少女は空を飛ぶ。

 竜と少女が出会い一ヶ月が経った。

 その間にも黒き竜は様々な驚かせ方を試していた。

 芝を詰めた落とし穴。声色を変えて他人のフリ。時には気配を完全に消して。時には魔法をフル活用して。

 どのリアクションも竜にとってご馳走だった。“少女の表情を壊す”。この破壊で得られる満腹感は、何万人の人間を破壊するよりも価値があったのだ。


 話を広げるならば、この“破壊の黒き竜”が目覚めた現在、たった一人の少女のリアクションによって人類の平和は守られていると言っても過言ではない。


 一方の少女はというと、そんな大それた事実も知らずに未知の刺激に巡り合うべく、スキップをしながら竜の巣へ通い絶叫する日々を送っている。


 二人の関係は友達というより、全力でパフォーマンスをする演者と観客。


 そんな奇妙な関係に発展していた。





 ◇◆◇◆◇◆





「また抜け出して来たのか?もう月が真上だぞ」


「そうだったのですか?あいにく、私には朝も夜も区別がつきません。このようにーー」


「目が開かぬからだろう。全くそればかり言いおって。父親が手を焼くというのもうなずける話だ」


「お、お父さんには内緒にして下さいよ!しぃーですよ!」


 泥棒のように忍び足で少女は竜のそばに近づくと、フードをめくる。

 ニィーと歯を見せる屈託の無い笑顔には、盲目の負い目などまるで感じさせない。

 少女は芝をペタペタと確かめて、小石や余計な物が無いかを確認し、「あはー」とご機嫌に寝転がった。


「夜の森を舐めるでない。貴様など鷹に連れていかれるわ」


「ここは怖い獣が少ないですからねー。大丈夫ですよ」


 霧の魔法の効果かと竜は考えた。


「リュウさんはいつもここにいるんですか?」


「ここは何百年と我の土地だ。動く理由などない」


「へー。じゃあごさんですね」


「待て待て待て!!今だと言ったか?」


 首を伸ばした竜が少女に詰め寄る。


「えぇ。お父さんが言ってました。この霧は“悪しき者を追い払う効果”がある。だから私の為にここへ越して来たって。小さい頃の私はお転婆だったみたいで、目が見えないのに外を走り回ってたんですって。こんなに大人しいのに。ね?」


「なにが『ね?』だ。現にこうして夜中に抜け出しておるではないか。貴様は自分の振る舞いを確認した方がーー」


「ざーんねんでしたー。見れませーん」


 待ってましたと言わんばかりの少女のふてくされた態度。それでも満たされてしまう自身の満腹感に竜はイラっとした。


「目のついでに口も塞いでやろう」


 竜が吐息を吹きかけ、少女の口に魔法をかけた。


「ふもも!!ふもふも!!ふもももももももも!!」


 起き上がった少女は、なんて事をするんですか!?と猛抗議する。


「息が出来なくなって困るだと?貴様の鼻は何の為についておるのだ」


「ふもっ!」


 そっか!と手を合わせた少女はまた大の字に寝転がる。ニヤニヤしながら、不思議な感覚の唇を撫でて遊んだ。


(近所と言ったな。まさかーー)


 竜は不思議に思っていた。

 この森は広い。いくら少女の鼻がいいからと言って、盲目の人間が容易に辿り着ける場所ではない。

 加えて、奇抜な行動の多い少女は良く転倒を繰り返している。

 だというのにーー少女のかすり傷は余りにも少な過ぎた。


 その程度の苦難でここまで頻繁に通い続けれる理由など…………竜は「ハッ!?」と上空に首を伸ばした。


「様子を見てくる!」


 竜は立ち上がり固まった翼を動かそうとした。

 が、巨大な四枚の翼は思うように開かない。長き眠りから目覚めてまだ一ヶ月。本調子には至らない。


 仕方なく上空を飛んでいた小鳥に目を向け、得意ではない精神系の魔法で小鳥の意識を借りた。


 そのまま、小鳥の身体を使ってーー竜の意識は大空高くに舞い上がった。


(何いいぃぃぃーー!?)


