少女は竜輪草を貰う。
(人間はどうなった。数が増えたのか……それとも減ったのか)
浅い眠りの中、竜は人間について考えていた。
人間とは考えも無しに山を崩し、木々を切り倒す忌々しい存在。その私欲はとどまる事を知らず大地の栄養も根こそぎ奪い取る。そして大地が枯れ果てると、何の敬意も払わずに去っていく。
まだそこまでは良かった。種としての生存競争の範囲内だと竜も割り切っている。
問題は、戦争に使われる“猛毒”だ。
魔法と人間の技術をぐちゃぐちゃに混ぜたおぞましい化学兵器。それが一度戦場に使われると、残った大地には何百年も新たな命が芽吹く事は無かった。
(あの人間の目もーー毒が原因か)
竜の眉間には十字に裂かれた白く大きな傷跡があった。大昔に戦争で付けられた傷跡。その傷がミシミシと疼いた。
(人間は同じ過ちを、何度繰り返せば気が済むのだ……)
◇◆◇◆◇◆
「ちっ」
大きな舌打ちが、黒き竜の寝床に響く。
出したのは竜自身である。
(またこの匂いか……)
フラフラと性懲りもなく霧から姿を見せたのは、杖を片手に持った例の盲目の少女だ。
(この目の見えぬ人間には、惑わしの霧が本格的に効かぬらしいな)
竜は溜め息の中に凍える吐息を混ぜて吹きかけた。
怖気を孕む冷気を肌で感じ取った少女は、自分の頬を気つけ代わりに軽く叩く。
直後。両腕を天に向け、片足を上げた。
「ふっふっふ!この気配……ついに出ましたね!メドゥーサの亡霊め!」
(メドゥーサ??こやつは何を言っておるのだ)
バン!と杖を前方に突き出し、少女は宣戦布告を開始した。
「私を石にする魂胆のようですが、そうはいきませんよ!何せ私は目が開く事が出来ない!!すなわち目を合わせないと効果の無い、あなたの魔法にはかからないという事です!すでに攻略済みなんですよ!!」
(石にする魔法だと?我はそんなまどろっこしい魔法など覚えておらぬ)
「さぁ、どこからでもかかって来なさい!」
杖をめちゃくちゃに振り回す少女の頭上。竜は長い首を伸ばした。深く被ったフードを咥え、ぐるんぐるんと長い首を回す。
「ぎょえええええぇぇぇ!!」
少女は台風に巻き込まれたように、大きな円を描いて空を旋回した。
「嘘ですうううぅ!メドゥーサ様の配下に入りますからー!命だけは取らないで下さいーっ!夜更かしもしません!夜に馬小屋にも行きません!いい子にしますから!命だけはーーっ!」
(わかったか。人間め)
血を吐かれ寝床が汚されても困ると、竜は少女を地面に投げ捨てた。
「あうぅ……」
「ふん!」
竜が出した声に、少女は泣きじゃくる顔を上げた。
「あぁ!その声は昨日のお方!もしや、亡霊メドゥーサから助けて下さったのですか!」
「違う。我はメドゥーサという言葉すら知らぬ」
「メドゥーサよ!もう少し力をつけてから私に挑むべきでしたね!ワーハッハッハ!ーーーありがとうございます!ありがとうございます!昨日のお方!」
(……話が通じぬ奴め。それにどこを向いている)
勘違いしている少女は更に勘違いを重ね、見当違いの木に向かって頭を何度も下げている。
竜は辟易としながら話を進める。
「こっちを向け。そちらには誰もおらぬ」
「あぁ!そうでしたか!これはとんだ失礼をーー」
「なぜ貴様は執拗に霧の中に入ってくるのだ」
「霧ですか……父にも言われるのですが、触れられないものはこのような目ですから分からないもので……ただ、花を探していたらですね、また来てしまったようです。ごめんなさい」
「笑わせるな。見えぬ目で花など探せるものか」
「見えないんですけど、私、鼻は良いんです」
少女は胸をトンと叩き鼻息を荒げた。
途端に犬のように四つん這いになり、クンクンと地面の匂いを嗅ぎ分ける。尻を振りながら地を這い、やがて何かを発見した少女は嬉しそうに顔を上げた。
そっと掻き分けた芝の中。そこに小さな花の蕾があった。
「ほらほらっ!凄くないですか!?まだ咲いてない花の匂いまでわかるんですよ!帰り道だってメルメルや、ゲコベエ達の匂いを辿れば一発です!」
