第52話

結局、両親は僕の教育学部への進学を許してくれた。


学費も工面してくれるとのことだ。


…ほんとに両親には感謝してもしたりない。


姉からも連絡があった。


姉は僕の愚行を笑いつつも、僕を応援してくれた。…実に姉らしい言葉だった。


そういうわけで僕は受験勉強に専念することができた。


『偏差値が高い学校の方が、面白い奴は多いと思うよ』


サカもっちゃんがそういうので、僕は出来る限り偏差値の高い学校を目指すことにした。少しでも進学先で突破口を見出すためだ。


そういうわけで予備校にも通うことにした。


予備校も決して安くはない。


高い金額に目を丸くしながらも、それを出してくれた親の好意を無為にしないためにも気を引き締めて挑むことにした。


通った予備校が地元ということもあり、同じ中学に通っていた奴らがちらほらと見受けられた。


そこで僕は偶然にも、鷲中の立て籠り事件で僕と共に最後まで残った時田と再会した。


「お、久しぶりだな、櫻井。…すっかり有名人になっちまったなぁ」


時田は僕にそんな皮肉めいたことを言った後、僕に志望校を尋ねてきた。


僕が自分の志望校を答えると時田はわざとらしくこんなことを口にした。


「へぇ…偶然だな、俺もそこを受けるぜ」


「時田ならもっと上に行けるんじゃないか?」


時田は地元では一番の進学校に通っていた。


噂ではそこでも優秀な成績を修めているらしく、僕はもっと上を狙えると踏んだのだ。


「あくまで滑り止めだからな。…それに、受けるって決めたの今だしな」


…よくわからん奴だ。


バイトは辞めることにした。


元々、空白を埋めるために始めたバイトだ。他に優先するべきことが出来たなら、当然そちらを優先することになる。…もちろん、それでもそこでいろんなことを学べたけど。


『受験に専念するために辞めます』と店長に伝えると、店長は困った顔一つ見せずいつものように『素晴らしい』と褒めてくれた。


本当に店長は人を褒めてばかりだった。


僕は送別会の時、どうしてそんなにも褒めるのが店長に尋ねた。


「褒め慣れてないと、いざという時、褒められなくなるから」


店長は珍しく真面目な顔してそう答えてくれた。


僕は最後に頭を下げて心からお礼を述べてバイト先を去っていった。












そんな日が続いたある日の夜、僕は自分の部屋で机に座って白紙のノートと向き合っていた。


いつもなら勉強をするためなのだが、今は少し様子が違った。


今机と向き合っているのは、加藤に頼まれた歌詞を書くためだ。


そのためにこうしてノートと向き合っているのだが…こういう経験もなく、いきなり歌詞など思いつかないのだ。


加藤は僕の言葉で書いてと言っていたが…どうしたものか…。


『お前の青春の話でもいい。どういうことを感じて、どうして動き出したのか…とにかくお前の言葉ならなんでもいい』


加藤はそう言っていた。


…僕の青春の話、か…。


僕の青春の始まりはどこだったのだろう?。


教師になるって決めた時?。


立て篭もりをした時?。


NPO法人を立ち上げた時?。


愛里と出会った時?。


鷲宮隊に入った時?。


姫浦と話した時?。


バンドを始めた時?。


高校に入学した時?。


…いや、多分始まりはあの日だ。


思い返せばもっと前から始まっていたかもしれないけど…きっと始まりはあの日だ。


あの特別じゃなかったあの日だ。


そう考えた僕は、なんとなく最初の一文を描き始めた。


『今日という日が特別であったなら…』


きっとあの日が僕にとって特別であったなら…。


始めの一文を描き始めた僕は自然と筆が進んでいった。


気がつけば目の前のノートは歌詞にするには十分な量の文字で埋め尽くされていた。


冷静になった僕は一度、自分で書いた歌詞を読み返してみた。


…なんだこれ?完全に僕のことじゃないか…。


あまりに自分の言葉で自分のことを描きすぎた僕は、自分の日記のような歌詞を人に見せたり聞かせたりするのが恥ずかしくなり、消しゴムで白紙に戻そうか迷った。


『お前の言葉で書いてくれよ』


しかし、そんな僕を加藤の言葉が堰き止めた。


きっと、加藤が僕に求めているのはこういうものだ。


僕の素直な気持ちだ。


…だけど、こんな赤裸々な自分の言葉を見せるのは恥ずかしい。…なんとか誤魔化せないものか…。


そう考えた僕はせめてもの抵抗で、歌詞の上にこんな注告を付け加えた。


『注意、この物語はフィクションです。実際の団体、個人には一切関係ありません』


…うん、これで言い訳くらいは出来るだろう。


そう考えた僕はノートを閉じて、眠りにつくことにした。


ベッドに横になりながらも何度も『やっぱり書き直そうか』悩んでいたが、その度に『これでいい』と自分に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせて何とか眠りにつくことができた。


