第36話
修学旅行…それは学生にとっての一二を争う一大イベントであり、まさに青春を体現したかのような旅路だ。
いつもの校舎とは違う舞台で、仲のいい人達と自由に行動することの高揚感、浮き足立つ心が時に新たな出会いや恋を運ぶこともあるだろう。
夜になれば先生にバレないようにこっそりと外に抜け出して、月夜の下で密やかに愛を育んだり、女の子の部屋に遊びに行って普段は出来ないような心踊るような恋の話をしたり…そしてそれらの物語は一生心に残り、これから先に続く長い未来で辛い出来事があった時、そういう経験を思い出して前向きになれる…そんな一生ものの宝物のようなイベントだと、僕は信じて疑わなかった。
だが、僕の場合は違った。
流石に僕も一年半も高校生をしていたら分かる…現実はいつだって非情であると。
僕のような指をくわえて見ているだけの人間が、そんな漫画のようなストーリーに加われるわけがないのだ。
わかってる、もうわかってる、流石に分かってる、嫌っていうほどわかってる。
修学旅行で京都に訪れ、二日目のグループ行動で僕たちのグループは一応はグループで行動しているのだが…このグループの中核である仲良し女子3人グループは僕らのことなどまるで居ないように扱い、3人で好き勝手に楽しんでいる。
そこに自己主張のじの字もない僕が口を挟めるわけもなく、ただ黙って着いていくだけだった。
そしてもう一人のグループのメンバーである協調性も他人への関心も無い谷口はなにを考えているのかもわからない無表情のまま、僕と同じように黙ってついて来ていた。
詰まる所、仲良し女子3人で好き勝手に盛り上がり、僕と谷口はそれにただ黙ってついて行くだけの名ばかりのグループ行動だったのだ。
それでも僕は僕で谷口と仲良くやればそれなりに楽しいものにはなるのかも知れないが、他人に興味も関心もない宇宙人のような谷口と仲良くなれる気がしなかったのだ。
だから僕はもう、何もかも諦めて、傀儡のような光のない瞳でただ女子グループについていく木偶の坊と化していた。
ふふっ…別にいいんだ…僕にはいざとなれば愛里がいるし…。
僕は理想と現実のギャップに心がへし折られそうになるのを、愛里の存在だけが精神を繋ぎ止めていてくれた。
ちなみに『自分の居場所くらい自分で作れるようになりたい』と宣言した愛里は、その第一歩として茶道部に入った。
ゆるゆるな部活ではあったが、上手くやっていけているそうだ。
他にも、愛里はこの修学旅行を機に、クラスと打ち解ける決意をしたそうだ。
きっと今頃は仲良し男子二人組と、仲良し女子二人組の間に挟まれながらも自分の居場所を作り出そうと奮闘しているはずだ。
そんな愛里を邪魔しないためにも、居場所作りの大チャンスである修学旅行中は僕は愛里に関わらないことを決めていた。
僕なんぞに構って、この修学旅行というチャンスをみすみす逃して欲しくなかったからだ。
だから、愛里は確かな僕の居場所となってはくれてはいるのだが、この修学旅行に限っては愛里には頼れないのだ。
だけど…もう別に一人でもいいや。
どうやら、まともな修学旅行を送れていないのはなにも僕だけではない。
横にいる谷口も随分とつまならそうな修学旅行をしているじゃないか。
僕は横にいる谷口を一瞥し、『一人なのは一人だけじゃない』と再認識し、同類の存在という安心感に浸かっていた。
…大丈夫、人生で数本の指に入るくらい大事な修学旅行でいつまでも色あせない素晴らしい思い出のおの字も作れていないのはなにも僕だけじゃない。
そんな安心感があったから、こんな辛い出来事も『まぁ、いいや』で妥協出来た。
しかし、この時の僕はまだ分かっていないようだ。
現実は、僕が想像しているよりもずっと…非情であることを…。
3時間後…。
「谷口くん!八つ橋好き?」
「いや、別に…」
「キャー!『別に』だって!超クールなんですけどぉ!」
「カッコいいよね…谷口くんって…」
「ねぇねぇ、谷口くん!これ可愛くない!?」
僕の目の前には先ほどまで3人で好き勝手に楽しんでいた女子グループが谷口を取り合うかのように取り囲んで、谷口が何か呟くたびにキャーキャーと黄色い声援を送っていた。
