第50話

僕が姫浦を見つけた時、姫浦は人気の無い校舎の一角で荒れていた。


「なんでみんなそんな簡単に受け入れちゃうの!?嫌なものを嫌って言っちゃダメなの!?理不尽は受け入れなきゃダメなの!?どうして戦うことを拒むの!?」


周りから理解を得られない姫浦は泣き喚いていた。


姫浦を見つけたはいいが、なんて声をかければいいのか分からなかった僕は姫浦の隣で姫浦の愚痴を聞きながらただ黙っていた。


やがて、正気を取り戻して落ち着き始めた姫浦は呆れながらこんな言葉を口にした。


「ほんと…私って馬鹿だね、これじゃあ中学の頃の二の舞だよ…」


姫浦は暴走して居場所をなくした中学時代を思い出したのか、自傷気味に笑ってみせた。


「ねえ、櫻井…どうしてみんなは私に『大人になれ』って言うのかな?」


ようやく発言権を得た僕はポツリポツリと語り始めた。


「『大人になれ』って言葉は、きっとその人なりの優しさなんだ。戦っても姫浦が傷付くだけで、受け入れてしまえば楽になれるって、姫浦に伝えたかったんだと思う。だからさ、あまりそう言ってくる人を責めないであげて欲しい」


「じゃあ、私が間違ってるってこと?」


「それも違う。どちらも間違ってなんかいない、ただ価値観が違うだけだよ。だから姫浦は姫浦の思うようにやればいい。君の信念に基づく行いなら、少なくとも誰かのためにはなるはずだから」


僕の言葉を聞いた姫浦はため息混じりにこんなことを言ってきた。


「…櫻井は凄いよね。自分の考えを相手にも分かるように伝えられる。それに比べて私は…熱意だけが先走って…空回ってばかりで…ほんとどうしようもないやつだよね」


「そんなことない。姫浦は凄いやつだよ。ほんのわずかな『もしかしたら』でも、全力が出せる君は凄いよ」


「でも、何一つとして上手くいかなかった!結局鷲中も守れなかった!」


「…確かに鷲中は守れなかった。だけど、結果は一つじゃない。君の熱意は僕を動かした。そして僕はそのおかげで答えを見つけることができた。だからお願いだ…これからもどんな小さな可能性でも、全力を出せる君でいて欲しい」


