第51話
「は?教師?…マジで言ってんの?」
サカもっちゃんとの二者面談の後、加藤に呼び出された僕は加藤に自分の進路について話していた。
「マジだよ。…なんか文句あるか?」
「文句はないけど…プフッ…ハハハハハ」
加藤はこみ上げる笑いを我慢していたのか、堰き止めていた笑いを我慢できずに吹き出し、笑い始めた。
「悪い…どんな進路でも笑うつもりなんてなかったんだが…予想外すぎて…」
加藤が笑うのも最もだ。自分でも頭おかしい選択だって自負してる。
加藤は一通り笑った後、僕にこんなことを言ってきた。
「本当はさ…俺はこの学校で一番バカな選択をしたって思ってたんだよ。でも…井の中の蛙だった。俺はまだ海の広さに気がつけていなかった」
「加藤は進路どうしたんだ?」
「俺は…ミュージシャンになることにした」
「…そっか」
加藤の進路に僕は格段驚いたりはしなかった。
あの立て籠り事件の時にした『人生を賭けた』卓球で、加藤を打ち負かした時から、加藤はそうするってなんとなく分かっていたから。
「それにしても教師か…本当に頭おかしいな、櫻井」
「全くだ。高校入学した頃の僕が聞いたらショックで寝込むだろうな」
「まぁ、俺はいつか櫻井はそういう理解を得られない決断をするって思ってたけどな。卒業後はどうするんだ?大学には行くのか?」
「行くよ、教育学部のあるところ」
「教育学部なんてまだ残ってるのか?」
「殆どの大学からは無くなっちゃったけど、まだいくつか残ってる」
「ふーん、そっか」
「加藤は大学行くのか?」
「いや、俺は音楽一本に決めたからな。なんせ人生賭けなきゃいけないし」
「そっか…それもそうだな」
加藤のことを思うのなら、普通は止めるべきなのだろうか?。
あの時の賭けは無効にしても良いって言うべきなのだろうか?。
でも、そんな優しい言葉をかけてしまったら、きっと加藤の決意は無駄になる。
そんなことはきっと、加藤も望んでいない。
僕がそんなことを考えていると、加藤がおもむろにこんなことを言ってきた。
「いやぁ…やっぱり俺、櫻井とバンド組みたかったなぁ…」
加藤は名残惜しそうにそんなことを呟いていた。
「教師になれなかったら俺とバンド組むか?」
「遠慮しとく。僕は絶対に教師になるし」
「そうか…残念だなぁ…」
本当に残念そうに加藤がそう呟いた後、何か思いついたかのように僕にこんなことを頼んできた。
「じゃあ、代わりと言っちゃなんだが櫻井…歌詞書いてくれよ」
「は?歌詞って曲のか?」
「そう、お前が歌詞を書いて、俺がそれを演奏する」
「でもなぁ、歌詞とか書いたことないし…」
「頼むよ、櫻井。こんな形でも、俺はお前とバンドしたかったんだよ」
高校入学前に、加藤がバンドを組もうと誘ってくれた時のことを思い出していた。
だけどバンドは名前すら決まることなく、解散され…加藤の願いは叶わなかった。
きっと、その責任の一端は僕にもある。
こんな形でも加藤との約束、守らなきゃな。
「分かった、書いてみるよ。でも、あんまり期待するなよ」
「流石櫻井だぜ!。おだてりゃ木に登ると思ってたぜ」
「僕をブタ呼ばわりすんなよ。…で、どういうの書けばいいんだ?」
「お前の素直な想いを書いて欲しい。何かを真似ようとしたり、取り繕ったりせずに、素直にお前の想いを書いて欲しい」
「うーん…想いって言われてもなぁ…」
「じゃあ、お前の高校生活のことでもいい。どんなことを感じて、どうして動き出したのか…とにかくお前の言葉ならなんでもいい」
「…わかった、とりあえず書いてみるよ」
「頼んだぜ、六月までには提出してくれよな」
こうして僕は思わぬ形で加藤との約束を果たすこととなった。
その日の夜、僕は母に自分の進路を打ち明けた。
「…教師?」
「…うん、教師」
僕が進もうとしている先は茨の道…いや、針の筵とでも言うべきか…。
なんにしても、自分でも無茶な選択だって分かってる。だから、親からは良い顔はされないことも覚悟してる。
でも、大学に行く上で、親の協力は必要不可欠だと考えていた。
