【盲目の呪い】
再び大空洞にて。
浮かび並ぶ五冊の魔道書。
パナケアは指を鳴らして大規模な棚にそれを仕舞った。
「よし」
思い立ったパナケアが、木椅子にこじんまりと座る少女に対面する。
華奢な白い細腕を瞼に向けてーーいよいよ盲目の治療が始まった。
「いくよ」
少女を取り囲むように展開されたいくつもの魔法陣。
それらから放たれる細やかな光は、全て少女の瞼に張り付いた緑の縦筋へと向かう。
パナケアが治すものは何も怪我や病気だけでは無い。割れたコップから倒壊した建造物まで、その効果範囲は実に幅が広い。
【万物を治す癒しの光】
その魔法をこの世界で最も上手く扱えるのがーー治癒の竜、パナケアだ。
少女の目元にまとわりついた光が、より一層の激しさを見せる。柔らかな陽射しのような温度を感じた少女は、自然と手を握り合わせていた。
いつの時代も人間が神に願う体勢というものは決まっている。祈りの姿勢だ。
………。
ふと。少女は暖かさが無くなった事に気付いた。
期待と不安を込めて、瞼を動かそうとするもーー呪われた瞼が開く事はない。何も変わってなどはいなかった。
「まだ方法はある……」
歯切れの悪いパナケアの言葉が、少女の耳の奥でじんわりと広がっていった。
複雑な表情を浮かべたパナケアは別の魔法を展開させた。
その見た事も無い術式に、奥に座っていた竜は「ほぅ」と目を細めた。
「これは僕がこの十年で開発した、
それは“物体の本来の意味を取り戻す”という治癒とは似て非なる、極めて扱いの難しい魔法だった。
「最初に痛みを伴うかも知れないが、調整はしてある。我慢しておくれ」
「はっ、はい!覚悟は出来ております!」
目と口をギュッと結んだ少女。
今度こそはと、彼女は二人の神様に願いを込めた。
だがーー縫われた様な緑の縦筋が消滅する事は無かった。
「……痛みは感じたかい?」
「な、何もわかりませんでした」
目を細めたパナケアが呪いを恨めしそうに睨む。
「原点回帰の第一段階すら
それから、時間を逆行させる魔法、本質を映し出す魔法、人間が改良した魔法と科学を混ぜ込んだ新技術や道具を用いて。他にも。他にも。他にも。他にも。
魔法学に関して研究熱心なパナケアは、知り得る限りの方法を必死に試したのだったが……。
「やっぱりダメなのか」
呪いは最後まで剥がれることはなかった。
落胆するパナケアは少女に「すまない」と謝罪するも、それを良しとしないのは破壊の王。黒き竜だ。
「治せぬというのか。パナケアよ」
少女の背後。
大人しく鎮座していた竜が首を伸ばして、パナケアをじっと睨みつける。
「僕はあらゆる病気や怪我を癒せる。でもね、この子の目は病気じゃない。生まれついてのものだ。分かるかい?“正常では無い”が、“病気にも当てはまらない”のさ」
「どうやってもか?」
「あぁ。肉体的にも精神的にも魂の一部になっている。産まれてすぐなら……まだ可能性はあっただろうけど」
「貴様の目玉や心臓を食わせたならば」
怒気を孕ませて竜はパナケアに問う。
「恐ろしい事を言わないでおくれ」
「どうにかしろ!!」
苛立ちを見せた竜が口を開けた。
その中に黒い火球が生み出されている。この世の不条理や憎悪を圧縮したような、破壊の炎が球体の中に渦巻いていた。
「僕だって治してあげたいとは思っている。研究の成果も全て試した。でもね、無理な物は無理なんだよ!」
「お前は癒しの竜であろう!治せぬものは無いはずだ!」
「君は分からず屋だね。病気や怪我じゃないと何度言えば理解してくれるのさ!」
「こやつは病気であろうが!事実、この人間は目が見えておらぬ!これを病気と言わずなんだと言うんだ!」
「じゃあ……“病気”という言葉を、“運命”に変えておいておくれ」
腕を組んだパナケアは力強く言った。
決して皮肉を込めて言ったのではない。治せないものは、治す必要が無いもの。受け入れるべき天命だという、治癒の竜としての信念。
「貴様あああああああーーっ!!」
激昂した竜の口から勢いよく火球が放たれた。
破壊の力と炎の力が圧縮された凄まじい攻撃魔法。
この小さな火球一つで、大きな山の二つ三つが簡単に消し飛んでしまうだろう。
その豪速球の火球をーーパナケアは細い掌で優しく撫でて、ぴたりと宙に止める。『邪魔だ』と言わんばかりに、爪先で火球を天井に蹴り上げた。
瞬時にパナケアは、第二の火球を口の中で準備していた竜の顎下に移動し、力任せにアッパーを叩き込む。
白い細腕からは想像が出来ない殴打の衝撃音が広がった。
ぐにゃりと。竜の長い首は振り子のように反対方向に曲がり、不発となった火球は竜の口内で「ドガンッ!」と暴発する。
竜は口から黒い煙を吐きながら、血走った目をパナケアに向けた。
「やりおったな」
「先に手を出したのは君だろ」
火球により溶け始めた掌を一瞬で完治させたパナケア。
彼女もまた狂気じみた形相を浮かべ、竜を見据えている。
“黒き竜と白き竜”
両者の溢れ出る魔力が大空洞を覆い、混沌の渦のようにせめぎ合う。
「ーーやめて下さい!!」
叫んだのは竜の足元にしがみついた少女だった。
目の前で街が消し飛びそうな戦いが行われているなど知る由も無い少女だが、喧嘩をしているという雰囲気はすぐに理解が出来た。
どちらも『少女の為』に、という思いを含めてだ。
「私は気にしてませんから!ねっ!?竜さんもパナケアさんも少し落ち着きましょう!目はいつものままなだけです!」
懸命に処置してくれたパナケア。
脅すような手段を使ってでも治そうとしてくれる竜。
二人の気持ちは痛いほど少女に伝わっていた。
「何を言っている。貴様の目が見えぬと我の腹が満たされぬではないか!だから我は」
「私も考えますから!」
「しかしーー」
「私がもっと驚くような、すっごいアイデアを!って、自分で考えたら驚きませんよね。アハハハ……」
少女は顔を上げずに言った。
「でも……ご安心下さい!私と竜さんは深い絆で結ばれているはずです。これからも竜さんが満足するように努力していきます……から」
少女は顔を上げずに言ったのだ。
「もう良い」
「何がですか!?私は至って大丈夫です!平常運転ですよ!」
顔を上げないまま、少女は震える腕に力を込めた。
「無理をするな」
竜はめくられていた少女のフードを摘まみ上げ、頭の上に被せる。
ふとパナケアと竜の視線が一度交わったが、そこに戦闘を再開する気配は無い。お互いがばつを悪そうにして視線を逸らすのみであった。
火球が突き抜けて空が見えるようになった天井。
大空洞にはしばらく、瓦礫がパラパラと落ちる音と、少女のすすり泣く声だけが聞こえていた。
◇◆◇◆◇◆
最後に竜はもう一度だけパナケアに同じ質問をした。「どうやってもこの目を治す術は無いのだな?」と。
パナケアは悔しそうな表情を浮かべ、こくりと頷くのみであった。
少女には見えることがないであろうが、珍しく落ち込む竜の姿がそこにはある。
竜は無言で少女を背中に乗せ、パナケアの寝床から飛び去った。
【盲目の呪いの治療は失敗した】
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