破壊衝動。

 寝床へは予定していた到着時間よりも早い帰宅となった。

 時刻はまだ昼過ぎといった所で、出発から六時間ほどしか経っていない。


「悪かった」


 竜が力無く言った。

 初めて聞いた竜の謝罪の言葉。少女は驚きながらも、うなだれた鼻先を優しく撫でる。


「リュウさんは気にしすぎですよ。期待してなかったと言えば嘘になりますけど……思ってもいない希望に巡り会えただけで……私は幸せ者です」


 健気に笑う少女の顔を、竜は直視する事が出来ない。


「貴様は強いのだな」


「目の前が見えなくても、飛び越えて進んで行くのが私ですから」


 そう言う少女は「むむっ?」と顔を傾げてーー近くの開いた穴の中に手を入れる。


「……我の鼻の中に手を入れるで無い」


「あわわっ!?これが鼻の穴だったんですね!新発見ですよ!」


 少女は謎に顔を赤く染めて、


「目が見えなくたって、こうすればリュウさんの事は分かりますから」


「……」


 単なる竜の気まぐれで始まった今回の騒動。

 気持ちがひどく落ち込んでいるのは、治療が失敗に終わった少女ではなく、竜の方であった。

 それは帰ってからの態度や言動を含めて、火を見るよりも明らかだ。


「リュウさん……」


「そう言えば、枕の下に手紙を置いてきたであろう。父親を心配させる前に取りに帰れ」


「でもっ」


「我は少し眠りたいのだ」


「……はい」


 少女は三歩進んで竜の方へ振り返り、また進んでは竜の方向に顔を向けていた。別れを惜しむ子犬のように。


「良いから行け」


「だって、リュウさんが遠くに行っちゃう気がして」


 大きな溜め息が牙の隙間から溢れる。


「我は別れの挨拶も無しに、行方をくらます様な無礼者では無い」


「わかりました……また明日」


 少女はトボトボと霧に向かって歩いてく。

 この目がもし治っていたのなら。リュウさんは今頃、笑顔で居てくれていたのだろうか。


 胸が締め付けられるような不安と寂しさを抱えたまま、少女は霧の中へ消えて行った。




 ◇◆◇◆◇◆





 何時間が経過したのだろうか。

 日も暮れて辺りは静けさに包まれている。


 そんな竜の寝床に、突如として激震が走った。


「グオオオオオオオオーーーッ!!グオオオオオオーーンンッ!!」


 竜が吠え始めたのだ。

 吐く様に、唸る様に、地に向かって竜は叫んでいた。

 魔法の霧のお陰で振動や騒音は外部に伝わらない。それを良いことに竜は咆哮を繰り返す。


(我は……我はっ!)


 竜は自分の気持ちが分からないでいた。


 少女の悲しみの表情で不本意にも腹が満たされてしまったから。思うような展開に至らなかったから。少女の涙が足を伝ったから。


 それらを統合してーー少女の期待を裏切ったからか。


(わからぬ!我は何故、苦しいのだ!)


 どれだけ腹の底のうっぷんを吐き出そうとも、原因が理解出来ない竜には対処の仕様が無い。


 その感情の影にーートクンと。小さな破壊衝動が芽生えた。


 それは“破壊の黒き竜”にとって、“破壊の神”として、当たり前の事だったのかも知れない。

 破壊衝動が火種とするならば、燃料はこの膨大な不満の塊だ。二つは竜の中で濃密に溶け合い爆発し、猛烈な怒りの炎へと昇華する。


 破壊対象である矛先は“一点”。

 少女の呪いの起源である“猛毒”へと向かった。


「我は許さぬ」


 冷たく言い放った竜は上空を飛ぶ小鳥をギリリと睨んだ。

 同時に精神を乗っ取り、近隣の調査をすぐさまに開始した。


(パナケアがあやつの呪いは生まれ持ってのものだと言っていた。ならば感染源は母親だ。子にも遺伝するような強力な毒であるならば……この数十年で消せるはずがない!)


 少女の村を通り過ぎーーーー二つ、三つ、四つ目の村を過ぎた時だ。

 竜は上空から見下ろす村に違和感を感じた。


(この村は……)


 少女の村と変わらない種類の民家や建物が見えるのだが……灯りが一つとして無い。

 人が住む匂いや気配が全くの皆無なのだ。それどころか草木の一つも生えていない。


 一夜にして神隠しにあったかのような、“誰も居ない村”がそこには出来上がっていた。


 竜は急降下し、地の匂いを急いで調べた。

 小鳥の体を借りているものの魔法は十二分に扱える。地表はわからないように除染されているようだったが……魔法で表面を爆破すると、地中から鼻を突く毒の匂いが辺りに散漫した。


(やはり毒の被害に合っている……この村が原因なのか?)