一応、名目上は5人グループのはずなのに、僕を差し置いてあの朴念仁の谷口が女子3人に囲まれている状況に、僕は絶望の眼差しを向けていた。
…どうしてこうなった?。
僕は真っ白になりそうな頭を振り絞り、事の顛末を振り返った。
事の発端は道を歩いている時だった。
羽目を外して楽しんでいたせいで余所見をしながら歩いていた女子グループの一人が、ガラの悪いヤンチャなにいちゃんにぶつかってしまったのだ。
「骨が折れちまったじゃねえか、嬢ちゃん。責任取ってくれるんだろうなぁ?」
そんな漫画でしか聞いた事ないようなセリフを吐き出したヤンキーのにいちゃんは仲間とともに僕らを囲い、僕らを人気のない場所へと連行し、あれよあれよと気がつけば僕らは無人のライブハウスに連れてこられていた。
うわぁ…漫画みたいだぁ…と、そんなことを考えつつも僕は怖くて白目剥いていることしか出来ないでいた。
「ふっふっふ、ここなら誰も助けは来ないぜ、ゆっくり楽しもうや、嬢ちゃん」
そんな漫画にしか存在しないと思っていたセリフをヤンキーのにいちゃんが吐いたその時、青天の霹靂のごとく、ギターの鋭い音がライブハウスに響いた。
誰もが驚いてステージの方に振り返ると、そこにはステージの上に飾ってあったギターを軽快に鳴らす谷口の姿があった。
初めは誰もが不可解な目で谷口を見ていたが、谷口の素人離れした演奏に徐々にヤンキーのにいちゃん達も乗り気になっていた。
やがて、その場にいた僕以外の誰もが気がつけば谷口の演奏の虜になっていた。
そのうち、ヤンキーのにいちゃんの一人が思い出したかのようにこんなことを叫んだ。
「あいつ、どっかで見たことあると思ったら…あいつは『TANIGUTI』じゃねえか!?」
「なに!?あの『TANIGUTI』だって!?」
「バカな!?『TANIGUTI』がどうしてこんな場末のライブハウスにいるんだ!?」
だが、谷口の演奏はヤンキーのにいちゃん達のそんな些細な疑問を吹き飛ばし、観客となった僕らをその腕前で魅せた。
谷口の演奏が終わった時には会場は一体となって、谷口に向かって大歓声を上げていた。
「『TANIGUTI』!!サイン!!サインをくれえええええええ!!!!!」
「もう一生お前についていくぜ!!『TANIGUTI』!!」
「キャー!!谷口くん超かっこいいィィィィ!!!!!」
その後、まるで野球少年がメジャーリーガーを見つめるかのようなキラキラした瞳でヤンキーのにいちゃんは谷口に握手をせがみ、谷口はメンドくさそうな顔してそれに応じていた。
で、気がつけば僕の目の前で僕を差し置いて女の子3人に囲まれて、谷口はハーレムしていたのだ。
…いや、漫画かよ。
もはや漫画の世界の中ですら死滅したであろうテンプレ展開に僕は呆れを通り越して感動すら覚えていた。
…っていうか、『TANIGUTI』ってなんだよ!?。なんでローマ字表記なんだよ!?。
『TANIGUTI』の思わぬ知名度にツッコミを入れずにはいられなかった。
「ほら、谷口くん、アーン」
「ダメよ!谷口くんにアーンするのは私なんだから!!」
「わ、私だって谷口くんにアーンしたいよ!!」
あの女子3人グループはもうダメですね、完全にメスの顔してますわ。
僕は目の前で起きているどうしようもない顛末にただただ達観して見ていることしか出来なかった。
…まぁ、谷口のお陰で助かったんだし、谷口がチヤホヤされるのは百歩譲って認めよう。
だが、一番解せないのは、谷口…女の子3人に囲まれてもどうでもいいみたいに涼しい顔してんじゃねえよ!!。
せめてもっとこうさ…ドギマギしたりとか、そういう可愛い一面の一つや二つ見せてくれりゃあさ、僕もちょっとは救われる気がするからさ…だからもっと楽しめよ!もっと嬉しがれよ!もっと照れろよ!もっとデレろよ!。
そのうちマジで斬りつけるぞ、お前!!。
しかし、そんな僕の殺意を込めた視線を尻目に、谷口は腕を勝手に組んでくる女の子に向かって無表情にこう言うのだ。
「邪魔だから離して」
