少女が竜を殺した理由〜盲目の少女と破壊の黒き竜〜
パンドラキャンディ
少女は竜を間違える
(我を起こすのはいつも奴らだ。いまわしい害虫共め)
久方ぶりに臭ってくる人間の匂い。
竜はそれを胸の中で消し炭にした。
(眠りを妨げる罰だ。頭から食らってやろう)
深い霧に覆われた森。
人々はそれを“惑わしの霧”と呼んでいた。
真っ直ぐに進んでいるはずが、入り口に戻ってきてしまう。
そんな魔法がここにはかけられていた。
決して辿り着く事のない霧の向こうには竜の寝床があった。
木々の隙間からは淡い日光が射し込んでいて、地面には整った芝が生え揃っている。
静かで穏やかな場所。
そこで竜は長き眠りについていた。
大昔に人間から呼ばれた名称は“破壊の黒き神”。
竜では無く“神”だ。
人間に言われるまでもなく、竜自身もそう自覚している。
この竜が本能的に壊したいと思う物は、世界にとって“壊さなければいけない物”であるからだ。
(今回はどのくらいの眠りについていたのか)
通常の冬眠ならば、二百年あるいは三百年といった所だろうか。体の感覚はいささか軽い気もする。
竜は身体の反応を確かめながら霧の中に耳を立てた。
近づいてくる侵入者は霧の中を右や左に蛇行するように歩いていた。
足音以外にも、木の根や地面を叩くような不愉快な音も聞こえる。
(コツコツとうるさい奴め)
どうやらその人間は、ぶつぶつと独り言を繰り返しているようでもあった。
他者の足音が聞こえないにも関わらず、誰かに語りかける様な素振りを見せている。
竜がジッと見据える霧の中。一人の人間がスーッと姿を見せた。
現れたのは旅人のようなローブを着込んだ小柄な人間。フードを鼻の下まですっぽりと被っている為、その無礼な顔を知る事は出来ない。
(やかましい音の正体はこれか)
竜は人間が持っている杖に目を細めた。
杖で地面を叩きながら人間はひょこひょこと歩いていたのだ。
ーーコツン。
杖の先が、地面から飛び出た木の根を捉えた。
人間は「あはー」と嬉しそうにうなり、大きなジャンプをして飛び越える。
「こっちですか?むむむ、それともこっちですかね?」
その人間は息を潜める竜に気づく事なく、巨体の前を行ったり来たりしていた。
「むむっ!反応あり!私のダウンジングマシンがビンビンになってますよ!」
杖の先をあちらこちらに向け、人間は訳の分からない単語を繰り返している。
(目の治療に来たのか?大方、傷を癒せる何処ぞの竜と勘違いをしたのだろう。愚かな)
竜は一切の物音を立てず、人間の動向を観察し続けた。
「ーーっ!?そこにいるのは誰です!?」
突然だった。
目が見えぬ様子の人間が、竜の方向を向いて叫んだ。
(ダウンジングとほざいたな。魔法の類か?いや、あの杖からは何も感じぬ)
竜は少し目を見開いたが急いで食う事をしなかった。
この人間の奇妙な行動が、少し気がかりになったからだ。
(もしや……目が見えぬフリをしていたのか?)
お互い身動きをせず沈黙の時間が流れたが、人間は『ハッ!』っと何かに気付いた様子で、急いで右を振り向いた。
「右!と見せかけて!後ろですね!」
クルクルと視点を変えた人間は一本の大木と向き合った。何の変哲も無い、どこにでも生えているただの木だ。
それに向かって人間は意味の分からない言葉を続けた。
「三人、いや五人!ーー囲まれているっ!?」
もちろん、ここは惑わしの霧の奥地。周りには人間どころか大型の動物すら存在していない。
「やれるものならやってみなさい!ただし!一人でも多く道連れにしてみせます!」
そして何かの構えに見えなくも無い、奇妙なポーズを取って戦いの真似事を始めた。
杖を剣に見立て、滅茶苦茶に振り回すだけ。当然、人間は目が見えていない。結果ーー。
「はぅ!?」
一人で何度もつまずき、転んだ。
「あいたっ!やりましたね!こうなったら、こちらも“あの力”を使わざる負えませんね!とりゃー!」
数分後。
ひと暴れした人間は「命まではとらない」と言い残して、フード越しに頭をポリポリと掻いた。
「あはー。一度ならず三百回くらいは言ってみたい台詞ですよねぇ。これって」
(一体何なのだ!?この人間は!?)
