第37話

修学旅行四日目、グループ行動の最後の日の朝、僕は一応は同じグループのはずの女子の一人からこんなことを尋ねられた。


「櫻井君は今日も別行動するの?」


昨日、僕は谷口のハーレム状態を見続けるだけの旅路に耐えきれなくなり、グループからコッソリと勝手に抜け出したのだが…一応はそのことに気が付いていたらしく、彼女は確かめるようにそんなことを尋ねて来たのだ。


「え、えっと…まぁ…そうかな」


「まぁ、そうだよね、私達といても楽しくなさそうだもんね。…もしかして、愛里さんと回るの?」


一応、彼女は彼女なりに僕が疎外感を感じていたことに気が付いていたようだ。


「う、うん、一応そのつもりだよ」


僕は彼女達が変に気を使ったりしないように愛里と回ると嘘をついた。


「そっか、楽しんで来てね」


彼女はそう言って僕の元から離れ、谷口の元に消えていった。


修学旅行四日目、グループ行動最後の日…どうやら僕は今日もボッチ旅確定なようだ。


人でごった返している大通りの雑踏を離れ、僕は静かで人の少ない小さな神社で一人黄昏ていた。


世の中世知辛いなぁ…。


物事はなかなか都合よくは進まない。


分かってはいるが、僕がなにもしなければ、世間は僕に構ってはくれない。


だから、僕はここにいるはずなのに、誰にも僕が見えていないような錯覚に陥る。


世界は、僕に対して興味がなさ過ぎる。関心がなさ過ぎる。容赦がなさ過ぎる。


そんな風に悲観的に見えてくるほどには、この高校生の一大イベントたる修学旅行でなんの思い出も残せていないことに僕の心は荒んでいた。


修学旅行くらい、誰かちょっと特別に僕に構ってくれたっていいじゃないか…。


僕がそんなことを考えていると、憎たらしいくらいに思い通りにならない神様が、珍しく僕に粋な計らいをした。


僕が一人でベンチで惚けていると、近くの茂みから突然姫浦が姿を現したのだ。


「…姫浦?」


思わず僕が声をかけると、彼女は僕と一瞬目を合わせると、すぐに顔を背けた後、僕の触るベンチの後ろ側に隠れるように座り込んだ。


「ごめん、匿って」


彼女はなんの事情も説明することなく、僕にそんなことを告げた。


僕が不思議そうにしていると、姫浦の後を追うように、姫浦と学校でよく一緒にいる同じ中学出身の星野が茂みから出て来た。


星野は辺りをキョロキョロ見渡した後、僕を見かけるや否や、僕に声をかけて来た。


「櫻井、姫、見なかった?」


星野の言う『姫』とは姫浦のことだ。


「いや、見なかったけど」


姫浦に匿ってと言われた手前、わざわざ教える理由もないので僕は嘘をついた。


僕はなるべく自然に話したつもりだったが、星野は勘が鋭いのか、疑いを込めた視線で僕をにらんで聞いて来た。


「本当に知らない?」


「し、知らないよ…」


その視線の鋭さに、僕は思わずたじろんでしまった。


「本当に知らない?。嘘ついたら女子の間に櫻井のあらぬ噂流すけど?」


「やめてください、死んでしまいます。…っていうか、だったら電話とかしたらどうなんだ?」


「私いま、姫に避けられてるから電話出てくれないんだよね」


「なんだよ、姫浦に嫌われてるのか?」


「嫌われてるっていうよりは…修学旅行で何日もずっと一緒だから流石にうんざりしてるんだろうね」


「分かってるなら放っておいてやれよ」


「嫌よ。せっかくの修学旅行なんだから1秒でも長く美少女のそばに居たいのよ」


「何しに修学旅行来てるんだよ…」


「いや、一人でベンチで黄昏てるやつに言われたくないわ」


「それはごもっともで…」


その後、なんやかんやでようやく星野は諦めて何処かに行ってしまった。


「…もう大丈夫だよ、姫浦」


星野が完全に居なくなったのを見計らって、僕は姫浦に呼びかけた。


「…ありがとう」


脅威が去ったことに安堵し、姫浦はほっと胸をなでおろした。


そしてその後、僕の方をチラチラ見ながらこんなことを口にした。


「話には聞いてたけど…櫻井、本当に友達いないんだね」


「ようやく気が付いた?」


この小娘は何を今更そんな分かりきったことを…社交力13を舐めるなよ?。


「なんで修学旅行までボッチなの?」


「そればかりは…相手が悪かったと信じたい」


あの宇宙人みたいな谷口に、漫画みたいに仕組まれたかのようなミラクル展開が起きたなら、こうなったのも仕方がないだろう。


「…っていうか、姫浦。僕のこと嫌いな君にこんなことを頼むのは気がひけるけど…良かったら僕と一緒に回ってくれない?」


ここで会ったのも何かの縁だろう。せっかくの修学旅行でこれ以上ぼっちを続けるのは一生モノの傷になりそうだったので、僕は無理を承知で一か八か姫浦にそんなお願いをした。