「嫌だー!谷口くんと離れたくない!!」
「ズルイよ!!私も谷口くんとくっつくのぉ!!」
「わ、私もいいかな?谷口くん」
「だから、邪魔だって言ってるじゃん」
「キャー!!そんなところも素敵ー!谷口くん!!」
同じグループであるはずの僕を尻目に繰り広げられるラブコメに耐えきれなくなった僕は近くにあったおみやげ屋さんの店員さんにこんなことを尋ねた。
「すみませーん、このお店に真剣って売ってますか?」
木刀があるなら真剣もあるでしょ?。
頭の中が殺意で満たされていた僕はそんな突拍子も無い考えも信じて疑わなかった。
こうして、僕の修学旅行の二日目が幕を閉じたのであった。
翌日、今日も本来ならばグループ行動の日なのだったが、僕は一人で無気力にベンチに腰掛けていた。
今日も谷口のハーレム状態は続くどころか、悪化の一途を辿り、終いには本当にこの手にかけてしまいそうになった僕は、精神衛生の面を考慮して、コッソリとグループを抜け出し、こうして一人寂しく黄昏ていたのだ。
「…今日は良い天気だなぁ」
皮肉なくらい旅行日和の快晴に、僕は天気すらも疎ましく感じていた。
そんな僕がふと携帯をのぞいて見ると、そこには愛里が同じグループの人と楽しそうにしている写真が送られて来ていた。
「愛里さんは…変われたんだな」
『自分の居場所くらい自分で作れるようになりたい』
そう宣言した彼女の行動力はめまぐるしかった。
部活に入り、友達も出来て、今こうして修学旅行を楽しんで…嗚呼、羨ましいな。
ついこの前まで僕と同類だったはずの彼女が、こうして僕を差し置いて前に進んでいる。
羨ましい…そうまでして手に入れたいものを見つけた彼女が、羨ましい。
ほんと…どいつもこいつも羨ましい。
愛里が変われたのは…きっとあの日の涙のおかげなんだろう。
あの日の僕と愛里を隔てたものはきっとそれだ。
ボロボロと愛里が涙を流す中、僕は泣けないでいた。
思えば…僕が最後にちゃんと泣いたのはいつだっただろう?。
もう、何年も泣けていない気がする。
だからこんな僕でも、涙を流せるほどの出来事があれば…きっと変われるのだろうか?。
僕の携帯に電話がかかって来たのは、そんな時だった。
もしかして…そんな期待を込めて携帯の画面を見つめると、そこには期待に反して『富沢さん』という文字が浮かび上がっていた。
「なんだ…富沢さんか…どうしたんだろ」
僕が電話に出ると、富沢さんが興奮混じりに僕にこう告げた。
「鷲宮第二中学の申請、通ったよ!!」
「…え?」
「コネを使って文部科学省の内部情報を仕入れたんだけどね、君たちが申請した鷲宮第二中学の貸し出しの件についてなんだけど、文部科学大臣の同意を得ることが出来たようだよ。あとは総理大臣の認定を受けるだけだけど、それはただの書類だけの通過儀礼だから、通ったもの同然!!鷲宮第二中学は守れたも同然だ!!」
「本当ですか!?」
「本当だとも!真っ先に君に伝えたくて連絡したんだ。…ありがとう、きっとこれも君のおかげだよ」
「いや、僕なんてなにも…」
「いや、そんなことはない。君と…姫浦さんのおかげだ」
「いや、みんなのおかげですって。宮沢さんのおかげでもあります」
「そう言ってくれると嬉しいよ。…おっと、それじゃあそろそろ切るね、まだ仕事中でね」
「はい、お疲れ様でした」
その後、通話が切られた携帯をしばらく僕はぽかんと見ていた。
「そっか…鷲中は無事に守れたか…」
これで、僕の役目も終わりだな。
僕が安心したかのようにホッと息を吐き出した。
そして、吐き出した息で自分の心に付けたはずの火を吹き消したかのような感覚に襲われた。
そっか…終わったのか…終わっちゃったのか…。なんか…やけにアッサリだな。
念願であった目標を達成したにも関わらず、僕の心は虚しさに苛まれていた。
…これから僕は何のために生きていけばいいんだろう。
ゴールにたどり着いたはずなのに、僕の道は途絶えてしまった…そんな気がした。
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