少女は癒しの竜に会いに行く。

 竜の寝床にて。

 破壊の黒き竜は固く目を閉じて思惑を巡らせていた。

 黒い鱗がびっしりと覆う頭部の中ーー人間の何十倍もの脳をフル稼動させて。


「うぬぅ……」


 神の化身である竜は大きく唸(うな)る。


「どうしたものか……」


 この世界にとって竜とは大事な存在であった。調律者、大賢者、総合して“神”と古代の人間が崇めていた時代もある。

 そんな竜が必至に考えている案件は、過ぎた技術を振りかざす人間を根絶やしにする事でもなく、街を壊滅させる事でも無い。

『どうやって少女を驚かせる(表情を壊す)か』というーー実に些細な問題だった。


(こやつの触覚、聴覚、味覚、嗅覚。攻めるべき箇所は攻めた)


 しかし、やはり定番である巨大な竜の姿におののく表情。これをどうしても見たいと竜は考えていた。

 少女の視界に映る漆黒の翼。心臓を貫ぬくかのような威圧的な眼光。数百の剣が生えた風にも思える鋭利な牙。

 この巨大な竜の姿を見て少女は泣き喚くのか。他の人間同様に気絶するのか。はたまたーー喜ぶのだろうか。

 予測出来ない少女の言動や心の揺らめき。

 それらを想像するだけで、竜の顔は知らず知らずの内にふやけていく。


(しかし、どうすれば……)


 竜は少女の瞼に張り付いたいくつもの緑の縦線、【盲目の呪い】を恨めしく思った。


 一方の少女はとぐろを巻く竜の腹辺りに座り込んでいる。

 その辺に落ちていた小枝を指揮者のように振りながら、ご機嫌に歌を口ずさんでいた。


「ポケットの中には、ビスケットが一つ♪ 」


「………」


「もう一つ叩けば、ビスケットが四万枚♪」


「多いわ!普通に考えて入らぬだろうがっ!」


 思わず目を見開いた竜はすぐにツッコミを入れる。


「ふぇ?何ですか?私、変な事言いましたか?」


 これが正式な歌詞だよ?と言わんばかりに、少女は竜にとぼけた顔を向ける。


「……我は集中しておるのだ。少し静かにしておれ」


 能天気な少女を一瞥いちべつし、竜はまた思考の海に深く潜った。

 黒き竜は“破壊の神”。

 他の魔法ならまだしも、正反対にあたる回復や治療の類は畑違い。全くと言えるほど扱う事が出来ない。


(我の魔法では、あの毒だけを破壊するなどという器用な真似は出来ぬ。頭部ごと破壊してしまうだろう。我にも治癒魔法が使えれば……いや、待てよ)


 竜はその言葉に一つの引っ掛かりを覚えた。


(治癒……治癒……そうか!!思い出したぞ!)


 竜はドスンと起き上がり、天に向かって声を荒げる。


「フーハッハッハッハッ!!」


「あらリュウさん、何か良いことでもありましたか?」


「どうやら我の頭はまだ本調子では無かったようだ!あやつの事を忘れていたとはな!フハハハ!!」


 長い首を左右に振りながら溜息を吐いた。

 竜が何千年の眠りから覚めてまだ数ヶ月。自身が思っていたよりも忘れていた事は多かった様だ。


「あやつ?」


「いやなに。またお前を驚かす方法を思いついただけの事」


 ビクリと身構えた少女だったが、今回はなにか秘策があるようだった。「フッフッフッ」と含み笑いをした後、「ジャジャーン!」と自分で効果音をつけて、二つのある物をポケットから取り出した。


「……なんだそれは」


 竜は少女の両手に転がるワインボトルの蓋を小さくしたような物を睨む。


「これは耳栓です!こうやって耳に付けるとですね……あら不思議っ!もうリュウさんの声は聞こえなくなりました!どうです?悔しいでしょう。どうしてもって言うのなら、外してあげてもいいですよー?」


 悪戯っぽい顔をした少女が、えっへんと胸を張った。


「ーー今から貴様の鼻に草を突っ込むぞ」


 ペラペラと言葉を続ける少女に、竜はボソリと呟いた。

 長い首を伸ばし竜輪草をついばむ。

 そして、少女の鼻に静かに近づけた。


「私の頭脳プレイにさすがのリュウさんも降参ですかね〜。そういう時もありますよ。えっ?……泣いてる?あのリュウさんが!?カムバック!泣かないで!リュウさーん!ーーーーおぼぇ!!」