「…努力を人に押し付けるのは酷って言ってなかったっけ?」


「そうだよ?。僕が勝手に期待してるだけ…だから、断ってくれてもいい」


姫浦の皮肉めいた質問に、僕も皮肉めいた言葉を返した。


そして僕はさらに続けてこう付け加えた。


「それでも僕は君にそうして欲しい。だって、姫浦は…僕の希望だから」


僕の言葉に、姫浦はまた涙を流し始めた。


…もしかして僕って、女の子を笑わせた数より泣かせた数の方が多いんじゃ…。


そんな不安が脳裏によぎったが、僕の疑念を吹き飛ばすかのように姫浦はその目に涙を浮かべつつも僕に笑顔を向けてこう言った。


「…ありがとう」


そして僕らは、静かな校舎で一緒に授業をサボった。













その翌週…僕は自分の教室の前の廊下で窓の外で風に踊る桜の花びらを眺めながら、自分の番が来るのを待っていた。


今日は二者面談…僕が選ばなければいけない日だ。


僕なりにすでに答えは出ていたが、それでも僕は自分が何がやりたいかをギリギリまで探していた。


それが見つかればそれに越したことはないと思ったからだ。


でも、別に見つからないならそれでもよかった。


だから、僕は運命の選択の時を前に、外の景色を楽しめるほどの心の余裕は持っていた。


やがて、僕の前にサカもっちゃんと二者面談していた加藤が教室から出てきた。


加藤と僕は同じクラスで、出席番号も一つ違いなので、自ずと僕の前は加藤になってしまっていたのだ。


浮かない顔で教室から出てきた加藤は、僕の存在に気がつくなり、すぐさまいつもの間抜け面を浮かべて、陽気に僕に話しかけてきた。


「よーう、櫻井。俺の番は終わったから、次はお前の番だぜ?」


「わかってるよ」


僕が加藤と入れ替わるように教室へ入ろうとした時、加藤がふと真面目な顔して僕に尋ねてきた。


「櫻井、二者面談の後…時間あるか?」


「あるけど?」


「じゃあ、ちょっと話がある」


「わかった」


加藤は約束を取り付けると僕の元から去っていった。


鷲中に立て篭もっていた時に、卓球で僕から引導を渡された加藤はどんな選択をしたのだろうか…。


多分、それについての話だと思う。


加藤の話はともかく、今はサカもっちゃんとの二者面談だ。


僕が教室へ入ると、そこには当然、サカもっちゃんが待ち構えていた。


「答えは出たか?櫻井」


「はい。たった今、観念しました」


不必要な机を片付けて、先生と生徒の二人分の席だけが中央に残された教室はいつもと違い、やけに殺風景に思えた。


「それじゃあ、答えを見せてもらおうか、櫻井」


サカもっちゃんはそう言って、僕の進路希望調査表を催促した。


僕は手に持っていた進路希望調査表を躊躇いもなく、叩きつけるようにサカもっちゃんが目の前に座る机に提出した。


僕の進路希望調査表を目にしたサカもっちゃんは目を丸くして驚いていた。


「…なにも書かれていないじゃないか、櫻井」


サカもっちゃんの言う通り、僕が突きつけた進路希望調査表は空欄のままだった。


「『なにがしたいか』っていう希望では、僕はこの空欄を埋められませんでした」


なにも書かれていない進路希望調査表に反して、ぼくの態度は堂々たるものだった。


「じゃあ、どうするんだ?櫻井」


「…少し、僕の話を聞いてもらえますか?先生」


サカもっちゃんが優しく頷いたのを見送った僕は静かに椅子に腰を下ろした。


そして春の陽気に紛れて、僕は静かに語り始めた。


「高校生になってから、色んなことがありました。楽しいことも悲しいことも、辛いことも…たくさん…ほんとにたくさんあった気がします。その分笑って、その分泣いて、その分戦って、時々怒って…僕の冷めた心でも、優柔不断な僕でも…心は熱く輝けた、自ら大きな選択をすることができた。たくさんのことを学んで、たくさんのこと経験して、たくさんのことを知ることが出来ました。僕は基本的にはボッチだったけど、この先の人生でこれ以上はないっていうくらい心を動かされ、たくさん感動出来ました。きっと…後にも先にも、こんな多感な時は無いと思えるほどに…」


本当に、色んなことがあった。


バンドを始めて…いきなり裏切られて…なにも無い日々を送って…バイトを始めて…鷲宮隊に入って…署名活動して…全然集められなくて…それでも頑張って…文化祭があって…愛里と出会って…NPO法人作って…愛里とディスティニーランドに行って…募金活動に励んで…姉が妊娠して…補助金が降りなくて直談判しに行って…修学旅行に行って…シンポジウムに行って…学校に立て籠もって…望が生まれて…。


あの当時は大した出来事でもなくても、今思い返してみれば、そのどれもが僕の今を形作っていて…そのどれもが大切な思い出で…きっと、これから先、今以上にこんなにも色んな人に出会って、色んな感情が芽生えて、色んな感動を覚えるような日々はないって、心の底からそう思える。


だけど…それでも…。


僕は自分の心中を窘めるように先生に想いを伝えた。


「だけど…それでも僕の心は、夢を抱けなかった」


そう、それでも僕は『なにがしたいか』という答えを見つけられなかったのだ。


「これ以上ないくらい感動して、これ以上ないくらい熱くなれて…だけどそれでも僕は『何がしたい』かを見つけられなかった。夢を見つけることができなかった。こんなにも心揺さぶられる日々はもう無いのに…それでも僕には希望がなかった。だからきっと僕は…一生夢を抱けない人間なんだって分かっちゃったんだ…」


