第49話

人間らしい生き方とはなんだろうか?


いろんな意見があるとは思うが、僕はそれは迷えることができることだと考える。


正確に述べるなら、『迷えるほど選択肢が多い』ということだ。


例えばサバンナに生きる野生のライオンは空腹を満たして生きるために時に狩りという行動を強いられる。


だけど、人間の場合はいくつか選択肢がある。


例えばお金を払って食料を手に入れたり、自分で育てたり、やろうと思えばライオンのように狩ることだって出来る。


大体の人はお金を払って手に入れているだろうけど、そのお金の手に入れ方も無限にある。


僕達の目の前にはたくさんの選択肢がある…だから迷う。


その選択はなにもお金の稼ぎ方だけではない。


例えば『今日のご飯はなにを食べるか』とか『暇な時間をどう過ごすか』とか…そういう些細な場面でも、たくさんの選択肢がある。


そしてその自由さや多様さこそが、僕は人間らしいと考える。


だから、迷うということは実に人間らしい行動であり、それ自体が贅沢な悩みなのだ。


そして僕は今、その贅沢を存分に謳歌している。


「櫻井、進路希望調査表は書けたか?」


「…まだです」


新しいクラスでもサカもっちゃんは僕の担任となり、僕に進路希望調査表を催促して来た。


三年生の最高学年となり、クラスも新たに一新されても、僕はまだ夢を持てずにいた。


サカもっちゃんは特別扱いで僕の進路希望調査表の提出の期限を伸ばしてくれてはいたが、来週に控えている二者面談の時にはその空欄を埋めなければいけなかった。


別に妥協してしまえばそんなものはすぐに埋めることができる。


幸いにも親は僕が大学進学を決めたのならそのお金は出してくれる所存なので、それにすがればひとまずはその空欄を埋めることは出来る。


だけどそれは自らの将来の選択の延期に過ぎなくて…迫られた選択を誤魔化しているだけ。なんの意志もないその妥協に満ちた選択はただのモラトリアムの延長に過ぎない。


安易にそのような選択をしてしまうことに僕は躊躇いを覚えていた。


「随分迷ってるみたいだな、櫻井」


「…すみません」


「正直、櫻井がそんなにも悩むとは思わなかったよ」


「そうですか?。僕の優柔不断っぷりは先生もよく知ってますよね?」


「そうだね、君は実に奥ゆかしい生徒だ。だけど、そんな君でもこの高校時代を通して幾つかの選択を選んだ。それはバイトだったり、鷲宮隊だったり…立て篭もりの件だったり…。優柔不断な君でもいくつかの選択肢を選ぶことが出来たんだ。それと同じように進路だって選べばいいんじゃないか?」


確かにサカもっちゃんの言う通り、僕はボッチだったけど、それでもこの高校に入ってからいくつかの選択をして来た。


軽音部に入ったり、バイトをしたり、鷲宮隊に入ったり、立て籠もったり…こんな僕でも選ぶことが出来た。


だけど、それらの選択はどれも僕が望んでやったわけではない。僕が『やりたい』からしたわけではないのだ。


なにかがやりたいっていうわけではないのならば、その理由は果たしてなにをやりたいかという将来の夢になり得るものなのだろうか?。


僕がそんなことを考えていると、サカもっちゃんが口を割って入ってきた。


「将来の夢っていうのはね、ただのモチベーションに過ぎないんだ。これから先、延々と続く道のりを走り続けられる理由さえあるならば、将来の夢は必ずしも必要というわけではない。他に君が走り続けられる理由があるならば…夢なんてなくてもいいんだよ」


