えた。


「フン」と鼻を鳴らし、竜は魔法使いの記憶にあった要塞を探す。その中にあの孤毒を作り出す、生成魔装置があるはずだからだ。


(あれだな)


 宙に静止した竜が目を凝らした。

 この国の王が住んでいるであろう城のに建造された、コンクリートの塊ーー無機質で四角い小型の要塞に。

 それはひっそりと。人々から隠れる様に存在していた。

 街の正面から認識する事は出来ず、上空からでも窓という類が一切確認出来ない。


(まるで冷たい棺桶だな)


 ゴゴゴッ!と大気を震わす魔力と共に、竜の開いた口内に灼熱の火球が生成される。

 千里眼を用いた透視の結果、情報通り毒は保存していない。要塞の中は装置のみだ。

 ならば、どれだけ吹き飛ばそうとも毒が飛び散る心配はない。


 そしていくら屈強に見える要塞でも、所詮は人間の作り出した物。安価な防壁魔法を使っていようと、火球一発で跡形も無く粉々になるはずだ。


 竜は一切迷うことなく、要塞に向かってーー火球を打ち放つ。


(……こんなことをしては報われるのか)


 ふと湧き出た感情に、竜の心は騒ついた。

 いつのまにか。

 竜の思考は“毒を許さない”という思いから、“少女の為に”という気持ちに変わっていたのだ。


(あやつが報われるかだと?我はさっきから一体何を考えているのだ)


 竜が困惑を示す一方で、豪速球で放たれた炎弾は建物へと迫っていた。

 着弾し大爆発ーー要塞は跡形も無く吹き飛ぶ。

 そのはずだった。


(我の火球が!?)


 竜が大きな目玉を見開いた。

 炎弾は建物に打ち当たる直前に、綺麗さっぱりと消え去ったのだ。拡散するはずだった火種、人々のトラウマとなる巨大な衝突音。その痕跡を残さずに。


 要塞の近くからーー小さな人影が宙に飛びあがる。


 呆然とする竜の眼前に現れたのは、一人の小さな【魔法使い】だった。





 ◇◆◇◆◇◆





「すっごいよ!まっくろのドラゴンさんは初めて見たよ!」


 空中で急ブレーキをかけながら止まったのは、紫のローブを身に纏う幼い女の子供だった。抜けた前歯に屈託の無い笑顔。歳は八歳前後といったところだろうか。

 魔法使い特有の、補助を担う杖などは持っていない。

 それにしても魔法を使う竜の前に自ら現れる人間など、常軌を逸した無鉄砲者か、よほど自分の力に自身がある実力者か、そのどちらかであるのだが……。


 試すように。

 竜は幼き魔法使いに向かって再び火球を放った。大気を震わせながら魔法使いに迫る火球。

 それをーー無邪気な魔法使いは片手で笑いながら搔き消した。


「そんなヘナチョコな炎は効かないよっと!」


 十歳にも満たない魔法使いは前者。つまり実力者だった。

 人間の界隈で呼ばれる敬称としては、“大魔導師”と呼ばれる一握りの逸材。


(このような子供に我の火球が消されたのか)