どんなに熱くなろうとも、心はどこか冷静に物事を捉えていた。


どんなに感動を覚えようとも、心はどこか客観的に自分を見ていた。


そんな僕が全てを忘れて、夢中になれるものなんてどこにもない。


だから僕は一生、夢を抱けない。


そういう人間なんだって…ようやく気が付いた。


「誰かみたいに己の心に愚直であればよかった。誰かみたいに好きなものがあればよかった。誰かみたいに欲しいものがあればよかった。誰かみたい才能があればよかった」


僕は僕を差し置いて青春に消えて行く人たちの背中を思い浮かべながらそう嘆いた。


姫浦みたいに迷わないほど己の心に愚直あれたなら…加藤みたいに人生を賭けられるほど好きなものがあれば…愛里みたいにそれを手に入れるために走り出せるほど欲しいものがあれば…谷口みたいに誰にも負けない特別な才能があったなら…。


そんなものが一つでもあれば、僕だって夢を抱くことが出来ただろう。


だけど、僕は違う。そのどれも持ち合わせていない。空っぽな人間なんだ。


だから断言できる…僕は夢を抱けないんだって。


でも…別にそれでも良いんだ。


「でも、先生は『夢なんてなくてもいい』って言ってくれた。僕もその言葉に納得できた。だから今ならハッキリ言える…『夢なんてなくてもいい』って」


そう、夢なんてなくてもいいんだ。


走り続けることができる理由があるのなら、夢なんてなくてもいいんだ。


本当に僕に必要なのは『何がやりたいか』なんていう夢なんかじゃない。そんなものは無いならそれに越したことはないんだ。


夢の代わりに人生を走り続けるモチベーションが必要なんだ。


「僕は空っぽな人間だ。『これがしたい』なんていう夢はない。…それでも僕は自分で動き出し、行動することができた。僕にはもっとモチベーションになり得る他の物がある」


そんな僕でも自ら選び、行動できた理由…それは初めから分かっていた答えだ。


「僕が今まで何かをしてこれたのは、誰かが僕を必要としてくれたから。こんな僕でも立て篭もりなんて大それたことが出来たのは、それが必要なことだって心から納得出来たから。だから僕は、今のこの世界に必要なことをやりたい」


僕は分かっていたんだ。


僕は誰かから必要とされたい…そのためなら動けるっていうことに…。


「この世界は希望に飢えている。いずれ来る人類の終末に絶望して、希望を見出せないでいる。だから、この世界には希望の光が必要なんだと思う。明るい未来が来るって信じられる希望が必要なんだと思う。だから僕は学校を守ろうとした、学校が必要になる未来を守るために…そういう未来が来るって、みんなに信じてもらえるように。…でも、それだけじゃあ足りなかった。きっと僕が希望になるためには…人生を賭ける必要があると思う」


僕には才能があるわけでもないし、行動力や知恵や知識があるわけでもない。


何もない。


賭けられるものなんて人生くらいしかない。


「だから先生…僕は決めました。僕は…僕は…」


そして僕は…自らの決意を表すためにはっきりと自らの進路を宣言した。




「僕は…教師になる」




希望の光となるために僕は…僕の卒業と同時に必要なくなるはずの教師という道のりを選んだ。


「…どうして、教師なんだ?」


先生は戸惑いながらも僕にそんなことを尋ねてきた。


「理由は学校を守ろうとしたことと一緒です。教師が必要になる未来を示すためです。そういう未来が来るって、みんなに信じてもらうためです」


頑として自分の意思を曲げようとしない僕に、先生は躊躇いながらもこんなことを話し始めた。


「僕が教師になろうとした時…周りに猛反対されたよ。先の無い残り僅かな教師生命を案じた故に、僕を思ってそう言ってくれたんだろう。『よりにもよって、どうして教師なの?』って、散々親に泣かれた。友人にはバカにされた。…きっと櫻井が教師になるというのなら、周りからの反発はこれの比じゃないと思うよ」