サカもっちゃんはそれだけ言い残して僕の元を去っていった。


『夢なんてなくてもいい』


そのサカもっちゃんの一言が、妙に印象に残っていた。


もしかしたら僕は、夢にとらわれ過ぎていたのかもしれない。


自分がなにがしたいかということに目がいき過ぎていたのかもしれない。


僕はこれまでそれなりにいろんなことをやって来たが、それは自ら望んでなにかを選んだわけではない。


僕はこの高校時代、なに一つとして自分のやりたいことを見つけられてはいない。


それでも僕はいくつかの選択をし、結果が報われずともそれらをやり遂げた。


だから何かをやりたいっていう夢がなくても、僕にもこれから先に続く長い道のりを走りきる理由を見つけられるかもしれない。


じゃあ、僕はどうして今までいくつかの選択を出来たのだろうか?。


その答えは…もう、僕には分かっている。


だけど、それだけではまだ少し足りない。


最後の1ピースがまだ足りない。


僕はふと、窓の外を染める桃色の景色に目が行った。


春は出会いと別れの季節…だけど、この春にもう出会いはない。


中学の時もそうだが、三年目の校舎はやけに静かに感じる。


…もう、この校舎に残されたものは数少ない。ただ失い続けるだけだ。


果たして僕は、空になっていくこの場所で、最後の1ピースを見つけることができるだろうか?。










「さくらちゃん、私赤組の応援団長になったよ!!」


愛里は僕に向かって嬉しそうにそんな報告をして来た。


愛里は5月の末に行われる体育祭の応援団長になったそうだ。…ちなみに三年生でも愛里とはクラスが別になってしまった。その代わりといってはないだが、加藤と姫浦は僕と同じクラスになった。


愛里は僕とは別のクラスで、相変わらず『自分で居場所を作れる』ように奮闘しているようで、ボッチだったあの頃とは違い、今では応援団長を自ら進んで立候補するようになるほど積極的になれたようだ。


彼女の成長ぶりには驚かされるばかりだ。


「なんと私、この度僭越ながら選手宣誓の言葉も務めさせて頂くことになりました!!」


「へぇ、おめでとう」


嬉しそうにそう報告する愛里…しかし、その笑顔を曇らせながら、彼女は僕にこんなことを言ってきた。


「けどね…なんかみんな、体育祭乗り気じゃないみたい」


「と、言うと?」


「受験勉強が忙しくて体育祭どころじゃないのかな?。それと…今回の体育祭が最後の体育祭になるから、卒業生とか、市の偉い人とかたくさんの人が見に来るらしくて…その対応に体育祭本部が追われていることが重なって…なんだか自粛ムードと言いますか…」


今年の体育祭は…おそらく人類最後の高校生の体育祭となるだろう。


世界がまた景色を無くす前に、その目に焼き付けておきたい人が多いのか、今年の体育祭は来客者が殺到するようだった。


「私が応援団長になれたのもさ、みんなそういう理由で消極的になっちゃってたのもあるんだけど…」


愛里の言う通り、みんなどこか消極的になっていた。


僕らのクラスも誰も応援団長をやろうとしなかったため、クラスの推薦の結果、加藤が務めることになったのだ。…ちなみに、選手宣誓は愛里と加藤が務めることになっている。


そういうこともあってか、愛里の言うことは僕にもよく分かっていた。


「みんな忙しいのはわかるけど…せっかくの体育祭なんだよ。私はもっと思い出残したいっていうか…もっと特別なものにしたい。三年生最後の体育祭なんだよ…ほんとに、最後の最後の体育祭なんだよ…」


少なからず、ボッチの僕でも愛里の言うことには共感を覚えていた。










それから数日後…再び世間を騒がせるニュースが僕の耳に飛び込んで来た。


『先日、コウノトリ制度が再び申請されたました』


日本で子供を産むために国からサポートが受けられるコウノトリ制度が再び申請されたのだ。


つまり、また姉のように誰かが子供を産もうとしているのだ。…おそらく今回は僕の知らないところで…。


2年ぶりに出産しようとした姉ほどではないが、今回もまたそのニュースが世間を騒がせていた。


今回に関して、僕は当事者ではないので、僕や姉の存在が影響を及ぼしているかまでは知る由もないが、ニュースでは度々先駆者である姉のことが語られていた。


『姉の失敗からなにも学ばなかったのか?』と反対する声が6、『それでも挑み続けることに意義はある』と擁護する声が3、無関心を装う声が1…世間の声は僕からはそのように割れているように見えた。


