少女は竜を知らない。

 何百年振りだろうか。

 破壊の黒き竜が構えをとったのは。

 ギラつく巨大な目玉、そこからは焦りが感じとれた。


「ええい!こっちに来るな!噛み砕いてしまうぞ!」


「メェエエエーー!」


「違う!向こうだ!霧の外に行け!」


「メッ、メッ、メエエエーー!」


 竜が忙しなく目で追っている対象。

 それは一匹の小型の“ポニー”だった。


 ポニーは何故か水瓶を頭から被り、狂ったように竜の寝床を跳ね回っている。

 ふと竜は鼻先を背けた。

 微かだが……水瓶には薬品の匂いが染み付いている。


(ぬかった!やはりあの人間は殺しておくべきだった!!)


 竜は今更ながら少女を見逃した事に、後悔を抱いた。


 遥か昔、竜は戦争で同じ光景を見た事があった。

 爆薬や猛毒を大量に巻き付けて特攻していた人間達を。

 そのやり口は何も人だけではなかった。犬や馬。大型の鳥などにも使われる事があった。


 狡猾で残忍な、人間のやり方だ。


 きっと少女が竜の存在を人々に話したのだろうと、竜は思った。

 目隠しをすると惑わしの霧を突破出来るという、抜け道を含めて。

 そして卑怯な何者かが壺の中に仕掛けを施しーー手始めに家畜に突撃させる。


(やりかねん!この方法!あの害虫共なら!)


 かといって、この竜には少量の毒くらいで鱗一つ傷つく事はない。

 焦っているのは、寝床が荒らされるということだ。

 竜の寝床とは特別な意味を持つ。身体を落ち着かせる豊かな大地を作るのに、何百年もの歳月がかかってしまうのだ。


 それを竜は危惧している。


「向こうだ!向こうに行け!」


 しばし竜がポニーと立ち回り合ったのち、霧の向こうからあの少女の声が聞こえた。


「メルメルー?どこにいったのー?」


 青い髪を揺らし、手には杖と馬の手入れ用のブラシを持っている。


「貴様!一体どういうつもりだ!!」


 竜はキッ!と少女を睨みつけた。


「あれ!?私また来てしまいしたか!?リュウさん!ごめんなさい!ごめんなさい!」


「謝るぐらいなら、早くこのロバを何とかしろ!」


 少女は耳を澄ました。

 ドスンドスン!と大きい音が響く中、確かに蹄の音が聞こえる。


「メルメルそこにいるのね!リュウさんに迷惑かけちゃダメよ!こっちに来なさい!」


 その声に反応して、ポニーが少女に猛ダッシュした。

 少女も地を駆ける足音からポニーが向かって来るのを肌で感じる。


「さぁ、胸に飛び込んでおいで!メルメル!」


 ガバッ!と少女は慈愛を込めて両手を広げた。

 ーー九十度方向を勘違いして。


「おぐっ!?」


 無防備な少女の脇腹。そこにポニーの頭突き(水瓶付き)が炸裂した。


 少女は横に吹き飛び、地面にズサァー!!と転がった。

 衝撃で水瓶は割れ、ポニーは「メエェェ!」と歓喜の鳴き声を上げる。

 竜はジッと水瓶を睨む。懸念していた毒など入ってはいない。

 ただの空の水瓶だ。


「一体なんだと言うんだ……」


 ぐったりと横たわる少女。

 ポニーはその顔を嬉しそうに舐めまわした。


「うぅ……メルメル……鼻は舐めないで……。鼻はダメだって。なんでそんな一点狙いで鼻ばっかり……あっあっ、ちょっと本当にーーアハハハハッ!アハハハハッ!」


 竜は少女とポニーを見つめながら、グルルと喉を鳴らし寝床にどっかりと座り直した。


「はぁ。して、そのポニーはなんだ?貴様の家畜なのか?」


「そうです!見つけてくれて、どうもありがとうございます。この子はイタズラ好きで、何にでも首を突っ込んじゃう癖があって。でもそこが可愛いんですよねぇ。って、あれメルメルー?どこ行ったのー?」


 そのポニーは少女の後ろに回り、ローブの裾に顔を突っ込んでいた。

 少女のスカートが不自然にめくれ上がる。


「メルメル!やめなさい!リュウさんが見てるでしょ!めっ!」


 ローブの裾を引っ張るメルメル。抵抗する少女。


「イタズラしたら、もうブラッシングしてあげませんよ。夜中に人参もあげません。脇腹コチョコチョもしてあげません。メルメルはそれでも良いんですね?」


「メェェ〜」とポニーは悲しそうに一鳴きして、大人しく少女の隣に座り込んだ。


「メルメルは賢いですねぇー!ほーら脇腹コチョコチョコチョですよー!良かったですねー!」


 一連のやりとりを見ていた竜は眉を潜めた。

 竜として。破壊の化身として。この微笑ましい光景を認める訳にはいかなかったからだ。


「貴様……竜が何だかわかっているのか?」


「えぇ。わかっていますよー。この私、見る目は無いですけど、物分かりは良い方で。あっ、今の笑う所ですよ」


 少女お得意の自虐ギャグが炸裂した。


「我は竜だっ!破壊の神だぞ!!」


「そうです!リュウさんは神様のように優しい人です。ねー、メルメルも分かってますよねー?」


「メェ〜〜メッメッメッーーッ!」


 少女は過呼吸と快楽の狭間にいるようなポニーの脇腹をくすぐりながら答えた。


 (こいつ、絶対にわかっていないな)


 竜は確信した。

 言動の前に。まず、態度がなっていないと。


「竜とはなんだ、申してみよ」


 イライラしながら竜は投げ掛けた。


「リュウさんはメルメルを助けてくれたから優しい。そんでもって、破壊が好きだから強い。つまり……カッコイイ存在なんです!」


 少女は人差し指を立てながら自信満々に言った。


「合っている。合ってはいるがーー貴様とはどうも大きな相違を感じる。竜とは大きな爪と牙、鋼のような肉体、そして口から様々な魔法を扱える存在だ」


「ま、魔法使い様!?」


 少女は憧れの表情で竜を見上げた。


「街を襲い、人を喰らう。人間にとって恐ろしい存在なのだ」


「そして戦士様!?」


 少女は敬服を態度で表した。


「間違ってはないが……何やら解釈の幅が狭く感じるのは気のせいか……」


 目が見えぬ者に物を教える事は、これほど厄介なものなのか。そこで、竜は面倒臭くなり説明する事をやめた。


「もう良い。そのロバを連れて早く帰れ」


「ご迷惑おかけしました。偉大なお方様」


 少女は何度も頭を下げ、ポニーと霧の中に消えていった。


(普通の水瓶だったか)


 竜は散らばった水瓶を片付けるために突風を起こした。


「ゴオオオォォ!」


 その突風は強烈で辺りの大地をも揺るがした。

 同時に、霧の奥からマヌケな悲鳴と転倒する音が聞こえる。


「ひゃぁあ!メルメル地震ですよ!決して私から離れないで下さい!えっ!?どこ!?メルメル、私を置いていかないでーーっ!」


 竜はその慌てように耳を澄まし、フフンと鼻を鳴らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る