その翌日、僕は早速加藤に歌詞を見せてみた。


「…変だったら言ってくれ…書き直すから」


僕は自分の書いた歌詞の感想をソワソワしながら待っていた。


すると一通り目を通した加藤がクスリと笑って口を開いた。


「やっぱりお前に頼んでよかったぜ、櫻井」


そして僕の歌詞を大切にしまうと、さらに僕に言葉を付け加えた。


「ありがとな。少しこっちで修正するかもしれないけど、文化祭で演奏するからさ…今度こそ聴きに来てくれよ」


「…わかった、今度こそ最後まで聞くよ」


こうして、僕らは思わぬ形で約束を果たすことになったのだ。











そして時は流れ、五月の末に差し掛かった頃…鷲宮東高校では体育祭が行われようとしていた。


天気は快晴、まさに体育祭日和の一日。


しかし、そんな天気に反して、僕達ラストチルドレンの顔はどこか浮かなかった。


原因は…一言では言い切れないと思う。


みんな受験勉強に忙しくて、体育祭どころではないのか…それとも鷲宮東高校の最後の体育祭とあってか、来場者も多く、偉い人達もたくさん参列しているため上がってしまっているのか…。


なんだろう?。よくわからない。よくわからないけど…体育祭というお祭りのはずなのに、校庭は追悼式のような重々しさで満たされていた。


そうか…みんな、これが最後だから…きっとお別れに来てるんだ。


言うなればここは、青春の葬式…お祭りと銘打っていても、みんな心は喪服に包まれている。


…困るなぁ、ここを青春の墓場なんかにしてもらっちゃあ…。


いつかまた、当たり前のように体育祭をやる…そんな未来を見てもらわなくちゃ…。


ここは終点なんかじゃないって、示さなくちゃな…。


…いや、そうじゃないな。別にここが終点になってもいいんだ。ここで終わりになってもいい。


だけど一番いけないことは…終わるからって無気力になってしまうことだ。


終わりを恐れて何もしなければ…本当に何も残らなくなる。


僕がそんなことを考えていると、僕の元に男子の学生服に身を包んだ愛里がやって来た。


「さくらちゃーん!!見て見て!!応援団長っぽいでしょ?」


愛里はそう言って応援団長っぽい仕草を見せてきた。


「似合ってる似合ってる」


僕はそんなことを軽々しく口にしていたが、その実のところ、内心では男子の制服に身を包んだ愛里を見て男装女子の需要について改めて考えさせられていた。


…うむ、良きかな。


「私と加藤君で開会式で選手宣誓をやるんだけど、お互いに性別を入れ替えてやることにしたんだ。だから私は男装してるの」


「性別を入れ替える?。…っていうことは加藤は…」


その時、僕は背後から背筋が凍りつくほどの狂気を感じ取った。


まるで化け物に目をつけられた時のような恐怖…僕はこの恐怖を知っている。


僕が恐る恐る後ろを振り返ると、そこにはミニスカを履き、女装をした加藤が立ちふさがっていた。


女装に似つかわしくないガタイのいい体格と、スカートからはみ出した足から生える草原のようなすね毛、そしてスカートの裾からチラチラと見えてしまう見たくもない深淵。


「…出たな、視覚の暴力…ファッションモンスター」


「あら?ひどい言いようね、櫻井君」


加藤は気色の悪い裏声で僕にそう言ってきた。…こいつ、聴覚にまで攻撃して来ただと!?。


…小さい子が見たらトラウマもんだな。…まぁ、不幸にも幸いなことに小さい子なんていないからいいんですけど。


「ねぇ、さくらちゃん。今日の雰囲気…どう思う?」


愛里は突然に暗い顔をして僕にそう尋ねて来た。


「どう思うって…なんか葬式みたいだね」


僕は厳かな雰囲気を感じ取ってそう答えた。


「やっぱり、さくらちゃんもそう思う?。せっかくのお祭りなのにね…」


愛里は雰囲気に飲み込まれつつある会場を案じていた。


「今日は…最後の体育祭なんだよ。それなのに…こんな雰囲気のまま終わっちゃっていいのかな…」


僕だって、こんな葬式みたいな体育祭は本望ではない。


ここは終わりなんかじゃない。


墓場なんかにしてはいけない。


だけど…だからといってどうすればいいのか…。


僕が悩んでいると、愛里は僕の方を見つめながら、すがるようにこんなことを言って来た。