もちろん僕は姉に続くその誰かを応援していた。もし今回のことが姉の影響ならば、望の命も報われる気がするから…。


しかし、世間の声は冷たいものだった。


そのニュースが流れた日の朝の教室で、クラスの人達がヒソヒソのまた新たに無謀な挑戦に挑む愚か者に対する非難が囁かれていた。


僕はそんな空気の中で何食わぬ顔をして一人黙っていたが、その心中は穏やかではなかった。


確かにこの17年、誰一人としてなし得なかったことになんの見込みもなしに挑むことは愚かな行いに他ならない。


それでも無駄なことではないはず。


例えネームレスになってもデータや経験として未来へつながる確かな礎になるはずだから。


だけどそれはすぐさま結果に繋がるとは限らない。その努力が目に見えるほど確かな結果になり得るとは限らない。


だから…その努力を無駄かどうか判断するのは、もはやただの価値観の問題で、それを咎めるのはお門違いなことで…。


なんにしても僕は言いたいことも纏められずに黙っていることしかできなかった。


そんな中、クラスの誰かが不意にこんな言葉を口にした。


「っていうかさ…苦労するって分かってるなら、子供なんて産まなきゃいいのに…」


その時、非難する声を黙らせるかのように、力強く机を手で叩きつける音が教室に響いた。


僕が驚きながら音の方を振り向くと、そこには机に手のひらを叩きつけて立ち上がる姫浦の姿があった。


そして彼女は、怒りを露わにしながら口を開いた。


「『子供なんて産まなきゃいいのに』ってなに?」


その声は大きなものではなかった、真に迫るものを感じさせた。


クラスの皆が姫浦に注目する中、発言を咎められたクラスメートが姫浦に臆することなく言葉を返した。


「そのままの意味だよ。どうせ自分が苦労するだけなんだから、産まない方が賢明だってことだよ」


「じゃあ君は、このままずっと子供が産まれなくなってもいいって言うの?」


「そりゃあ産まれるに越したことはないけどさ…別によくない?。そんなの今に始まったことじゃないし、それでも生活に困らずに生きてこれたじゃん」


「でも今のままじゃあ私達に未来はない。人類はいつか滅亡する…私達はそんな恐怖に恐れながら生きなきゃいけなくなるんだよ!?」


「別にいいじゃん、それでも生きていけるんだからさ」


「でもこのままじゃあ、私達は未来を恐れながら、その未来へ進まなきゃいけないんだよ!?。そんなの嫌じゃないの!?」


徐々にヒートアップしていく姫浦に反して、クラスメートは淡々と返事を返した。


「じゃあどうするの?。争ってなんとかなるとでも思ってんの?。もう17年も子供なんて産まれてないんだぞ?。いい加減気が付けよ、もうなにをやったって子供なんて産まれないんだって」


「だから諦めろって言うの!?。そんな未来を受け入れろって言うの!?。そんな生き方で本当にいいの!?!?」


「良いとか悪いとか、嫌だとか…そんなこと言ったってどうしようもないだろ?」


そしてクラスメートはため息混じりに、わがままを言う姫浦に子供を諭すようにこう言うのだ。


「はぁ…いい加減、現実を認めて、大人になれよ」


その言葉に、姫浦は唖然とした顔を浮かべていた。


そして…静かにこう問いただした。


「『大人になれ』って、なに?」


そんな姫浦の質問に、クラスメートが答えを戸惑っていると姫浦はすかさず言葉を続けた。


「『大人になる』っていうのは、空気を読んでそれに沿って物事をこなすこと?。自分の思いを押し殺して、人の顔色を伺い続けること?。理不尽な現実と争わずに受け入れること?。…なにそれ?笑わせないでよ。そんなのただ妥協してるだけじゃん!。楽な方へ楽な方へ流されてるだけじゃん!!。私から言わせれば、そんなのただの怠慢だ!!!。怠惰な自分を『大人』だなんて言い訳してるだけだ!!!」