 加減はしていないはず……竜がジロリと魔法使いを見据えた。

 何万年と生きた竜の記憶の中に、これ程の幼い魔法使いは居ない。それも大魔導師レベルに匹敵する人間など。


 しかし目の前で起きた事実を、竜は認めるしかなかった。


「君……ええっと、まっくろ君が悪さをしているドラゴンだね。ダメだよ?あの機械を壊したら。戦争が起きた時に被害が大きくなっちゃうって、先生達が言ってるんだもん」


 話の筋を察するに、つまりこの魔法使いは“孤毒の番人”を担っているという訳だ。


「だから慌てて来たのかもっ」


 魔法使いは嬉しそうに言った。

 竜は装置のあるこの街を見つけ出すのに、五日ほどかかっていた。

 “毒を喰らう黒い怪物”の目撃情報は国中に知れ渡っており、統制を担う王は竜の到着よりも早く、希代の魔法使いを呼んでいたという訳だ。


「まっくろ君だと……」


 おかしな名前がつけられた。

 そんなことよりも竜は、幼女の膨大な魔力の出所が気になった。


「貴様、その力をどうやって手に入れた?その歳で我の火球を浄化するなど、魔法の才能があるという次元を遥かに超えている」


「ミシェルは炎の竜を食べたからねっ。あっ、ミシェルは私の名前なんだ。よろしくね!まっくろ君」


 悪びれる様子もなくミシェルと名乗った魔法使いは言った。得意げに鼻の下を擦り、胸を張って。


「なんだと!?その竜の名は!?」


「竜に名前なんてあるの?知らなかったかもっ!」


 ミシェルは子猫のように笑う。

 そこには一粒ほどの悪意さえ感じなかった。続けてーー


「でも一本しかない角はこーーーんなに、立派だったよ!」


 小さな腕で大きく弧を描き、ミシェルはその火竜の一本角を体現した。


「まさか……」


 大きな一本角の火竜。

 竜が知る限り、その火竜は一人しか心当たりが無い。そして冬眠前に多少の付き合いがあった。


 荒れた土地を焼き払い、魂の再生を促す役目を担っていた火竜。その火竜は決して感情で動く竜ではなかった。心穏やかな神の一人だった。

 その火竜が敗北し、あまつさえ自滅を選ばずに大人しく食われて人間に力を分け与えるなどーー竜の知る限り、あり得ないことだ。


「ふん!どうやって貴様のような小娘が、あの火竜を倒したというのだ!疑わしいにも程がある」


「皆で子竜をね、毒で弱らせて人質に取ったんだよ!そしたら大きな竜が頭を下げて、子供の命の代わりに召し上がれって」


「……何?」


 竜の表情が歪んだ。

 記憶を辿れば、確かに火竜は番いで行動していた。冬眠した後に、その雌の火竜が身籠っていたとすれば……。


「そしてミシェルは選ばれちゃったの!何千人と竜を食べた中で、唯一覚醒したのがミシェル!どう?すごいでしょ!?」


 ミシェルは得意げに話す。武勇伝を語るように。


「でも結局、子供は殺しちゃったんだ。私はペットにしたいって言ったのに。アミラたんが竜は人間の敵だからダメだって」


「竜は神だぞ……貴様は自分が何をして、何を言っているのかわかっているのか」


 目から口から鱗の繋ぎ目から。竜のあらゆる隙間から、黒い魔力が吹き始める。


「神はね、自分の事を神様って言わないんだよ?学校で習ったもん」


「その人から外れた力を授かったとしても竜は神ではなかったと、お前はそう思っているのか!森羅万象を超えた能力!それが揺るがぬ神の力の証拠ではないかっ!!」


「竜を食べるのもお勉強して努力しないと選ばれないんだよ?だからこれはーー人間ミシェルの、自分の力なの!」


「どこまでも……」


「まっくろ君って説教臭いね。ミシェルは苦手なタイプだな。でも目覚まし時計の代わりにするにはいいかも!」


「どこまでも人間という生き物はーーっ!!!」


 怒りが爆発した竜は、静かなる破壊魔法をミシェルに向けた。どんよりとした黒い魔圧がミシェルの小さな身体を覆う。

 が、ミシェルはこれを自身に惑わせた炎で焼き散らした。


「ん?なにかピリッと来たかもっ!」


 即興で、それも遠隔で行える破壊魔法など威力は知れている。