だから…どうにかして説得しなきゃいけない。…だけど、それでも理解を得られないのなら、僕は自力で学費を工面する覚悟もしていた。
僕は言葉の持てる限りを尽くして自分がどうして教師になるのか、なぜ教師が必要なのかを説明した。
「光輝…あなたの言いたいことはわかった。教師が必要だってことも理解したつもり。…でも、光輝がそれをやらなきゃいけないの?」
「…誰かがやってくれるなら、それに越したことはない。けど…現実はいつだって非情で…誰も与えてなんてくれやしない。だから、自分でやる必要があるって思った」
「お母さんは、光輝が自分で選んだ道なら大抵のことは応援するつもりだった。…だけど、よりにもよって教師だなんて…」
我が家は基本的に放任主義の家庭だ。
両親は今まで僕に『勉強しろ』とか特に言わずに、僕の自主性を信じてくれた。
しかし、今回ばかりは母も苦言を呈していた。
「どうしても教師じゃないとダメなの?。例えば…ネームレスの研究機関に入るとか、そういう方法があると思うの」
「立花先生が言ってたんだけど、ネームレスを研究しようにも出産を選んでくれる人がいなくなったせいでデータが取れなくて研究が捗らないんだって。だから僕は別のアプローチからそういう人達を支える人が必要だと思うんだ」
正直な話、未来の希望となるのならば、母の言う通り教師じゃなくても良いと思う。
だから僕は初めは学校を守ろうとしたし、望に託そうとしていた。
だけどそのどれも守ることは出来なくて…結局、自分がその役目を担う必要があるという結論に至ったのだ。
それに、僕は別にネームレス問題を根本的に解決しなくても良いと考えている。…もちろん、それが解決されることが一番だが…。
僕はあくまで明るい未来を示したいだけ、そしてそれこそが世界の活力につながり、ネームレスと向き合ってくれる人も増えて、ネームレスの解決につながると考えているのだ。
だから、明るい未来に必要になるはずの職業ならなんでもいいと思う。その中で教師を選んだのは…多分一番身近な存在だったからだと思う。
「どうして瑠美も光輝も…自らそういう道を選んじゃうんの…」
母はそう嘆いて涙を流した。
…ごめんなさい、母さん、父さん。
どうやら僕も姉さんも相当な親不孝者らしいです。
でも、許してください。僕らはそれでも戦わなければいけないから。
だって、残念ながら…未来は勝ち取るものだから。
涙を流す母に罪悪感を抱きながらも、自分の道を曲げなかった僕は部屋に戻って勉強をしていた。
しばらくすると、父が帰ってくる音が聞こえた。…きっと、母は父に僕のことを話すだろう。
…父さんはなんて言うのかな?。
僕がそんなことを気にしていると、扉をノックする音が聞こえた。
「光輝、開けるぞ」
「…うん」
部屋の扉がガチャリと開いて、父が部屋に入ってきた。…思い返してみれば、こうして父が僕の部屋に訪れることは少なかった。父は必要以上には干渉してこない…だから、父が僕の部屋に訪れることだけでも珍しいことなのだ。
父は怒るでもないし、悲しむでもないし、喜ぶでもない…いつもと同じ顔をしていた。
…父さんは、どう思ってるんだろう。
僕はそんな特別な父の姿を固唾をのんで見守っていた。
すると父が唐突にこんなことを口にした。
「光輝…少し飲みに付き合え」
父からそんな誘いを受けるのは初めてだった。
僕は二つ返事で承諾し、僕と父は二人並んで夜の街へと躍り出た。
こうして父と二人だけでどこか行くのはいつぶりだろうか?。
懐かしくも新鮮な空気に僕は落ち着けないでいた。
何を話すでもなく、父について行く僕は、とうとうその沈黙に耐えかねて口を開いた。
「父さん…怒ってる?」
流石の父も僕の愚かな選択にご立腹しているのではないかと思った僕はそんなことを尋ねた。
「怒る?…まさか…」
父はそう言ってぶっきらぼうに笑ってみせた後、呟くようにこんなことを口にした。
「今の心境は複雑で…一言では説明できない」
多分、父も僕にかけるべき言葉を探っていたんだと思う。
しばらくして、僕らは一軒の居酒屋にたどり着いた。
「…光輝も飲むか?」
