第42話
立て篭もり5日目…。
ライフラインが止められたことと月曜日ということもあり、多くの学校で冬休みが終わり、今日から学校ということも相まって、ここまで残っていてくれたメンバーのうち、何人かは帰ってしまった、
結局、残ったのは僕と姫浦、そして加藤と時田の4人だけだった、
「どうやら、この4人が最終メンバーのようだな」
加藤が誇らしげにそんなことを言った後、こんなことも付け加えた。
「最後まで残った本当のバカはこの4人というわけだ」
そんな加藤の言葉を否定する者はいなかった。
実際、ここまで残ってるやつはバカだ。僕も本気でそう思う。
「しかし、時田が残るのは意外だな。こういう時は保身に走るタイプだと思ったけど?」
加藤は不思議そうに時田にそう尋ねた。
「ネームレス問題は誰も打つ手はないが、誰もが目を背けてはならない問題だ」
「でも、社会に訴えるためなら、4人も残らなくても1人残れば十分だろ?」
「まぁ、そうなんだがな…この騒動の結末を見たくなったんだよ。始業式なんかよりはよっぽど為になるだろ?」
「へへ、なかなか話がわかる奴じゃねえか」
加藤は少し嬉しそうにそんな言葉を口にした。
誰かが残ってくれるのは心強いことだ。それでも、こんなちっぽけな僕らが出来ることなんて限られている。
「じゃあ、掃除しようか…」
結局、僕らにできる事なんてこれが限度だ。
ライフラインが止められ、電源を確保する術もなくなったため、携帯で情報を入手することすらままならない僕らは仕方なしに掃除するしかなかった。
幸いなことに、電気やガスは止められていたが、水道だけは貯蓄されていたものがあり、節約して使えば掃除に使う分くらいの水は賄えた。
「…そういえば、加藤はなんでここまで残ってくれたんだ?。もしかして、僕に付き合ってくれてるのか?」
掃除の途中で僕は加藤にそんなことを尋ねた。
「まぁ、付き合ってやってるのもあるけど…ここなら見つかる気がしてな」
「見つかるって…なにがだよ?」
「…決意」
「…どういう意味だ?」
「ほら、無駄口叩いてないで、美術室でも掃除しに行こうぜ」
加藤はそう言って話題をそらした後、特に口も開かず黙々と掃除を始めた。
本当に掃除しかやることがない僕らは黙々と美術室を掃除していたが、とあるものを見つけた加藤が僕にこんなことを言ってきた。
「櫻井、見てみろよ。懐かしいものがあるぜ」
加藤が指を指した先には中学の卒業式の日に机に彫った五目並べの跡があった。
中学の卒業式の日に、『もう使わないから』という理由で先生に勧められて、特に彫りたいものもなかったため、悩んだ挙句意味もなく五目並べを彫って遊んだものだ。…ちなみにこの時勝ったのは僕だ。
彫った時は真新しく目立っていたそれも、今では古傷のように他の相合傘などの何の意味のないメッセージに並んで机に馴染んでいた。
「こんな意味のないものでも、懐かしく感じるなんてな…」
この懐古心を人は成長と呼ぶのか、それとも後悔と呼ぶのか…なんにしても、あの時はなんの意味のなかったそれですら、今の僕らには興味深いものになっていたのだ。
もしもあの日、卒業式が僕にとって特別なものであったなら…再び僕はここにこんな形で来ることはあったのだろうか?。
もしそうだとするならば…あの時の虚しさですら、意味のないものではなかったのだな。
僕はそんなことを思って、そっと心の中でほくそ笑んだ。
するとその時、突然加藤が僕にこんなことを尋ねてきた。
「…櫻井、お前は進路希望調査票、もう書いたか?」
「いや、まだだけど…」
「そりゃあそうだよな、優柔不断な櫻井が決められるわけないよな」
「ほっとけよ。そういう加藤はどうなんだよ?」
「…なぁ、櫻井。俺にリベンジさせてくれないか?」