「分かってます。親は説得させてみせます。周りにもそういう未来が来るって信じさせます」


「そうか…。君の教師としてこの選択を喜ぶべきか、悲しむべきか…」


頑なに意思を貫こうとする僕に先生は諦めたかのようにそんなことを口にした。


そして最終確認をするかのようにこんなことを尋ねてきた。


「櫻井、本当にいいのか?。希望の光といえば聞こえはいいが、やろうとしていることは人柱に近いことだ。必要とされているとはいえ、本当にそんな無謀なことに人生を賭けていいのかい?」


先生の言う通り、僕の選択は自ら生贄に成り下がるような愚かな行いだ。


自分でもバカな選択だって思う。


本当にそんなことに『人生を賭ける』ことが出来るのか?。


僕だって考えた。何度も考えた。


だけど、その答えは最初から…本当に最初から出でいたのだ。


「いいんですよ、先生。だって…」


僕は笑いながらそう言った後、胸を張って堂々といつものようにこう言い切ったのだ。









「僕を必要としてくれる声を断る理由があるほど、僕の人生は満たされていないんですから」






そう、だからきっと初めから答えは決まりきっていたんだと思う。


あの運命が覆った夏の日から…僕は何も変わっちゃいない。


だけど、それでもようやく僕は僕なりの答えにたどり着くことが出来たのだ。


だから、少しだけあの時とは違う。


今度は意志のないことに胸を張って、夢がないことを誇りにして、堂々と言い切れる。


これが…僕の答えです。


僕の青春が導き出した答えです。


…流石に先生も呆れるかな?。


自分の愚直な答えに、僕は先生の反応を伺っていると、僕は先生が俯きながら泣いていることに気がついた。


「せ、先生!?」


サカもっちゃんとは長い付き合いだが、先生が涙を流すところを一度も見たこともない僕は、予想外の反応に戸惑っていた。


「い、いくら自分の生徒が愚かな進路を決めても、なにも泣くこと無いじゃないですか」


僕は先生が『自分の生徒に愚かな選択肢をさせてしまった』ことを悔いて泣いていると思って思わず自傷気味にそんなことを言った。


「違う、櫻井」


しかし、先生は僕の言葉を否定した後、涙ながらにこう語った。


「進路を決めなきゃいけないのはなにも生徒達だけじゃない。我々教師も身の振り方を迫られるんだ」


そう、なにも今年度で卒業するのは僕ら高校生だけではない。


僕達ラストチルドレンが卒業すると同時にサカもっちゃん達も進路の選択を迫られるのだ。


「僕は教師の役目を終えた後のことはなにも考えていなかった。考えたくなかったんだ…教師という夢が途絶える…そんな未来を本当は恐れていたんだ」


サカもっちゃんは僕らに2年間、中学で教えた後、高校教師になってさらに2年間僕らにいろんなことを教えてくれた。


きっとそれは茨の道だっただろう。未来のない教師を二度もやるなんて、正気の沙汰じゃない。先生をやることにサカもっちゃんは『人生を賭けていた』んだ。そうでないと出来ないことだ。


だけど、僕らが卒業してしまえば、サカもっちゃんの道は途絶える。しかも、今度は完全に道がなくなってしまうのだ。そんな未来を恐れて、その先のことを考えないようにしていたのだろう。


「だけど、櫻井が示してくれた。また教師として教壇に立てる未来を示してくれた。僕にそんな未来を夢みさせてくれた。君が僕の未来を明るく照らしてくれた」


そしてサカもっちゃんは涙ながらに僕にこう言ってきた。


「君にそんな選択をさせてごめんなさい。だけど…決意してくれてありがとう」


きっと、僕の選択は実に愚かなものだ。


理解されなくて当然、笑われたって仕方のないほどどうしようもない選択だ。


だけど、こんな道でも決して無駄なんかじゃない。


僕の『人生を賭けた』選択は、きっと誰かにとっての光になれる…そう信じて疑わなかった。


「櫻井、いつか必ず…共に教壇に並んで立とう」


そんなサカもっちゃんの言葉に僕は大きくハッキリと返事を返した。


校庭では桜が咲き乱れ、桃色の園を築いていた。


そんな桃色の世界を背景に、僕とサカもっちゃんは『いつか共に教壇に立つ』という桃園の誓いを交わしたとさ。

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