 粉塵と共に舞い上がった土や石。その中にはとある遺物も混じっていた。人間の骨だ。

 竜はそれをくちばしつつき、欠けらを口の中に放り込んだ。

 竜は人を殺したり肉体の一部を喰らう事で、その者の半生を知る事が出来た。それは記憶を読み取るだけーーそんな生半可なものではない。

 今までその者が受けた大怪我や死の痛み、気が狂いそうな憤怒から心臓が張り裂けそうな絶望まで、全てを受け止めなければならない。


 破壊の裏に隠された、竜の背負うべき運命の一つ。


「ぬぅぅ……」


 唸る竜。

 頭の中にその骨の主の、壮絶な記憶が焼き付いていく。



 およそ十五年前ーー生前の骨の主人はこの村に住んでいた。

 働き盛りの頃合いの男性だ。

 この村は戦地から離れており、なんの被害も見舞う事はなかった。戦争も半ば終了。この村は戦勝し得るであろう国の領地だった。

 だが万が一に備え、数十人の兵士が月一回毎に変わるように常駐を繰り返していた。

 軍の指導の賜物か、村の人々と兵士の関係は良好の一言。

 経済は周り、嫁ぐ者も少なく無い。見張りという任務だったが、戦火の炎がここまで及ぶ訳もなく平穏そのもの。

 兵士にとっては良い休暇も兼ねていたらしい。


 ーーしかしだ。


 たった一人の狂った兵士によってこの村は、いや、辺り一帯の大地が滅びの道を進む事態に陥った。


 交代した兵士の一人が、いたのだ。

 少しずつ様子がおかしくなる兵士だったのだが、壮絶な戦地から戻る兵士の中には、そういう人物も少なく無かった。

 失った五体の一部。戦友の死。愛する者の死。


 少し情緒不安定になる事など些細な事だった。


 そして、ついに兵士は事切れた。

 何を思ったのか。溶けきった意識の中で防衛に備えていた猛毒を盗み出し、井戸に投げ入れたのだ。

 一滴で数百の命を奪う毒。それを小ビン丸ごと放り込んだ。


 毒は水で薄めれば区別がつきにくく、ましてや魔法の使えない普通の人間にとっては無味無臭に感じてしまう。


 悲しくもーーこの村の大多数の人間はそれに気付かず飲料に、料理に、洗濯に、湯浴みに……使用し続けた。


 一人目の症状が出たのは十日後の事。

 それを皮切りに次々に村人に症状が出始めた。

 この骨の主人もその中の一人だった。

 男は毒によって腐り落ちていく肉体に絶望した。愛する者との決別に苦悩した。閉鎖された村で孤独になった。


 そして……男は兵士を恨みながら井戸の横で自殺した。


(ふむぅ……)


 竜は男の苦痛を全て受け入れた。

 当時の痛みや心の叫びが、そのまま竜の体内を駆け巡っていく。


(貴様は良く耐えた。その苦悩、その憎悪ーー我が破壊しよう)


 竜は全てを背負い、骨に残った男の怨念を浄化した。

 天国は無い、地獄も無い。その弔いに似た行為には何の意味も無い。だが、竜は破壊ーー浄化するのだ。

 定められた己が運命を全うする為に。


(井戸か……)


 男の記憶に妊婦は居ない。

 本当にこの村が盲目の原因かは、まだ確定ではなかった。

 しかし距離を考えれば、少女の村からそう遠くに離れて居ないこの村が一番怪しい。

 少女の母親が立ち寄りがてら、一口だけ毒を口にする……その可能性も十分に考えられるのだ。


 記憶を辿りながら、竜は封鎖された井戸に辿り着いた。

 木板と鉄板、そして魔法で厳重に封印された上蓋。ここが原因の意図であるのは明白だった。


「ふんっ」と竜は容易くそれを破壊し、井戸を覗き込む。

 水はとっくに枯れた様子で底は暗く深い。


 竜は千里眼の魔法を使い、底を見抜いた途端ーー

 グワッと血走った目を見開いた。


 すぐに小鳥の目の奥ーー竜の精神の眼が激しい怒りに震える。


「この色は!!」


 毒が緑色というのは共通の常識だ。

 しかし最初に混ぜた物によって若干の違いが出てくるのだ。鉄に塗れば鮮やかな緑となり、土に混ぜれば赤が混ざった濃い緑の色になる。

 そしてーーこの井戸の底に溜まった毒は、“深くて暗い、光を閉ざすような緑”だった。

 あの少女の瞼に張り付いた、あの忌々いまいましい呪いと同じ色の。


 竜が猛スピードで井戸の底に突っ込んでいく。


 (この井戸のせいで少女は空すら見れないのだ!月を知らぬのだ!我慢してきたのだ!卑下されてきたのだ!怪我をしてきたのだ!隠すように涙を流すのだ!全てこの井戸のせいで!!!)


 ふいに竜の中に湧いた言葉の数々に、暴走する竜は気付かない。


 竜はその溜まった毒に頭から突っ込み、次々に毒を体内に吸収した。そして内部で破壊魔法を叩き込み、浄化させていく。

 人間が作り出した化学兵器と魔法の猛毒。

 それを直接体内に取り込むなど、竜にとってもダメージが無い訳ではない。

 神経を太い針で串刺しにされるような激痛が、竜の本体を襲った。


(ぬぅぅぅーー!)


 それでもだ。

 怒りに身を任せたままーー竜は元凶であった少女の毒を、破壊し尽くした。

 これで大地の毒が抜け切れば数年、あるいは数十年で人間や他の動物も住むことが出来るようになる。


 原因は消滅させた。万事解決……そう思うのは人間にとっての考えだけである。


(我は破壊の神なり)


 竜の中に一度芽生えた破壊衝動。

 その神の力の根源となる火種は、井戸の毒如きで満足する筈が無かった。


(根絶やしだ)


 骨から読み取った記憶の中。

 毒を生産していた兵士のーー“国家の勲章”を竜はありありと覚えている。


 竜は心の奥で“その紋章”を、“燃え盛る憤怒の炎”の中に投げ入れた。

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