 一人芝居をしていた少女の鼻に、先が細められた葉っぱの束が突っ込まれた。

 思わずひっくり返った少女は耳栓を外し、倒れたままジタバタとわめく。


「乙女の鼻に何て事するんですか!?反則ですよ!反則!」


「通告はした。耳が聞こえていたなら気付けたであろう」


 してやったりと、竜の口角がニヤついた。


「そういう事ではなくてですね、女の子としての扱いの話をしてるんですよ」


「我は竜だ。人間の性別如き気にする訳がなかろう」


 少女にはなんとなく分かっていた解答。

 しかし、言った本人の少女でさえも同意出来る部分がある。


「ですよねぇ。かくいう私も性別なんて良くわかりません。父以外の男の人を触った事がありませんから」


 少し感傷に浸る少女に、竜はニヤリと目を細める。


「しかし、それは今日までの話だ」


「ほぇ?」


「心して聞けーー“貴様の目を治す”」


 えっ?と少女は理解出来ない様子で首を傾げた。


「治る訳無いじゃないですか……だって薬の研究をしているお父さんも無理だって……」


「風を起こし、空を飛び、形を変えた。貴様も肌で感じてきたであろう。竜は本物の魔法が扱える。人間の魔法使いなどが足元にも及ばぬ、叡智えいちを超えたもな」


「……」


「我は破壊の竜。故に治癒魔法は使えぬ。が、この額にある何百年と塞がることの無かった忌々いまいましい十字の傷を一瞬で塞いだ竜が居る。名を“パナケア”、治癒の竜である。どうだ!?驚いたであろう!フハハハハハハ!!」


「……」


 ここで少女が驚いてまた腹が満たされる。と思っていた竜のあては大きく外れた。

 俯いたままーー少女は黙って地面を見つめているのみであった。


「腹でもくだしたか?」


 不思議に思った竜は風を操り、少女の青い髪をふわりとめくる。

 少女の塞がれた呪いの隙間ーー目尻から、とめどない涙が溢れ出ていた。


「……うぅ」


 少女はローブの裾をギュッと掴み、我慢するように泣いていた。

 これまで盲目の事など気にしていない素ぶりを見せていた少女。そんな彼女にも、他人に打ち明けることの出来ない様々な葛藤があったのだろう。耐えられない不遇があったのだろう。心が折れそうな傷があったのだろう。


 望む事すら許されなかった少女の願いーー“希望の光”。


 それがとんでもない所から突然に転がってきたのだ。


「泣くほど驚いたか!いいぞ、我の腹も満たされた!フハハハハ!!」


 少女の胸の中の殻が砕け、押し寄せるような感情の波が心を埋め尽くす。

 気付くと少女は杖を捨てて、低い声の咆哮に向かって走っていた。

 ーーゴツンと。

 すぐに前足の硬い鱗に勢い良く頭をぶつかるが、今は一切の痛みなど感じない。

 少女はそのまま、きつく、強く、ギューと竜を抱きしめた。


「ありがとうございます……リュウさん……ありがとう……」


「礼を言われる筋合いは無い。我の腹の為だ。貴様の目を哀れんで治す訳ではない」


 偽りのない本心だった。

 竜は気を使うという言葉を知らないのだから。


「……はい」


 少女もそれは分かっていた。

 しかし耳から入った言葉と、受け取とる側の“心”は違う。

 感謝の気持ちが体の中に広がっていき、それを少女は抱きしめる腕の力に変えて伝える。


「それでも私は……」


「我の真の姿を見ると、また貴様は失禁してしまうかも知れぬな!」


「ーーっ!?」


 目が見えるようになる感動や感謝と、繊細な乙女心はまた別問題だ。ましてや……好意を寄せつつある相手なら尚更の事。


「感動のシーンなんですから!お漏らしの話はしないで下さいよ!」


 少女は広げていた腕を上に伸ばし、余計なことを口走る竜の足をポカポカと叩いた。


「貴様の感動など知ったことではないわ!」


「リュウさんのバカ!アホ!女泣かせ!」


「フハハ!フーハッハッハッハッ!」


 泣き、笑い、怒り。

 コロコロと表情の変わる盲目の少女に、竜の腹は満たされていく。




 ◇◆◇◆◇◆




 後日の朝方。太陽がまだ顔を出していない時間。

 少女は早まる気持ちを抑えながら竜の寝床へとやってきた。

 興奮して寝つきが悪かったのか、目元には若干のクマが見える。


「日が沈むまでに帰って来れるとは思うが」


「枕の下に手紙を隠してきたので、時間は気にしなくても構いません。ちゃんと読めるかどうかはわかりませんが……」


 点字で書いたメモを想像しながら少女は言う。


「ならばよし。目指すはパナケアの寝床ーー北の大陸だ!」


「ひゃい!」


 少女を背に乗せ雲を突き抜けた竜は、トップスピードで北を目指し風を切って行った。

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