少女はパナケアと出会う。

 二時間ほど飛んだ北の大陸。

 そこは剣先のように鋭い山々が連なっていた。視界の色は白に統一され、それ以外の色を探すのが困難な極寒の地。

 つまるところ、ここは一面の“雪の世界”だ。


 飛行する竜が一つの山の中腹を見据えている。

 作為的に削り取られたような横穴、洞窟の入り口を。


「辺りの地形は随分と変わったようだが、この穴倉からパナケアの魔力を感じる」


 入り口前に着陸した竜は長い首を伸ばし、薄暗い洞窟の奥を睨んだ。


「着きましたか?ぶっぶっ、ぶぇっくしょん!」


 乙女とは言いがたいくしゃみの反動で、少女はコロリと竜の背中から滑り落ちた。


「ふぎゃん!!」


 独特な悲鳴に首をひねった竜。

 その視界に少女は映っていない。代わりに、雪上に人間大の縦穴が出来ていた。そこから「リュウさーん!リュウさーん!」という涙混じりの声が聞こえた。


「やりましたね!?着いて早々に落とし穴ですか!ちくしょー!!」


 少女が住んでいる地域で雪は一切降らない。故にこの現象がなぜ起こったのか、少女にはわからなかった。


「我はまだ何もしておらん」


 巣から落ちた雛を見るような複雑な気持ちで、竜は縦穴に顔を突っ込む。

 あむっと少女のフードを咥え、優しく地上へと着地させた。


「ゆっくり歩け。地表にあるのは土ではない。雪というものだ。貴様にわかるように言えば、細かい水が冷えて固まったようなもの」


「水が固まったもの?」


 少女は慎重に雪を両手ですくい、ギュッと握った。


「すごい……」


 掌の熱で雪が溶け水へと変化する。

 本当に水が固まっている。その事実に感動して、少女は何度も何度も雪の塊を作って遊んだ。そして少女は新しい発見をする。『キュッキュッ』という、雪が潰れる音の事だ。


「あはー。水ってこんな音も鳴るんですね!」


 感激する少女だが、ローブから覗く足は小刻みに震えていた。

 身体強化の魔法をかけてはいるものの、少女の器量ーーつまり人間としての限界がある。


「これ以上の強化は貴様には耐えられぬ。常に我の前にいろ」


 広げた翼の前に火球を作り、そよ風を少女に送る。

 自然の温風だ。

 これで凍え死ぬ事はないな、と竜は洞窟に再び視線を向けた。


(中は迷路のような作りになっていたな。パナケアは何処にいる……)


