少女は死んだ竜を見つける。
「うぅ。リュウさんから離れると寒くなりました……」
滑らかに整えられた岩壁沿いを、恐る恐る歩き続ける盲目の少女。
「パナケアさんには了承を貰いましたが……乙女として出来るだけお二方から離れたい……」
内股気味にしか歩けないその足が、少女の我慢の限界を物語っている。
「しかーしっ!私もそろそろ限界です!この辺でーーーー」
ハッ!と、俯いていた少女は急いで顔を上げた。
洞窟内を吹き抜ける風の音とは違う、微かな声が聞こえたからだ。
その声は低く冷たく、明らかに二人の竜とは違う声質だった。
「あのーっ、誰か……いらっしゃるのですか……」
誰も居ないことを願いつつ、誰にも聞こえていないことを祈りつつ、少女はぼそりと呟いた。
「いらっしゃいますかー………いらっしゃいませー……」
洞窟内は小さく反響する自分の声以外、何も反応はなかった。
「アハハハー、なんてね。気のせいでしたか。なら安心して」
少女がローブの内側、ワンピースの裾に手を伸ばしたーーその時。
『ーー助けろっ!』
「ひょええええええええ!!!」
鋭さを増した男性の声。
それが前方から確かに聞こえた。
「……パナケアさんのご友人の方ですか?」
応答はない。
しかし、さっきの男性の声は相当に切羽詰まっているように感じた。
「何か困っているのでしょうか。まっ、待ってて下さいね!」
踏み出した一歩だったが、少女はふと自分の置かれた状況を思い出した。
「我慢が出来るんでしょうか……」
かと言って見えない前方に声の主がいた場合、ここで恥ずかしい行為をする訳にはいかない。
「どこにいらっしゃるんですかー?何を助けるんですかー?助ける前に少し離れて欲しいのですが……。出来れば後ろを向いて、耳を塞いで、五感の全てを遮断して頂けるとありがたいです……」
少女は下腹部を抑えながら、もじもじと声のする奥へと消えて行った。
◇◆◇◆◇◆
「行き止まり……」
冷たい壁に突き当たった少女は立ち尽くしていた。
「声も聞こえなくなりましたし、道を間違えたのでしょうか。なら仕方ありませんね。ここでーー」
『助けろ!』
「ひぃぃいいい!!」
正面から
真に迫る迫力からして、距離はかなり近いと思われる。
「分かりましたから!どなたか知りませんが声が大きいです!こっちのおトイレ事情も考えて下さいよっ!」
少女は半ばキレ気味で壁のようなものを叩いた。そして、なんとか声の方へ行けないか道を模索する。
冷たい壁はずーーっと続いており、どこまで行っても抜け道などは無かった。
「助けろと言われても、これ以上先に進めませんよぉ……」
救助を求める男性と、自身のお腹の具合に板挟みにされる少女。彼女の目尻にはうっすらと涙が溜まり始めていた。
ーーゾクリ。
少女の背筋に鳥肌が立った。
足音は全く聞こえなかったが、背中に受けていた吹き抜ける風の音が微かに変わった。その微妙な変化を少女は感じ取ったのだ。
少女の耳にかかった青い髪。
それが不自然にゆっくりと持ち上げられ……。
「ひゃい!?」
耳元に柔らかい何かが触れる。そして、
「見ぃつけたぁぁぁあああああああああああああ」
暗い女の声。
それが耳の真横から聞こえ、少女の脳内が恐怖という文字で埋め尽くされた。
「ゾンビイイイイィィィィィーーーッ!!!」
少女のダムは、悲鳴と共に決壊した。
◇◆◇◆◇◆
「ごめんね……用を済ませた後かと思って」
パナケアが耳をかきながら、この事態をどう収めたらいいものかと頭を悩ませていた。
あの亡霊のような声の主は、少し演技をしたパナケアだったのだ。黒き竜が言っていたように、ほんの出来心でパナケアも驚かせてみようと思っただけ。
しかし目の前には、思っていたリアクションとは違うぺたんと座り込み、泣きじゃくる少女の姿が。
「大丈夫だから。ほらっ、全身の浄化も済んだし何も問題はないよ」
ふいに頭をあげた少女がパナケアに飛びついた。
「リュウしゃんには内緒にしてくだしゃい!お願いしますーー!後生ですからーー!」