突然、加藤は僕の質問を無視して僕にそんなことを言ってきた。
「リベンジって…なんだよ?」
「この時の五目並べのリベンジだ。負けたままじゃ悔しいしな」
加藤は机に刻まれた自分が負けた時の五目並べを指差しながらそう言った。
流石に連日掃除ばかりで飽きていたので、僕はそのリベンジを引き受けることにした。
「…まぁ、いいよ。もう一回五目並べでケリを付けるのか?」
「いや、せっかくだからそうだな…」
加藤はしばらく考え込んだ後、僕を体育館へと連れて行った。
誰もいない無人の体育館は立て籠もっていることすらもうっかりと忘れそうになるほど静かに佇んでいた。
広々とした体育館に、僕と加藤の足音と声だけが響いていた。
「せっかくだから卓球でケリを付けるか」
「卓球か…いいだろう、受けて立つ」
僕らは中学3年間、卓球部に所属していた。
僕はその3年間、まじめに練習していたこともあり、レギュラーとして部を支えていたが、加藤は練習を時々サボったりとのらりくらりとやっていたので、レギュラーにはなれなかった。
現役時代、加藤との勝率は7対3といったところ…しばらく現役を離れていたとはいえど、どちらかというと僕に分がある。
「くっくっく、卓球を選んだことを後悔させてやるぞ、加藤」
僕は悪い顔しながら加藤にそんな言葉を吐いた。
「いいや、地面に這い蹲るのは貴様の方だ、櫻井」
加藤も負けじと僕に悪い顔を向けていた。
「じゃあ、いつものように11点の2マッチ先取な」
体育倉庫から卓球台とその他の用具を取り出し、準備が終わった後、おもむろに加藤がこんなことを呟いた。
「…せっかくだから…なにか賭けるか?」
「いいぜ、ジュースでも賭けるか?」
試合の準備が完了し、ラケットを片手に構えていつでも始められる体勢を取りつつ、僕らはそんな会話をしていた。
「いや、せっかくだし、もっと凄いもの賭けようぜ」
「なんだよ?もっと凄いものって…」
「そうだな…例えば…」
加藤はどこかわざとらしく悩んだ後、さらっとこんなことを述べてきた。
「じゃあ、人生賭けよう」
「…はぁ?」
すると突然、加藤は戸惑う僕を尻目に、ピンポン球を宙に飛ばし、僕のバック側の深いラインにスピードのあるサーブを打ち込んだ。
僕はいきなり反応しにくい所に打ち込まれたため、思わず高く舞い上がったチャンスボールを返してしまった。
すると、加藤が待ってましたと言わんばかりにチャンスボールに飛びかかり、僕のフィールドに向かって全力のスマッシュを決めた。
僕は反応できず、そのまま得点を取られてしまった。
「シャアアアア!!!!!」
体育館に加藤の怒号のような雄叫びが響いた。
「おいおい、不意打ちした挙句、いきなり本気出すとはどういうことだよ、加藤」
僕は加藤のスポーツマンシップに反する行動を批難した。
「そりゃあ本気に決まってんだろ…人生賭けてるんだぜ!?」
しかし、本気でそう語る加藤に、僕は不意打ちの件はそれ以上なにも言及できなかった。
「…本気で、人生賭ける気か?加藤」
「当たり前だ!!今の俺が冗談言ってるように見えるか?」
「たしかに…加藤にしては随分とマジの目つきしてるな」
僕の目の前にはいつも道化師のように立ち振る舞う加藤の姿はなく、気迫と意気込みに満ちた瞳をしている加藤が立ち塞がっていた。
どうやら、加藤の『人生を賭ける』という言葉は本気のようだ。
「人生を賭けるって…なにに人生を賭けるんだよ?」
「それくらいは敗者に選ばせてやるよ、櫻井」
正直なところ、『人生を賭ける』という言葉にどれほどの重みがあるのかはわからない。
だけど、加藤は本気でこの戦いに人生をかけようとしている。
その人生を賭ける大事な対戦相手に僕を選んだ。
…そりゃあ、光栄だね。こんな僕にそんな役目を渡してくれるとは…。選んでくれたなら…受けないわけにはいかないよな!?。
