第45話

「この度は、誠に申し訳ございせんでした!!」


僕は立て篭もりによって解体工事を邪魔され、被害を被ったであろう解体業者の社長を前に頭を下げていた。


「工事を妨害したことによって被った損害は私が支払います。いまは息子もナイーブな時期ですので、どうか民事裁判のような大ごとにはして頂きたくないのです」


僕について来てくれた父がそう言って僕の隣で頭を下げてくれた。


この解体業者との和解は、僕がしなければならない罪の清算の一つだ、


特に業者との和解には許す許さない以前に損害が発生しているために、金額という形で償わなければならない。


…そしてそれは、高校生である僕にはおそらくは出来ないものだ。


だから、代わりに父が僕の罪を清算しなければならない。


だけど、父は嫌な顔一つせず、僕の禊を肩代わりしてくれた。


正直、今にも泣き出したくなるくらい感謝している。


父に頭を下げられた解体業者の社長はなにか難しい顔をしていた。


そして困ったそぶりをしながら、僕らにこんなことを告げた。


「その…賠償金のことなんですけどね……別にいいですよ」


「…え?」


僕は社長の言ってることが理解できず、思わず聞き返してしまった。


「ですから、賠償金は結構です」


「し、しかし…」


父がなんのお詫びもできないことを申し訳なく思ったか、何か言い返そうとした時、社長が父の前に手のひらを掲げて、それを制止した。


「お父さん、子供だからなにをやってもいいっていう訳ではありませんが、子供のやったことくらい、寛容的に見てやれる世の中になって欲しいって、私は思うんですよ。子供が罰を怖がって、言いたいことも言えないような世界じゃ、子供が可哀想じゃないですか。きっとそうやってルールに縛られて窮屈に生きていたら、大人になってもそのレールから外れることは出来ない。…もちろん、レールの上を走り続ける人生が悪いって訳ではありません。だけど、誰もレールから外れなくなるのはいけません。我々のような生物は多様性のある個体を作り出すことで繁栄してきました。多様性こそが、種の武器なのです。だから、我々大人は子供の多少のおいたくらい、立派な個性だと大目に見てやって欲しいんですよ」


「社長のお気持ちはよく分かります。ですが…息子の行いでそちらには多大な損失が発生したはず。…それをただのヤンチャで済ませるのは、流石に心痛みます」


「いいんですよ、これも大人の役目ですから…」


社長は笑顔でそう言った後、急に真面目な顔してこう続けた。


「と、言いたいところなんですがね…実はこれには裏があるんですよ」


「…裏?」


「光輝君が立て篭もり事件を起こしたあの日、我々に校舎の解体を依頼して来た教育委員会の富沢さんという方が我々に損害が出ないように動いてくださったんです」


「…富沢さんが?」


僕は社長の口から出て来た思わぬ人の名前に驚き、思わず尋ねてしまった。


「ええ。彼は立て籠り事件によって校舎が解体できなくなったことを知った途端、我々に損害が出ないように鷲宮第二中学の近辺にある近々解体予定だった同規模の公共施設を探し出し、代わりにそれを解体してくれと依頼して来たんです。いくら近場で同規模の物とはいえど、こちらとしては解体のための作業が増えますし、大幅な予定変更を強いられることになります。ですので我々が渋っていると、彼は冬の冷たいアスファルトの上であることも躊躇わず、誠心誠意、心を込めて土下座して頼み込んで来たんです。冬場のアスファルトは冷たかったでしょう、スーツには汚れが付くでしょう、大の大人が土下座なんて恥だったでしょう。…そんなことを厭わず、彼は我々に必死に頼み込んで来たんです」


「教育委員会の方が…どうしてそこまで?」


父は僕の代わりに社長にそう質問した。


「私も疑問に思いましたよ。お役所勤めの彼が、そんなことをしても一銭の得にはなりません。それなのにどうしてそこまでするのか…私も気になって彼に尋ねました。すると彼は光輝君達のことを我々に熱弁し始めたんですよ。『あの子達は遊び半分でこんなことをするような子供ではない、思いやりと信念を持った人達で、私も彼らに救われたから、私も出来ることをしてせめてもの恩返しをしたい』…彼は涙ながらに我々にそう語ってくれました。…そこまで言われて断ったら…我々も格好がつかないじゃないですか」