竜はその人間に驚きを覚えた。
何万年と生きてきた中で、竜が見たことの無い奇抜な行動であった。竜が覚えている人間と言えば逃げ惑う背中か、横たわる無残な姿が大半を占めている。
落ち着いた人間がまた、竜の目の前をウロウロと歩き始める。
ふとーー足先が竜に向いた。
(本当は見えているのでは無いか?……試すか)
巨大な牙の隙間から静かに吐息が漏れた。
吐息は光り輝き、強烈な突風が辺りに巻き起った。
「わっぷぷぷっ!」
風にさらされた人間のフードが脱げ、長く青い髪が宙に広がった。年にして、十五前後の少女と言ったところだろうか。
強風を浴びても少女の目が開く気配は微塵も感じられない。
固く閉じられた目。そこには縫われたような緑の筋がいくつも入っていた。
「あぁ!?」
突風で落とした杖。少女はそれをあわてて探し始めた。
「私の相棒よ!どこにいったんだい!?帰ってきておくれよ!君が居ないと僕はダメなんだ!そう、それこそダメ人間になってしまう!もう君は人生のパートナーなんだからさっ!」
ペタペタと地面を触りながら、彼女は即興劇を始めた。
やがて目当ての杖に手が触れると「もう君を離さないよ」と臭い台詞を言い、大事に抱きかかえた。
熱い演技の彼女とは対照的に、竜は冷たい目をしている。
見つめる先は少女の瞼に浮かぶ、緑の呪い。
竜には一目でわかった。
人間が作った猛毒によるものだと。
(腐りかけではないか。これでは腹を壊してしまう)
起き上がった少女は、一歩、また一歩と竜に歩みを進めた。
(さて、どうするか。ようやく根を生やしたこの寝床に、人間の血の匂いが残るのは不愉快だ。追い払ってしまうか)
竜は薄く口を開き、少女に向かって熱い空気を流した。
「なんだか暑くなりましたね?不思議です。あれ?……あちちち!あちゃい!火事です!だれかー!ここで火事が起きてますよ!」
次は、冷たい風を。
「ぶぇっくしょん!今度は急に寒くなりました!どどどうしてでしょ……ぶっぶっぶっ!えふぇくしょん!」
少女は鼻水を垂らしながら身をよじらせた。
構うものかと、竜はまた熱気を浴びせる。
「ほわっちぃ!また暑くなりました!このままでは風邪を、引いてしまいます!お父さん不埒な私をお許し下さい!今日この森の中で、私は生まれたままの姿を晒します!すっぽんぽんのぽんですよ!」
ローブを脱ぎかけた所に、再び冷たい風。
「やっぱりやめます!このローブはお父さんから貰った大切な物なんです!簡単に手放すと思ったら大間違いですよ!えぇ、私はそんな安い女じゃありませんから!」
全方向に向かって少女は叫んでいた。身体の方向は定まりを見せず、竜の気配を感じ取った様子はまるでない。
(目は見えぬはず。では、一体誰に話しかけているというのか。全く以ってこの人間は独り言が多い。しかし、この反応はーー来るものがあるな)
竜は腹の中でフツフツと湧き上がる笑いをこらえた。
しばらくその余興を楽しんだ後、竜は自身に人語の魔法をかけた。
地獄の底から響く低い声が、少女に向けられる。
「ーー何用だ」
「ふぇい!?……だ、誰かいらしたんですか!?」
少女は声の方向に向かって、身なりを正す。
「我はずっとここにいた」
「っぇ!!」
少女が胸を抑えながらダラダラと冷や汗を流した。
「という事はですよ。つまりですよ!その……見てたんですか!?」
「そうだ」
少女はがくりと膝を崩し「恥ずかしい!恥ずかしすぎる!」と何度も地面を転がった。
「どこからです!?“すっぽんぽんのぽん”からですか!?それとも“囲まれている!?”からですか!?」
「……ダウンジングなんとかからだ」
「ひゃーーーーっ!!全部じゃないですかー!!」
少女は何を思ったのか、地面に生えていた草をむしり取って顔を隠した。
「草になりたい。今すぐ草になりたいです……」
「してーー人間。貴様は何用でここへ来た」
少女は精一杯の冷静を取り繕いながら声の主に向き合った。
「すいません。お見苦しい姿を見せてしまいまして。その声からして、村の方ではありませんね。旅人さん……でしょうか。すみません。この通り、私は目が見えないもので」
(だろうな)
「あっ!でも生活に不自由してるとか、イジメられてるとかはありません。皆様、優しくして下さいますし」
(……そうなのか)
「もも、もちろん!怪しい者ではありません!こう見えて私は村一番の働き者。父はいつも私を自慢の娘だと褒めてくれます。隣のチーヤお婆さんも、いつも頭を撫でてくれます。チーヤお婆さんというのはですね、牛を五頭も飼っておりまして、その中でもゲコベエという牛がいましてですね。あっ、ゲコベエという名前は私が付けました。額に星型の模様があるらしく、それはそれは可愛くてーー」
(こいつ話が長いな!)