「わかったよ、なにに人生賭けるかくらいはお前に選ばせてやるよ!!加藤!!」
「もう勝った気でいるつもりか?。足元掬われるぜ!?櫻井!!」
こうして、僕らの人生を賭けた戦いが幕を開けた。
『人生を賭ける』
それがどれほどの重みを持つのか、僕にはまだわからない。
わからない…だから怖い。
今にも恐怖に足がすくんで、動けなくなってしまいそうだ。
そんな恐怖をかき消すために、僕らは1点を取るたびに怒号のように叫びあった。
こんな気迫に満ちた試合をするのは初めてだった。
少なくとも、真面目にやってきただけの中学3年間では一度として感じたことのないプレッシャーの中、僕は戦い続けていた。
それでも、プレッシャーを抱えているのは加藤も同じ…最初の一点を不意打ちで取られたとはいえど、ペースはすでに取り戻した。
加藤には悪いが…お前の人生はここで終わりだ!!。
僕は加藤のフィールドに向かって強烈なドライブを叩き込んだ。
加藤はそれに体全身、まるごと飛び込んで拾おうとしたが、あともう寸分足らず、得点を許してしまった。
「これでリーチだ、加藤」
2マッチ先取のこの戦いで、僕は最初の1マッチを先取した。
あと1マッチ取れば僕の勝利、それに比べて加藤が勝つにはこの後2マッチを連取する必要がある。
そう考えると断然僕の方が有利だ。
そしてその有利は『人生を賭ける』というプレッシャーをほんの少し軽減させてくれた。
精神的にも僕の有利は揺るぎない。
しかし、加藤もそれを感じ取ったのか、僕にこんなことを語り始めた。
「櫻井…お前は『人生を賭ける』ことと『命を賭ける』ことの違いが分かるか?」
「…さぁ?同じじゃないのか?」
「この二つはな、似ているようで全く違う。むしろ真逆だと言っても過言じゃない」
「どう違うんだよ?」
「『命を賭ける』っていうのはな、そのままの意味だ。つまりは『そいつのために死ぬ』っていうことだ。これはそんなに難しいことじゃねえ、死ぬのなんて案外呆気ないものだからな、死のうと思えば簡単に死ねるもんさ。やろうと思えば誰でも出来る」
加藤は淡々とそう語った後、ニヤリと笑いながら続けて僕に語った。
「だけどなぁ…『人生を賭ける』っていうのは違う。つまりは『そいつのために生きる』っていうことだ。健やかなる時も安らかな時も、生きてる限り全てをそいつのために捧げなければいけない。お前の時間も、労力も、心さえもそいつに捧げなきゃならない。そのためには楽しいものを捨てなければならないかもしれない、好きなものを捨てなければならないのかもしれない、もう二度と楽なんて出来ないかもしれない。全部…自分を構成する全てをそいつに賭けて、辛くても、苦しくてもそいつのために生き続けなければいけないんだ」
そして最後に加藤は僕にこんなことを尋ねた。
「どうだぁ?櫻井。怖くねえか?『人生を賭ける』っていうのはよぉ?」
もしこの試合で負けたら…僕はこの先一生、何かに全てを捧げなきゃいけないのか…。
『そいつのために生きる』
加藤のその言葉の重さに、僕は思わず震えてしまった。
「ああ、怖いね、超怖いね!!」
今にも押し迫る『人生を賭ける』ことへの恐怖に押し潰されないように、僕は強がりながらも『怖い』とはっきり叫んだ。
そんな僕の様子を見て、加藤はこんなことを口にした。
「…これで、プレッシャー面ではイーブンってところだな」
「なるほど、そういう作戦か」
「じゃあ行くぜ!第2ラウンドだ!!櫻井!!」
再び、僕らの全てを賭けた戦いの火蓋が切って落とされた。
この戦いに負ければ、人生を…全てを何かに捧げなきゃいけない。
それはとっても怖いこと、ギャンブルでいうならば有り金全部を一点賭けするようなものだ。