何もしない果てに何も待ってはくれないことを知っていた僕は相手が女子とはいえど知らぬ仲でもない姫浦を誘うことに躊躇はなかった。


「…いいよ。櫻井にはお礼しなきゃと思ってたし…」


「お礼?」


「鷲中のこととか…いろいろ。それに…そろそろ私も君と向き合わなきゃね」


そう言って、彼女は強がって僕に笑顔を向けてくれた。


僕らの旅の道中に、会話は多くなかった。


それは姫浦の体調を気遣ってのことだったが、それでも『鷲中を守れたことがほぼ確定した話』とか『姉のお腹の赤ちゃんの様子』とか、それなりにいろんな話をした。


「鷲中のこと、本当にありがとう。…やっぱり、君に頼って正解だった、櫻井」


「いや、別に僕は大したことしてないよ。それに、姫浦がいなかったら始まってすらいなかった」


「ううん、それでも…君がいなきゃここまで来れなかったよ」


僕らは淡々とそんな話をしながら京都の街並みを見学して回っていた。


会話が盛り上がったわけではないけど、それでも誰かと一緒に旅をするのは楽しい。


修学旅行四日目にして、僕はようやく修学旅行を体験したような気がした。


やがて、沈みゆく茜色の太陽が旅路の終わりを告げようとしたころ…僕らも旅館へと向かう帰路に着いていた。


やはり僕らの間で交わされる言葉は多くはない。


…いや、ここまで共に戦ってきた僕らにそんなものはもはや必要無いのだ。


決して気まずいものではなく、どこか清々しく、気持ちの良い沈黙が僕らを包んでいた…そんな気がしていた。


だけど、それでも言葉にしなければ伝わらないこともある。


僕がそれを思い知らされたのは、隣で歩いていた彼女がふとした拍子に躓き、転びそうになった時だ。


僕はとっさに反応して彼女の両肩をガッチリと掴んで彼女が転ばないように支えた。


「ありがと…」


不意に、西日にきらめく彼女の瞳と目があった。


間近で潤むその大きな瞳は真珠のように輝き、僕の姿を映していた。


その距離感の近さに、思わず僕は息を飲み込み、心臓が止まるような感覚に苛まれた。


彼女と目を合わせたその刹那…世界は僕らだけを残して時が止まった気がした。


やがて、彼女の桜色の柔らかい唇が動き出し、近くにいた僕にだけ聞こえるほどの大きさの声を発した。


「櫻井…」


そして、その潤んだ瞳が僕をとらえて離さないまま、茜色の空に混じって、彼女は抱えている思いの丈を囁いた。







「ごめん、もう無理…」






そう言い残して、彼女はその場に膝から崩れ落ちるように倒れ、痙攣しつつ口から泡を吹き出して失神した。




「結局、またそれかよ!?」


毎度お馴染みのテンプレ展開に思わずそうツッコミつつも、迅速に彼女を介抱し、彼女は一命をとりとめた。


彼女は相変わらずトラウマを乗り越えられていないけど、そこまで無理してでも僕と一緒にいてくれたと思うと…彼女に足を向けて寝られなかった。













その日の夜、僕は家族やバイト先へのおみあげを買い忘れていたことに気がつき、旅館に備え付けられている売店に一人で来ていた。


無難に八つ橋とかにしておくか…。


僕がそんなことを考えていると、後ろから誰かが僕を呼びかける声がした。


「さくらちゃーん!!」


僕をそんな可愛らしい名前で呼ぶのはこの世に一人しかいない。


僕が振り返ると、当然そこには僕の方に小走りで駆け寄ってくる愛里の姿があった。


「お一人ですか?」