 異変は空から地上を見下ろしてすぐにわかった。

 前方にあったはずの森が大幅に削られている。そして、竜の寝床から二十メートルも離れていない地点に民家がある。

 霧がかからないギリギリの距離だ。


 庭には洗濯用の物干し台が置いてあり、侵入してきたあのポニーがむしゃむしゃと呑気に草を食べていた。

 テラスには眼鏡をかけた男性が、紅茶を片手に本を読んでいる。


(あれが家畜だとすると……あいつが父親か!?)


 竜は一発で状況が読み込めた。


(これでは迷いの森ではなく、ではないかっ!ぬおおぉぉ!近い!近過ぎるぞ!)


 竜はすぐさま寝そべっている自分の体に意識を戻した。

 直後、竜は強烈なを感じた。

 喉ではないーー眼球だ。


 目の前にはドアップに映る少女が、竜の目を無理矢理こじ開けていた。


「リュウさーん?リュウさーん?これが目ですよねー?おーい?」


「痛たたたっ!目を開け続けるでない!乾くではないか!」


「返事をしてくれないからです!不安なんです!私は不安だとオネショをしてしまうタイプなのです!今日漏らしたらリュウさんのせいですからね!」


「知らぬわ!」


 そんな事よりと、竜は頭を悩ませた。


「これほど森が狭くなっていたとは……千年前後、我は眠っていたのかもしれぬ」


 一度、大陸の様子を見る必要がある。と、竜は全身の鱗を逆立て震わせた。

 寝床にガラスが擦れ合うような高い音が響く。


「ひゃあああ!目に続いて耳が死ぬうぅぅぅ!!リュウさん、何してるんですかーーっ!?」


「確かめているだけだ」


 巨体を踏み鳴らし、魔力を持って翼を無理矢理に動かした。徐々に四枚の翼は天に向かって起立していき…………それを勢いよく振り下ろす。

「フォン!!」と竜を中心に突風が巻き起こった。

 もう一度……もう一度……竜は何度も翼の調子を確認した。


「ひょえええ!」


 少女はというと、強風に煽られて霧の向こうにコロコロと転がっていく。


「ーーこうか?いやこれだったか」


 竜の黒い翼が何色にも光った。

 魔法も何重にも組み合わせ、翼の調子を整えているのだ。


「リュウさーーん!何してるんですかー!?また新しい遊びですかー!?」


 まるで、台風の日に畑の様子を見に行くような体制で、少女は霧の中から姿を現した。


「むむっ?」


 シーンと。寝床から突風が止んだ。


 少女はいつも竜が寝そべっていると思われる干し草の上を歩き回るが、フラフラと差し出した手がリュウに当たることはない。


「リュウさんが……消えちゃった?」


 違う。竜は宙で静止していたのだ。

 漆黒の翼を一切動かすことなく。

 この竜にとって翼を動かすという行為は、飛行魔法を使う初動に過ぎない。

 今を持って、竜の身体は完全に“覚醒”を果たした。


「我は飛ぶ」


 空の方から降り注いだ声に、少女は慌てて上を向いた。


「リュウさん居たんですね!ジャンプなら私も出来ますよ!ほら!ほーらっ!」


 竜はピョンピョンと飛び跳ねる少女を咥え、背中に放り投げた。


「ふぎゃん!」


 身体強化の魔法を少女にかけ、竜は天を睨みつけた。


「しっかり捕まっておれ!」


 竜は翼を畳み首を真上に伸ばすと、一直線に空を駆け上がった。その光景はまるで巨大な大砲が寝床から発射されたようだった。


「んぎぃぃいいいーーっ!?」


 たまったもんじゃなかったのは、強烈な重力がのしかかった少女だ。血が全て足の裏に持っていかれる。

 まさに血の気が引くという言葉を少女は体で体感していた。


 五秒もかからずに雲を突き抜け、遥か上空で竜は動きを止めた。


