少女は竜にキスをする。
二人は食べ歩きをしながら、観光名所である大通りの北出口を目指す。
道中で少女がグイグイと竜の顔に食べ物を押し付けるものだから、竜も仕方なく屋台の物を口にする。
竜は味などわからない。一般的な生物とは生体構造が全く違っている。
ただ、『あーん』が出来たと飛び跳ねる少女の顔を見て、自然と腹は満たされていく。
金貨はというと、バラまいて歩いているはずなのにまだ百枚ほど残っていた。
お互いの腹は満足し、街での用事はほぼ済んだ。使い道の無い金貨を余らしても邪魔なだけ。
街の出口で捨てるか誰かに押し付るかーーそう竜が考えていた所、腕をギュッと組み直した少女に気がついた。
「リュウさん……さっきから同じ足音がついてきています」
「よく区別がつくな。我は気にもならなかった」
「独特なので。金属か何かを靴底に入れているような音です。怖いので街の外まで走りましょう」
竜は後方を振り返り、少女が言う人物を探す。
ふと、黒いローブを着込んだガラの悪そうなゴロツキ二人と目が合った。『しまった!』という顔を露骨に浮かべたゴロツキ達は、ばつを悪そうにして脇にある路地裏へ隠れていく。
「我もあやつらに用が出来た」
「え?」
きょとんとする少女の手を引きながら、竜は自らゴロツキ共が隠れた路地裏へと歩いて行った。
◇◆◇◆◇◆
路地裏の左右は無機質な壁で挟まれた細道になっていた。
大通りとはうって変わり、昼間だというのに薄暗く人の気配がまるでない。
移民や犯罪者が紛れるのにはもってこいの、貿易街の“裏の一面”がここにはあった。
そんな事は意にも介さず、竜は瞬き一つせずに奥へ奥へと路地裏を進んでいく。
舗装のされていない土の地面を、竜はあえて足音を立てて少女の手を引いた。
「ふむ」
ーー竜の足がピタリと止まる。突き当たりの壁に面したのだ。
「空から火の雨を降らすか……しかし」
「どうしました?雨が降って来るんですか?」
少女はローブを脱いで、竜の頭に被せる。もちろん余った端の部分に少女も入り、腕をギュッと組んだ。
「撥水の粉をかけてきたので雨はかかりませんよ!即席の相合傘ですね。エヘヘ」
竜はとんちんかんな事を言って、惚ける少女の顔を見つめる。
噴水広場での出来事、歌劇、屋台の食べ物。この街で起きた少女の驚き様は良い腹の足しーーつまり、まだ有効活用が出来る。
だから竜は少しだけ待つことにした。
しつこくつけていたなら、向こうから探しに来るだろうと。
「雨は降らぬ。貴様はすぐに転ぶのだからローブを着ておれ」
「そ、そんなぁ〜。私の相合傘……愛愛チャンスが!」
ーー十分後。
「遅いぞ」
辺りの建物を吹き飛ばそうか考えていた竜は、二人のゴロツキを叱咤した。
竜の前方には『はぁ?』と首をかしげる黒いローブに身を包んだ二人の男達。走り回っていたのか、息が少し切れている。
ゴロツキの服装は弾丸をも弾きそうな特殊加工された分厚いローブ。中に武器を隠し持っているのか、前のボタンは上から下まで締め切っていた。
見た目はよく言って行商人の用心棒。ストレートに言えば、
『行き違いじゃねーか。無駄に大通りに行かせやがってボケが』『お前今遅いっていったのか、あぁ?』
ゴロツキ達は二人の予想通り、挨拶も無く罵声を浴びせた。
しかしどうやって一方通行の袋小路から抜け出したのか。窓か?パイプを伝い壁を登ったか?なんて、竜はそんな些細な事は考えていなかった。
見つめる先は、ゴロツキ達が開けたボタンーー懐からチラつかせているナイフの柄の部分だ。
「我は遅いと言った。貴様達を待っていたのだ。二度言わせるな」
『はぁ?こいつ服もおかしかったら、頭もおかしいんじゃねぇのか?自分から襲われに来るとかバカかお前は』『頭がおかしいから護衛も無しに女と大金バラ撒いてるんだろギャハハハハ!!」
ゴロツキ達は辺りを見回して誰もいない事を確認すると、ローブの内に隠していたナタのような大きさのナイフをズルッと取り出した。
『待ってたなら、その金を置いてとっとと失せろ!!』
低く鋭い怒号が袋小路に響いた。
ただならぬ雰囲気を察した少女がフードを脱いで、リュウに詰め寄る。