「なんとか出来ないかな?さくらちゃん」


「なんとかって言われてもなぁ…」


多分、こういうのは初めが肝心だ。


最初から臆してしまっていたら、多分最後まで何も出来なくなる。


だから、一番最初に一発かましてやる必要がある。


…何かを得るには身を削るか頭を絞るかしなければいけない。…愛里に頼まれたのなら仕方がない、ここは僕も一肌脱ぐとしますか…。


「加藤、今日の選手宣誓、僕と代わってくれないか?」


「あら?どういう風の吹き回しかしら?」


加藤は僕の聴覚に持ち前の汚い裏声でダメージを与えて来た。


「僕だって、必要ならやることはやるさ」


「ふふふ、いいザマスよ。でも、一つ条件があるザマス」


「…条件?」


加藤は安直なマダムのイメージをしながらそう言った後、僕の両肩を掴み悪い顔をしながらこう言って来た。


「俺の代わりにちゃんと女装して行けよ、櫻井」











体育祭の開会式…加藤の代わりに選手宣誓をするのになった僕は全校生徒と、沢山の来場者を前に校庭の朝礼台の上で愛里と並んで佇んでいた…もちろん女装して。


僕は自分が思っていたよりも有名人なのか、立て籠り事件を起こした僕がこんな表舞台に立つと思われていなかったようで、会場はいろんな意味で騒ついていた。


しかし、僕はそんなことよりもやるべきことをやるために隣にいる愛里とアイコンタクトで息を図って同時に声をあげた。


「宣誓!!」


そして愛里と僕は交互に高らかに宣言しあった。


「僕達!!」


「私達は!!」


「人類最後の世代で!!」


「世界の見届け人となるであろう!!」


「ラストチルドレンです!!」


予定されていない選手宣誓の言葉に場はざわつき始めた。


だけど、僕らはそれでも臆することなく宣誓を続けた。


「いつか人類は衰退して!!」


「誰一人いなくなって!!」


「僕達が生きた証なんて何も残らないかもしれない!!」


「でもだからって、無駄だと思って何もしなければ!!」


「僕達はきっと、何も得ることは出来ません!!」


「生きる喜びも!!」


「命の意味も!!」


「何もかもが無為になってしまわぬように!!」


「僕達は戦い続けなければいけません!!」


騒ついていた会場は僕と愛里の言葉に耳を傾けるため、徐々に静かになっていった。


「今日はもしかしたら、人類最後の体育祭かもしれません!!」


「今日という日が終わったら、二度と体育祭なんてないかもしれません!!」


「だから、例えどれだけ多くの人が見届けに来て下さっても!!」


「例え雨が降ろうと!!」


「例え嵐に見舞われようと!!」


「例え…人類が滅亡しようとも!!」


「それでも、僕達!!」


「私達は!!」


そして僕と愛里は高く掲げたその手を重ねて、一緒に宣言した。


「全力で青春することを…ここに誓います!!!!」


僕達はラストチルドレン…人類最後の世代で、多分この世界の見届け人。


いずれ人類は本当に滅亡してしまうのかもしれない。どうあがいてもそれは避けられないのかもしれない。


だけど…それでも僕らは青春をする。この命に意味を刻むために…。










開会式の後、僕らのクラスが所属する青組は、応援団長である加藤の号令で士気を高めるために全員で円陣を組んでいた。


「櫻井、お前が掛け声をかけてくれ」


「…いきなりそういう無茶振りやめてくれよなぁ」


全員で円になって肩を組んでいる最中、加藤は僕にそんなことを言ってきた。


「いいからいいから、お前が声をかけてくれよ」


「…わかったよ」


覚悟を決めた僕は精一杯息を吸って、腹の底から叫び声をあげた。


「この体育祭は!!他の誰のものでもない!!僕達の体育祭だ!!僕達のための体育祭だ!!。だから遠慮なんてしなくていい!!周りの目なんて気にしなくてもいい!!。もう一度言うぞ!!これは僕達の体育祭だ!!僕達のための体育祭だ!!。来賓だろうが!偉い奴だろうが!人類の滅亡だろうが!何人たりとも邪魔なんてさせない!!。これは僕達の体育祭だ!!僕達のための体育祭だ!!僕達だけの…青春だ!!」