僕の目の前にやってきた彼女は挨拶のようにそう尋ねてきた。


どうやら彼女はお風呂上がりのようで、火照った身体と、赤みがかった顔が否が応でも入浴している彼女の姿を連想させた。


「見ての通り、お一人ですよ」


『お風呂上がりは反則だろ』などと思いつつ、視線を逸らして僕はそう答えた。


僕らがそんな話をしていると、二人組の女子が僕らの元に近付き、声をかけてきた。


「友梨奈の友達?」


よく見ると、その二人は愛里から修学旅行中に送られて来た写真に写っていた女子生徒二人組であることに気がつき、僕はこの修学旅行で下の名前で呼び合うほど仲良くなったんだなと察した。


「こちらが話に出て来た『さくらちゃん』でーす」


「どーも、さくらちゃんこと櫻井です」


愛里が大物ゲストが登場した時のように大々的に僕を紹介するのに反して、僕は淡々とそう答えた。


「え!?さくらちゃんって男子だったの!?」


「もしかして彼氏!?」


そんな風に仲良さげにしている様子を見て、僕は愛里が前に進めていることを確認し、愛里を祝福すると同時に、やはりどこか羨ましく思ってしまった。


…僕はこの高校生活で、ちゃんと前に進めているのだろうか?。


僕だってそれなりに色々とやって来た気がする。


だけど…『これだ!』って思えるようなものには…人生のチップを賭けていいと思えるほどの本気には…どうしてもこれがやりたいっていう夢には…まだ出会えていない。


僕だっていつか、そんな確かなゴールを見つけられるのかな?。


結局、修学旅行は何かを得られたのかどうかも定かではないままあっけなく幕を閉じ、僕らにはいつもの日常が戻って来た。


いつもの日常…だけど、時は少しずつではあるが確実にその針を小刻みに進める。


高校2年生の11月直前…そろそろ僕らも決めなければいけない時期が来た。


「進路希望調査を配ります」


教壇に立つサカもっちゃんはそう言って進路希望調査表を配り、まだ確かな未来すら描けない僕らに慈悲もなく、選択を迫って来た。


「三年生の初めに、二者面談をやるので、それまでに書いて提出するように」


第三希望まで作られた空欄を前に、僕は自分に問いかける。


『結局、僕の夢ってなんなんだろう?』


僕には目の前に立ちふさがるその小さな紙の小さな空欄ですら埋められる気がしなかった。


だって…結局僕は何一つとして自分の意思で選べていないのだから…。


そんな僕に、畳み掛けるように試練が押し寄せる。


お昼休み、いつものように一人で昼食を取っていた僕の元に、一人の少女が息を切らして駆け込んで来た。


「櫻井!!大変!!」


目の前に立つ姫浦が周りも見えないほど焦っていたことが僕にはわかった。


姫浦は荒ぶる息を抑える間も無く、僕にこんなことを告げた。


「鷲宮第二中学の貸し出しの申請が、拒絶されたの!!」


「え!?」


富沢さん曰く、文部科学大臣の同意を得られたことにより、あと必要だったのはただの書類上だけの通過儀礼である内閣総理大臣の認定だけだったはず。


それで拒絶されたとなると…。


僕の嫌な予感に答えるかのように、姫浦が僕にこう告げた。


「内閣総理大臣が…認定を拒絶したの」


誰かが下したたった一つの小さな決断が…ただの高校生でしかない僕らには、どうしようもないほど高く積み上げられた巨大な壁のように立ちはだかり、僕らに絶望を植え付けた。

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