半ば曝け出された豊満なパナケアの胸。
少女はその中にうずくまり、無我夢中で懇願した。
「あはは。大丈夫、僕も女だ。デリカシーの無い黒き竜と違ってわきまえてるよ」
パナケアはトントンと少女の背中を叩き、不安定な乙女心を落ち着かせた。
抱きしめるパナケアは、うっとりと目を細める。
彼女は雌の竜だ。この愛情ある行為に、子を慈しむ母のような感情を思い出したのは、至極自然な摂理だったのかも知れない。
「神様です!あなたは大神様です!!」
「まぁ、うん。神の化身なんだけどさ。それより目が見えないのにどうしてここまで来れたのさ?ここは壁伝いじゃ絶対辿り着けない場所だよ」
気付かぬ内に少女は、通路内の五つに分かれたど真ん中の道を進んでいたようだった。
「幻聴だったんですかね。誰かの声がしたんです」
「声……ね」
パナケアは少女が触っていた、冷たく大きな壁を眺める。
「それはーー幻なんかじゃないよ」
指先に炎を灯したパナケアが不敵な笑みを浮かべた。
ぼぅと目の前に浮かび上がったのはーーーー
【壁一面の氷漬けになった竜の死体達】
その数は数十体にも及び、どの竜も恐ろしい憎悪の表情を浮かべたまま、時間が止まったかのように絶命していた。
「簡単に説明すると、ここは僕が殺した竜を冷凍してある場所。つまり墓場なのさ」
コンコンと、パナケアは氷の壁を叩きながら言った。
「リュウさんを!?」
「いや、君の言う黒き竜の事ではないんだよ。同じ種族の別個体って意味さ」
「あぁ、馬みたいな」
苦笑いを返すパナケア。
少女の中で竜という姿はどういうイメージなのか。まるで想像がつかない。
「ちょっと違うけどね。君は死んだ竜の残留思念、つまり強い魔力の余韻を感じたのさ」
「どうして、その……お仲間さんを殺したんですか?」
聞いていいのか分からない質問だったが、リュウの事もある。旧友と言ってたし殺される事は無いだろうが、万が一に備えて知っておくべきだと、少女は問いを口にした。
「
「でも、殺さなくても……」
「それだけ僕も必死に抵抗したということさ。逆に言えばね。僕を無理矢理連れて行けないような奴に、番いになる資格はない。竜の繁殖と言うのはパートナーを決める時から命懸け。世界にはそういう動物だっているだろう?」
少女はなんとなく納得した。
父親に似た生き物の話を聞いた事があったからだ。カマキリなどがその例に当たるだろう。
種が違えば愛の形も違う。感情を抜きにした全く別の、生存競争の世界だ。
「命を作るというのは、最初から最後まで偉大で危険なんだ。君のお母さんも命を賭して君を産んだだろう?似た理屈さ」
「そうですね。出産は命がけですもんね」
「君のお母さんもーー後悔はしていないはず」
母親の代わりのように頭を撫でるパナケアだったが、一方の少女は妙な引っかかりを覚えた。
哀れむような、励ますような、そんな物言いが気になったのだ。
「パナケアさん……どうして母が私を生んだ代わりに死んだような言い方するんですか?今まで会ったことないですよね」
事実、少女の盲目の原因は母親による遺伝であった。
少女を身篭ったまま毒に犯された母親は、その病が原因で少女を産んですぐに亡くなっている。
少女は母親の声すら聞いた事も無い。
「……魔法で全てがわかるのさ」
咄嗟に少女から目を逸らしたパナケアであったが、なるほどと少女は頷いた。
「私にも魔法が使えたら、リュウさんの気持ちが少しでも分かりますかねぇ……」
「君にも魔法が使える素質があるよ。怨念の声も魔力に耐性が無いと聞こえないからね。黒き竜と一緒にいたせいじゃないかな?」
「私も魔法使い様になれるんですか!?」
「誰だって小さな魔法くらいは使えるものさ。ただキッカケが必要なだけで。さぁ、戻ろうーー
パナケアはパチッと指を鳴らし少女を宙に浮かばせる。
二人は世間話しをしながらフワフワと、竜の待つ大空洞へと戻った。
そしてーーついに盲目の治療が始まる。
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