少女は都市で競りをする。

 たくさんの人の声が聞こえる。

 舗装された上を歩く様々な靴音。馬車の行き交う車輪音。何かを焼いている音。何かが割れた音。水が弾け流れる音。


 少女は聞いた事の無い量の雑音の中で、竜に担がれていた。


「……ここって外ですよね?」


 クタクタになった少女が人型になった竜の肩から降りる。

 頭にかかったフードを口元まで伸ばし、スッポリと顔を隠した。


「そうだ。街の中央辺りになる」


 この喧騒は村という規模ではなく、とても大きな街だという事が少女にも分かった。同時に、分かりたくないという乙女心もある。


「……ベッドというか……寝室には……」


 竜の手をギュッと握りしめた少女が、顔を赤くする。


「何故、遠出してまで寝床に行かなくてはならないのだ」


 今居る場所は噴水の前だ。

 周りには屋台や行商人、観光客などが賑わいを見せている。

 間違っても、どこをどう転んでも少女が口にした宿泊関連の施設では無い。


「だって、チーヤお婆がお姫様抱っこの後は、そのっ……プレイをするって……」


 ゴニョゴニョと少女はチーヤ婆に教えてもらった事実(願望)を濁しながら言うが、


「なんだ?寝るのは帰ってから出来るであろう」


「はぅ……」


 切ない願いは一刀両断された。そもそもお姫様抱っこを勘違いしている少女の願いなど届くはずがないのだが。

 竜はざっと辺りを見回して鱗を掲げると、


「よく聞けーーっ!!これは竜の鱗である!これを金貨に変える、賢き者はおらぬかーー!」


 急に交渉の叫び声を上げた。

 その大音量は人間が出せる声量を超えており、辺りの喧騒を黙らせ、二人に一斉の注目が集まる。


『リュウの鱗?なんだいそりゃ?』『変な服だなおいっ』『あのガラス板と金貨の交換?形が悪くて皿の代わりにもなりゃしないよ』『おかしな格好の兄ちゃんだな』


 厄介者を見るような視線と、冷やかしの声が竜の耳に届く。

 神にも等しい我に対して無礼な振る舞いを……と、竜の魔力が急激に膨れ上がる。

 しかし、竜はこらえる。

 この後の計画の為に騒ぎを起こすわけにはいかなかったからだ。


「ぬぅぅ。今すぐ視界の全てを消し炭にしてやっても良いのだがな……」


 冷やかしの声はもちろん少女の耳にも入っていた。

 リュウさんは売買をしたいが、そっぽを向かれている。その雰囲気を察した少女は竜の袖をクイクイと引っ張った。


「あのっ、あのっ」


「なんだ?」


 改まった少女が竜にゴニョゴニョと耳打ちをする。


「魔法を鱗に込めるというのは出来ますか?それなら金貨と交換してくれると思うんです。私達にとって魔法は奇跡のようなものなので」


「鱗は我の一部、それは可能である。しかし……」


 竜はくぐもった表情を見せた。


「しかし?」


「たかが数百年しか効果が持続しないガラクタに過ぎぬぞ」


「人間にとったらそれを“一族の家宝”っていうんですよ!少し風が起きる、そんな鱗にしましょう」


「うむ」


 少女は竜の手から鱗を取り、大きく掲げた。


「皆々さまーー!もう一度お聞きくださいー!」


 『なんだ?今度は旅人か?』『顔が見えねー。怪しい女だな』『もうその皿はいらねーぞワハハハ!』


 冷やかしの声に手応えを感じ、少女は演説を始めた。


「訳あって顔を見せる事が出来ません。それは私が修行中の身ーー“魔法使い様”の弟子だからでございます!」


 少しだけ喧騒が静かになった。

 偽物に決まっているが、仮に本物の魔法使いだったら。と、周りは躊躇していたのだ。

 魔法使いはこの世界では一握りしかいない貴重な存在だった。戦争で重要な役割を果たしたり、人々の窮地を救ったり。下手な貴族よりも位が高いのだ。

 そして、うろたえたのは周りの人だけではなかった。


「貴様、魔法を使えたのか。初耳だぞ」


 竜もそれに食いついていた。

 少女は焦りながら竜に小声で弁解する。


「嘘に決まってるじゃ無いですか!合わせて下さいよ!」


「なに?我に嘘をついたのか」


「えぇ!?今そんな事を責めますか!リュウさんは鱗を売りたいんでしょう!?」


 二人が痴話喧嘩をしていると冷やかしの声が再び大きくなった。

 少女は竜を含めまぁまぁまぁ、と場を宥め説明を再開した。


「偉大なる魔法。その力のカケラをこの板に込めたのです!そして!この板は魔法使いでなくても風を起こせるような奇跡のアイテムとなっております!さぁ、お目が高い皆様。この価値の高いアイテムと金貨を交換してくれる方は……」