僕の叫びを聞き届けた加藤は、全員の息を合わせるために声をあげて叫んだ。


「青組!絶対勝つぞぉぉぉぉお!!!!!!」


僕達の怒号のような雄叫びが、五月の空にこだました。










一度火がつけば、あとは僕が手を加えなくても勝手に燃え上がって、体育祭は白熱の盛り上がりをみせていた。


…うん、やっぱりお祭りはこうでなくちゃ…。


未だに女装を続けていた僕がその様子を満足気に見ていると、誰かが僕に近づいてきて僕に声をかけてきた。


「久しぶり!!光輝君!!」


『僕を下の名前で呼ぶような奴がこの学校にいたか?』と思いながら振り向くと、そこには僕と姉を動画に撮って生配信していたいつぞやのユーチューバーのマキとミカが立っていた。


「えっと確か…ミカさんだったっけ?」


「残念でした、私はマキの方です」


「ミカは私です」


そう言ってミカはスマホですでに僕を撮っていた。


「…あのさ、もうちょっと僕の肖像権のこと考慮してくれてもいいんじゃない?」


「大丈夫大丈夫、光輝君、割とフリー素材みたいな扱いされてるから」


「…フリー素材ってどういう意味?」


そんな僕の質問も虚しくスルーされ、マキは僕に質問をしてきた。


「さて、光輝選手、今年の体育祭はどうですか?」


「どうって言われても…っていうか、これもすでに配信してるの?。登録者数10万人に女装姿を見られてるの?」


「それがですね、前の光輝君達の動画で注目度が爆上がりして…めでたく登録者数が50万人を突破しました!!」


「いや、なにもめでたくないよ」


醜態を晒す機会が増えただけじゃん。


「今回私達はこの体育祭を撮るついでに光輝君の近況報告も撮りたいと思ってここに来たわけですよ」


「近況報告って…別に今じゃなくてもいいじゃん。こんな女装姿をわざわざ晒さなくてもいいじゃん」


「いやいや、ネットの住民は『新しい素材だ』って大喜びしますよ」


「…ねぇ、本当に僕ってネット上でどういう存在になってるの?」


しかし、僕の質問は毎度ながらスルーされる。


「それじゃあ光輝君にお尋ねします。進路は決まりましたか?」


「えっと…教師になるために教育学部に入学しようと思ってます」


「…え?教師?」


「うん、教師」


マキは僕の返答に目を丸くして驚いていた。…まぁ、驚いて当然だけどね。


その後、いくつかの質問をされた後、マキは最後に尋ねてきた。


「今回の動画、アップしていいですか?」


「…え?一応そういうの気にしてたんだ」


「そりゃそうですよ。前のはお姉さんから前もって許可もらって配信してましたし…」


「あ、そうなんだ…」


「それで、アップしてもいいですか?。光輝君の近況報告、楽しみにしてる人もいっぱいいるんです」


「僕の近況報告なんかを?」


そんな需要があることに僕は驚いていた。


しかし、そんな僕に茶々を言えるかのようにミカがこんなことを言ってきた。


「まぁ、オモチャとして楽しみにしてる人もいっぱいいますけどね」


「コラ、黙っとけばバレないよ、ミカ」


その後、マキは念を押すようにこう言ってきた。


「でも、君の近況報告を楽しみにしてる人がいるっていうのは本当だよ?」


なにが面白くて僕の近況報告なんかを聞きたいのかは分からないが…楽しみにしてくれている人がいるなら、女装姿を晒すくらい吝かではない。


「いいよ、好きにしなよ」


こうして、僕の与り知らぬ所で僕の情報は拡散されて行くのだった。










その後も体育祭は例年にない盛り上がりを見せた。


みんなが一番を目指して熱く、時に面白おかしくプログラムは進行し、とうとう最期の組対抗のリレーの時間となった。


…リレーというものは、バトンを渡す相手がいるから全力で走ることができる。


バトンを渡す相手のいないアンカーは、ゴールがあるから一生懸命走る事ができる。


じゃあ、僕達ラストチルドレンはどうする?。


僕達には、人生を走り切れるほどのゴールはあるのか?。


「加藤、少しいいか?」


僕はアンカーがゴールにしか向かって走れないことを案じて、加藤にとある提案をした。


「いいぜ、青組が一番にゴール出来そうだったらな」


応援団長である加藤はすぐさま僕の言葉を了承し、みんなに声をかけてくれた。


そして、最期のリレーの始まりの合図を告げる銃声が轟いた。


一斉に走り出した選手は、そのバトンを次へと繋げるために息を切らす。