僕は、人生のチップを今まで手放さないように大事に守ってきた。
うっかり何かを好きになって…うっかり何かに夢中になって…うっかり何かに本気になって…そのチップが無駄にならないように大事に大事に心の奥底にしまい込んでいた。
だけど、ギャンブルは賭けるものが価値がある方が楽しい、本気になれる。
人生だって同じだ。
その大切なチップを賭けない限り、本気にはなれない。
僕も加藤も、それを理解している。
大切な人生を賭けて、本気でやっている人達の輝きを知っている。そんな人達に憧れている。
この試合に負けて、彼らのように何かに人生を賭けるのは怖い。本当に怖い。どうしようもないくらい怖い。
だから、僕らは本気で勝ちに行ってる。この試合に全力を出している。
たった1点でも取れば怒鳴り散らすように叫んで喜び、たった1点を取られれば頭を抱えるほど落ち込む。
きっと、本気になるってそういうことだ。僕らはそんな本気に憧れている。
だから…だからもし、この試合に負けることが出来たなら…。
そんな思いが、僕の頭の片隅にあった。
しかし、残酷にも僕は加藤にトドメの一撃をお見舞いした。
今日一番の絶好球が加藤に向けて無慈悲に炸裂した。
加藤はその最後の蜘蛛の糸を必死になって掴もうと、ピンポン球に向かって全力で飛びついた。
しかし、慈悲のない重力がピンポン球を地面へと叩き落とした。
ゲームは僕の2マッチ先取で、あっけなく幕を閉じた。
地面に倒れながら、無気力に敗北を悟った加藤は正気を失ったかのような声を上げて叫び始めた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!終わったああああああ!!!!!!俺の人生終わったああああああああ!!!!!!!!」
その後、駄々をこねる子供のようにその場で地団駄を踏み出した。
「クッソおおおお!!!!!クッソおおおおおあ!!!!!終わった!!!終わった!!!!俺の人生お先真っ暗だ!!!!」
その後も加藤はしばらく乱心したかのように悪態を吐き続けた。
加藤とは長い付き合いだが、これほどまでに狂いながら暴言を吐き続ける加藤を見るのは初めてだった。
これが『人生を賭ける』ことを決意するということなのだろうか。
加藤は不満や不平を吐き出し続ける。…だけどきっと、加藤はこうなることを望んでいた。
本気になれない自分に、僕が引導を渡してくれるこの機会をずっと待っていた。…そんな気がする。
そうじゃなきゃ、わざわざ勝ち目の薄い卓球で僕に挑んで来ないだろう。
加藤は最初からこうなることを計算に入れた上で、僕に戦いを挑んで来たのだ。
きっとこれが、加藤なりの決意なのだろう。
そして加藤はこうしてようやく決意することが出来たのだ。
僕は今も地面に羽虫のように這いつくばって暴れまわる加藤を見下しながらも、どこか羨ましく思えた。
しばらく仰向けになって両腕で目元を覆い隠しながら、声にならない叫びを上げ続けた後、不意に加藤がこんなことを僕に言って来た。
「悪い…やっぱり俺、帰らなきゃいけない。…人生賭けなきゃいけないからさ」
「そっか…わかったよ、加藤」
突然の加藤の帰宅宣言を僕は当然のように受け入れた。
力なく立ち上がり、トボトボと覚束ない足取りで加藤が体育館の出口の方へと向かって行く様を、僕は黙って見送っていた。
そして体育館の出口付近で、最後に加藤は僕にこう言い残した。
「明るい未来ってやつは、お前に託したぜ、櫻井」
「ああ、任せとけ、加藤」
こうして、答えを見つけた加藤は帰ってしまい、鷲中に残ったのはとうとう僕と姫浦と時田の三人だけになってしまった。
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