 竜は千里眼の魔法を洞窟に使った。しかし、すぐに視界は霞んで見えなくなる。


「何故に妨害魔法など」


 破壊という文字が竜の頭を掠めるが、それよりも手っ取り早い方法を竜は閃いた。

 首をぐいっと高く持ち上げ、雪上に根を生やした大木の様な四肢に踏ん張りを効かせる。


「耳を塞いでおれ」


「まさかっ!?」


 続けようとした言葉を捨てて、少女は足元の雪の中へと急いで潜り込んだ。


 空気の流れが、全て竜の口内へと集中しーー言葉と共に一気に押し出される。



「出て来なければ辺り一面を吹き飛ばすぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーっ!!」



 渾身の力を持って竜は雄叫びをあげた。

 魔力で守られていない付近の山々からは『ゴゴゴ……』と地響きのような音が聞こえ、大雪崩が発生する。


 声が届いたのか、うす暗い洞窟の入り口にぼぅと人影が浮かんだ。


「久しいなパナケアよ」


 竜は声をかけた。

 姿を現した宙にプカプカと浮かぶ竜人の女性に。


「やぁ、黒き竜。君は相変わらず乱暴だね。そこが君の良い所でもあるのだけれど」


 彼女は浮いているというのにまるで椅子に座っているかのように、肘をつき足を組んでいた。

 とこどころに鱗があり、滑らかな光沢を帯びた長い尻尾。ショートカットの額の隙間からは三本の角が生えている。

 スタイル抜群のプロポーションに加えて、露出の高い白コート。

 黒き竜とは対照的に全てが白色で統一されたこの竜人は、人間が見たら“白い女魔王”、と間違えて呼んでしまいそうな風格を携えていた。

 妖艶な笑みを浮かべて、向かいの山の雪崩に目をやる彼女が“パナケア”ーー治癒の竜である。


「また人型の姿をしているのか」


「人間の研究にはこの姿の方が楽なのさ」


 長い白い尾を体に巻きつかせながら、パナケアは細ばった先端をペロリと舐めて見せた。


「それより来てくれて嬉しいよ。場所を移さず、ここで待っていた甲斐があったというものさ」


「うむ。貴様とは冬眠に入る前に話したな。すると、五百年から千年ぶりといったところか」


 パナケアはきょとんとした顔で竜の言葉を否定する。


「五千五百六十年、三百十一日ぶりだよ?」


「ごっ、五千年だと!?」


 驚愕の事実に思わず竜が仰け反った。

 竜の憶測では五百年〜千年ほど冬眠していたと思ったからだ。


「そうだよ?何か不味かったかい?」


「いや、そうであったのか。人間が竜を忘れても仕方のない年月だな」


「いつまで経っても人間は……滅んでは再建の繰り返しさ」


 手を広げたパナケアが首を横に振って落胆を示した。

 その仕草を見て、パナケアほど人間臭い竜も居ないと竜は心の内で苦笑した。


「やはり毒のせいか?」


「そうだね。でも人間達の話よりもっと重要な話があるだろう?」


 竜の足元に近づいたパナケアが、前足をうっとりと撫でる。


「なんだ?」


「繁殖の準備さ。二千年前から仲間達は少しずつ西の大陸に集まり始めてるよ」


 これで少女が竜の伝承を知らない理由がピシャリと合った。

 この少女の祖先、あるいは周りの人々達は何千年もの間、中央大陸から離れていく竜達と巡り合う事が無かったのだ。


「君も、僕と番いになる為にここに来てくれたんだろ?」


「話が見えぬな」


「約束したじゃないか?冬眠が終わったら、僕を迎えに来てくれるって」


 豊満な胸を押し付けながらパナケアは挑発的な目を竜に向けた。


「我はその様な約束をした覚えがない」


「いいや、君は僕と交尾してもらう」


 猫撫で声を静めて、パナケアはきっぱりと言い切った。

 まるで竜は自分のパートナーだと主張するように。


「いい加減にせぬと食ってしまうぞ」


「寝床で好きなだけ僕の体を貪りつくしておくれ」


「今この場で頭から食らってやろうかっ!!」


 主張を譲らないパナケアに竜は牙を剥き出しにして迫る。

 パナケアの顔に触れる吐息には、辺りの空間に亀裂が入るほどの魔力が籠っていた。

 対するパナケアも底知れぬ魔力を身にまとい、平然と竜を睨み返す。

 両者一歩も譲らぬ緊張の中ーーーーパナケアの足元の雪がムクリと盛り上がった。


「こっ、こんにちは〜ケンカはやめましょうねーって、あははは〜」


 不穏な空気を感じ取った少女が、仲裁にと雪の中から姿を出した。

 シーンと静まり返る雪上。


「あ、あのぅ〜」


 反応が感じられない少々はどうすればいいか分からず、広げた手を合わせてモジモジと恥ずかしがった。

 パナケアはというとーー固まっていた。

 目を見開き口を震わせ、ただ少女を凝視している。


「きっ、君はバカなのか!?」


「ご、ごめんなさい!」


 パナケアの怒鳴り声に、少女は思わず雪に手をついて謝った。


「あっ、すまない。人間の君に言った訳じゃないんだ。僕は黒き竜に言ったんだよ」


「どうしたパナケア。たかが、人間一人に何を戸惑う事がある」


「いや、それは……」


 パナケアはバツが悪そうな顔を見せ、視線を逸らした。


「そんなに寝床を知られたくなかったか?」


「まぁ、そういう事さ。竜にとって寝床とは大切なものだろ」


「フーハッハッハッ!小さくなったものよ!して、今日は頼みがあって来たのだ。この人間の目を治してくれ」


 パナケアは深い溜め息を吐きながら、緊張している少女にプカプカと近付いた。


「……目を見せてごらん」


「お願いしますですっ!お医者様」


 前髪をかき上げた少女が、どうぞと顔を突き出した。

 パナケアは少女にゆっくりと顔を近づける。

 ーー鼻先を通り越し。

 ーー目尻を過ぎて。

 ーー少女の耳を甘噛みした。


「ひゃい!?」


 一瞬だったが少女の耳が光って見えた。

 その煌めきを竜は見逃さない。


「おいパナケア、今魔法を使ったな。我の玩具がんぐに何かするならタダでは済まさんぞ」

 