「リュウさん!?何が起こってるんですか!?説明して下さい!」
「何も起こっておらぬ」
淡々と竜は答える。
『何も起こってないだとよ!カッコいいセリフだなぁおい!』『おい見てみろよ!金持ちの癖に目の見えない女を連れてやがる!』
自分の事を言われたと、少女は竜の背中に隠れた。
『おーい!姉ちゃん!見えねぇならベッドまで道案内してやろうか!手取り足取り教えてやるよ!』『やめとけ、あれは病気だぜ。犬の餌にもなりゃしねぇよ。でもまぁ……奴隷好きの変態には売れるかもな!』
震える少女はローブを深く被り直す。
「どうした?言い返さないのか?」
首を回し、竜は背中にくっ付いた少女に疑問を投げかけた。
「……事実なので」
声からして少女は怒ってはいない。
言われなれた言葉なのだろうか。ただ、大切な何かを守るように、胸の前に手をそっと添えた。
「そうか。事実なら仕方ないか。ならば我も破壊対象ーー真実を見定めるとしよう」
『無視して何を言ってやがる!早く金を置け!』『おい!あれだけの大金だ。憲兵が来たら元も子もねぇ、やっちまうぞ!』
一人のゴロツキが大きなナイフを振りかざし、竜に迫った。
竜は少女に危害が及ばないように一歩だけ前に出て、その大きなナイフの刃先を見つめる。
切羽詰まっているのか、野盗の経験が多いのか。ゴロツキの動きには迷いが無い。
肉薄したナイフは竜の肩から心臓を切り裂くような綺麗な軌道を見せようとした。
「ふむ」と竜は自身に降りかかるナイフが迫っても微動にしなかった。
刃が肩に触れるーーその直前に至っても刃先を見つめ続けていた。
ーーガキンッ!!
「なっ!?」
高い金属音とゴロツキが上げた驚きの声は、ほぼ同時だった。
しばらくしてーー折れたナイフの先が宙で弧を描き、サクリと地面に突き刺さった。
ゴロツキは信じられないような顔をして、片手に残る折れたナイフと竜の肩を交互に見やる。
ナイフは竜に触れた瞬間、不思議と真っ二つに砕け散ったのだ。
「我は破壊の竜だ。たかが人間の攻撃など効く訳がなかろう」
攻撃を仕掛けたゴロツキは口をパクパクとさせ、辛うじて上ずった声を張り上げた。
『ばっ、化け物ーーっ!!』
「化け物では無い、竜であり神だ。化け物とは貴様ら人間の底知れぬ業を指す」
竜は動かなかった。
背中を見せるゴロツキをギロリと睨むだけだ。
「左腕と右足」
竜の破壊魔法が静かに炸裂した。
そこに風も光も無い。見定めたゴロツキの身体の部分が強引にねじれ曲がるだけだ。
『ぎぃやあああああーーー!!』とゴロツキの絶叫が響いた。
歪な形に変形した仲間を見たもう一人は、すぐに膝をつき両の手をあげた。完全な降伏の姿勢だ。
肺から懸命に空気を絞り出して、必死の言葉を紡ぐ。
「ま、魔法使い様か、何かですかかか。自首っ、します、ので、命、だけはっ……」
一瞬で乾いた口の中。何度も口ごもりながらゴロツキは命乞いをする。
「我は竜だと言ったであろう。魔法使い如きと同じにするな」
冷めた表情のまま、竜は片手をゴロツキに向けた。
『リュ、リュウ様……』
「よく言えた。褒めはしないがな」
両手をあげるゴロツキの全ての爪が弾け飛び、指がへし折れた。靴の中の足の指も、全てだ。
『ぎょええええええええええーーーーっ!!』
飛び散った血液が竜の頬をかすめた。
人間の許容を遥かに超えた痛みにゴロツキは悶絶し、気を失う。
腕と足がねじ曲がったゴロツキもいつのまにか動かなくなっていた。
「ふむ」
竜は一呼吸つくと、少女の手を掴み大通りの方へ再び歩き出した。
「リュウさん!何をしたんですか!?」
それを止めたのは少女だ。
「こやつらの破壊対象を見定め、壊すべき場所を壊しただけだ。血の匂いと毒の匂いがしたのでな」
「壊すって……そんな!」
竜は見抜いていた。
ゴロツキ達が先ほど人を殺してきたことを。それ自体は竜の干渉するところでは無かったのだが、問題はその殺人行為に猛毒を使ったという点。
猛毒は死肉に群がる虫に感染し、動物や草木に被害が広がっていく。魔法と現代科学をごちゃ混ぜに練りこんだ猛毒は、長い年月をかけても大地に還ることが無い。
「我は破壊の竜だ。それが存在意義である」