 効果があるのは下位の魔法使いくらいだ。そんな事は竜は百も承知だった。先の破壊魔法はただの目くらましに過ぎない。


 炎が消えた揺らめきの向こうーーミシェルは巨大な水球を目にしていた。


「貴様は許されぬ」


「うそっ!?火以外も使えるんだ!」


 ミシェルは大慌てで火の魔力を増幅させた。

 しかし水球は見る見ると、上空に浮かぶ月のように膨れ上がっていく。同時に破壊の力も練りこんであり、水球の中では黒い稲光が蛇のように踊り狂っていた。


 空間に歪みすら起こせる大規模魔法である。


「ちょっとこれは消せる自信がないかもっ!」


 さすがのミシェルの額にも、冷や汗が見えた。

 水の魔法を火の魔法で相殺するには単純な計算でも二倍の威力が必要だ。ミシェルにとってはこの魔力生成合戦、圧倒的に分が悪い。


 火竜への手向け代わりに作られし巨大な水弾。

 その完成間近ーーピシリと、球体に歪(ひず)みが生じた。


(これは……)


 竜は目を疑った。

 魔法の中断ーーそれが意味する所は、竜の生成する魔力に何らかの乱れが生じたということだ。


 異変を探るべく竜は全身を見回した。

 左の前足部分。そこには注視しなければ気付く事が出来ないであろう、細い光の糸が巻きついていた。

 薄く月の光を反射する、不気味な蜘蛛の糸のような細さ。

 そこから、魔力の生成を妨害する術式が、送りこまれていたのだ。


 水球は完成目前で塵(ちり)となり、夜空へと消え去った。

 そしてーー竜の巨体の節々に気の抜けそうな、虚脱感がめぐる。


(光の束縛魔法か)


 竜がギロリと上空を見上げる。

 光の糸は天へと伸びており、そこには気配を消した別の魔法使いが竜を見下ろしていた。

 青い法衣を身にまとい、年の頃は三十前後の貴婦人。

 表情は無邪気そのものと言ったミシェルとは違い、ひどく冷酷で淡々とした印象を受ける。

 片手には国宝級の代物であろうか、術者の補助を担う豪奢な杖を携えていた。


「ミシェル……一人で戦ってはなりません。竜は惑わしの魔法を使う……とても怖い存在なのですから」


 バレてしまっては仕方ないと、その魔法使いは左の手首に巻きついた光の糸に魔力を込める。

 瞬く間に細糸は数十本の光の帯となり、黒き竜に重く圧を掛けた。


「助かったよ!アミラたん!」


「……忘れ物です」


 アミラと呼ばれたその魔法使いは、ミシェルに杖を投げ渡す。


 これで状況は一対ニ……いや、違う。

 咄嗟に身をよじらせた竜は、下からの凄まじい憎悪の塊に気がついたのだ。

 影が伸びるような速さでーーそれは竜の体をかすめる。


 間一髪。


 急所である下腹を影の存在から躱す事が出来た竜だが、羽が一枚。蜃気楼を思わす“黒い刃”によって、切り捨てられた。


「わらわらと出てきおって……」


「殺す殺す殺す殺す!竜は絶対に超絶に完全に抹殺するうううううぅぅ!!!」


 ボロマントを羽織る影の正体ーーその男は絶叫しながら竜を見下した。

 痩せ細った猫背の体躯に、実態の掴めない“揺れる剣”を握る青年ガジェート。この世界における魔法剣士と言ったところだ。


 竜はその男の目に注視した。

 見開かれた獰猛どうもうな瞳は、野生の狼のそれと同じだった。獲物に飢えた獣。そこに憎しみを混ぜ込んだ、どす黒い瞳の色をしている。


「竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜りゅううううううううううううううううう!!!」


「ガジェート、落ち着きなさい……一撃で仕留めますよ」


「ミシェル達が倒す前に間に合って良かったね、ガジェたん。この竜は凄いんだよ!火も水も使えるの!」


 興奮を隠す様子の無い魔法剣士、ガジェートの横にミシェルとアミラは並ぶ。


 竜の眼前に現れた魔法使い達。

 この三人こそが王が招集をかけた、この国最強の大魔導師達であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る