姫浦の叫びのような言葉に誰も反論出来ないでいる中、姫浦はクラスメートにこう言い放った。


「なにもしないことを『大人になる』だなんてカッコつけないでよ!!この怠け者!!!」


そして姫浦は教室から逃げるように出て行った。


もうすぐ朝のホームルームが始まる僅かな時間で、誰も姫浦の言葉に反論出来ずに動けないでいる中、僕はすっと自分の席から立ち上がり、口を開いた。


「僕からも、少しいいかな?」


姫浦の言葉は確かに胸に響いたが、最初の『子供なんて産まなきゃいい』という言葉への反論からは少し論点がズレてしまっている。


そのズレを修正する必要があると考えた僕はこうして重い腰を上げたのだった。


「確かに子供を産むなんてことはその人の自分勝手なエゴでしかない。でもさ、もしそんなエゴでも子供が産まれたなら、それはきっと僕らの未来を明るく照らす光となってくれる。例えエゴだとしても、もし上手くいったなら、僕らはその恩恵にあやかることができる。出産することはその人自身のためにすることかもしれないけど、きっと僕らのためにもなり得ることなんだ。そんな僕らのためにもなることを頑張って挑戦しようとしている人に向けて、『子供なんか産まなきゃいい』なんて言葉は…辛辣過ぎる」


これ以上はなにも語る必要はないと判断した僕は姫浦の後を追うように教室から出て行った。


朝のホームルームを直前に控えていた校舎は静まり返っていた。


すでにほとんどの生徒は教室で待機しているため、廊下には誰もおらず、随分と広く感じた。


いつもの慣れ親しんだ朝の景色が妙に新鮮に映る中、僕はふと頭の中でこんな言葉が脳裏によぎった。


『この世界はきっと、希望に飢えている』


ほとんどの人は、多分子供を産むことを諦めて、人類が滅亡する未来を受け入れた。


だって、期待するのは虚しいことだと分かっているから…。


それでも諦めずに戦い続ける人達がいる。


そういう人たちがいる限り、まだ人類の滅亡が決まったわけではない。希望が完全に潰えたわけではない。


でも、中途半端に期待なんかしたくないから、ほとんどの人は無責任に希望を持たせようとする人類の滅亡と戦ってる人達を責め立てようとする。現実を受け入れろとまくし立てる。


そして徐々に、そういう声に負けて少しずつ少しずつ戦う人達が減っていく…今の世界は、きっとそういう状態だ。


僕は、はっきり言って人類が滅亡しようがしまいがどちらでもいいと思う。


一層の事、今この瞬間、なんの前触れもなく世界中の核兵器が爆発して、人類が一人残らず消え失せたなら、別にそれは仕方ないと思えてしまう。


一番いけないのは、未来に希望が持てないことだ。


確実に押し迫る人類の滅亡という絶望に対して、僕らの目の前にある希望はちっぽけなものだ。


だからなにをするにしても心の中では『どうせなにをしたって無駄になる』って思ってしまう。


そしてそれを積み重ねて、妥協してどんどんなにもやらなくなってしまう。


僕は妥協し続けた先になにも待っていないことを知っている。空白のページの虚無感を知っている。生きる喜びや意味を見出せない日々が募って、心は蝕まれる。


そして蝕まれるたびに未来への絶望は強くなる…そういう負のスパイラルに陥ってしまう。


きっと、世界がそうなってしまうことが一番いけないことだと思う。


だから、世界は希望に飢えている。世界は希望を必要としている。


…一番良いのは、誰かがそんな希望になってくれることだ。


才能があって、賢くて、行動力があって、熱意があって、人脈もあって、力もあって、影響力もあって、経験もあって、知恵や知識もあって…。


でも僕は知っている、そんな賢い誰かはそんな愚かな行いをしないことを…。


だからきっと、そんな誰かは現れない。それでも世界は希望を欲している。


僕には才能がない。賢くもないし、行動力もないし、熱意もないし、人脈もないし、力もないし、影響力もないし、経験もないし、特別に知恵や知識があるわけではない。


僕には何もない。空っぽだ。ちっぽけだ。凡人だ。


それでも分かるんだ…こんな僕でも、『人生を賭ける』なら、きっと誰かの希望くらいにはなれるってことを…。


じゃあ…僕にその覚悟はありますか?。


僕は姫浦を探すために校舎と校舎を繋ぐ春の日差しに照らされた渡り廊下を暖かな春風に吹かれながら自問自答しつつ歩いていると、ふと笑いが込み上げてきた。


「ははは…なんだ、初めから答えは出てるじゃん」


そう、初めから答えは出ていたんだ。


最後の1ピースを見つけた僕は朝日がきらめく空を見上げた。


太陽の輝きを眩しく感じた僕は腕を高く掲げて、手のひらで陽の光を遮った。


そしてパズルのピースを完成させた僕は、掲げた手のひらを力強く握りしめた。

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