と、竜は心底思った。
竜からすれば、ふにゃふにゃとした声色に要点の掴めない話だ。退屈そうにその大きな口を全開に開け、思いきり空気を吸い込む。
不十分な睡眠量でする事と言えば一つ。欠伸だ。
「グォオオオオオオ!!」
けたたましい轟音が空気を震わせた。
竜にとってはただの欠伸。しかし少女にとっては、耳をつんざく咆哮だ。少女は身体から骨が抜けたように腰を抜かした。
その気の抜けた少女に向かって、竜はのっしのっしと歩み寄る。長い首を屈めて、少女と竜の顔の距離は鼻先三センチになった。
普通の人間がこの場面に出くわしたなら、裸足で逃げで出していただろう。なにせ竜は顔だけで、少女の頭身を遥かに上回っていた。
人間の胴より太い小指の爪。何重にも皮なった頑強な鱗。頭の大きさ以上の目玉。数百本と牙が並ぶ口は、造作も無く人間を丸呑みに出来る。
それほどまでに、この竜は大きいのだ。
状況が飲み込めない少女は、震えながらローブの裾を握りしめた。少女の鼻先に竜の生暖かい息がかかる。そのたびに少女は肩をビクビクと強張らせた。
「目の見えぬお前にあえて問う。我は何に見える?返答次第で、命は無いと思え」
少女は感じたことの無い圧迫感にゴクリと唾を飲んだ。
そして頭をフル回転させた。
低く暗い声。獣の如き咆哮。アルコールと加熱された鉄のような匂い。
ダラダラと汗を掻きながら、少女は脳内の記憶と照らし合わせていく。
ーーその時、少女の脳内に閃きが走った。
もしかして、目の前にいる声の主は、“人”では無い?
だとすると、あの御伽噺に出てくる生き物では無いのか?
何度も何度も、父親に読んでもらった伝説の?
少女は顔を引きつらせながら口を開いた。
「ククク、クマさん……です」
竜の全身の鱗がガチャガチャと逆立った。
「たわけ者めが!熊如きが話を出来ると思っているのか!」
欠伸とは比べ物にならない咆哮が発せられた。
少女の皮膚が後ろに引っ張られるように、ブルブルと波を打った。
「ひぃぃぃぃ!ごめんなさい!伝説の!です!“伝説の”を付け忘れていました!伝説のクマさんでした!ごめんなさい!」
「そういう問題では無い!」
「え、えっと!英雄!守り神!奇跡!そう思い出した!奇跡グマ!」
「馬鹿にしておるのか人間!お前の目が腐ってなければ、すぐにでも食っておるわっ!」
「わわわっ!ごめんなさい!ごめんなさい!」
平謝りする少女に、竜は殺気を込めた。
「消え失せろ。二度は言わん」
少女は震える足を無理矢理立たせ、大慌てで霧の向こうに消えていった。
(本物のクマに会って食われてしまえ)
竜は柔らかい芝の寝床にどっかりと座り直すと、またとぐろを巻いて瞼を閉じた。
(しかし、あの人間が冗談を言ったようには感じ取れなかった。“奇跡クマ”とは一体……)
破壊の黒き竜は顔をしかめながら、また眠りについた。
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