少女は竜が毒に対して強い恨みを持っている事を、お喋りの中で知っていた。
でも、だからと言って、少女には少女の人間側の言い分がある。
「殺したんですか!?どうして!?」
「我は人間では無い。貴様らの物差しに当てはめるな」
「当てはめてません!これは私の個人的な考えです!」
竜は頬についていたゴロツキの血を舐めとった。
「過去の事象を読み取った。すでに三十の人間を殺している根っからの悪党だ。うむ、そして捕まっても脱獄を繰り返しまた殺人を行なったのだぞ。死んだとして何の問題があるのだ?死刑対象であろう」
少女は考えをうまく言葉に出来なかった。
ただ胸の中が悲しい気持ちで溢れ、それが目からポロポロと溢れた。
「私は……私は……」
口ごもる少女の涙を指ですくい、竜はまた舐めた。
その思いは竜の中で具現化しイメージとして流れ込んでくる。少女が言いたかった事。少女が言えない事。絡まって解けない純粋な気持ちを。竜は全て受け止めた。
そして、壮大な勘違いを少女が起こしている事も。
「うまく言えないんですけど、私は竜さんに人を殺して欲しくないっ!それだけなんです!」
その時だ。
ゴロツキのうめき声が聞こえた。
『いってぇ……おい…起きろ』『ぐぅ……うぁ……』
「ふぇ!?」
その声に気付いたゴロツキ達が、まだ居たのかと再び大きな悲鳴を上げる。
「我を私利私欲で行動する人間と一緒にするな。こやつらへ向く破壊衝動は絶命までには至らぬ。故に殺しはせぬ。最も完全破壊の対象であったなら、話は別だったがな」
「竜さん……」
ホッとした少女は竜が握った手を強く握り返した。
「壊すべき箇所は壊した。行くぞ。こやつらで満たされる破壊衝動は不味くて敵わん」
ゴロツキ二人のわめき声を残して、竜と少女は路地裏から大通りへと戻っていった。
二人は順調に大通りを進んでいき、街の外へ着いた。
竜は残った金貨を門番に無言で突き出した。
喋らない竜に対して焦る憲兵。
少女は劇の一場面のようにくるりと回ってみせて、ローブの裾をつまみ上げた。
「私達、実は王様とお姫様なんです。今日は楽しませてもらったのでこの街に寄付しますね。また来ますーーぐぇ!?」
竜はペコリと頭を下げる少女をそのまま肩に抱え、山の方へと猛スピードで駆け抜けていった。
付近の山の山頂。
「着いたな」
「……えぇ」
少女から言わせると、“着いてしまった”だが。
「我の腹はいっぱいだ。この街はしばらく滅ぼさず残しておくことに決めた。人目を避けて帰ってやろう」
何かの準備を始める、そう感じた少女は竜の手を強く引き寄せた。
「もう少し。もう少しだけ……」
今日は少女に取って、竜との距離が一段と近くなった日だ。身長的にも、気持ち的な意味でも。
「今日は我の極秘計画に貴様も驚きすぎて疲れたのであろう!フハハハ!」
少女は答えず竜の体をペタペタと触り始める。
気まぐれな竜の事だ。これが最後かも知れないと、顔を何度も指で触って懸命に形を覚えた。
そして少女は決断する。
竜の頬に両手を添え、背伸びをしてーー竜に口付けをした。
「……何をしている」
口付けされたまま、竜は強引に口を開いて喋った。
「んーっ!!んー!!」
少女は竜の顎に力を入れて、無理矢理に口を閉じさせる。
(なんだこれは……)
竜は口付けという行為の意味を知らない。人間の営みなどまるで興味がないからだ。
真顔のまま竜の考えは全く別の方向へと変化していく。
そう言えば、出会った頃に少女を口の中に放り込んだ事があったなと。
「ぷはぁー!!」
ギリギリまで息を止めていた少女が口を離した。
顔は真っ赤になり、ハァハァと肩で息をしている。全身に汗をかいて震える膝は今にも折れそうだ。
そこにはロマンチックな部分など無かったかも知れない。
ただ少女は一秒でも長くこの竜の唇を、自分の唇で覚えたい。それだけの思いだった。
はち切れそうな心音を鳴らしながら、少女は竜の手を繋ぎ直す。
「なんだ?また食われたいのか?」
ーーーーコクリ。
少女は無言でうなずいた。
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