「私はリュウさんのオモチャになったつもりはありませんけど!?」


 少女が慌てて否定する。


「健診だよ。この子の全身を調べる為さ。文句があるなら連れて帰ってくれ」


「うぬぬ……」


 腹を満たす為だ。治癒魔法が使えない竜は大人しく引き下がるしかない。


「少し調べたい事がある。それまで奥で待ってなよ。君のその馬鹿でかい図体も入れる様に作ってあるからさ」


 パナケアに促された二人は、洞窟の中へと案内された。




 ◇◆◇◆◇◆◇





 三十分ほど進んだ先。三人が辿り着いたのは巨大な大空洞だった。

 ここがパナケアの寝床……になっているのだが、竜は呆れた様子を見せる。

 剥き出しになった岩壁までは良かったのだが、原因は壁一面の棚に飾られた数万冊に及ぶ本だ。

 人間の歴史から絵本まで種類は豊富。中でも魔法に関する書物が多い。

 端にはパナケア専用の机だろうか。動物的栄養素など不必要な竜だが、マグカップと食べかけの果物が置いてある。


 ここはまるで人間が住む部屋のようだった。


 浮かんだ椅子が大広間の中央へと置かれた。

 パナケアはその上に少女を座らせようとしたが、少女がゴニョゴニョと……パナケアに耳打ちをする。

「わかったよ」と、パナケアは頷き指を鳴らした。

 フワフワと。少女の体は一人でに浮かび、奥に伸びる通路へと進んでいく。


「おい、何処に行くのだ」


 不穏に思った竜が声をかけた。


「竜さんはついてきたらダメですよ!絶対ですよ!」


「貴様は目が見えないであろう。何かあったら我の腹が満たされぬではないか」


 まぁまぁと割って入ってきたのはパナケア。


「少し探検するだけさ。通路に尖ったものは無いし、転んでも死にはしないよ。僕もいるし」


「……ふむ」


 気は進まなかったが、少女本人もここの主人であるパナケアもそう言うのだ。少しだけなら目を離してもいいかと、竜は少女の好きにさせた。


 それはさておき、竜は机の上に置かれた六芒星の表紙の本をジッと見つめる。


「人間の魔法など知ってどうする。魔法の祖は我らではないか」


「改良してるだろう?毒もそうさ。人間達の過ちが少しでも改善される方法は無いかと思ってね」


「放っておけ。そこまで人間に加担する意味はない」


「……まだその傷は痛むのかい?」


 パナケアは自分が癒した場所ーー眉間の十字傷を見て唇を噛んだ。


「時折疼くだけだ。痛くはない」


「もう少し僕が早く気付いていれば、一体となる前に完治出来たのに……すまない」


「貴様が気にすることではない。それに傷を付けたのは馬鹿な人間共だ。気にするな」


 あぁ。とパナケアは頷いて壁に並んだ本を五冊浮かばせ、手元に引き寄せる。

 猛毒に関する本をパラパラとめくりながら、次はパナケアが訪ねて来た竜の真意を探る。


「何で君はあの子を助けようとしてるのさ?」


「助ける訳では無い。あの人間の驚く姿が楽しいのだ。だから我の姿を見せて驚かせたい。それだけだ」


 グルルと竜は得意気に喉を鳴らす。


「人間嫌いの君がかい?」


「フハハ!あやつの驚きは我の腹を満たす。それも上質にな。街を壊すより快適なのだ」


「それってつまりーー恋なんじゃないの?」


 ドゴン!!

 咳込んだ竜が思わず“火球”を打ってしまった。

 火球は洞窟の岩壁を容易く貫通し、新たなる出入り口が遠くに見えた。


「冗談だよ!冗談!僕の寝床を壊さないでおくれ!」


「下らん事を言うな。我は破壊を司る竜だ。今すぐ世界が滅ぼうとも我の自由だ」


「なら昔のように片っ端から治していくよ。僕は癒やしの竜だからね」


 破壊の竜が破壊を糧に生きるなら、癒しの竜も癒しが糧だ。地上から癒すものが無くなれば、パナケアも死んでしまう。

 この正反対の性質を持つ二体の竜は、ある意味で共存関係を築いているという訳だ。


「ところで、あやつはどこまで行ったのだ?」


「トイレだよ。本当に君はデリカシーというものが皆無だよね」


 呆れながらパナケアは言った。


「竜の寝床にそういった場所は無いであろう。我々は排泄などせぬからな」


「あぁ。人間は恥ずかしがるからね。魔法で片付けるから、そこの影でしておいでって言ったのだけど……」


 竜とパナケアはジッと通路を睨むが、人の気配はそこから感じない。

 察した二人は聴覚強化の魔法を使い、少女の足音を探る。


「……随分と奥に歩いちゃったみたいだね」


 目が見えない為、そう遠くには歩けないだろうと侮っていたパナケアが苦笑いを浮かべた。


「連れてこい。今壊れても困る」


「はいはい」


 パナケアは座った体勢のまま浮かび上がり、消えた少女の跡を追う。

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