誰もが声を張り上げて白熱する校庭で選手達は拮抗していた。


僕も『頑張れ』って叫んだ。たくさんたくさん叫んだ。


例え選手には届いてなくても、この叫びに意味がないなんてことは無いって知ってるから、迷わず叫んだ。


やがて、バトンはアンカーへと渡り、アンカーはゴールを目指して駆け出した。


僕達青組の選手は赤組と並んで一位を争っていた。


「青組!!行くぞおおおおおお!!!!!!」


加藤の号令とともに、僕達青組はリレーの最中にもかかわらず、全員で校庭のど真ん中へと駆け出し、そして全員でゴールの後ろに待機した。


「俺たちにバトンを繋げえええええ!!!!!青組ィィィィ!!!!」


僕らの集団の先頭に立つ加藤はまだ走っている選手に向かってゴールの後ろから叫んだ。


ゴールの後ろ側に待つ僕らに気がついたのか、青組の選手は僕らを一瞥した後、さらにペースを上げた。


…僕達はラストチルドレン。


人類最期の世代にして、世界の見届け人。


僕らの後には道は残らず、僕らが歩くたびに世界はまた一つ、景色を失って行く。


だから、僕達にはバトンを繋ぐ人がいない。


僕らはアンカーだから、ゴールに向かって走るしかない。


でも、この人生を走り切れるほどのゴールなんて見つかりっこなくて、僕らは道半ばで走ることを諦めてしまいそうになる。


だけど、そこで走ることを諦めてしまったら、本当になにも残らなくなる。


例え…本当に僕らはラストチルドレンであったとしても…


僕らは…


走り抜けたゴールの向こうで…




…誰かが待っているって、信じたい。




僕らの声に応えるかのように、青組の選手はゴールテープを切り、僕らの集団に向かって飛び込んできた。


僕らは一丸となってバトンを受け止め、そしてアンカーを胴上げし始めた。


このバトンは…まだ途絶えてなんていない。


きっと、僕達をラストチルドレンと決めつけるには…まだ早過ぎると思うんだ。


僕達につながれたバトンが…僕達にそう教えてくれた気がした。


こうして、最期の体育祭は僕達青組の優勝で幕を閉じたのだった。











「姫浦、お疲れ様」


体育祭終わりに、水道で顔を洗う姫浦に遭遇した僕は、姫浦に声をかけた。


「お疲れ様、櫻井」


思えば、姫浦と話すのも随分と久しぶりな気がする。


同じクラスとはいえど、僕と姫浦は基本的に学校では関わることはない。


鷲宮隊の活動も終わった今、僕らを繋ぐものは何もないのだ。


文通も立て篭もりや姉の出産で僕がバタバタしていた間にいつのまにか途絶えてしまった。


だから、僕らが関わり合う機会はそうそうないのだ。


それでも文通を再開すれば、また少しは関わる機会も増えるのだろうが…受験でお互い忙しいのもあるが、あの文通は元々姫浦が僕というトラウマを乗り越えるためのものだった。


だけど、姫浦はいつのまにかそのトラウマを乗り越えていた。


だから…もうそれは必要ない。…ちょっと寂しいけどね。…それでも、会おうと思えばいつでも会えるから…。


「そういえば聞いたよ。櫻井、教師になるんだってね」


「うん、学校は守れなかったからね。代わりに僕が希望を示すことにした」


「ふふ…やっぱり櫻井は凄いね」


「別に、そういう存在が必要だと思ったからそうするだけ。そういえば、姫浦は進路どうするの?」


姫浦は成績も良いし、僕なんかよりもずっと難しい大学行くんだろうなぁ…。


そんな風に軽く考えていた僕に、姫浦は聞きなれない単語を発した。


「…NTU」


「NTU?…なにそれ?」


「南洋理工大学」


「…それってどこにあるの?」


「シンガポール」


「…え?」


あまりに淡々と姫浦そんな言葉を口にしたため、僕は一瞬理解ができなかった。


「だから…シンガポールにあるの」


姫浦が念を押すように僕にそう言った。


そして戸惑う僕を尻目に、姫浦はハッキリと僕にこう告げた。


「櫻井、君にはまだ話したことなかったけど、私は卒業したら…シンガポールに行くの」


会おうと思えば…いつでも会えると思ってた…。


だけど…姫浦は随分と遠くに行ってしまう。


そして衝撃の事実に固まる僕に、姫浦は悪戯っぽくこう尋ねていた。


「私はシンガポールに行っちゃうけど…どうする?櫻井」


だけど、僕の頭の中はそんな言葉も耳に入らないほど真っ白になってしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る