「フハハハ!!空を飛ぶのは初めてであろう!どうだ!?驚いたか!?」


「……」


「身体強化はかけたはずだが……死んだか?」


「……ました」


「なんだと?」


「液という液が漏れてしまいましたーーっ!!」


 竜は身体強化とは別に、重力へ抵抗する魔法をかけ忘れていたのを思い出した。

 じっとりと。鱗の隙間から生暖かい液体が伝ってくるのを竜は感じ取った。


「漏らすほど驚いたという訳だな!?」


「うぅぅ。恥ずかしながら……」


「フハハハ!フハハハハハ!それは良い!我の腹も満たされるというものだ!」


 竜は破壊の魔法を使い、少女の服ごと汚れを浄化した。


「お嫁にいけましぇん……でも、初めて何かが見えた気がします。なんというのでしょうか、言葉には出来ませんが……」


 強烈な刺激に脳が錯覚をおこしたか、と竜は思ったが野暮な事は言わなかった。

 初めて何かが見えたのなら、それでいいと。


 少女は大きな背中を撫でながら改めて呟く。


「今、私はお空に浮いてるんですよね。頭の上に広がってる場所のことですよね」


 おもむろに少女は両手を広げ、わしわしと指を動かした。


「何をしている?固定魔法をかけたとは言え、自ら離れる意思を持てば簡単に落ちてしまうぞ」


「雲というものを触ってみたいなって」


 ふむ。と竜は、視界の下にある雲を見下ろした。

 二人のいる場所はすでに分厚い雲を突き抜け、遥か上空にいる。


「雲は触れぬ。霧に近い物だからな」


「そうなんですか。残念です」


「触れぬから良い物もあるーー見えぬ方が良い物もな」


「見えない方が良いこと……ですか」


 竜は目を細め、千里眼の魔法を使う。

 鋭い眼光は遥か東の僻地で戦火を捉えた。地は焼け、毒にまみれ、傍には当然人や動物の骸が山積みになっていた。


(何も変わらぬ。何百年経とうと人間は……)


 ふつふつと竜の心に言い難い破壊衝動が湧き上がったが、


「お星様とお月様は触れますか?」


 と、少女の無垢な発言に竜は落ち着きを取り戻した。


「星や月は触れぬが美しいものだ。この星々が見えぬというのは……」


 竜は少し首を下げた。

 その残念そうな声を感じてか、少女は背中に抱きついた。


「いえ、私にも見えました。とても綺麗ですよ」


「ーーなに?」


 竜は首を回して少女の顔を見た。

 鱗に抱きついてるその目は確かに開いていない。


「呪いは治ってはおらぬ様だが」


「いいえ、ちゃんと見えています」


 目の見えぬ少女が。星さえ分からぬ少女が。

 確かに見えると呟いた。


「では、貴様の言う星とはなんだ?天を語ってみよ。返答によっては食ってやろう」


 一ヶ月前。初めて会った時にも聞いた竜の台詞。

 少女はなんだか懐かしく思いながら腕に力を込めた。


「……リュウさんの背中です」


「我の背中の鱗を星と比喩するか。何故だ?」


「星は綺麗だと皆は言います。だけど、見えない私にはわかりません」


「ふむ」


「ただ、触って綺麗と感じる物はわかるんですーーお父さんのギュッと握った手。メルメルの濡れた鼻先。ゲコベエの柔らかな毛並み。そしてリュウさんのあったかい背中。どれも綺麗です。だからこれを私のお星様にします」


 少女は勇気を持って、背中に口づけをした。


「フ……フハハハ!フーハッハッハッハッ!抜かしおる!抜かしおるわ!」


 カーッと赤くなる少女の顔に、竜の満腹感は最高潮を迎えた。

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