「富沢さんが…僕らのためにそこまで…」


僕の知らないところで僕らのために必死になって戦ってくれていた富沢さんに感謝すると同時に、その優しさが僕の胸を打った。


「ですから…我々ではなく、お礼は彼に言ってあげてください」


「…はい」


どうやら…最近の僕の涙腺は緩み切ってしまっているようだ。


事あるごとに泣かされてばかりだ。


僕は人前であることも憚らず、ボロボロと涙を流していた。


「それでも、御社に少なからず損害を与えたのは確かです。どうかその分だけでも私に償わせてください」


父はそう言って頭を下げた。


「確かに、我々も今回の光輝君の事件で少ながらず被害を被りました。ですが、その分の賠償金は…光輝君の勇気と信念への先行投資ということにしましょう」


「ですが!!」


「このお話はもうおしまいです。次の予定があるのでどうかお帰りください」


食い下がる父を尻目に社長は強引に退出しようとした。


「社長!!」


しかし、どうしても納得いかない父に社長が最後にこんな言葉を残した。


「子供にあれだけ格好つけられたんです。我々大人も少しくらい格好つけなきゃ、示しがつかないじゃないですか」


そして、社長は僕らの元から去って行った。


社長の粋な計らいに僕は感謝しつつ、僕らはその足で富沢さんのいる教育委員会の元へ訪れていた。


「ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした!!。それと…ありがとうございます!!」


僕は富沢さんに向かって頭を下げていた。


「心配したよ、櫻井君。いきなり立て篭もりなんかするんだもん…」


「…すみません。でも、富沢さんが被害を最小限に抑えてくれたおかげで、賠償金もなしで済みました」


「そっか…それは良かったよ」


「本当に、ありがとうございました!!」


僕は再三にわたって深々と頭を下げた。


「お礼なんていいよ。僕はただ…大人として当然のことをしたまでだからさ」


そんな些細な富沢さんの一言でさえ、ゆっるゆるに緩み切った今の僕の涙腺を崩壊させるのには十分なものであった。


「本当に…ありがとうございました…」


あぁ…大人ってズルい。


いとも簡単に僕の涙腺を壊して、ワンワンと泣き崩れる僕を子供扱いする。


僕がどうにもできないことを、陰ながら手を貸してくれている。


本当に、大人ってズルい。みんなみんな、本当にズルい。


ズルいくらい…カッコいい。


…ほんと、羨ましいな。


僕が大人達に羨望の眼差しを向けていると、父の携帯が鳴り出した。


どうやら母からの電話のようで父は親しげに電話に出ると、血相を変えた。


そしてすぐさま僕にこう告げた。


「光輝、病院に行くぞ」


「病院?…まさか…」


「瑠美の陣痛が始まった」


とうとう、この時が来た。


いずれ来ることは分かっていても、いざ目の前に迫ると、僕は思わず頭が真っ白になって動けなかった。


「なにかが出来るわけじゃないが…行こう、瑠美が戦ってるんだ」


「…う、うん」


僕らは姉の戦いを見守るために病院に向かうことにした。


「ごめんなさい、富沢さん。今度またゆっくりお礼させてください」


「…もしかして、お姉さんの陣痛が始まったのかい?」


「はい」


「…子供の名前は決まっているのかい?」


「はい、名前は望です」


「わかった。望くんが大きくなって学校に通う未来を、心から応援してる!」


「ありがとうございます!」


僕はもう一度、頭を下げて富沢さんにお礼を告げた後、父とともにその場を後にした。









僕らがタクシーで病院にたどり着くと、病院の入り口には沢山の報道陣で溢れていた。


その報道陣は僕の姿を見るなり、カメラのフラッシュを焚きながら群がって来た。


「櫻井光輝さん、今のお気持ちを一言!!」


「行く末を守っている多くの人たちにメッセージを!!」


父は僕を庇うように僕の前に立ち塞がって、なんとか病院の中に入ろうとするが、想像以上に報道陣の人数が多く、なかなか前に進めなかった。


そんな様子を見かねて、僕は報道陣の前に立って、言いたいことを吐き出した。


「姉は今、とてつもない大きな何かと戦っています」


僕の言葉に報道陣は目くらましのごとくフラッシュを焚いて僕を攻めるが、僕は怯むことなく話を続けた。


「そんな姉には、どんな些細なものでも後押ししてくれる声が必要なんです!!少しでも力になる声が必要なんです!!。だから、もし姉を応援してくださるのなら、『頑張れ』って言ってやってください!!。その声は姉には届かないかもしれません、例え届いたとしてもなんの意味もないかもしれません…それでも『頑張れ』って叫んでください!!!一緒に戦ってください!!!!僕は一人でも多くの人が、そう叫んでくれることを切に願ってます!!!」


僕がそう叫ぶと、報道陣は僕らに道を開けてくれた。


大量のフラッシュに照らされながら、堂々と病院の中に入る僕の背中にふと、誰かが声をかけてくれた。


「が…頑張れ!」


誰が言ったかもわからないその小さな声が、周りに反響し合うかのように、また誰かが同じ言葉を叫んだ。


やがてその波は集団を飲み込み、一つの大きな叫びとなった。


その叫びが、人類の滅亡を阻止するかは分からない。


だけど、それでも僕らは誰かに背中を押されているかのように、その足取りが軽くなった気がした。


きっとみんな…お前に会えることを期待しているんだ。


お前が大きく育つ未来を待ち焦がれているんだ。


お前という希望を求めいるんだ。


だから…一緒に戦ってくれるよな?望。


人類の存亡をかけた戦いがいま、幕を開けようとしていた。

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