『する訳ねーだろ!』『証拠を見せてみろー!』


 もっともな言葉が返ってきた。

 少女はここが見せ場だと、フードの中から含み笑いを出した。


「ふっふっふ。いいでしょう。魔法の力、とくとごらんあれ!!」


 皆が見守る噴水広場。

 少女はゴクリと唾を飲み、ゆっくりと光沢を帯びた鱗をーー撫でた。


「…………あれ?」


 が、風は起こらなかった。

 奇跡のような魔法は一切発動していない。


『インチキじゃねーか』『騙すなら練習してから来い!』『大道芸なら向こうでやれ!』


 盛大な野次に耳を抑えながら、少女は竜を問いただす。


「リュウさん!どーなってるんですか!?風が出ないじゃないですか!」


「擦ると風が起こるなど言っておらん」


 腕を組んで少女を見つめていた竜は平然と言ってのけた。


「じゃあ、どうやって風を起こすんですか!?」


「魔力だ。魔力を注げ。魔法を使うなら当たり前の事だ」


 あぁ、なるほどね。と少女は鱗に向かって手をかざしたが、


「って!普通の人間に出来る訳ないでしょ!」


 当然それは無理な話だった。


「擦ったら風が起こるようにしてください。普通の人が出来るってところがポイントなんですから」


 熟考した竜がまた表情を曇らせた。


「擦ると風が出る使用か……出来なくもないが……」


「出来なくもないが?」


「威力は随分弱まる。大木をなぎ倒すくらいにしかならぬぞ?」


「それを“伝説の秘宝”っていうんですよ!そんな威力いりませんから!少しだけでいいんです!」


 わかったと竜はこたえて、鱗に魔法をほどこした。

 周りの面々はもはや、散らばりを見せており茶化す為に残った暇人達だけになりつつある。

 『パンッ』と少女は手を叩き場の空気を仕切り直し、すぐにパフォーマンスに打ってでた。


「いやいやいや!皆さま申し訳ありませんでした。なにぶん私は目が不自由な為、失敗してしまいましたが、次こそは!次こそは!」


 しらけたギャラリー達が見守る中、少女はほんの少しだけ鱗を指でなぞった。

 さっきと感触が違う。少女は人差し指の腹でそう感じた。ピリリとした静電気のような微弱な振動だ。

 途端、淡い光を帯びた鱗を中心に空気を波打つ波紋が広がる。


 そしてーー衝撃波のような突風が吹き荒れた。


「んぎぃぃぃいいいい!!」


 顔面に凄まじい風を受けた少女は、ブルブルと口の皮膚がめくれ上がった。

 その衝撃にわめいていた冷やかし達は尻餅をつき、屋台の幕は空へと舞い上がり、後ろの噴水の水は全て飛び散った。


 静まり返った噴水広場には少女の『あははは』という、から笑いの声だけが虚しく響いている。


「わたし捕まるんですかね。お父さんごめんなさい。しばらく帰れそうにありません……」


 落ち込む少女のフードはめくれ上がり盲目の印がさらけ出されているが、捕まる事を考えれば些細なことだ。

 ザッと観衆側から誰かの足音。

 怖い憲兵隊か偉い国の人が来たんだ、とチーヤお婆から聞いた悪い事をしたら捕まる人達のポーズを思い出した。


 少女は両手首を合わせ、スッーと前に出すーー


『ほ、本物の魔法使い様だーーーっ!!』


「ふぇ?」


 牢屋を想像していた少女の耳に正反対のリアクションーー歓喜の声が飛び込んだ。


 その声を皮切りに、人々が少女へと押し寄せた。


『奇跡を見せてくれてありがとうございます!』『疑ってました!許してください!』『それを売ってくれると言っていたな!?金貨五十枚でどうだ!?いや、百枚出そう!!』『それなら俺は百五十枚だ!』『うちの屋敷でもてなしを受けてくれ!』


 後方には膝をついて祈りを捧げる者達まで現れている。

 少女は胸を撫で下ろし今日は家に帰れそうだと、どうでも良いことに安心した。


「リュウさん、うまくいきましたが……威力をもっと落としてくださいね」


「全く。人間は注文が多い」


 こうしてそよ風が起こせる程度の鱗は、行商人に金貨ニ百枚で競り落とされた。

 『誰もが使える魔法のアイテム。こんな物は見た事がない』『すごい魔法使い様が現れた』と騒ぎが大きくなっていく噴水広場だが、竜にとって名声と金貨を手に入れるのが今回の遠征理由ではない。

 ここまではあくまで最終目的の為の過程だ。


 竜は金貨がぎっちりと詰まった麻袋を受け取ると、少女を脇に抱え建物の屋根に跳躍した。


「ふむ。これで目的が果たせるな」


 人々の尊敬の眼差しを背に受けながら、竜と少女は大通りに向かって姿を隠した。




 街の大通り南方面。


「色んな人の声を聞き分けると頭が痛くなるんですね。知りませんでした。少し貧血が……」


 竜に降ろされた少女は足をフラつかせ、竜に抱きついた。


「貴様、また嘘をついたな」


「っ!?な、なんのことやら〜」


 竜の胸の中。少女の額から冷や汗がタラタラと流れる。


「貴様にはまだ身体強化の魔法がかかっておる。貧血などかかる訳がない」


 体調を言い訳にした少女の作戦は簡単に竜に看破された。


「あ、今治りました。やだなぁ、リュウさんってば」


 パッと胸から離れ、誤魔化しつつ少女は心の中で歯を食いしばった。


「でも、そのいっぱいの金貨を使って何をするんですか?私はお金を使った事がありませんからわかりませんが、想像も出来ない価値があると思います」


「大衆歌劇だ。こればかりは人間を脅してさせる訳にも行かぬからな。だから竜の姿も隠した」


「オオオ、オペラですか!?」


 あっけにとられる少女の手を握り、竜は大型劇場へと足を向ける。

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