掻き分けた草から何かが飛び出た。バッタだ。バッタがピョンと少女の鼻に飛びついた。
驚いた少女は奇声を上げながらひっくり返り、それを振り払った。
「なんですか!?私になにか投げましたね!?」
また謎の威嚇の構えをとる少女に、竜は冷たい視線を向けた。
「姿を現しなさい!この卑怯者!ーーなぁんて、目の見えない私が言ったり言わなかったりと言うのは……あははー。面白いですか?」
少女は閉ざされた目を指差しながら、上擦った声を出した。
少しだけ。竜の顔が綻んだように見えた。
「……貴様はなぜ執拗に花を探すのだ」
「明後日の父の誕生日にプレゼントしようと思いまして……あっ!内緒ですよ!絶対に言わないで下さい。お願いします」
(貴様の父親の居場所など知らぬし、興味も無いわ)
少女はペコペコと頭を下げた。
(しかしそのような理由でこの深き森に入るなど……。ましてや、目の見えない人間にとっては自殺行為に等しい)
竜は自分の周りにしか生えないと言われる
それは七枚の花弁が、どれも違う色をしている特殊な花だ。竜が何百年と寝床にした場所にしか生えず、水をやらなくとも百日は枯れない。
そして人間にとっては妙薬にも使われる。
その花の価値を知ってか知らずか。竜は鼻息を立てると、真空の刃で数十本の竜輪草を刈り取った。次にそれを蔓で縛り付け束にまとめる。
フッと風を操り、出来上がった花束は少女に飛んで行った。
「あいたっ!」
顔面に花束を受けた少女は尻をついた。
「なんですか?また投げましたね!……ってあれ?スンスンスン。この匂いは?」
子犬のようにヒクヒクと鼻が動く。
胸に乗った大きな花束。それに気付き、少女は顔を近づけた。両手に持った溢れんばかりの竜輪草。
少女は嬉しそうに花の中から顔を出した
「この匂いですよ!探していた花は!しかも、こんなにたくさん……ありがとうございますですっ!ありがとうございますですっ!」
「それを持って立ち去れ」
竜は素っ気なく言った。
少女はポケットをガサゴソと探り、クッキーを三枚取り出す。膝をつき、「フーフー」と埃を払った後、王様にでも献上するような姿勢を取った。
「これ、ただのクッキーですけど良かったら……」
竜はそのクッキーをまじまじと見つめている。
「投げろ」
「ふぇ?」
「上に投げろと言った」
少女は言われるがまま頭上にクッキーを放り投げた。
突如、少女は声の方向に身体が引っ張られた。
大きな風に吸い込まれているのだ。
「にゃーー!にゃんですか!何が起こってるんですかーっ!」
少女は髪をくしゃくしゃにしながら、懸命に雑草を掴んで踏ん張った。
竜はただ動くのが面倒で、普通に吸い込んだだけだ。
吸い寄せられた落ち葉や木の枝ごと、クッキーを吸い込みバリバリと牙で砕き飲み込んだ。
風が止んだのを感じて少女はキョロキョロと辺りを伺った。
「お、お食べになられましたか?」
「味などわからぬ。そもそも我には食事をする必要が無い。破壊こそが我の存在理由だ」
「は、破壊?」
竜はギロリと少女を睨んだ。
「いいか?目の見えぬ貴様に一つ忠告しておく。私はクマではない。偉大なる竜だ。わかるな?」
「リュウ……さん」
「そうだ」
「確か、村の人に似た名前の人がいたようなーー」
その言葉で竜の鱗がまた逆立った。大きな体を立ち上がらせ、牙を剥き出しにする。
人間の名前と同一視された事に、竜は怒りが抑えきれなくなった。
「早く立ち去らぬか!噛み殺すぞ!」
竜が思い切り口を閉じると、刃物が破裂したような金属音が鳴った。あわてて少女は飛び起き、
「ご、ごめんなひゃい!」
と、お尻を抑えながら逃げるように霧の中へ入っていった。
(すぐに人間は付け上がる!いつまでたっても身の程を知る事をせぬ!ーーしかし)
怒りながらも無礼な少女に対して、破壊の本能は反応しなかった。黒き破壊の竜は、壊す対象を絶対に見逃さないというのに。そして不思議と腹が満たされたような感覚もある。
「グルルル……」
竜は少しの戸惑いを覚えていた。
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