「いや、別にいいよ」
まぁ、未成年ですから…。
そういうルールがあるから飲まない…と、いうよりも、ルールを破ってまで飲みたいと思わないという言い方が正確だろうか。
父は日本酒を頼み、チビチビと飲み始めた。
父は下戸だ、基本的にお酒は飲まない。
それでも父がお酒を飲むときは大抵…嫌なことがあった時だ。
僕は父が口を開くのを黙って見守っていた。
「父さんが光輝くらいの時、父さんに夢なんてなかった」
父は唐突にそんなことを打ち明けた。
「人生を賭けてまでやりたいことが見つけられなくて、将来どうしたいとか、ましてや夢と呼べるものなんてなかった。我ながらつまらない青春だったと思う。…でも、別にそれでもよかった」
父はお酒を挟みながら淡々と語り続けた。
「別に夢なんかなくても、無難な職について、身の丈にあった誰かと結婚して、子供が産まれて、普通の家庭を築いて…そういうありきたりな幸せが未来で待ってるって信じて来れた。だから別に夢なんかなくてもよかった。そんなものがなくても頑張れた」
父は遠くを見つめるようにそんなことを語った後、少しトーンを落として僕にこう告げた。
「でも、光輝たちの場合は違う。父さん達が当たり前のように享受してきた幸せを、お前達は信じられないでいる。それはネームレスのせいなのかもしれない、不況のせいなのかもしれない、もっと他の別な理由なのかもしれない。…なんにしても、明るい未来を描けないお前達若い世代が夢を持てないのも無理はない。未来を恐れるのも無理はない。…私達大人は、自分が当たり前のように享受してきたそんなありきたりな幸せな未来でさえ、お前達に見せてやれなかったんだ。だから…すまなかった、光輝」
「…別に父さんが悪いわけじゃないでしょ」
「確かに誰が悪いというわけではない。それでも何か出来ることはあったはず。光輝のように声を上げて戦うことだって出来たはず。…だけど、我々は忙しさにかまけて未来に目を背けていた。自らの怠慢を子供達が背負うことになるのは分かっていた。分かっていてなにもやってやれなかった。…きっと光輝は、そんな我々が積み重ねた怠慢の尻拭いをしようとしているんだ」
「…父さん」
「誰かが悪いわけではない…だけど、誰にだって責任はある。父さんにだって責任はあったはず。だけど、なにもしなかった。その結果、自分の子供に問題を背負わせることになった。…まさに自業自得だ、父さんには光輝を止める権利すらない」
父は小さくその身を震わせ、うっすらと涙を流していた。
…父の涙を見るのは初めてだった。
「それを分かった上で…自分勝手なこと言っているのを分かった上で…それでも言わせてくれ。どうか…教師だけはやめてくれ。光輝が私達の罪を清算するなんて…犠牲なるような真似はやめてくれ。光輝は…自分のために生きてくれ」
父はそう言って、僕に頭を下げた。
多分、ここで父のお願いを断ったら、僕はめちゃくちゃな親不孝者だ。
沢山の愛情を込めて僕を育ててくれて、散々迷惑をかけて…そのくせ、両親を泣かせるような真似をして…。
でも…ごめんなさい、母さん、父さん。
それじゃあ納得出来ないんだ。
僕はもう…そんな未来を妥協することが出来ないんだ。
だから…だから…。
父の僕に向けて初めて涙ながらに頭を下げたお願いに、僕は涙を飲んで答えた。
「ごめん、父さん。…もう決めたんだ」
大切な両親の言葉でさえ、僕の決意は揺るがなかった。
あぁ、ほんと…僕ってめちゃくちゃ親不孝者だ。
どうしようもない愚か者だ。
最低な分からず屋だ。
それでも僕の決意は揺らいでなんてくれない。
世界が希望を欲していると、信じて疑えない。
ごめんなさい…ごめんなさい…。
例え見放されても…僕は一人でもやり遂げます。
ごめんなさい…ごめんなさい…。
本当に親不孝者で…ごめんなさい…。
それでも僕は戦います。
だって、残念ながら…未来は勝ち取るものだから。…ほんとにほんとに…残念ながら…。
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